795件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

長野市議会 1992-09-01 09月24日-05号

憲法平和原則と、そこに示された日本国民の意思を踏みにじり、日本政府が戦後初めて自衛隊部隊ごと海外に派兵したことは、今日本歴史が一つの重大な岐路にあることを意味しています。この点で、六十一年前、日本共産党を除くすべての政党が、中国東北部侵略を支持、追認したこと、また、当時の商業新聞も、我が軍断然積極行動といった戦況報道戦争熱をあおった歴史も想起しないわけにはいきません。 

長野市議会 1992-06-01 06月19日-06号

軍事大国化していくのではないかという点に対してなので、武力行使目的にした多国籍軍への日本参加を危うくしているわけで、さきの大戦における日本アジア侵略歴史から考えて、アジア諸国がそうした危ぐを持つことは考えられますが、今日の法律にはアジアのそうした危ぐに、五原則を初め、厳格な歯止めが掛けてあるわけであり、問題はPKO法に対する誤解を解き、その目的とするところをアジア各国に周知していくために、日本政府

中野市議会 1991-12-11 12月11日-04号

しかし、日本政府は一律関税化には反対していくと明言をいたしておりまして、この点については今後の新ラウンド農業交渉を注目してまいりたいと存じます。 市としましても、国の方針に基づきまして、主食である米については輸入自由化阻止を今後とも市長会等を通じて強く要求をしてまいりたいと思っておるところであります。 

松本市議会 1991-12-09 12月09日-02号

この問題の国会論議を聞いておりまして、武器使用武力行使の限界があいまいであり、国連日本政府指揮権が混迷していては、参加隊員も一歩誤れば憲法違反で糾弾されることがあろうし、また国際的な恥辱を免れないこともあろうと思うわけでございますが、これらを合法化するような無理な答弁を繰り返し、机上の空論としか聞こえない節々があるのであります。

須坂市議会 1991-12-06 12月06日-02号

ガット農業交渉がジュネーブで行われているわけでありますが、新聞等報道では、輸出補助金をめぐる米国と欧州共同体との対立が予想以上に深く、ガット事務局長が目指す今月20日までの実質的妥協は難しくなっているとされておりまして、日本政府としましても、米の自由化を意味する一律関税化の回避に全力を挙げる方針という情報であります。

松本市議会 1991-06-17 06月17日-02号

自民党の前の幹事長小沢氏は、憲法9条の禁止しているのは、日本政府が勝手な判断自衛隊海外に出す場合であって、国連中心にして世界の国々の合意による行動であれば、今の憲法に違反しないと、こういう主張をしております。自民党はこの小沢一郎氏を会長にして、党内に国際社会における日本のあり方に関する調査会を設置いたしました。

中野市議会 1991-03-22 03月22日-05号

なぜならば、ここにも明確なように、日本政府そのものも賛成して、この権利条約が第44回国連総会において満場一致で採択されたものです。このみずから採択されたことに対して、委員長はそのことを、地方議会が早く批准してほしいということを出すことが、政府の進める方向に対して逆行をしてしまうというふうな、こういう判断を何を根拠にして報告されたのかどうか。

中野市議会 1991-03-12 03月12日-03号

しかしこれは御存じのように、イラクのクウェート侵攻に端を発しましたアメリカ軍中心とした多国籍軍湾岸戦争などにかかわりまして、日本政府の90億ドル、約1兆 1,700億円というこの支援協力問題に絡めまして、基本的には政府予算も一部修正をするようになったようでありますけれども、このことが大変私ども地方自治体にとっても関連をする問題としてとらえていきたいというふうに思っているわけであります。 

佐久市議会 1991-03-12 03月12日-03号

心配でテレビに釘付けだったという婦人たち、こんなにも人々が戦争と平和を考え、そして自衛隊の派遣と90億ドルの追加支援論議に明け暮れ、平和的解決に何ら具体的努力を示さなかった日本政府の対応にいら立ち、かつ日本憲法の重みというものを考えさせられたことはなかったと思います。 この戦争から引き出された教訓は何であったのでしょうか。

長野市議会 1991-03-01 03月13日-03号

さらに重大なのは、この戦争への日本政府協力であります。多国籍軍への戦費九十億ドルの支出にかかわる補正予算案が、国民の反対の声を無視して、自民、公明、民社の賛成で衆議院を通過しました。日本国会戦争している外国軍隊への戦費支出を公然と決定するのは、現行憲法の四十四年の歴史の中で最初のことであります。

松本市議会 1991-02-26 02月26日-03号

「2番目は、日露戦争において居中調停をしてくれた26代ルーズベルト大統領である」これにも当時の日本政府は、金子堅太郎というルーズベルト大統領大学同級生アメリカに送って、そのための努力を続けておりました。もう戦争を始める前からそれを送っていた。「3人目はマッカーサー元帥である。日本平和憲法を与えてくれた。感謝にたえない。

松本市議会 1991-02-25 02月25日-02号

市長提案説明の中で、関係諸国の英知を結集してこの事態解決を望んでおりますが、私は当然その中に日本政府がとるべき態度ということが大きく問われていると思います。 そこで市長にお聞きします。今この事態の中で、日本政府は相変わらずアメリカのとった態度賛成を表明し、90億ドルの支援の問題と自衛隊海外派兵の問題については引き続きこの立場で推し進めています。

中野市議会 1990-12-11 12月11日-03号

障害者全面参加と平等の実現を呼びかけました国連勧告を受けて、1982年に日本政府が策定をいたしました障害者対策に関する長期計画、これは来年が最終年度ということになりました。あと1年わずかということになったわけですけれども、このような情勢を受けて、以下ご質問をしたいというふうに思います。 最初に、精神障害者社会復帰訓練施設についてお伺いをしたいというふうに思います。