平成23年 第3回 定例会 平成23年
石巻市議会第3回
定例会会議録(第6号) 議事日程第6号 平成23年9月26日(月曜日)午後3時開議 第1
会議録署名議員の指名 第2 一般質問 散 会 本日の会議に付した事件 日程第1から日程第2 延 会 出席議員(31名) 1番 阿 部 久 一 議員 2番 遠 藤 宏 昭 議員 3番 阿 部 純 孝 議員 4番 黒 須 光 男 議員 6番 髙 橋 左 文 議員 7番 山 口 荘 一 郎 議員 8番 大 森 秀 一 議員 9番 阿 部 和 芳 議員 10番 水 澤 冨 士 江 議員 11番 阿 部 欽 一 郎 議員 12番 安 倍 太 郎 議員 13番 丹 野 清 議員 14番 千 田 直 人 議員 15番 櫻 田 誠 子 議員 16番 渡 辺 拓 朗 議員 17番 千 葉 眞 良 議員 18番 阿 部 正 敏 議員 19番 青 山 久 栄 議員 20番 髙 橋 栄 一 議員 21番 西 條 正 昭 議員 22番 庄 司 慈 明 議員 23番 石 森 市 雄 議員 24番 松 川 惠 一 議員 25番 森 山 行 輝 議員 26番 長 倉 利 一 議員 27番 伊 藤 啓 二 議員 28番 堀 川 禎 則 議員 30番 阿 部 政 昭 議員 31番 後 藤 兼 位 議員 32番 髙 橋 誠 志 議員 33番 阿 部 仁 州 議員 欠席議員(なし)欠 員(3名) 説明のため出席した者 亀 山 紘 市 長 北 村 悦 朗 副 市 長 笹 野 健 復興担当 境 直 彦 教 育 長 審 議 監 伊 勢 秀 雄 病院局長 植 松 博 史 総務部長 兼病院局 石巻市立 病 院 長 阿 部 明 夫 企画部長 堀 井 栄 河北総合 支 所 長 相 澤 清 也 雄勝総合 伊 藤 亮 河南総合 支 所 長 支 所 長 飯 盛 良 拓 桃生総合 阿 部 善 弘 北上総合 支 所 長 支 所 長 岡 田 伸 牡鹿総合 須 田 昌 義 生活環境 支 所 長 部 長 阿 部 敏 一 健康部長 阿 部 正 博 福祉部長 西 村 洋 一 産業部長 櫻 田 公 二 建設部長 松 川 正 会 計 鷲 見 祐 一 病院局事 管 理 者 務部長兼 病院局石 巻市立病 院事務部 門事務長 佐 藤 和 夫 教 育 委 員 会 事務局長
事務局職員出席者 日 野 智 事務局長 細 目 恵 寿 事 務 局 次 長 渡 邉 伸 彦 事務局長 阿 部 浩 章 主 幹 補 佐 佐 藤 真 一 主 幹 髙 瀬 禎 幸 主 幹 千 葉 教 正 主 査 齋 藤 悦 子 主任主事
△午後3時開議
○議長(
阿部政昭議員) ただいまから本日の会議を開きます。
欠席通告議員はありません。 本日の議事は、日程第6号をもって進めます。
△日程第1
会議録署名議員の指名
○議長(
阿部政昭議員) 日程第1
会議録署名議員の指名を行います。本日の
会議録署名議員に7番
山口荘一郎議員、8番
大森秀一議員、9番
阿部和芳議員、以上3議員を指名いたします。
△諸般の報告
○議長(
阿部政昭議員) この際、諸般の報告を行います。 市長から行政報告について発言の申し出があります。よって、これを許します。市長。
◎
亀山紘市長 それでは、行政報告を申し上げます。 9月22日に報告申し上げた以降の台風15号に関する災害対応について申し上げます。初めに、市の体制でありますが、21日に一
たん避難勧告を解除いたしましたが、その後の
旧北上川等の状況に基づき、22日15時に避難勧告を再度発令するとともに、
避難所設置に伴う職員及び保健師の派遣をいたしました。翌23日7時5分、
冠水状況等を確認し、避難勧告を解除するとともに、職員の配備体制を
警戒準備体制とし、同日9時13分の
洪水警報解除に伴い、
警戒準備体制を解除しておりますが、その後につきましても建設部及び各総合支所を中心として
応急復旧活動を実施しているところであります。
避難勧告状況でありますが、
石巻地区におきましては22日15時、前日の
避難勧告地区に加え渡波町3丁目、幸町に対し、16時には
南境字柳原、堤外、新堤外を加え約4,500世帯、約1万1,500人に避難勧告を発令しております。また、河北地区におきましては、引き続き針岡の18世帯76人に避難勧告を行っております。 次に、避難の状況でありますが、
石巻地区におきましては、自主避難を含めて21世帯46人が
青葉中学校等7カ所に、河北地区におきましては松山寺に1世帯2人の方々が避難しておりました。 次に、被害状況でありますが、25日現在
調査判明分としまして、住家被害は
石巻地区で床上浸水126棟、床下浸水508棟、河北地区で床上浸水41棟、床下浸水138棟、牡鹿地区で床上浸水30棟、床下浸水63棟、北上地区で床上浸水6棟、床下浸水21棟の報告があり、雄勝、河南、桃生の各地区においても床下浸水の被害が発生している状況であります。 また、道路状況でありますが、
石巻地区につきましては日和大橋、石巻大橋、内海橋、
牧山トンネルなどで通行どめがあり、各
総合支所管内においても各所で通行どめが報告されております。 なお、荻浜及び牡鹿地区へ向かう道路につきましては、至るところで
土砂崩れ等が発生し、一時孤立する地域もありましたが、23日中には解消することができました。 次に、教育関係につきましては、市内各小・中・高校及び幼稚園で21日には12校が臨時休校、32校が始業繰り下げ及び
授業打ち切りの措置、22日には25校が臨時休校、6校が始業繰り下げ及び
授業打ち切りの措置を行っております。 次に、上水道の状況でありますが、
雄勝地区水浜で98世帯、
牡鹿地区寄磯、十八成浜、泊の200世帯が断水との報告があり、
水道企業団において給水車の手配及びペットボトルの提供を行っております。 本市のその他の被害状況につきましては、お手元に配付いたしましたとおりでございますが、各地区の被害状況につきまして現在も調査中であります。 以上で行政報告を終わります。
○議長(
阿部政昭議員) 以上で諸般の報告を終わります。
△日程第2 一般質問
○議長(
阿部政昭議員) 次に、日程第2一般質問であります。21日に引き続き一般質問を行います。質問は前者と重複しないよう願います。なお、申し合わせによりあらかじめ発言時間の制限をいたします。発言時間は、答弁を含めず1人30分以内といたしますが、質問回数は制限いたしません。 通告順に発言を許します。25番
森山行輝議員の質問を許します。25番。
◆25番(
森山行輝議員) ただいま議長のお許しをいただきましたので、通告に従い一般質問を始めさせていただきます。 ただいま行政報告にございましたように、この台風15号によりまして私の質問も1回延び、2回延び、本日となったようなわけであります。 初めに、このたびの
東日本大震災においてほぼ4,000名となる犠牲者に対しまして心から哀悼の誠をささげますとともに、甚大な被害を受けられました多くの被災者の皆様方に心からお見舞いを申し上げます。必ずや早期の復旧、復興をなし遂げるため、私
ども石巻市議会も一生懸命目的に向かって邁進することを我々の決意として申し上げます。 こんな大変な状況でありますが、昨今当市に国会より朗報が舞い込んでまいりました。御案内のように当地区選出の
安住淳代議士が今回の
内閣改造人事において大変な重責である財務大臣に就任されたわけであります。我が宮城県においては、
三塚博大蔵大臣以来、そして100人を超える歴代の大蔵、
