下諏訪町議会 2022-09-07 令和 4年 9月定例会−09月07日-04号
また、山頂には二ツ山神社をはじめ山岳信仰の石碑も多く、神秘的な山であります。 そこは守屋山、入笠山に劣らぬ山と思いますので、私としては守屋山並みの登山道整備を行い、観光地として多くの観光客、登山者もそうですけれども、知っていただき、下諏訪町の誇れる観光名所にしてはいかがという提案でございます。
また、山頂には二ツ山神社をはじめ山岳信仰の石碑も多く、神秘的な山であります。 そこは守屋山、入笠山に劣らぬ山と思いますので、私としては守屋山並みの登山道整備を行い、観光地として多くの観光客、登山者もそうですけれども、知っていただき、下諏訪町の誇れる観光名所にしてはいかがという提案でございます。
山岳信仰に始まった登山は、明治の学術登山、大正、昭和、戦後の登山ブームを経て、現在のスポーツ登山、観光登山へ発展してきております。 子どもの頃、早朝の駅前には登山客があふれていました。
石尊山の座禅窟につきましては、江戸時代の行者の山岳信仰の意向で、私たちが先祖の生活の推移を理解するのに欠くことのできない民俗文化財として町が管理しているところでございます。
この御正体から、間山は古代から中世にかけて修験道など山岳信仰の拠点であったと考えられています。この建応寺跡は中野市指定史跡に昭和59年に指定され、現在に至っています。 しかし、建応寺跡の史跡案内板には、礎石配置図3棟の配置図もなく大変不親切であり、せめて間山区史の配置図程度の紹介がほしいところであります。
中世から山岳信仰の対象であり、100メートルほどの高さの岩壁が約1キロメートルにわたって連なる独特の景観が評価されたものと言われています。米子瀑布群は、米子川の上流、標高約1,600メートルにある10条ほどの滝の総称、落差約80メートルの権現滝、同約85メートルの不動滝の2条が米子瀑布として知られています。同瀑布は、ことしNHK大河ドラマ真田丸のオープニングに登場して知名度を上げました。
また一方では、市外の方からも例えば小菅神社のいわゆる山岳信仰についての非常に関心を持っている方々もいらっしゃいまして、現実的には外からそうした人たちが関与をして、ツアーみたいなものを実際には計画をされております。
パネルディスカッションでは、山の魅力と安全など、今後の山岳信仰について話し合われました。会場からも多くの意見が寄せられ、100周年にふさわしいシンポジウムとなりました。 続いて、建設部関係でございます。道路・河川関係では、各期成同盟会の総会が開催されまして、事業の促進について確認をされました。
今回の御開帳の中で戸隠神社は、善光寺との両詣で効果で参拝者が増えたとのことですが、これからは発祥については不明な点が多い飯綱信仰ではありますが、日本古来の山岳信仰において、発祥地は飯綱山の可能性が高いと言われており、更に研究を進めていただき、各地に広がる飯綱信仰のリード役となって観光に生かしていただきたいと思っていますが、先日、市立博物館で開催いただいた特別展の成果を含め、今後、本市の文化芸術作品も
次に、伊那市の教育委員会では、伊那市寺院史、伊那市神社史、信濃の牧春近領、宿場、伊那の中世伝説、山岳信仰、伊那市の祭り、治水と築堤、高遠石工、等すぐれた調査報告書や発掘調査の報告書を刊行していますけれど、広く一般に配布、または販売されていないように思われます。発掘調査報告書に至っては、研究者が手にすることがなかなかできないということで、不評だった時期があります。
委員長には東京農工大学の名誉教授、亀山 章先生、副委員長には信州大学副学長の笹本正治先生初め、委員、特別委員に4名の学識経験者を委嘱し、名勝景観評価、中世史、植生、地形地質、地域史、山岳信仰の各分野について、それぞれの極めて高い専門的見地に基づいて調査手法の検討や調査の実施をしていただいております。
かつて、八ヶ岳や中央アルプスにも生息してたそうですけれども、山岳信仰と絡んで、神の使者として崇められた歴史があり、文化遺産としての価値も高いといわれているということで、また、ライチョウが長野県のほか、富山県、岐阜県の県鳥、県の鳥というふうに指定されていると出てきます。
上杉謙信が信仰したと言われる飯綱大明神、飯綱信仰の発生については不明な点が多く、日本古来の山岳信仰において、ある種の小動物が山の神若しくはその使いとされており、それはキツネが変化した空を飛ぶてんぐとのことであり、発生地は飯綱山の可能性が強いとのことであります。各地に広がる、飯綱の神の聖地とも言えるのではないかと思います。
しかし、山岳信仰や狩猟など、いろいろな理由で自然発生的にできた登山道は管理者不在が多く、整備は山小屋任せが実態です。林野庁は山小屋の収入に応じて税金を徴収しております。しかし、登山道の整備においては全く関知していないのが現状であります。ほとんどの山小屋が身銭を切って登山道の整備に当たっていますが、資材の運搬をヘリコプターに頼るなど、大きな負担を負っております。
これちょと読まさせていただきますと、前段の方は省略させていただきますけれども、後段の部分ですね、「やがて信濃の国も山岳信仰の広がりとともに、各地に霊山が開かれ、信仰の場となった。戸隠などを初め霊山のふもとの人里にこの内ノ萱で収穫された業者そばの種が、行者たちの手によって運ばれ、信濃の国全域に広がっていったのです。それが今、信州そばと言われ、全国的に有名なそばと発展したのです。
これは日本古来からの山岳信仰によって、雷鳥の住む山を神の住む山というふうな捉え方をされていて、その結果雷鳥も人間から保護をされてきたという経過があって雷鳥は人を恐れない。本当に1メートルくらいまで近寄っても逃げないという雷鳥が出てきたそうでございます。 しかしこの雷鳥もキツネやテン、ニホンザルなどが高いところまで登っていくことによって、その数が激減しているということでございました。
移動した原因が市であれば別でございますが、明確でないようでございますし、設置場所も民地で、公的なものでもないということでございますので、霊山飯綱山の山岳信仰にかかわる宗教的色合いのものというふうにも考えられますので、関係者が協議して解決されるのが適当ではないかというふうに思われますので、御理解のほどをお願いをいたします。
やたら額等をおろすにしましても、おろして裏側見ればわかるんじゃないかと思いましても、本当に素人がやってしまったんでは壊してしまうとか、そういう危険な場合も考えられますので、ぜひ専門の方にいろいろの方法で調査をしていただいて、その実態をつかんでいただいて、本当にこの長い修験道場、そして不動信仰、この山岳信仰としてのあそこの場所、本当に残っている場所としてはそんなに全国的にも多くないんではないかと思いますので