飯田市議会 2001-12-06 12月06日-03号
長野県民の愛唱歌となっている県歌『信濃の国』があるように、市民に愛唱されます飯田市の歌があることは、当地に暮らす人はもちろん、飯田をふるさととする多くの皆さんにとりましてすばらしいことだと思います。CDの完成を契機に、今後さまざまな機会やメディアを活用して飯田市歌の紹介をいたしてまいりたいと考えております。
長野県民の愛唱歌となっている県歌『信濃の国』があるように、市民に愛唱されます飯田市の歌があることは、当地に暮らす人はもちろん、飯田をふるさととする多くの皆さんにとりましてすばらしいことだと思います。CDの完成を契機に、今後さまざまな機会やメディアを活用して飯田市歌の紹介をいたしてまいりたいと考えております。
さて、県歌「信濃の国」には、「流れよどまず行く水は、北に犀川、千曲川、南に木曽川、天竜川、これまた国の固めなり」とあり、山や平とともに豊かな川の流れも故郷信州の誇りであると同時に、自然から贈られた大きな大切にしなければいけない宝物であると私は思います。
私たちが愛唱している県歌・信濃の国のピアノ伴奏と合唱曲の編曲も先生がなされました。一九七三年から二十八年間、先生は毎月一回信州へ作曲講習会に講師として招へいされ、レッスンを続けてこられましたが、この講習会から生まれました、小山先生の主宰するたにしの会の会員の皆様から、先生の体調も余り良くないし、今のうちに資料室を設置していただいて、作品等の資料を保管、展示していただきたいとの依頼がございました。
県歌「信濃の国」について。 長野県歌「信濃の国」が浅井 洌(キヨシ)先生の作詞であることは長野県民に多く知られているところであります。が、松本市で生まれ、育ち、松本市の明治の草創期を創造するための人材を育成した松本藩校崇教館で学んだ教育者、歌人として40年間長野県師範学校で教え、校歌の作詞だけでも30曲を超えていること等は県民はもちろん、松本市においても知らない人が多いことと思います。
昨年レザンホールで開催されました県歌信濃の国大合唱フェスティバルin塩尻は、出演者24団体、約460人に上り、市民コーラスや市内外の小学校児童の合唱や創作オペラ信濃今昔物語の上演があり、最後に出演者と聴衆が一体となり1,600人余りが心を1つに県歌信濃の国を歌い大きな感動を残しました。
また、本年は長野県民に歌い継がれ、心のよりどころとなっている県歌「信濃の国」が、作詞100周年を迎えることを記念して、今月12日に「信濃の国大合唱フェスティバル・イン塩尻」を開催いたします。本市には信濃の国の作詞者「浅井烈氏」による校歌や、頌徳碑が県内で最も多く残されているなど大変ゆかりが深いことから開催を計画したもので、県内外に市民文化の発信をしてまいることとしております。
また、本年が県歌「信濃の国」の作詞百周年に当たることを記念しまして、長野県民に愛唱され、郷土の誇りとなっているこの歌が、来たる21世紀へ歌いつがれてほしい願いを、この塩尻から全国に発信しようと、市民コーラス・吹奏楽・オペラなど、市民の演出参加によります「信濃の国」大合唱フェスティバルイン塩尻の、12月12日開催に向け、現在実行委員会で準備を進めております。
浅井洌先生の読まれた県歌「信濃の国」にも「松本、伊那、佐久、善光寺、4つの平は肥沃の地」とあります。島崎藤村も「佐久の草笛」等でこの地方のことを佐久と呼んでおります。さらに地名について調べてみました。佐久の地名の由来は、大和朝廷が関東を意識した場合の戦略上の最前線基地で、竹や木で柵をつくって兵士に守らせていました。そのときの柵が「佐久」という文字に変わったといういわれもあるようです。
佐久市は、県歌「信濃の国」にも歌われておりますように、蓼科、八ヶ岳、浅間、荒船の山並みが連なり、清らかな河川が流れ、緑の平地が開け、山紫水明の地、県下4つの平の一つであります。また、待望久しかった高速交通網の整備も着実に整い、機能性と効率性も追求されながら、近代的な都市基盤が整備されようとしております。