石巻市議会 2005-10-03 10月03日-一般質問・委員長報告・討論・採決-07号
特に石巻漁港の東洋一と言われる魚市場周辺には数多くの企業、工場等が集結しており、また北上川を挟んで隣接する石巻工業港の背後地周辺にも各企業の工場が存在しています。以前から、これら工場からと推測される排水、また悪臭において問題化し、今日なお未解決となっている部分があり、環境問題を論じるとき、この地域の環境については避けて通れない石巻市の核心部分であろうと思います。
特に石巻漁港の東洋一と言われる魚市場周辺には数多くの企業、工場等が集結しており、また北上川を挟んで隣接する石巻工業港の背後地周辺にも各企業の工場が存在しています。以前から、これら工場からと推測される排水、また悪臭において問題化し、今日なお未解決となっている部分があり、環境問題を論じるとき、この地域の環境については避けて通れない石巻市の核心部分であろうと思います。
これらの施設の運営管理につきましては、先の第2回定例会で指定管理者として御承認いただきました、冒険遊び場-せんだい・みやぎネットワーク・東洋緑化共同企業体が当たります。 参考といたしまして、皆様のお手元にパンフレットを配付してございますので後ほどごらんいただければと存じます。
これからは西洋だけでもだめ、東洋だけでもだめ、代替医療、この三つを組み 合わせることが一番大事ではないかと言われている。 ・三つ目は防災である。防災備蓄センターと防災展示ショールームにより、常に 市民へ啓発をしていかなければいけないと思う。啓発するための施設、PRを する施設をつくっておく必要があると思う。
それから、世界一の刃物と言われている東洋刃物は富谷町に行ってしまった。それから東北特殊鋼も村田町に行ってしまった。そういう政策では──トーキンは辛うじて何とか残っているんでしょうが、心配なのは卸商団地もだんだんまちを攻めていって、ここを出ていってくれないかというばかりの政策ではなかろうかと思うんです。
東北新幹線が開通して1年もたたないと思ったんですけれども、あれはたしか北上市に東洋一のトラス橋というのができました。トラス橋というのは三角形を積み重ねていく一番単純な構造で頑丈だという橋なんですけれども、これをポスターで見ていて、ぜひこの目で見てみたいといって車を運転して新幹線があそこを疾走するのを私は見に行ったことがありますよ。もうあそこの中の完全な風景ですね。橋は風景になるんです。
大阪には大阪府立の美術センターと大阪市立の美術館と東洋陶磁美術館と二つあります。福岡においては、福岡県立美術館と福岡市の美術館と、それから東南アジアの方々の芸術関係の方に一つのセンターになってもらおうということで福岡のアジア美術館と二つ持っております。これらの状況を見て、仙台市として政令都市として宮城県美術館はありますが、仙台市の美術館ということに対する構想の考えについてはいかがお考えですか。
今までは西洋医学、ある手術をして切ってしまうと、薬で何カ月間という西洋医学があったと思うんですけれども、これからの時代は統合医療という、西洋、東洋、一番大事なのはこの代替医療というものです。実は、温泉とか、自分の好きなことをして、例えば里山を見るとか、自然の木を育てるとか、こういう自分で直そうという免疫ですね、こういうものを高めないことには病気は治らないと。
世界一の東洋刃物と言われた東北大学の近くにあったのがもう行ってしまった。東北特殊鋼も行ってしまった。それから、今まさに本社がしがみついて仙台に残ってくれていたトーキンが、白石に行くかもわからない。だから、東北大学と結びつきを、さっき地図を出しましたけれども、今の話とまちづくりの中で東北大をどうやって結びつけていくんだというのが、私はこれからの仙台市の……。
あるいは世界一の刃物と言われる東洋刃物が富谷町に行ってしまう。まさに細々と残っているのがトーキンしかないです。それも本社機能だけ。もう工場は白石市に行ってしまう。 白石市の川井市長は、おら方で土地をやるから仙台から引き上げて来てけさいとばかりに迎えている。ですから、さっき言ったように、そういうせっかくある企業の立地もやっぱりもっと大局的な面から私は考えていかなければならないのではなかろうかと。
