松本市議会 2020-12-09 12月09日-04号
そこで、観光戦略として、そして今の地域づくり、そしてまちづくりとして、女鳥羽川と薄川の複合扇状地として松本城下町湧水群も考えると、水の都や京都型のまちづくり、小路があり、桜と紅葉の松本の市街地に見せる舞台の設置が可能であれば、四神相応を一体整備して、今は中心市街地、昔は城下町ですが、歴史文化を基調とした水と小路を核としたまちづくりが理想的ではないかと思いますが、市のご見解をお尋ねをいたします。
そこで、観光戦略として、そして今の地域づくり、そしてまちづくりとして、女鳥羽川と薄川の複合扇状地として松本城下町湧水群も考えると、水の都や京都型のまちづくり、小路があり、桜と紅葉の松本の市街地に見せる舞台の設置が可能であれば、四神相応を一体整備して、今は中心市街地、昔は城下町ですが、歴史文化を基調とした水と小路を核としたまちづくりが理想的ではないかと思いますが、市のご見解をお尋ねをいたします。
契約の相手方は松本市女鳥羽の株式会社アズム松本支店 支店長 太谷ゆき氏でございます。
空前の雨台風で女鳥羽川が氾濫して、中心市街地で3,904戸が水没しました。当時の一般会計予算総額10億円に対しまして、被害総額は7億数千万円。災害救助法が適用され、時の岸 信介内閣総理大臣が、村上 勇建設大臣、福田赳夫農林大臣を伴って被災地視察に来るほどでした。降旗市長の時代です。
これは女鳥羽川、田川を初めとしてほかの河川にも言えると思います。それは仮に80年に一度でも、100年に一度の降雨があったとしてもそれが何分、何時間続くのか、逆に時間当たりの降雨量は少なかったとしても長時間降り続いたらどうなるのかという問題とあわせ、山にどれだけの木があるのか、つまり保水力がどれだけあるのかという問題もあるわけです。
東信地方に大雨を降らせた雲の一部が東山を超え、松本市側まで入り込んだ結果が四賀地区の大雨と女鳥羽川の増水につながりました。
これは松本市でいいますと、簿川ですとか女鳥羽川、こういったところが対象になってきます。恐らくこれは市独自で水位計なのか水位をはかる何らかの方策がある河川だというふうに思います。 もう一つは、市町村が水防団に対して水防警報を指示する水防警報河川ということが定められております。
午後5時半、四賀地区と女鳥羽川流域4地区、第1、中央、田川、東部に警戒レベル3、避難準備・高齢者等避難開始情報が発令され、市の指定避難所が8カ所開設され、四賀地区の27町会長全員に電話連絡が行われました。 四賀地区でも支所、五常集会施設以外に旧中川小学校、錦部の四賀保健センターにも避難所が開設されました。
9月1日、ことしも第40回松本市総合防災訓練が女鳥羽中学校を会場に、地域住民を初め関係者約850人が参加し、実施されました。バールやジャッキを使っての救助体験や土のうを実際に作って積む作業、バケツリレーによる初期消火、段ボール式簡易ベッドや投光器の設置等積極的に体験する姿が見られました。
1として、旧開智学校は建設、建築完成が1年遅い、かつ昭和38年に女鳥羽川のほとりから移築されている。これは、昭和38年からで56年の経過。ところが、佐久市の旧中込学校は明治8年ですから144年経過しているということで、移築もしていないわけです。さらに、耐震化もまだ開智学校はクリアしていないんです。佐久市はこの間、3年ほど前にちゃんと耐震工事も済んでおります。
演歌といえば失恋の歌が多いわけですが、やはり1番には「淋しさつのる城下町 ひとり信濃路わすれ旅」、2番には「みれんが騒ぐ女鳥羽川 おんな信濃路走馬灯」、3番には「右へまがれば幸せが 巡ってくるよな一の門」--一の門というのは松本城の門のことだそうですが、--曲の中に松本の文言はありませんが、松本の景色を連想させる歌詞となっていました。