財務大臣経験者で40歳代はあの池田勇人氏、田中角栄氏に次いで3人目であり、前任者のお二人は首相までなされたということで大変我々にとっては将来が楽しみであります。1世紀に1度あるかどうかと言われる未曾有の大震災に見舞われ、復旧、復興に多額の費用が見込まれる今、
安住財務大臣にはこれまでより以上の陰に陽にの御支援を賜るべく、議会、市当局挙げての運動を即実行すべきと思います。 さて、私は今回この3月11日に起きた
東日本大震災について、どのような検証、総括が行われているかお聞きをいたします。初めに、例年6.12の
防災訓練が市内の
中学校単位で実施されております。そこには各町内会を初め消防団や各種団体の多くの皆さん方が参加をされ、熱のこもった訓練を続けてきたところでありますが、今回のこのような未曾有の大震災に直面し、これまでの訓練がどう生かされてきたのかお伺いをいたします。
①、かなめとなる
災害対策本部はどう機能されたのか。 ②、各総合支所と支所についてはどうだったのか、また本部との連携についてもお伺いをいたします。 ③、国・県との連携についてお伺いをいたします。
④、消防団、町内会、各種団体の連携についてお伺いをいたします。 ⑤、各幼稚園、保育所、小学校、中学校、市立高校についてはどうでしたでしょうか。 次に、当市の復旧、復興に欠くことのできない
JR仙石線、
JR石巻線の
開通見通しについてお伺いをいたします。この両鉄道路線は、当市にとっては通勤、通学、あるいは買い物の足として市民生活に密着した重要路線でもあり、また私は当市の復興に欠かせない企業誘致における交通手段として早急に復旧していただきたい路線であるわけであります。JRとの交渉経過をお示しいただきたいと思います。 次に、被災地の土地活用について現況と今後の見通しについてお伺いいたします。
◎
植松博史総務部長 それでは、森山議員の御質問にお答えいたします。 今回の未曾有の大震災に直面し、これまでの訓練がどう生かされたかについてお答えいたします。初めに、①の
災害対策本部はどう機能されたかでありますが、
災害対策本部は地震発生後、副市長を中心に直ちに設置いたしました。本部員はすべての事案に全員で対応することになっており、
災害対策本部内に張りつき事に当たる体制が必要だったのでございますけれども、今回の未曾有の大震災の対応におきましては余りの被害の大きさや
情報収集等の混乱もあり、本部員である各部の部長が各部での指揮をとらなければならない状況に陥ってしまいました。今後の本部運営につきましては、今回の大震災での課題を検証し、災害情報の確認から災害対応における連携等、機能的な運営が行われるよう、より一層の体制強化に努めてまいります。 次に、各総合支所、支所はどうだったのか、また本部との連携についてでありますが、雄勝、北上、牡鹿及び荻浜地区におきましては、これまでも津波避難を主体とした訓練を実施しており、初動の避難は円滑に行うことができたと伺っております。しかし、6メートルの津波を想定しての訓練でございましたので、10メートルを超える津波への対応につきましては非常に困難であったと認識しております。今後は、今回の津波を基本としての訓練内容を計画し、実施してまいります。 また、本部との連携でございますけれども、被災時には多くの通信機器が断絶された状況でありましたが、衛星回線を使用した宮城県
地域通信ネットワークシステムが機能しており、
総合支所庁舎が壊滅状態に至りました雄勝及び北上支部以外の各支部との連絡は発災時より可能でございました。雄勝及び北上支部につきましては、消防本部からの情報に頼る状況の中、3月13日から支部職員が徒歩や車の乗り継ぎにより河北支部や本部にたどり着き、それまでの被害状況を確認するに至っております。宮城県
地域通信ネットワークシステムが機能したとはいえ、災害時における
情報交換機能の大きな低下は明らかであり、今後については各支部間を結ぶ
衛星電話網の配備を進め、
防災行政無線の
統合運用整備など災害時の
通信機能強化の推進と各支部の
早期状況把握に努めるとともに、応援体制の強化を図っていきたいと考えております。 次に、国・県との連携についてでありますが、宮城県との連絡は宮城県
地域通信ネットワークシステムにより可能でございましたので、各種にわたる要請を行うことができました。また、国の機関として自衛隊とは救助や
物資輸送等の面で、
国土交通省とは通信手段の確保や排水また各種の物資の調達など、農林水産省とは食料調達や人的支援などの面で連携をとることができましたので、今回の災害対応の中での課題を検証し、今後の
防災訓練に反映できるよう努めてまいりたいと考えております。 次に、消防団、町内会、各種団体との連携についてでありますが、消防団につきましては
防災訓練時と同様に各団長が
災害対策本部、
災害対策支部の構成員としてさまざまな災害対応に取り組んでいただきました。町内会につきましても、ライフラインの寸断で飲料水や食料の取得が困難になった中、町内会や
自主防災組織による食料や支援物資の配給や、訓練でも実施しております
炊き出し等を行っていただきました。各種団体との連携につきましては、昨年
本庁舎移転後に
付近町内会に依頼しての本庁舎内での
避難訓練、保健師による
応急手当て訓練、
石巻赤十字病院の訓練との連携訓練及びバスによる
大量人員輸送訓練を実施しており、一時避難所となりました本庁舎内での活動やヘリコプターで
総合運動公園に救助された方及び
石巻赤十字病院から避難所への輸送に生かされておりました。今後は、
防災訓練の内容を見直しし、より一層の体制強化を図っていきたいと考えておりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◎
境直彦教育長 私から、幼稚園、小・中・高等学校で震災時に
防災訓練がどのように生かされたかについてお答えいたします。 すべての学校、園において毎年地震を想定した
避難訓練を実施しております。震災当日は訓練の成果を生かし、大きな混乱なく速やかに校庭等への避難が行われました。今回のような非常に大きな規模の津波に対しては、各学校、園で臨機応変の対応が必要となりましたが、避難指示や
集団行動等、
避難訓練や
危機管理マニュアルが生かされた場合があったと評価しております。しかし、大変残念ながらとうとい命が失われております。このような悲惨な出来事が二度と起きないよう、1学期には各校において実践的な
避難訓練を実施しており、今後も今回の震災の経験から教訓を得ながら、防災教育の充実を図ってまいりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◎
阿部正博福祉部長 私から、保育所において例年実施されている
防災訓練が今回の大震災でどう生かされたのかについてお答えいたします。 保育所におきましては、火災、災害、事故、事件等のあらゆる危機に対して職員が的確かつ迅速に対応、または予防できるよう、施設ごとに
危機管理マニュアルを作成して対応しております。
防災訓練につきましては、毎月火災、地震、不審者等を想定した
避難訓練を実施しており、今回の大震災においても日ごろの訓練が生かされたものと評価しております。今後も保育所における
危機管理マニュアルについて常に検証を行い、入所児童、保護者、職員の生命及び健康を守るための
体制づくりに努めてまいりたいと考えておりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◎
亀山紘市長 それでは、私から
