気仙沼市議会 2017-09-26 平成29年第92回定例会(第4日) 本文 開催日: 2017年09月26日
これ平成32年度までの完成ということは、実は新城、地区名それ以上深くは言いませんけれども、新城の方々が部落、地区で集まって、それでマイクロバスを仕立てて徳仙丈山に川上方は登ったそうですよ。今、風車もありますよね。そして、新月から川上までは舗装なんですよ、狭いけれども。そうしておったらガタガタ道でね、えらいショックだったらしいんですよ。その新城の方々が。
これ平成32年度までの完成ということは、実は新城、地区名それ以上深くは言いませんけれども、新城の方々が部落、地区で集まって、それでマイクロバスを仕立てて徳仙丈山に川上方は登ったそうですよ。今、風車もありますよね。そして、新月から川上までは舗装なんですよ、狭いけれども。そうしておったらガタガタ道でね、えらいショックだったらしいんですよ。その新城の方々が。
まあ町という戸数でもないんですが、あとはやっぱり地域に、この辺の言葉で言えばちょっと文言があれですが、部落という、ああいう言葉でいろいろな皆さんで助け合った地域、それを統率して一本化にしたのが千葉卓朗3代町長なんですね。ですから、市長は余り遠慮しないで、やっぱりある程度行政からもこういう方法がいいんじゃないかとか、トップダウンではないけど、やっても構わないと思うんですね。
地域の方々、部落の方々、そういう方々がお手伝いに上がって手入れしてきたわけです。そして今ここまで、もちろん皆さんの協力があったからできたわけです。それを我々は今度は後世に伝えていくためにももっともっと手入れが必要だと思うんです。今民間団体で手入れをしている、している状態にあると市長さんは言うんですけれども、今ツツジの保護団体といいますか各分野からの協力のもとに手入れをしております。
この信継がこの合戦によって戦功があったということで、いわゆる忠信の母親の尼公が830年、40年前に私らの部落の信夫舘という場所に逃れてきまして19年間隠遁生活を送ったわけです。いわゆるその隠遁生活19年間のうちに尼公は何を残したかといいますと、桜子にある浄勝寺、小泉の浄福寺、それから御岳神社、それから私らの部落に入っていく左側にある薬師堂、こういった遺跡を残した方であります。
そういうことが出てきて、土地の対応ってできなくなる話だし、中山間地の2期目のこの取り組みが始まった段階では、土地利用が出てきた場合は、その土地に限ってそれは返還してもらう話がありましたけれども、協定全体について、部落全体について全額返還するという話は一言も説明されてこなかった経過があるわけであります。
藤沢町、千松の部落とモーランドの上は管そこに一緒ですよ。難しい話ではないんです。これは、やはり今回の大震災の教訓というのは、これまでの既成の制度を曲げなければいかないほどの私たちに苦い思いをさせました。これを後世に譲るわけにいきません。もっともっと積極的な水対策をやるべきと、私はこの一般質問で申し上げたいと思います。 次の質問です。
これは私らの馬籠の外れの部落のこちらから行きますと左側のある部落でありますが、これが通称宮城金山と言われる地名であります。この宮城金山が日本金山史の東北編の中に宮城金山は平泉藤原氏が開発した金山と古文書に記載してあるわけです。これがいわゆる気仙沼市の観光協会、課が主催する講演会の中で参加しましたが、その講演会の資料の中で出てきたわけです。
しかし、浜に近い部落は壊滅的に被害を受けているわけであります。この人たちは裏山に逃げるところあるから、もとの土地さ建てるかな、あるいは建ててだめなのかな、いろんな悩みを持っている。
行政区にはありますけれども、なかなかこれも前々からの部落の人と解け合う、非常に悲しい、寂しいことでありますけれども、なかなか土地の人に解け込むことも少ない。それでも振興会活動はかなり今浸透して団地の方々も参加しております。町民運動会なども団地内から相当選手が選ばれ参加しております。
津波防災対策、先ほど……孤立化、インドネシアなんかでもあったんですけれども、その町とか部落が全部孤立化するようなことに対する訓練、そして搬送などということを特に力を入れているということでありますが、そこで先日中央公民館で説明会あったんですが、その中でも出ておりましたが、南地区というんですか、川口町、潮見町、弁天町、あの辺、南地区まちづくり協議会というものがあるんですが、そちらの方に75名ほどの人員の