1940年代後半から、庁舎分散による非効率行政の解消、事務量の増加や近村合併を視野に入れた庁舎新築構想が持ち上がったものの、このときから建設候補地については、女鳥羽川を境に北部地域と南部地域とで市議会や市民の意見が分かれていたことに加え、昭和の大合併後、膨大な累積赤字を抱えていたため、庁舎建設問題が難航していました。
この松本市においても、県で計測している田川、薄川、女鳥羽川や奈良井川の水位計や降水量のデータを確認して仮設ポンプの稼働や水防活動を開始するということを聞いているところであります。豪雨時においては、現地で目視をするということは大変危険なことでありますので、河川の状況がメールで配信されれば住民の自主判断を促すという、そういったところにもつながっていくんじゃないかなというふうに思います。
松本は女鳥羽川と薄川の複合扇状地により豊富な地下水が湧出する湧水地帯であり、市街地中心部には、今なお多くの自噴井戸や湧水が24カ所点在し、市民の手により手厚く保全されています。これらを一体的に捉えたものをまつもと城下町湧水群としており、平成20年6月には環境省、平成の名水百選に選定されております。
東部学校給食センターの建設時には、自校給食の存続を要望する本郷小学校と女鳥羽中学校のPTAの皆様にもご理解とご協力をいただき、自校方式からセンター方式へと転換し、松本市はセンター方式に統一されました。現在、センター給食は、子供たちに大変好評であり、市としてセンター方式の転換を図らなくてはならないという認識はございません。
松本市中心市街地交通対策会議では、緊急車両用に女鳥羽川堤防道路を確保するなど、緊急車両が渋滞で通行の妨げにならないような対策をしてほしいといったような意見も出されていましたが、この点を本市としてはどのようにお考えでしょうか。 あわせて、交通安全対策についてもお伺いします。
その際、県が想定した各流域における100年に1回の確率の降雨は、24時間降水量で県管理河川の奈良井川流域で173ミリ、田川流域で180ミリ、女鳥羽川流域で185ミリ、薄川流域では220ミリです。また、国土交通省千曲川河川事務所の管理河川である梓川を含む千曲川水系全体では、こちらは48時間で186ミリを想定しています。
女鳥羽川の水流を稲倉より大門沢へ切り落とし、北馬場より外堀へ引き入れ、北不明門より弥勒院前を掘り、内堀へ入れた。まず、地蔵清水よりさらい始め、本丸、土井尻に及び、西堀に落としてさらい、その泥をことごとく犀川に流した。濁った水は新潟の海に及び、飲料水を汚し、漁業を妨げ、下流の迷惑は甚だしかった。作業は日の出に皆がそろい、終了は日の入り。休日はない。雨天でも行った。
まず、県道惣社岡田線の整備につきましては、市営野球場南東交差点から女鳥羽池手前までの延長280メートルがその後間もなく完成をいたしました。しかし、その先線となる女鳥羽池から玄向寺までの延長500メートルにつきましては、当時、概略設計を実施中でルートを検討しているとの答弁でしたが、現地を見る限り一向に進んだ気配はありません。現在どのような状況になっているのか、また今後の予定についてお伺いします。
このような学習形態そのものは、決して目新しいものではなく、これまでも取り組んできておりますが、松本市においても例えば鉢盛中学校や女鳥羽中学校で取り組まれている4人グループによる学び合い学習もその一つであると考えております。
私の申し上げる橋梁とは、松本市内を流れております女鳥羽川、薄川、田川、奈良井川及び鎖川などのいわゆる橋の長さが三、四十メートルまでの橋のことを申しております。私は、今まで橋のかけかえ工事は、短くても3年はかかると信じておりました。市政報告会の折にも、市民の皆様から女鳥羽川にかかる源橋、市道2547号線の工期が余りにも長いという質問にも、橋のかけかえ工事は最低3年はかかると説明をしておりました。