JR仙石線、
JR石巻線の
復旧見通しについてお答えいたします。
JR仙石線につきましては、現在までのところ矢本―高城町間を除いて運行が再開されましたが、矢本―高城町間の被害が甚大であることから、全線復旧についての見通しは立っておりません。また、
JR石巻線については、石巻―女川間がいまだ不通となっており、
JR東日本においては復旧可能な区間から優先的に運行する方向で検討していると伺っております。 議員御指摘のとおり両鉄道路線は市民生活に密着した重要な交通手段であり、本市を含めた石巻地域の復興、再生に不可欠なものでありますことから、その早期復旧を
JR東日本に対し要望してまいりましたが、今後も
沿線自治体と連携しながら積極的に働きかけてまいります。しかしながら、このたびの被害が広範囲で甚大なため、
JR東日本が負担する復旧費用が膨大なものになることから、
JR東日本に対し従来の災害復旧の枠組みにとらわれない新たな施策による支援を講じるよう国に対しても要望してまいりましたが、これからも引き続き要望してまいりますので、御理解を賜りたいと存じます。 続きまして、被災地の土地活用について現状と今後の見通しについてお答えいたします。今回の震災では、市全域にわたり地盤沈下が起こり、特に津波被害の甚大であった沿岸部の市街地や離半島部の集落においては常に潮位の影響を受け、冠水被害が発生したことから、国・県の協力を得ながら応急対策を実施いたしましたが、早急に本格的な復旧、復興事業に着手したいと考えております。震災復興に当たりましては、災害に強い
まちづくりを基本とし、離半島部の沿岸地域につきましては、住民の皆様の合意のもと、
防災集団移転促進事業により集落の高台への移転を促し、津波や高潮に対するリスクの高い跡地については
漁業関連施設用地として活用していただくなど、今後住民との話し合いを進めてまいりたいと考えております。また、市街地につきましては、防潮堤や高
盛り土道路など、津波に対する多重の防御と避難路や避難所とあわせ
土地区画整理事業などにより住宅地や工業用地、公園など土地利用の再構築を行い、災害に強い
まちづくりにつなげてまいりたいと考えておりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◆25番(
森山行輝議員) 御回答いただきました。それでは、再質問させていただきます。 2011年3月11日午後2時46分に発生した今回の
東日本大震災は、我が国の
観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し、それに伴う大津波が当市に壊滅的な被害をもたらしたわけであります。復旧、復興に1兆円とも2兆円とも比喩されている我が石巻市のこの歴史においても最大の震災と記録されることでありましょう。何から手をつけていいかわからないような暗中模索の最中ではありますけれども、我々日本人は災いを転じて福となす、そんなすべを持っていて、歴史においてもそれを証明しております。 1185年の地震、津波のときは、世情は乱れて、平家は滅び、この大震災から10年もたたないうちに新しい
武家リーダーが首都機能を鎌倉に移したのであります。安政の大地震、1855年で、以後の世情は騒然となり、明治の新リーダーは江戸を東京にかえ、日本を近代国家に変えました。関東大震災、1923年では当時の内相、後藤新平が
帝都復興計画を発表し、大惨事の真っただ中でその計画を推し進め、その一部を見事実現して東洋一の先進国の面目を見せたのであります。私は、当市もこの震災に打ちかって災いを転じて福となす、このような今回の震災についてきちんと検証し、そして総括をし、復旧、復興に当たらなければならないという思いから、今回の質問となったわけです。 それで、お伺いいたします。3月11日の震災当日、本部長である市長は御不在でありました。なぜ当日御不在だったのでしょうか、お伺いをいたします。
◎
亀山紘市長 お答えいたします。 当日3月11日午後2時から仙台市で
バイオマスに関するシンポジウムがございました。私が
バイオマスシンポジウムの基調講演を行いまして、2時から2時40分に私の講演が終わりました。次の講演者が始まってその5分後、2時46分にあの地震が起こったということだったわけで、その後5分後には仙台市の会場を立って石巻市に向かいました。途中定川の
はんらん等がございまして、津波の影響でかなり田んぼ、畑が浸水しておりましたし、道路も冠水しておりましたので、そういった道路を迂回しながら石巻市に入りましたのが20時ころでした。それから、まず最初にこれは津波の被害が大きいということで、北上川の堤防沿いに車を走らせまして、そして
住吉中学校からのあそこのバイパスを越えれば何とかたどり着くだろうという考えで行きましたけれども、
住吉中学校でバイパスが冠水のため寸断ということで、それから急遽今度は各道路、中心部に入る道路にいろいろとトライをさせていただきましたけれども、結局すべての道路が寸断していて入れないということで、庁舎と連絡をとるために
北上川下流河川事務所に入りました。そこもあの道路が、国道45号が渋滞しておりましたので、あるところから歩いて、それで
北上川下流河川事務所に入って連絡をとりました。それで連絡がついたのが
石巻赤十字病院に連絡がつきました。ということで、その当時
石巻赤十字病院に
災害対策本部を置いておりました自衛隊のジープに来ていただきまして、それでジープに乗って
石巻赤十字病院に入ったと。午後11時ころでした。そのころから
石巻赤十字病院には救助を待つ住民の方々が大勢入ってまいりましたので、そういった状況を見ながら
石巻赤十字病院、それから自衛隊と連携をとりながら、それと同時に本部との無線、なかなかつながりにくい状況でしたけれども、無線連絡をとりながら本部長としてのいろんな連絡あるいは指示をさせていただいたという状況でございます。
◆25番(
森山行輝議員) 市長、当日私も
保健福祉委員会が行われまして、病院局の管理職が2名おりまして、その2名を乗せて市立病院に送っていく途中で南浜町で津波に遭って、
門脇小学校に避難し、そこに避難していた六、七十人の方を全部
市立女子高等学校のほうに避難させて、ここの庁舎に戻ってまいりました、職員とともに。当時我々同僚議員も数名おりまして、大変な被害だということでいろんな情報が集まっていたのですけれども、もう電話もだめ、テレビもだめ、すべて情報を得るようなものがなくて大混乱をしていました。その後水が上がって、私は3月11日と12日、皆さんと一緒にここで泊まって
災害対策本部の会議にも出て、それで13日の午前中に皆さんのおかげで穀町のほうに、いすで通路をつくっていただきまして、そして道路課の連中と帰ったという経緯があります。2晩ここの対策本部で副本部長であります副市長たちとともに会議に出て、いろんなお話を聞いてまいりました。本当に情報がふくそうして、そしてすごい量のことが伝えられるものですから、その会議たるや、副市長も、それから補佐の方も大変苦労されて何とかしようというお話をしていた。しかし、本当に大変な状況でしたので、各部長が、総務部長あるいは企画部長、建設部長、それぞれ大変な状況の中でお話ししていて、なかなか会議がまとまらない状況が続きました。それで、私は1度ならず2度までも隣におりました副本部長である副市長に、市長が
