3195件の議事録が該当しました。
表示内容の正確性については最善を尽くしておりますが、それを保証するものではありません。

該当会議一覧

上田市議会 1995-01-30 03月07日-一般質間-03号

このたびの阪神大震災は多数の死傷者を出し、未曾有の大災害となり、今なお多くの被災者避難生活を余儀なくされております。ここに亡くなられた方々とご遺族に対し、衷心より哀悼の意を表し、あわせて被災された方々に心からお見舞申し上げ、一日も早く復興されますことをご祈念申し上げます。この阪神大震災では5,400人以上の犠牲者を出してしまいました。

飯田市議会 1994-09-08 09月08日-04号

飯田市を初めとする、この県下3市5町9カ村、近い将来関東大震災に匹敵する大地震が発生するという警告のもと、地震防災対策強化地域指定されているわけですけれども、その中で家庭や地域地震防災活動の担い手としての自主防災組織がつくり上げられてきたのだというふうに理解しておりますが、自主防災組織消防署とか、地域にある消防団という公的な消防防災機関とは違ったその役割や位置づけがあると思いますので、どういう

松本市議会 1993-09-14 09月14日-03号

次に、地域防災計画危険箇所対策ですが、9月1日は関東大震災からちょうど70年目ということで、本年は特に災害も多く、北海道南西沖地震と津波、そして九州を中心とした水害、地すべり災害等相次ぐ中で多くの人命を失い、対策の遅れ、予算不足乱開発、これらが指摘されているところでありますが、松本市においても最近は緊急の危険箇所の一斉点検を実施したようでありますし、また防災計画ではその必要性を十分認識しているわけでありますが

飯田市議会 1993-09-13 09月13日-02号

この間、伊豆大島近海地震、これはマグニチュード7.0、引き続いて伊豆半島東方沖地震、これは55年でありますけれども、マグニチュード6.7と起こったものの、それ以来東海地震は起きておりませんが、近い将来関東大震災に匹敵する大地震が発生するとの説が発表され、東海地方中心として飯田市をはじめとする6件170による市町村が大規模地震対策特別措置法により地震防災対策強化地域として指定をされておることはご承知

長野市議会 1993-09-01 09月16日-04号

大正十二年に関東大震災が起こりまして、非常に有名な被災でございますが、本所被服厰跡、ここでは逃げ込んだ多くの人々のうちで四万四千人の方々が熱風に焼かれて亡くなりました。しかし、比較的よく知られていない現象でございますが、それから南に三キロ下がったところに深川岩崎別邸という、やはり本所被服厰跡と全く同じ一万二千坪の面積を要する屋敷がございまして、そこへ二万人の方々が逃げ込んでおります。

軽井沢町議会 1993-03-15 03月15日-03号

一方首都圏では、大正12年の関東大震災以来穏やかな状態が続いておりまして、特に昭和30年代以降の高度成長期過密的都市構造となってから、被害地震の洗礼を受けていないわけであります。ビル等構造物は理論的に安全に重点を置いて設計されておるわけでありますが、実際現象が発生したとき、どこまで耐えられるかはわからないわけであります。 

飯田市議会 1992-06-15 06月15日-02号

昭和51年に8月に駿河湾を中心とする大地震が、明日にも起こっても不思議でないといわれましたが、十数年たち、この間伊豆大島近海地震、これは53年にマグニチュード7.0でありますが、それと引き続いて伊豆半島東方沖地震、これは55年でありますが、マグニチュード6.7が起こったものの、東海地震は起こっておりませんが、近い将来、関東大震災に匹敵する大地震が発生するとの説が発表され、震度6か、あるいはそれ以上

松本市議会 1991-09-19 09月19日-04号

先ごろ、NHK放映番組の中に、これは防災に関する番組だったわけでございますけれども、東京都では関東大震災並みの地震を想定をいたしまして、都民の飲料水用の特別な水槽をつくってそれに備えていると、こういうことを紹介をいたしておりましたけれども、松本市にはそのような施設は現在あるのか、また、ないとしたら、その必要があるのかないのかお聞きをしたいと思います。 

佐久市議会 1990-12-05 12月05日-02号

しかしここで私が申し上げたいのは、大正12年の関東大震災がございました。それから数えて六十七、八年ということでございますが、過去の歴史を振り返りますと六十七、八年が一つの中心となって災害が来ておるわけです。そういうことで周期がございますけれども、東海道地震というような中で過去には福井地震だ、新潟地震だとか宮城沖地震だとかいろいろ日本の中にも地震がございました。

岡谷市議会 1990-09-10 09月10日-03号

防災マップについては静岡市でつくったというようなこと、先ほどもちょっとありましたが、岡谷市はああいう東海地方と違って、大震災災害というようなことは恐らくないだろうということが今予測をされる安全地帯でありますけれども、いざというときに混乱を防いだり、救助活動の助けになったりというような場面でも、今後ひとつぜひこの防災マップの検討をしていただきたい。

長野市議会 1989-06-01 06月13日-03号

これを契機に、市民生活の安全を願い、防災の拠点となるような防災市民センターが完成をみたことは、防災都市づくりの上から誠に時宜を得た事象と存じます。私も見て触れて体験する展示物大正十二年の関東大震災規模と言われる地震体験装置により体験をしましたが、約四十秒間の時間でも、試験ですから我慢をしましたが、実際に地震発生の場合は停電、倒壊、火災の被災等を考えますと、背筋が寒くなる思いでした。

長野市議会 1988-09-01 09月06日-03号

九月一日は「防災の日」、大正十二年東京中心に、死者十四万三千人余も出した大きな被害をもたらした関東大震災からちょうど六十五年、大規模地震対策特別措置法が制定され、東海地震を想定した総合防災訓練が始められて今年で十年目を迎え、地震対策強化指定地区を初めとして、全国各地で大規模総合防災訓練が実施されました。