飯田市議会 1999-06-14 06月14日-02号
そのうち、この飯田下伊那には621あるわけでありますが、そのうち56は早稲田大学の演劇博物館で保存されております。また、上川路人形、立石人形、伊豆木関坂人形、時又の安城垣外のものは、飯田市美術博物館で保存しております。
そのうち、この飯田下伊那には621あるわけでありますが、そのうち56は早稲田大学の演劇博物館で保存されております。また、上川路人形、立石人形、伊豆木関坂人形、時又の安城垣外のものは、飯田市美術博物館で保存しております。
町内には大学のセミナーハウスが数多くありますが、本年も昨年同様夏休み期間中、早稲田大学のご協力により青少年を対象とした野球教室、科学実験教室の開催、日本大学主催の夏期大学への町民参加の呼びかけなど、文化交流事業を積極的に行ってまいりたいと考えております。
最近、「五体不満足」という、手と足がなく、電動車いすの生活をしている早稲田大学の学生である乙武さんの本がベストセラーとなっています。佐久でもとても売れているということです。私も障害者問題に取り組んでいますが、こうした本がベストセラーになったこと自体驚きであり、うれしいことと私も早速購入し読んでみました。
テレビ等でも数々の報道等もなされておりますので御承知の方が多いと思いますけれども、この本は、生まれながらにして両手、両足がないという先天性四肢切断という障害を負っておられます早稲田大学の学生である乙武洋匡君の今までの生い立ちを自叙伝としてつづった本であるわけでございます。この本の中で乙武君はこのように申されております。「障害は不便です。だけど不幸ではありません」。
あの状態が今後も続いていくとすれば成人を祝う式ではないなと、これが第一印象でございましたし、ひとり長野市だけではなく、仙台で早稲田大学の吉村教授の話が途中で立ち往生をしといったあのてんまつもございました。今の子供たちがたった一時間でもその式に合わせられないというのは、非常に残念でございますけれども、翻って考えれば、これは私たち大人の責任でもあるわけでございます。
次に、町と早稲田大学との交流事業について申し上げます。 地域文化の向上と生涯学習推進のため、町内にある大学セミナー施設との交流を考え、既に日本大学と実施しておりましたが、本年度早稲田大学の理解と厚意のもとに交流事業を計画し、実施してまいりました。 7月26日には、同大学の追分セミナーハウスグラウンドにおきまして、町内少年野球クラブ、中学野球部の80余名が参加し、現役選手による指導を受けました。
第3条に、竹田人形館の名称及び位置について規定をしてございますが、名称につきましては、今まで竹田人形館として事業名をつけてまいりましたが、人形の寄贈者である竹田扇之助氏より竹田人形座の復興者であり、また、竹田錬場の命名者である郷土出身者で名誉市民であった故河竹繁俊先生の息子さんで、現在、日本演劇協会の会長で早稲田大学名誉教授、河竹登志夫先生に竹田人形館に掲額する竹田の古事来歴の執筆を依頼するよう強い
晋平先生はさらに勉学の機会を求めて18歳のときに単身で上京し、当時早稲田大学の教授であり、我が国の新劇界のリーダーであった島村抱月のもとに書生として住み込みながら、東京音楽学校、現在の東京芸術大学ピアノ科に入学し、苦学の中で音楽の資質の向上を図っていったのであります。
早稲田大学の哲学の北村実さんという方であります。 たくさんの発言があるわけですが、これからどうしたらいいかという問題については、今大切なことはこの事件をただ解釈するだけではなくてどうすればよいか、根源から問い直して教育政策の大転換を遂げてくことが必要だというふうに発言をしている教育者もおります。
主題は小学校の方です、新しい鳴瀬小学校というんですが、これは実は資料を見ますと設計は早稲田大学のとぬま研究室プラスアトリエウミというようなところが設計をいたしまして、東北の建築賞を受賞しているそういう建物でありました。
高坂澄夫氏は、早稲田大学を卒業後、長野県中小企業団体中央会常務理事をお務めするかたわら、長野市議会議員を三期十二年の長きにわたり務められ、現在は、財団法人長野県中小企業障害共済会専務理事として御活躍をされております。
氏は大正12年、軽井沢町出身の早稲田大学教授市村今朝蔵先生に嫁がれ、昭和6年、軽井沢町南原地区に志を同じくする学者村の建設を計画され、昭和29年、南原文化会を設立し、代表者となりました。 軽井沢夏期大学は当町に静養中の先生方により創設されました。大正7年から十数年統けられましたが、戦争中一時閉講となりました。