石巻赤十字病院にいますよということをお聞きしていたものですから、早くここに戻ってきていただいて、この大災害のいろんな指導なりイニシアチブをとっていただきたいと、そのようにお伝えしてということをお話ししました。市長は
石巻赤十字病院のほうでいろいろそういう状況の中でお仕事をされていたということでありますが、私はあの状況から見ますと、やはり連絡がついていたのであれば早くその日のうちにでも戻ってこられて指揮をとられるということが賢明ではないかなという思いがしました。それが1つ。 それから、当日は先ほど申し上げましたように
保健福祉委員会の開催日でありました。市長に理解していただきたいのですけれども、我々議会中の委員会のときは、ともすれば市長に出席を要請する可能性があるわけです。ですから、委員会のある日は市長にはできるだけ庁内にとどまる、あるいはお出かけになっても連絡がつく、戻ってこれる、そういう場所にいていただきたい。それと今回のことなので、ぜひ検証ですから、それからこれからのいろんなことを考える場合に、その辺のことを今回の一つの反省として、これからいろんな災害が起きたときの手段あるいはそれらの方法について考えていただきたいなと思うのですが、いかがでしょうか。
◎
亀山紘市長 お答えいたします。 まず前者の点ですが、これはやはりすぐに戻るというよりは、あの状況ではまず災害時の人命救助というのが一番大事ですので、人命救助をする上で
石巻赤十字病院の役割、それからヘリコプターを飛ばす、あるいは人命救助に当たる自衛隊の役割というのは非常に大きいものがございます。自衛隊にとっても本部長が指揮系統のトップになっております。そういった意味で人命救助、
石巻赤十字病院に搬送される患者の方々が非常に多かったです。そういった中で次の日に、それでは
石巻赤十字病院の待合室にあふれ出した市民の方々をどうするかと、やはりその方々をどこの避難所に搬送するか、そういったこともたまたま私があそこにいたということで対応できたかなというふうに思っております。しかし、本部のあり方については、実は今検討しております基本計画案の中にも災害時における本部のあり方というものの見直しをかけております。文書にも書いてございますけれども、庁舎が全く今回のような冠水によって使えなかった、本部機能が働かない場合にはほかに移設ということも視野に入れて今見直しをかけております。そして、実際の大きな災害があったときには、どこにいてもしっかりとした対応ができるような体制をとっていきたいと、そういうふうに考えておりますので、御理解いただきたいと思います。 それから、確かに委員会があったということで、できるだけ私も委員会があるときには庁舎にいるということにしていたわけですけれども、大変申しわけないのですが、仙台市であればすぐに戻ってこれるという安易な考えがあったことは否めないと、そういうふうに思っておりますので、今後しっかりとした対応をしたいと、そういうふうに思っております。
◆25番(
森山行輝議員) いろんな検証が大事です。そしてまた、こういうことで今回の震災にしろ対応にしろ、やはりちょっと手落ちがあったということについては前向きに修正なり、あるいはいろんな形でいい方向づけをするような形で今後対応していただきたいと思います。 次に、大川小学校の件に入りますが、元来この地域あるいはこの国を担う子供たちの健全育成、そういうことに関しましては常に声を上げ、そして日常活動でも取り入れている私のライフワークの一つでもあります。今回大川小学校で本当に74人という子供たちが犠牲となり、あるいは行方不明となり、そして10人に上る教職員の方が同じく犠牲になったと、大変大変残念な出来事であります。今回の震災で教諭らによる避難誘導でこれほどの犠牲者が出た学校はほかになかったわけであります。なぜこんな悲劇が起きたのでしょうか。このことの検証、総括をきちんと行い、二度と同じ過ちを犯さないということが今一番求められていることと思いますが、教育長、いかがでしょうか。
◎
境直彦教育長 お答えいたします。 児童にとって最も安全なところであるべき学校のその管理下におきまして、教職員の誘導のもとであったにしろ、未来あるとうとい命が失われたことは本当に地震、そして津波に関する危機管理意識をもっと高めておくべきだったというふうに悔やまれるところでございます。御遺族の方々の無念さを思うと、今後もきちんとした対応をしていかなければならないというふうに教育委員会としても考えているところでございます。現在は、危機管理意識としての見直しを含めて各学校とも地震、そして津波に対する防災計画をきちんと立てて、それに取り組んでいるところでございますので、御理解を賜りたいと存じます。
◆25番(
森山行輝議員) この大変な悲劇は、マスコミを通じまして、そしてマスコミの報道によって全国発信をされておりまして、他県からこの震災をお見舞いに来た友人、知人、そしてボランティアの皆さん、他市の職員の皆さん、そのすべての方々が被災地見学をされておりまして、必ずこの大川小学校の現場に足を運んでおります。そして、あそこの安全地帯あるいは校舎の前に行って、心からの哀悼の誠をささげ、そして涙して帰ってまいります。二度とこんな悲劇を起こしてはならないわけであります。教育委員会が2010年2月、津波に備えた
危機管理マニュアルをつくるよう各小中学校に指示を出されました。これはチェックしておりましたか。
◎
境直彦教育長 その年の2月に研修会を開いた折に各学校に指示を出しましたが、次の年度の防災計画の中でその部分のチェックをするべきところを教育委員会として確認はしていないということがわかっております。
◆25番(
森山行輝議員) 指示は出されたのだけれども、そのチェックがなされなかった。この大川小学校でこれらの避難に対する、災害に対する避難ということのマニュアルについてはどのように記載がされておりましたでしょうか。
◎
境直彦教育長 当時の震災前の大川小学校の防災計画及び
危機管理マニュアルの中では、地震に対する対応の仕方まででして、津波を想定した場合には避難をするということは書いてあるのですが、どこに避難をするかということが明示されていなかったということがわかっております。
◆25番(
森山行輝議員) その辺が今回大いに検証し、そしてまた総括をしなければいけない部分ではないかなと、こういうことが今回のこの大災害につながったと指摘せざるを得ないのであります。当然そういうことがきちんと記載されていなかったということは、あの地域での地震や、あるいは予想される大津波についての
避難訓練等はそれではなされていなかったという理解でよろしいのでしょうか。
◎
境直彦教育長 大川小学校の震災前に関しては、地震による
避難訓練は行ったが、そこから次の第3次避難としての津波が来た場合にどの場所に避難するかという訓練は行われていなかったというふうに認識しております。
◆25番(
森山行輝議員) その辺も含めて教育長、今後1学期にいろいろその辺のチェックはされたと言いますけれども、大変大事なことであります。大事なことであります。ですから、今後はその辺のチェック体制も含めて、あるいは結果も含めて、先日も市長の答弁でプラン・ドゥー・チェックという話もありました。我々民間でこういう話をするときは、大体5W2Hです。いつ、どこで、だれがというようなことをただ指示をして書かせるのではなくて、その内容についてきちんとチェックをし、そしてそういう避難行動が確実にされたか、この辺も教育委員会でこれからきちんとチェックをされて、書類を上げたからいいということでなくて、そういう訓練もきちんとされたということを把握しながら対応に当たっていただきたいと思います。 我々津波での避難といいますのは、やはり小さいときから津波が来たら高いところに逃げなさい、高台に逃げなさいというのが我々の津波に対する予備知識であります。今回2時46分にマグニチュード9の地震が来て、大津波が大体3時30分ごろ来たわけでありますけれども、この40分、50分という時間があったわけですけれども、それでは山に避難していない、あるいは
