大崎市議会 2023-12-20 12月20日-06号
その方は旅館のおかみに、ぜひ大崎市長につながる政治家に働きかけて、調査発掘をしてしっかりとした史跡として保存すべきではないかというお手紙をよこし、その大崎市長につながる政治家に私が選ばれたとこういうことになりまして、今日質問をさせていただいたということになります。 今ある看板はちょうど平野の真ん中ぐらいにありますので、展望のいい場所にあるわけではないのです。
その方は旅館のおかみに、ぜひ大崎市長につながる政治家に働きかけて、調査発掘をしてしっかりとした史跡として保存すべきではないかというお手紙をよこし、その大崎市長につながる政治家に私が選ばれたとこういうことになりまして、今日質問をさせていただいたということになります。 今ある看板はちょうど平野の真ん中ぐらいにありますので、展望のいい場所にあるわけではないのです。
これ政治家として、私たち、この足元に我々が暮らしている末端の、いわば市民、住民と接している我々こそ、国に対して地方からのろしを上げるという、そういう決断をすべきではないでしょうか。 以上、皆さんの賛同をお願いして、私の討論を終わります。ありがとうございました。 ○議長(関武徳君) ほかに討論はありませんか。 〔「なし」と呼ぶ者あり〕 ○議長(関武徳君) これをもって討論を終結いたします。
この仕事は予算全般、国政の政策全般を取り仕切る委員長の仕事でございまして、大変に重要なポジションでありますし、また、この予算委員長は大物政治家への登竜門とも言われているところでありますので、大役を無事に果たしていただくと同時に、ますますの関係する先生方の御活躍を御祈念を申し上げたいと思いますし、市政課題にも大いに御支援をいただきたいと思っているところでございます。
この件につきましては、政治家である市長に、事務方の作った原稿からは目を離して、本音の答弁をお願いしたいと思います。 次に、働く若者の大崎市への定住・移住を促進する奨学金返還支援制度について伺います。 昨年来の議会での答弁は、実際に制度を導入した自治体の効果等を検証し、実施するかどうか検討するというものでございました。その答弁をいただいてから1年以上が過ぎました。
病に侵され闘いながらも、回復に強い意欲を持って治療に当たられ、最後となる選挙に臨まれたお姿は、東日本大震災に見舞われた郷土の復興を御自身の手で成し遂げようとの信念と、政治家の魂を私たちに見せてくれました。 高橋清男様は厳しい闘病生活の末、くしくも77回目の誕生日である去る7月13日に亡くなられました。
市長も、大崎市長になって5期目、それから、県議会議員になってからはもっともっと長い政治家ですが、私も12期43年議員をやっていまして、このまま下がりっ放しの傾向を何とか上向きに変えられないかと。 そして、高齢者の皆さん、地方にいっぱいいらっしゃると。間もなく、この地域、誰もいなくなるのでないべか、こういう嘆きの声がある。
やはり先ほども言ったように、岩手県などは、宮城県と比べると、優秀な文学者、偉人、政治家などかなり育っています。何の違いなのか。確かに市長は特別スキルの高い方ですから、別ですけれども、なかなか宮城県ではそういう方が生まれない。やはりそういうのも土壌にあるのかと。やはりそういう見えないところから子供たちを育てるのです。
一般的でありますが、よく政治家が好んで使うくだりなんですよね。菅原市長ではないんですが、多選で政策論争もなくて指導者になると、「進取の気性の下、私は」というくだりがよくあるわけでして。市長ではないです、一般的な話ですが、そういうことがあって、ちょっと気になりました。
これは、先ほども言っていますけれども、高速道路と道の駅、直接入るのは全国ではほとんどない状況でありまして、これをここまで何とかいろんな政治家の皆さんの協力を得て、ここまで来ているということでございます。そのような中で、道の駅の施設内容としては、道路休憩施設、物販施設、飲食施設、農水産物加工施設等に加え、屋外には引退したブルーインパルスの実機の展示等の検討も進めております。
