大崎市議会 2023-03-03 03月03日-05号
私が市議会議員に初めてなったのが昭和54年、その3月に旧古川城のあった古川第一小学校にあったイチョウの木が、大風で根元から3メーターのところで倒れました。その当時も今も囲いは変わっておりませんが、先日、学校に行って教頭先生に「何でおいでになったのですか」と聞かれましたけれども、こういうわけで囲みの半径、測りました。約8メーターなのです。そうしますと半径8メーターです。
私が市議会議員に初めてなったのが昭和54年、その3月に旧古川城のあった古川第一小学校にあったイチョウの木が、大風で根元から3メーターのところで倒れました。その当時も今も囲いは変わっておりませんが、先日、学校に行って教頭先生に「何でおいでになったのですか」と聞かれましたけれども、こういうわけで囲みの半径、測りました。約8メーターなのです。そうしますと半径8メーターです。
非常に今、ここ周辺、古川城があり代官所があり、非常に貴重なものがあったところを示すシンボルとしてはあの松の木しかない。本来ならば残すべきだと私は思うのですが、残すべきと考えている人と残さないで駐車場にしたほうがいいと、いろいろな理由から意見があってもいいのです。
古川城は、室町時代に7代大崎教兼の六男が古川氏を名のり城主となり、現在古川第一小学校が本丸跡で、外郭は古川中学校の敷地となっている平城で、葛西大崎一揆の際は木村吉清、清久が籠城した。一揆は蒲生氏郷と伊達政宗によって鎮圧されたが、一揆の責任を取り失脚となった後、伊達政宗の重臣である鈴木元信が城主となり、3代続いたが、1645年、藩の直轄地になり廃城となった城です。
あの建っているあたりが古川城の跡ということで、史跡名勝にはなっているかと思いますけれども、建物そのものは文化財ということにはなっておらないと思います。 それで、第一小学校の木造校舎でありますけれども、北側の校舎が昭和4年に、それから南側の校舎が昭和6年にそれぞれ建てられているということで、何ともう敬老会に呼ばれるくらいの年数がたっておるということでございます。