避難訓練できちんとされていない教員の皆さん、この時間帯、子供たちを統括して何をしているのかというふうに把握されておりますか。
◎
境直彦教育長 地震発生からこれまでの聞き取りでは3時ぐらいには2次避難として校庭に、教室での1次避難、それから指示を出して校庭への2次避難という形になっております。その当時は、子供たちの興奮状態をなだめる教員もおりましたし、さらには近くのところでの会合に来ていた地域の方々や、さらには避難してくる方、そして子供たちの引き渡しの求めに応じるという形での対応をしていたというふうに考えております。
◆25番(
森山行輝議員) 河北総合支所長にお伺いをいたします。 河北総合支所では、この地震が発生し、大津波が来るということについて防災無線で放送するだけではなくて、職員を出して管内を呼びかけして回ったということですが、その辺の状況についてお伺いをいたします。
◎堀井栄河北総合支所長 午後2時46分に発生し、6分後の午後2時52分に大津波警報発令により第1報を放送いたしました。午後2時55分、尾ノ崎、長面地区避難誘導のために地域振興課6人が公用車3台に2名ずつ分乗して出発いたしました。午後3時30分前後に避難誘導に出かけた職員は、釜谷を過ぎたあたりで長面の松林を越える津波を目撃したということで、直ちにUターンをして広報車で避難誘導を広報しながら新北上大橋においても避難誘導した状況でございます。
◆25番(
森山行輝議員) 当時のことが今総合支所長から詳しく説明をされました。このことによりまして、これまでにない大津波が迫っているという情報を学校でもつかんでいたわけです。また同じことになるのですけれども、なぜそんな大津波が来ているのにすぐ近くにある裏山に避難しなかったのか、この辺が非常に私どもがわからないところであります。例えば私が避難した
門脇小学校、南浜町で被災をして小学校に着いたのが3時30分過ぎです。避難していた60数人の中に
門脇小学校の生徒は一人もおりませんでした。それから、私が避難した
門脇小学校の近くの門脇保育所、あそこの園児たちは先生方の機転により、避難場所は
門脇小学校なのですよ。小さい子供は先生方がおぶって、そして4歳児、5歳児は手を引っ張って、
門脇小学校からもっと高い石巻保育所まで避難をさせた。一人も被災者はおりません。また、渡波の長浜の近くにあるはまなす保育所、目の前がすぐ海です。そこの先生方も避難場所が渡波支所であったにもかかわらず、ここでも危ないという機転をきかせて全員渡波小学校まで避難させて、これもまた一人も子供たちは被災を受けなかった。雄勝保育所では、あの場所で波が来たものですから、先生方は必死に子供たちを山に上げ、そして近くにいらした地域の住民の皆さんと手をとり合って山の上へ上へと上げて、ここでも一人も犠牲者を出さなかった、被災もされなかった。我々はただ先生方の機転ということではなくて、やはり常々こういう災害があったときにどういう避難をし、どういう場所にどう逃げればいいかという訓練が功を奏しているものだと思うのです。教育長、私どもの大事な子供たちの義務教育である小・中学校にも、もっともっと波及をして指導していくということが必要と思いますが、この件ではいかがでしょうか。
◎
境直彦教育長 お答えいたします。 議員御指摘のとおり今回の大きな津波に関しては、それぞれの地域、場所で臨機応変な対応が教職員に求められたということは事実でございます。その中で今のような形の部分で被災を免れたというこの事実はきちんと私どもも把握をしながら、そして市内の幼稚園、小・中・高等学校の管理職、校長会、教頭会を通して、その事実を検証することが今後の防災教育に生かす大切なことだというふうに考えております。
◆25番(
森山行輝議員) それと教育長、当日は通学バスもこの時間帯に学校におられた、運転手つきで。それで子供が避難する状況を学校のわきで待っていたという、そういうこともあります。このバス、何人乗りか知らないのだけれども、マイクロバスですから、仮にこういう大津波が来るといういろんなことがわかった時点でこのバスにいっぱい乗せて雄勝峠のほうに走っただけでも、私はほとんどの子供たちと教職員の皆さんが助かったのではないかという、そういう思いもしています。同じようなことになるのですけれども。そういうことをやはりきちんと、この辺を検証されて今後の
防災訓練あるいは防災教育に当たっていただきたい。 それで、私いろいろ資料を見て、あるいは新聞報道を見て不思議だなと思うのですが、この小学校の一番の責任者である校長先生がどこにも出てこないのですよね、何でなのだろうかなと。何でなのでしょうね、校長先生の当日の行動等についてお伺いをいたしたいと思います。
◎
境直彦教育長 大川小学校の校長の当日の勤務対応ですが、午前中は大川中学校の卒業式に参列をしておりまして、午後は所用で年次休暇をとって自宅である古川に向かっていたということがわかっております。
◆25番(
森山行輝議員) そこまでは結構です。それはいろいろ校長先生も当日の用件でそういうふうに動くのはそれは結構。しかし、これだけの地震とこれだけの大津波で大変だということは、お車で移動していると思うので、状況把握していたと思います。そうしたら、やはり学校の第一の責任者はとって返して現場に戻るのがそこの責任者の務めではないかな。私は常々学校の校長先生に、これまでのような義務だけを任せて権利を与えないことは常に学校を孤立化し、そして保守的にし、何かあったら隠すという体質をつくっていたということをここで申し上げてきました。そして、できるだけ各学校の校長先生には権限も与えて自由に校長の裁量で学校運営していただきたいということを申していた。そういう私の立場からすれば、今回のこの 人によれば3月11日から四、五日間校長先生の姿が見えなかったというお話も地域の父兄から聞いております。そういうことでは、やはり管理者としてはいかがなものかと。この辺も常に教育長主導で校長会、教頭会を主催されているのだけれども、こういうことになったから言うのではなくて、常々こういうことにならないように教職員を指導すべきというふうに私は思います。教育長、いかがでしょうか。
◎
境直彦教育長 お答えいたします。 学校経営の責任者は校長でありますので、その経営をきちっと行っていけるように、そしてそれは教育委員会からのサポートがあるでしょうし、逆に教育委員会から指示すべきこともあるかと思います。そこをきちんと行うことによって校長が自分の職務を全うすべく、ふだんの生活あるいは職責を全うするようになるかと思っております。そのためにも教育委員会として、きちんとした指示と指導をこれからも心がけていきたいというふうに考えております。
◆25番(
