岡谷市議会 2013-12-11 12月11日-02号
過去の自動車産業のまちの変わり果てた廃墟だらけのまちの写真です。時代の大きな移り変わりをその写真を見て感じ取れるんですが、日本にも炭鉱のまちで栄えたり産業で栄えたり、その後廃墟となっているまちがたくさんあります。自分たちのまちが片方に寄り過ぎず、そして時代の流れをつかみながらやっていかなければならないということを改めて感じています。
過去の自動車産業のまちの変わり果てた廃墟だらけのまちの写真です。時代の大きな移り変わりをその写真を見て感じ取れるんですが、日本にも炭鉱のまちで栄えたり産業で栄えたり、その後廃墟となっているまちがたくさんあります。自分たちのまちが片方に寄り過ぎず、そして時代の流れをつかみながらやっていかなければならないということを改めて感じています。
きのうも出ていましたよね、廃墟になったりとかそういったことがなくなるということもあるので、難しいとは思うんですけれども、そういったことも踏まえて、いろんな都市計画を今後考えていっていただければいいかなと思っています。
我々、私なども当初から利益の出ないようなものだったら、すぐに彼らは撤退して、あそこは廃墟と化すだろうというようなことを心配して指摘もしてきたわけですけれども、実際アーバンがつぶれた後、東広島とか、ああいうところの自治体はアーバンに発注してつくらせている大きなビルだとか、いろいろなものがありまして大騒ぎになってあれでしたけれども、我々軽井沢町は賢明にも、そこに至る前に食いとめてそこまでいかなかったということは
その結果、別荘地の荒廃やホテルの廃墟にどのように対処するかが問われております。また、時には財産区民に大きな負担を強いられる事態も想定されます。将来を見通すと、財産区として内部留保、基金の積み立てが必要であるのではないかと思われます。特に既にホテル等の廃屋になっている現状については、財産区の土地賃貸借によるもので、観光地としての早急に対策が必要ではないかと考えております。
乱立したマンションも50年後には、今東京では廃墟になりつつ、都市の問題とされていると、それが何十年後かに松本に来るということは、もう一度こういった高層マンションのあり方、特にお城周辺にそういうものができることに関しては、全体像として議論していかなきゃいけないかな、そんなことを思いながら、これは質問ではないので投げておきたいと、次回に。建設部長いいですか。
それからその次は、観光施設は市の財源であるという考え方で質問させていただきますが、観光施設が時代の影響を受けて空き家や廃墟と化し、固定資産税を取れない、徴収できないというふうな面で、市の財源が減少していたり、それから先ほど言った環境も悪化しているというその悪循環が最近進行しているというふうに感じています。
町が専門家に依頼して廃墟になる前にそのような手続がとれれば、空き家対策として一歩進むというふうに思うわけですけれども、なかなかそれは簡単にはいかないというような状況のようです。 そこで、私の調べた結果、飯山市で空き家等の適正管理に関する条例というのが9月議会で可決され、この10月1日から施行されるということです。
ただ、これらの廃墟は、あるものは処分されないまま破産手続が廃止されていたり、また競売が続行中であったり、あるいは自主廃業をしていたりと、廃墟となった事情はさまざまでございます。さらに何らかの権利関係が存在し、また廃墟の処理について責任を有する関係者もいるはずでございます。
廃墟になった市街地を見に来る人はまずいません。市街地が、買い物を含め、イベントがあったり、文化的な催しや人の喜び、楽しみが提供できる環境にあってこそ、交通システムが生きてきます。交通システムの整備は、必要条件であっても、決して十分条件ではないと思います。まずは、まちの中ににぎわい再生を賄っていかなければならないというふうに思います。
今、御心配された景観、あるいは治安上ばかりでなく、廃墟というものが原村の良好な環境を阻害するということは、まさにおっしゃるとおりでございまして、何とかこの空き家を活用する方法等を考えていかなくてはいけないというふうには思っているところであります。
また、近年増加をしている観光地の廃墟・廃屋につきましては、観光地の美観を損ねイメージダウンにつながる深刻な問題だと認識しております。処理の方策につきまして、これは県とも協議を重ね、解決の道筋を探っていきたいと考えておりますけれども、非常に難しい問題でもあります。廃屋といえども必ず何らかの権利関係が存在しています。また、廃屋処理について一義的な責任を有する関係者も当然いるわけでございます。
日和山公園から見た一面廃墟となった風景、あちこちにできた瓦れきの山々、各県から来ている支援員の手をかりている市役所の内部、とりわけ石巻日日新聞社の部長さんのお話は、身にしみるものがありました。通常の編集、制作、印刷ができない中、手書きの新聞づくり、避難所の壁に張り重要な情報を地域に提供したということで、ワシントンにあるニュースの総合博物館ミュージアムに展示されることになった新聞社です。
私たちの国は、終戦後の廃墟から立ち上がって、短期間で復興、発展を遂げたように、幾たびとなく焦土の中からよみがえり、誇るべき国土と国民をはぐくんできた歴史があります。日本人には世界に誇る高いモラルと勤勉さ、そして忍耐力があります。さらに、技術力も経済力もあるわけであります。
広島、長崎への原爆投下の前に60を超える都市が廃墟となり、子供を含め何十万もの人々が命を失いました。日本がどれだけ破壊尽くされたか、今では覚えているも少ないでしょうと言って、最後にこう結んでいます。今回もまた必ず日本はそうするでしょう。世界が見ています。喜んで支援の手を差し伸べようとしています。日本はいやしと復興への道を速やかに歩むことを期待しています。
仮にですね、仮にじゃあ大門の皆様が、他の地域に比べて地域愛が少なかったと、仮にした場合でもですね、これは自治体を預かる今の私の立場としたら、だからでは、そこは廃墟にしていいかとなると、これは全く違うと思います。
それからプールについては、昭和57年に建設ということで、非常に老朽化が進んでおりまして、使わないときに行ってみると、本当に廃墟というような状況でありますし、生徒数も少なくなって、当時と比べれば少なくなって、それから水泳学習に対する考え方も違ってきておりますので、これをどうするかという観点から検討しなければいけない時期に入っていると思いますので、ことし、来年、またその次、計画的な整備をしなければならないと
それが倒産しまして、一挙にこの施設が廃墟になりました。何人からも農地を借りているわけですから、この巨大な施設があっても、後の土地所有者が利用できないんですね。こういうふうな状況というのが恐らく大企業が農業、土地所有に自由に参入するようなことになったら、これは全国至るところにそういうことがあり得るんではないか、そういうふうに思うわけです。 そういう点で、私は農民の権利を守る。
このままもし競売にでもかかって、どこかの業者が取得し、5年、10年放置され、あれが廃墟になったら、それこそ須坂における治安問題の一番の箇所となります。須坂市はどのような対応を考えているかお答えください。 ○議長(佐藤壽三郎) 答弁を求めます。-----三木市長。 ◎市長(三木正夫) 〔登壇〕 花火の中止について申し上げます。
それから、春日温泉内におきましては先ほど言いました競売物件がこれから廃墟と化していくわけでありまして、非常にイメージダウンとなっていくと。
やはり敗戦国でございまして日本の国土が廃墟と化し、日本人の心は全くむなしいものに、悔しさと、悲しさと、飢えに耐え忍んで当時はまいったと思っております。それが公民館活動によって地域づくり、いわゆる地域の活性化というものが全国津々浦々でどんどん進んだというふうに記憶しております。