安曇野市議会 2014-06-26 06月26日-05号
それからもう一つは、安曇野は何といっても、先ほど言った1930年代の満蒙開拓に、信濃教育会、軍隊の力、国家の力で青年を、少年をあの満州に送ったじゃないですか。どれだけ帰ってきたでしょう。私はそういう点から言って、この問題は安曇野市でちゃんとこういうこの請願を、陳情を可決すべきだというぐあいに思います。
それからもう一つは、安曇野は何といっても、先ほど言った1930年代の満蒙開拓に、信濃教育会、軍隊の力、国家の力で青年を、少年をあの満州に送ったじゃないですか。どれだけ帰ってきたでしょう。私はそういう点から言って、この問題は安曇野市でちゃんとこういうこの請願を、陳情を可決すべきだというぐあいに思います。
◆3番(木下貞彦君) かつての長野県は教育県などと言われて、信濃教育会などというのがあって、それに介する何か地方分権ということを考えると、何かそれに感想があったらお聞かせください。何かそれに関して感じていることでも、所見でもあったら、一言お聞かせください。直接関係なくてもいいから。
各教科、どのような教材を使ってどういう順番で年間を通して教育実践をしていくかという、だから道徳教育についても、例えば信濃教育会の副読本を使ってこういう実践をしていきましょうという、年間計画つくられるわけですが、その後、文部科学省のほうから道徳の教科書が各学校に配られ、これに基づいた教育実践をするようにというようなこともされてしまっているわけです。
また、当時、信濃教育会がどのようにかかわっていたのか。聞けばこれほど多くのまとまった量があるのは長野県だけだと言われております。
1950年、昭和25年ですけれども、から1952年の修理工事の際に、奈良県などでつくる国宝保存連盟の依頼で、信濃教育会が県内の学校に寄附を呼びかけ、応じた校名が残されたということでございます。また、これだけまとまった量があるのは長野県だけだそうです。 信州と薬師寺の縁を物語っているのではないかと。
年間計画を立てて、そして、主として、私たちの道しるべという信濃教育会でつくっている資料集、副教材でありますが、それを使いながら、あるいは、さまざまな教材等々を使いながら進めております。体験を結びつけたり、それから、今、最近また見直されてきております伝記等の資料を使ったり、それから、震災に関して、震災から人として生きる道というようなことを取り上げている、そういった資料を使っての授業もございます。
教育県、信州教育、いわゆるすぐれた人材の輩出、自由で権力におもねらない教育、信濃教育会等々、さまざまな教育とつくような名前で形容される私たちの長野県ではありますが、その中で、この飯田市独自な教育、すなわち地域特性を生かした事業カリキュラムが今後さらに必要と考えますが、現状はどのようになっているでしょうか。 ○議長(上澤義一君) 伊澤教育長。
当初の中では、信濃教育会出版部というところで出している読み物資料がありまして、それに沿ってやっているところでありますが、2年前、心のノートを活用してきた中でですね、この中の構成が、いわゆる小学校、中学、それぞれ道徳、いわゆるモラルの項目ですね、価値項目がそれぞれ全てこの中に集約されております。
4年生以上の社会科学習では、信濃教育会が編さんした「伸びゆく郷土」を使いつつ、必要によって旧市町村の郷土誌などを活用しております。 御指摘のあった昭和62年に上山田小学校が発刊した「上山田の風土」は郷土上山田の自然、歴史、民俗、人物に関してまとめられた質、量ともに大変すばらしい資料集であります。現在、上山田小学校でもこれを活用しております。
従来より教職員の研修は、教育委員会が主催するものと信濃教育会や郡市教育会、校長会、各種研究同好会などが行うもの、さらに学校内で行うものなど、その方法や内容は多岐にわたっております。
先日、信濃教育会の事務局の方とこの件について話をする機会があり、資料等もいただきました。同会もこの歌が歌い続けられることに積極的に取り組んでいるし、今後も続けていくという趣旨のことをお伺いしました。
これには、当時の信濃教育会が大きくかかわっていて、この教員団体の暗黒の恥部になっていると思いますけれども、その一端はこういう本に少し書いてありますけれども、それはともかくとして、敗戦後の過酷きわまるシベリアなどの抑留などを経て何とか帰還された方が、現在存命なら今八十四、五歳になっているはずです。もう忘れられつつあるというこの時期です。
そこには教師集団としての信濃教育会の存在も大きかったものと考えます。「長野県は教育県だ」と今もって言われます。長野県における教育は、他県のそれよりも当時すぐれた特質を持っていたからに違いありません。 このようなことから、各方面に日本を代表する偉人を輩出をいたしました。
博物館専門部会委員の方々には、科学教育の振興を図るための博物館の機能や、諏訪東京理科大学、信州大学を初め東海大学等との連携、信濃教育会や諏訪教育会とのネットワーク構築なども視野に入れて、研究・検討を重ねていただきたいと、このように考えているところでございます。 さて、現在私ども市内には、自然体験学習ができる施設として、青少年自然の森や千駄刈自然学校を設置しております。
その中でイギリスの学校を見て回ったわけですが、先進国イギリスは、私学が充実しているのは当たり前のことなんですけれども、特に信濃教育会が選んだイギリスの私立の学校に行ってみようということで、イギリスのテームズ川を渡った左岸に、英国で最も有名な、エリートの学ぶイートン校というのがある。イートン・カレッジ。
美術関係の方々、美術教育をこれまで信濃教育会あるいは上田小県教育会等で研究されている方、あるいは研究されてきたOBの方々と研究をすることによって、美術館に美術教育の研究機関としての機能を十分持てるような、備えたような、そういうものになるよう努めてまいりたい、このようにお答えをしておりますので、よろしくお願いいたします。 ○議長(南波清吾君) 井沢議員。
そして信濃教育会会長は、学力を向上させるための施策は必要だが、点数や順位が目当てになってはいけないと危惧する。このようなコメントを残しております。 ここでお聞きいたしますが、まず、結果を見ての感想をお聞きいたしますが、お願いいたします。 ○議長 教育長。 ◎教育長 はい、お答えします。まず当町の結果の状況、傾向性についてお話し申し上げまして、私の思いの一端を述べさせていただきたいと思います。
さて、教育に新聞の活用が近年活発になってきましたのは、昭和60年に日本新聞協会によって活動が始まり、長野県でも平成8年に県教育委員会・信濃教育会や新聞社、通信社などでつくる県NIE推進協議会、いわゆるニュースペーパー・イン・エデュケーション、教育に新聞の活用をということの推進協議会が発足し、次第に学校現場に広まってきたことによるものでございます。
加えて、1年間教職を離れての教育大学大学院研修、信濃教育会教育研究所研修、さらに中高交流研修などもあります。また、新たに平成21年度より教員免許の更新制が始まり、修了確認期限前の2年間に大学などが開設する30時間の免許状更新講習を受講、修了し、免許管理者に申請して修了確認を受けることが必要になりました。
県教委では、12月中にその話し合いの内容を各学校、教育委員会に通知するというふうに思っておりますが、その中で各団体では例えば信濃教育会では、相当な数の会議を減らす提案をしてきております。