森山行輝議員) それと、これも新聞報道でわかったことなのですけれども、教育委員会のほうで今回の事故報告書をまとめる際に多くの聞き取りをして、それをメモにして残した。しかし、報告書をつくった時点でそのメモを廃棄してしまった。今地域のPTAあるいは御父兄の方々といろんなお話をする、そしてまたいろんなこういうものを明らかにしていくという中でメモを廃棄したということは、それはいろんな見方があるのだけれども、やはり都合の悪いことはみんな捨ててしまったのではないかという不信感を抱かれる、そんな行動だと思います。今後これらを含めて、この辺の対処をどう考え、そして父兄たちと真摯に話し合いをされていくおつもりなのか、お考えをお示しください。
◎
境直彦教育長 お答えいたします。 聞き取り調査のメモの廃棄に関しましては、今後とも十分に気をつけて対応していきたいというふうに考えております。その上で議員御指摘のとおり御遺族の方との関係を構築していくためにも真摯に話し合いに応じて、議員が御指摘の今回の震災に関する検証をきちんと行うことによって御遺族の皆様の今後の生活あるいは今いる大川小学校の子供たちのために教育委員会として万全の対応をとってまいりたいというふうに考えております。
◆25番(
森山行輝議員) 今父兄の皆さんとのお話し合いということも出ました。やはり今後これらの検証をきちんとした中で、PTAの皆さん、御父兄の皆さん、地域の皆さん方とこれらの事故の検証をどう総括していくか、そしてそれらのことについてこれからもあるであろう震災がまたこういう悲劇を起こさないようにするのにはどうすればいいかということを真摯に話し合って詰めていかなければと私は思っております。 それで、私も地域の皆さんと何人かお話をしました。私の同僚議員で
阿部和芳議員も妹さんを亡くされ、おいごさんを亡くされているわけです。そういう皆さん方がどういうことでこういう事故になって、そして今後これをどうすることによって新たな悲劇を生まないようにするか、これは教育委員会も積極的にかかわって、いろんな機会を通じてこれをお互いの話し合いの中で払拭しながら前向きにやっていかなければならない。この辺の話し合い、あるいはこれからの方向性について、いつごろからどのような形で話し合いを持たれ、お互いの理解を得る、そういうことに持っていくとお考えになっているのでしょうか、お答えをいただきたいと思います。
◎
境直彦教育長 お答えいたします。 議員の皆様御承知のとおり、私就任する際に当たっては大川小学校の御遺族の皆様を各戸訪問させていただき、そこでお話をお聞かせいただいております。今議員から御指摘のとおり大変おしかりを受ける場面もございますし、さらには2時46分から津波が来る3時37分まで一体何が起きたのか、そこを明らかにしてほしいという願いもたくさん聞いております。そして、その一つとして迎えに来られた保護者の方々からお話を聞き取るところは進めておりまして、まだ数件残っております。そのところの部分のお話と、さらには関係しておりました部署の方々からの再度の聞き取りも含めまして、あとは遺族会の方々と御相談をしながら今後取り組んでまいりたいというふうに思います。議員の御指摘のとおり、今回の検証はやはり教育委員会としてはするべきだと私は考えておりますし、今後それに向けて取り組んでいきたいというふうに考えております。
◆25番(
森山行輝議員) 教育長、今一生懸命答弁をされて、その真意も伝わります。大川小学校の父兄の皆さん、大変厳しい現状の中でありますけれども、本当にその辺は前向きな話し合いを求めておりますし、二度とこのような悲惨な目に遭わないような形にこれからどうしていくかということを前向きに考えておりますので、ぜひその辺の話し合いを進めていただきたいなと思います。 それで、話し合いの際に市長の発言ということになるのですが、例の市長の見解ということの発言の中で自然災害における宿命だというお話がありました。このお話ししたときの市長の気持ちの内面についてお示しをいただきたいと思います。
◎
亀山紘市長 お答えいたします。 あのときの質問の内容が、あなたの子供が被災した場合にはどう考えるかということに対しての返事でございます。その中で恐らく個人としても相当悩むけれども、自然災害の中でいろいろ考えていくという場合に、自然災害に対する考え方を率直に述べさせていただいたということでございます。
◆25番(
森山行輝議員) 率直なお気持ちでお話ししたことはわかります。しかし、私は宿命というのは子供がこの世に生まれる前からあなたの命は決まっているのですよと、どうしようもないことなのですよという意味だと解釈しております。それでそういう中で被災した皆さんは、今のお話は市長の率直な個人的な御意見だと思います、そのとおりだと思う。しかし、あの場所で亀山紘氏個人のお話というふうに市長はお考えになってお話ししたと思うのだけれども、やはりとり方としては石巻市長、亀山紘がお話ししたことだということで、公的な人のお話だというふうにとられると思います。私もあの場面を見て、ぎくっとしましたからね、ぎくっとした。ということは、私たちと同じようにあのテレビを見て受けた感じは、やっぱり皆さんぎくっとしたのではないですかね、この宿命というのは。ですから、やはり個人的な見解ということで求められた、それは意味はわかる。意味はわかるけれども、話をするのは石巻市長、亀山紘だということの理解の中で今後はこういう席での御発言にしていただきたいなと御指摘をさせていただきたいと思います。 最後に、このような大震災はまた来るという意識でいないといけないと私は思っております。杞憂に終わればいいが、そんなことはない。私たちが今心がけなければならないのは、今回のことを踏まえ、たとえ大震災が再び襲ってきてもまず市民を津波から守る、そして健全で幸福な生活、いわゆるウエルビーイングに重きを置く市政の邁進に努めなければならないと私は思っております。最後に市長のお考えをお聞きし、私の質問を終わらせていただきます。
◎
亀山紘市長 お答えいたします。 まず最初に、宿命というのは、私のとらえている宿命とは単なる運命ということでの言葉の意味ではございませんので、宿命という意味はいろいろございます。亡くなった方に対する思いもありますし、それから亡くなった先生方に対する思いもあります。そういったことで答えたものですが、舌足らずかもしれませんが、私は自然災害の宿命ということに対しては特に釈明するつもりはございません。 それで、今回の災害でやはり石巻地域、被災地の中で最も大きな被害を受けました。私としてもこの災害において犠牲者が非常に多かったと、人的被害はこれは本来防災を進めていく上で最も犠牲者を少なくするというのがやはり我々の公助の役割だと思っております。そういう意味で、やはり一つは避難所の見直しというものをしっかりしなければいけないと、そういうふうに考えております。今回のような災害を受けやすい場所に避難所を指定していたということは、これは率直に行政の反省もしなければいけないと、そういうふうに考えております。 そういう意味で、今回の災害を踏まえてしっかりとした災害に強い
まちづくり、そして犠牲者を最小限に食いとどめる災害対策をしっかりと進めていきたいと、そういうふうに考えております。
○議長(
阿部政昭議員) 以上で25番
森山行輝議員の質問を終わります。次に、20番髙橋栄一議員の質問を許します。20番。