さっき出ました、今まで東北大学との連携でトーキン、あるいはモトヤマ、それから東洋刃物、東北特殊鋼、みんな仙台から出ていってしまってね。まあ、仙台の近辺だからそれはいいんでしょうが、その辺のね、先ほど柳橋委員も言われてた地元中小企業の育成がないのではないかなという感じもします。
確かに、政令市で市立美術館がないのは仙台だけですし、川崎市にはアウトガーデン川崎、川崎岡本太郎美術館、大阪市には大阪市立美術館、大阪市立東洋陶磁器美術館、福岡市には福岡市美術館、福岡アジア美術館など、複数の市立美術館を持っておるところもあります。昭和五十年ごろに、仙台に彫刻をつくるまちについて計画が発表されたとき、私は常任委員会で、まず市立美術館をつくるのが先だと発言したことがあります。
また、晩翠の子息、英一氏が旧制二高在学中、日本とドイツの親交のため、ひいては東洋と西洋との親和のかけ橋となるべく、ドレスデン近郊の小学校長と交流をしておりました。しかし、昭和八年九月、肺結核で亡くなる折、念願かなわず、せめてドイツに埋葬してほしい旨の遺言を残し、二十四歳で亡くなるわけであります。晩翠は、遺言どおり遺骨を送っております。
招待理由は、ジェノバ市にあるキヨッソーネ東洋美術館所蔵の浮世絵展と、アズーリのキャンプ地になったことのようでありますが、四百年に遡るイタリアに対する仙台のかかわりであることを忘れてはなりません。
このキヨッソーネ東洋美術館展は、日本におけるイタリア二〇〇一年のハイライトを飾るもので、全国五都市で開催され、仙台がその最後ですが、サッカーイタリア代表チームの来仙と前後するということは、偶然とはいえ、常長の思いがそうさせたのかもしれませんし、仙台市に対し、ポストW杯のイタリアとの交流の方向性を暗示しているようにも思えるのであります。
大学の移転統合を目指している東北大学は、週刊東洋経済が、杜の都に試練という特集の中で、各種経済指数を分析すれば、仙台経済は活力を低下させており、今後が懸念されるという記事を引用、大学の移転統合が仙台の経済的発展をもたらし、文化に大きく貢献できるとしたパンフレットを発表しました。
これは私も反省しているですが、みんなにもちょっと考えてもらいたいんだけれども、東北大学と結びついて発展した東洋刃物、東北特殊鋼、本山製作所、トーキンはみんな子会社を仙台市で出してやりました。我々は働く場所がないと結局まちの活性化にならないわけです。福祉日本一なんて掲げた知事もいるけれども、税金が入ってこないと話にならないわけです。ちょっと忘れていたと思って、産業です。商業はありますが、産業です。
ただ非常に明確なのは、東洋地域の女性の乳がんの発生が、ほかの地域から比べますと非常に優位の差で少ないということが言われておりまして、やはり何らかの女性ホルモン的な作用をするのではなかろうかと言われています。それで、こういう大豆食品を全然心配なく食べていいのかどうかということですけれども、今のところ大人にとっては問題はないだろうと。
これを受けて各メーカー、いろいろなグループ、例えば住友商事、新潟鉄鋼、東洋電気などのNTSシステムとか、あるいは神戸製鋼所、川崎重工、三菱重工のKNTあるいは三井物産、日本車輌製造等が開発されております。 この状況を受けまして、昭和50年沖縄の海洋博におきましてKRTあるいはCVSのデモンストレーション走行を行っております。
私も東京の場所は忘れましたけれども、三十四、五年前、私の祖母が亡くなったときに、品川にたしか当時東洋一と言われた斎場でございました。
48: ◯相沢芳則委員 それから、前にも質問したことがあると思うんですが、製造業の話をする場合、東北大学との結びつきで仙台市が前から培ってきた、例えば東北金属、それから東北特殊鋼、東洋刃物、あるいは本山製作所、今まで仙台市にあったのが何で皆郊外に出ていくんだろうなという心配があるんです。