政治家伊藤市長として議論を展開していただくよう求めるものであります。それは、私ばかりでなく、感じた方もおられると思います。答弁書を主体に御答弁をいただきましたけれども、もっと意を強くした、答弁書と離れた御答弁を私は期待をしたいと思います。 1つ目の人材育成であります。 1、大崎、栗原、登米の3圏域と連携した第2県都軸を構築し、人材育成を目指した国際カレッジ関係機関の開設の検討、組織化は。
市長が政治家への志を育成した原点は富永青年団活動だと私は勝手に推測してございますけれども、私も、議員を志したのは、生まれ育った東大崎地区での自治組織を構成する役員の活動が原点にありました。当時の私どもの活動拠点とした公民館は、市職員、主事、主査クラスが配置されておりまして、地区の村役場的機能も有してございました。
私は、その伊藤市長の思いは思いとして、一人の政治家としての思いと大崎市民を代表する行政の責任者としての立場、もちろんどちらも大切、重要ではありますが、現職市長として、行政の責任者という立場に軸足を置いて、骨格的な予算編成とはせずに本格的な予算として新年度予算編成に臨むべきだと思いますが、改めて骨格的な予算編成についての考えについてお伺いをいたします。
先ほどの御答弁でもありましたように、常に伊藤市長は仙台都市圏への一極集中に警鐘を鳴らしておった政治家の一人でありますが、県からすれば、あるいは東北からすれば、この地は扇の要であります。どのような地方創生を大崎市の市長ということだけではなく、宮城県市長会の会長としてどのような地方創生を描いているかの所見を求めたいと思います。
「一隅を照らす」という言葉、どなたか政治家がおっしゃった言葉だったと思いますが、本当に一隅を照らすということを忘れずに、困っている方々、この場合は私が言いたいのは孤立をされている男性と言わせていただきますけれども、この方々にぜひ届ける支援の手を差し伸べるということを続けていっていただきたいと。今日はこの私の伝えたいところで終わってしまいますが、そういう思いで終わります。
それは市長も政治家だから分かるでしょう。ですから、プロジェクトチームを組織するという段階ではないです、今。この6か月、プロジェクトチームを組織して、桜ノ目地区での本焼却が始まるまで、それで将来ビジョンの意思決定ができますか、今後6年間の。その段階は過ぎています。やはりこれは政治は妥協の産物という悪い言葉ですけれども、お互いにやっぱり譲り合った、つまり、桜ノ目地区会の要望書にも書いてあるでしょう。
まず初めに、今から98年前、約100年前の大正12年9月に発生した関東大震災から東京を復興させ、国家の医師と言われる後藤新平氏は、政治家、特に自治体のリーダーとして今も尊敬されております。自治体のリーダーとして、それをテーマとして、この間1月29日に議会研修会がありましたが、講師の先生が後藤新平氏の言葉である「金を残して死ぬのは下だ。仕事を残して死ぬのは中だ。
また議員のお話のとおり、やはり政治家にとって重要なのは、公約をしっかりと守り抜くことだと思います。高橋議員も市議会議員選挙の際には議員定数を大幅に削減するという公約を掲げられておりますので、お互い公約実現に向けて全力を尽くしていきたいと思いますので、お互い頑張ってまいりましょう。
政治家にとって大事なことは、しっかりと公約を実現することであると考えております。刈田病院の存続をはじめ、工業団地の造成による企業誘致や子供たちの学力向上など、これまで培った全てを総動員し、公約実現に向けて邁進してまいりたいと考えております。
設計を請け負っている業者の職員を半島復興事業部に配置したという自体が全く、私も40数年政治家をやっていますけれども、こんなの初めてだ。あり得ない話だ。これを許したらどんなこともやられるではないですか。そこを私は指摘しているのです。 そういう、誰が見てもおかしいです、これ。これは大きな……。マスコミもさっぱり、今のマスコミはていたらくしていますから、なかなかそこまで調査が入らないのだな。
農家の後継者であった市長が農業を離れてみて政治家になったのは、政治家の転換を求めたのが原因だとこう聞いていますが、先月、庁内プロジェクトチームから報告された地域振興拠点のあり方検討会議の報告をいただきましたが、そこからですけれども、北の玄関エリアの具現化と3つの既存の道の駅の第3ステージをどう深化させるべきかという答申をいただいてから1か月はならないでしょうが、どう考えているか、2回目、お伺いいたします