◆20番(髙橋栄一議員) 通告に基づきまして一般質問を行います。 3月11日、これまでテレビや映画の世界でしか見たことのなかったことが現実のものとなって東日本一帯を襲いました。翌日被災した一部の地域を見て、まさに信じがたい光景を目の当たりにし、この世の出来事とはとても思えませんでした。家族を失い、住宅を失い、働く場所を失い、失意のどん底に落とされた被災者の心情に思いをいたすとき、できる限りのことをしなければという気持ちでこの6カ月間を過ごしてきました。市ではようやく復興計画案がまとまり、これから国の3次補正予算成立を待って財政的裏づけがなされるものと思いますが、被災者の方々の期待に早くこたえられるよう願うものであります。それでは、通告に基づいて3件のテーマで質問を行います。 1件目は、市立病院の再建プランについて伺います。20日市議会全員協議会が開催され、市立病院の移転新築に向けた方針が示されました。その内容を伝える新聞報道を見て、ほとんどの市民は喜んでいるものと思います。紆余曲折はあったものの、まずはよかったなという思いであります。津波によって市内の医療施設も大きな被害を受け、大幅な減少を余儀なくされている中、市民に開かれた病院、そして被災者のさまざまなニーズにもこたえられるような新病院の建設を目指していただきたいという願いを込めつつ、以下の2点について伺います。 1点目は、国及び県の支援策はどこまで進んでいるのかということであります。 2点目は、今後の再建に向けた方針についてどのように考えているか改めて伺います。
◎
亀山紘市長 髙橋栄一議員の御質問にお答えいたします。 市立病院の再建についてお答えいたします。まず、国及び県の支援策についてでありますが、国におきましてはいまだ明確な支援の方法を明らかにしておりませんが、現在地を移転しても補助の対象とする旨の見解が示され、また移転した場合の土地の取得費につきましても補助の対象とする方向で検討がなされていることから、本市といたしましてはその実現に向けた要請を粘り強く行ってまいりたいと考えております。 次に、今後の再建に向けた方針についてでありますが、先日の全員協議会で示しました石巻市立病院再建プランのとおり、石巻市立病院は現地復旧をせず、別の場所で新築をいたします。また、仮設病院は建設しないことといたしました。これは
石巻赤十字病院と連携し、
石巻赤十字病院で建設予定の仮設病棟に新病院ができるまでの間、市立病院のスタッフを石巻市職員の身分のまま派遣し、石巻医療圏において必要とされる医療の提供を図り、かつ雇用も確保するものであります。 また、移転後の新市立病院は救急医療機能を維持しつつ、市民に開かれた病院として
石巻赤十字病院と相互連携をし、石巻医療圏における役割を果たしていく所存であります。これにつきまして、国及び県と連携を図りながら検討してまいりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◆20番(髙橋栄一議員) 幾つか再質問を行いたいと思います。 20日に県の地域医療復興検討会議の指針が示されたわけですけれども、市としてはこの復興検討会議の中に市の方針を理解し、盛り込んでほしいというような市長の考えがこれまで出されました。今回の県の地域医療復興検討会議が示した案、これについて石巻市としてどのように受けとめているのか、この点について伺いたいと思います。
◎
亀山紘市長 お答えいたします。 地域医療復興検討会議の中で、いろいろと市立病院についても議論されてまいりましたけれども、
石巻赤十字病院との医療機能の分化、あるいはこの地域における医療体制をどうするかということでこれまで議論してきたわけですけれども、残念ながら中長期的な展望の中に市立病院の再建について記入箇所がないということで、15日に地域医療復興検討会議の合同会議がございまして、そこの席で石巻市における市立病院の役割、そして今後の
石巻赤十字病院と石巻市立病院との機能のすみ分け、そして何よりも石巻市民にとってこの石巻市立病院の存在は欠かせないということで、中長期的な検討の中で市立病院の再建の位置づけをしっかりとしていただきたいということで実は修正を図っていただきまして、その修正案が出て中長期的な展望の中に石巻市立病院の再建についてその内容が記入されたということで、私どもとしては中長期的な展望が開けたということで大変ありがたく思っております。そういった意味で、これからは県と国と連携をしながら石巻市立病院の再建に向けて取り組んでまいりたいと、そういうふうに考えております。
◆20番(髙橋栄一議員) 石巻市が20日にこれまでの現在地での再建から大きくかじを切って別の場所での新築移転ということに方針転換をしました。それでその日からまだ日にちは1週間もたっていないという状況の中ですから、しかも台風が襲来したということで、国のほうとの協議は余り進んでいないのかなというふうには思いますけれども、もしそれ以降に何か国との協議の中で進展がありましたらお知らせいただきたいと思います。
◎鷲見祐一病院局事務部長兼病院局石巻市立病院事務部門事務長 今議員おっしゃったとおり、国と県のほうと協議のほうはまだ具体的な話には進んでおりません。その中でも今回当初現地復旧の場合は災害復旧費でやるというふうなお話でしたが、この間の県のほうの情報によりますと災害復旧費でなく地域医療再生基金というふうな部分を活用しながら再建をしたいというふうな、そのほうがいいのではないかというふうなアドバイスをいただいております。まだその程度の協議しか進んでおりませんが、今後いろんな情報が入り次第、常に県・国と協議をしながら極力市の持ち出しのないような方法で県と協議をしていきたいと考えておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
◆20番(髙橋栄一議員) 今答弁いただいたように今回の場合は本当に被害が大きくて、市の財政、本当にどうなるのか大変心配しているわけですが、病院についてもできるだけ持ち出しがないようにということでありますので、その辺はぜひ大きく期待をしておきたいなというふうに思います。それで、8月19日の県議会、この中で知事の答弁なのですが、このように答えております。財政的にはできる限りの支援を行わなければならないと考えていると、国に対しても実情を踏まえて十分な財政支援を求めていると、その上で県としてもあらゆる助成策の活用の検討とともに地域医療連携、医師確保についても支援をしていきたいと。現時点でどの程度という明言はできないが、そのような方向で検討していくというふうに知事が答えております。これは8月19日なのです。 その前に8月3日の河北新報、この記事の中ですが、女川町立病院、施設改修と機能移転に係る費用は約19億円で、日本赤十字社の海外救援金を充てる見通しだというふうに報道されています。知事の答弁とこの記事を踏まえるならば、当然石巻市立病院の移転新築に際してもこれを上回る財政支援をやっていただけるものと私どもは大きな期待を持ってしまうのですが、その後県との協議の中でどの程度話が進んでいるのか改めて伺いたいと思います。
◎鷲見祐一病院局事務部長兼病院局石巻市立病院事務部門事務長
石巻赤十字病院との関係に関しては、現在は県とは一切お話はしておりませんが、今回の第3次補正の中で厚生労働省のほうが先ほどお話ししました地域医療再生基金の積み増しということで、被災地の3県に対して720億円の補正予算を今計上しております。その基金を使いながら市立病院の再建をというふうな考えでおりますが、この間国のほうからの情報としては、医師あるいは看護師の確保に関する部分として、人材の確保ということでこの基金も使えるということで、例えばうちのほうで建設できるまでの間、スタッフを
石巻赤十字病院にお願いするというふうなお話なのですが、その際の人件費に関してもこの基金等を使えるというふうなお話を伺っております。日本赤十字社の基金はまた別として、応分なこういうふうな基金の使い方をさせていただけるのかなというふうに解釈しております。
◆20番(髙橋栄一議員) 国のほうも第3次補正なりそういった中でいろいろな支援策がようやく出てきているのかなというふうに思っております。これまでもなかなか国のほうでの方針が示されなくて、病院のみならずいろんな分野で大変被災地は困っていたという状況だと思いますが、少しずつ出てきている面ではよかったかなというふうに思っております。 それで、現在病院が被害を受けてから、当時20数名の先生方おられたと思うのですが、現在は7名という状況で、今後再建に向けていった場合に医師の確保ということが非常に重要なテーマになってくるのかなというふうに思うのですが、改めてその辺の市立病院としての考え方、方針、その辺を伺っておきたいというふうに思います。
◎鷲見祐一病院局事務部長兼病院局石巻市立病院事務部門事務長 新しい病院ができるまで建設期間が3年、4年とかかると思います。その間は建設と並行しながら医師確保に努めてまいりたいと。また、あと全国自治体病院協議会というふうな組織がありまして、それにも当市立病院も属しておりますので、そちらのほうでもそういうふうな医師のあっせん等を行っておりますので、そういうふうな部分も3年、4年をかけながら開院に向けて医師確保ということで頑張っていきたいなと考えております。
◆20番(髙橋栄一議員) これまで石巻市立病院、石巻市のみならず石巻圏にとりまして本当に大きな役割を果たしてきたなというふうにだれもが評価しているのではないかというふうに思っております。それで、
石巻赤十字病院の救急医療を受けて1週間ぐらいで退院しなければならないと、そういう状況のときに石巻市立病院あるいは石巻市立雄勝病院、そういったところに受けていただいて安心して療養に専念できたという患者、本当に数多くおります。しかも、経営という面でも非常に実績を上げてきていたやさきでの今回の被害でした。本当に返す返すも残念という思いであります。 それで、院長先生に伺いたいのですが、やはり石巻市立病院の再建というのは院長先生をなくして語れないのではないかというふうに私は思っております。これまでも大きな役割を果たしてきていただいておりましたが、今回の被害を受けて新たに四、五年先の市立病院再建に向けて、これから石巻市が動き出すという状況の中で、ぜひ再建に向けて今後とも院長先生のお力をかりなければならないというふうに思いますが、この点について院長先生の決意なり考えを伺いたいと思います。
◎伊勢秀雄病院局長兼病院局石巻市立病院長 全くゼロからのスタートでここの病院に参りまして、まさかまたゼロ、リスタートというふうなことは思ってもおりませんでした。今職員のほうにつきましては、
石巻赤十字病院のほうに派遣する、あるいは仮設住宅回りというふうなことでの避難の方々のいろいろ健康管理をするというふうな仕事がございますけれども、医者については現業部門でなかなか技術というふうなことを数年やらないともう全く使い物にならぬというふうな状況になってしまいますので、医師に関してはまた後日病院を再開するときに関連の先生方にお願いしたいというふうな思いで、ずっと引きとめておくというふうなことは無理だろうというふうに思っております。ただ、病院をつくるというふうなことで、その責任者として院長はこのまま残らざるを得ないだろうというふうには思っておりますし、その任を私が負うべきだろうというふうに思っております。くれぐれも今後の病院というふうなことを考えるときには、石巻医療圏においてスムーズな医療体制の整備というふうなことが求められていることだろうというふうに思っておりますので、従来今まであった石巻市立病院とは違う姿の病院になろうかと思いますけれども、この石巻市あるいは石巻医療圏の医療を皆さんがスムーズに受けられるような、そんな病院をつくっていきたいというふうに思っております。
◆20番(髙橋栄一議員) ありがとうございました。ぜひ大きな期待がございますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。 それでは、2件目のほうの質問に入らせていただきます。2件目は、大川小学校の津波で犠牲になった児童の遺族への対応について伺います。今回の津波によって大川小学校の児童108名中70名が亡くなり、4名がいまだ行方不明となっております。先生方も10名が犠牲となってしまいました。地域社会の将来を担う子供たちを突然亡くしてしまった家族の悲しみは、余りにも深く、声をかけるのも戸惑うくらい痛々しい状況にあります。何とか早く立ち直って前に歩み出してほしいと願うものですが、遺族の方々の要望の中から次の2点について教育長の考えを伺います。 1点目は、余りにも幼くして津波の犠牲となった子供たちの冥福を祈るため慰霊碑を建立してほしいという要望が出されておりますが、これに対してどのように考えているか伺います。 2点目は、遺族に対する心のケアについて、これまでどのように対応されてきたのか、また今後どのように考えているか伺います。
◎
境直彦教育長 私から、大川小学校の津波で犠牲になった児童の遺族への対応についてお答えいたします。 学校管理下での甚大なる被害に、教育委員会といたしましても御遺族の方への誠実な対応や支援を行っているところでございます。慰霊碑建立につきましては、建立場所の選定を遺族会の方々や関係機関とともに進めております。 次に、遺族に対する心のケアについてでありますが、遺族会と大川小学校、その他関係機関との連携を図りながら、一体となった適切な対応と支援を長期的に行うことが必要と考え、石巻市の保健師と同行する形で医療専門家による巡回相談を継続しておりますし、大川小学校配置のスクールカウンセラーや2名の養護教諭も活用していただきたいと学校を通して遺族の方々に働きかけておりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◆20番(髙橋栄一議員) 大川小学校の件につきましては、私で5人目ということでございますので、できるだけ質問内容を重複しないように気をつけながらやっていきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。 まず最初に伺いたいのですが、教育長は就任後、犠牲となった子供の遺族を1件ずつ訪問されているようでございます。これまで非常に多くの家庭を回られたと思いますが、回ってみての感想なり感じたことをぜひお聞かせをいただきたいと思います。
◎
境直彦教育長 就任以来、御遺族の方々を訪問させていただいております。今回この就任を引き受ける際には、私はこの震災において大川小学校の悲惨な事故に関して、同じ教育者として非常に残念な思いがありました。それをあらわすためにも、やはりお一人お一人家族の方々からお話を聞かないことにはこの職を全うできないであろうと。今後の教育行政を進める上でも、そのお話を聞いてから次のステップに進まなければならないという思いでありました。快く私をおうちに上げていただいた御遺族の方々に本当に感謝しております。その中で素直な気持ちでお話をいただいて、自分のやるべき方向性というものに対してもたくさんの示唆を与えていただきました。その方々のためにも、私は自分のこの職責をきちっと果たしていかなければならないというふうに強く感じているところでございます。
◆20番(髙橋栄一議員) この案件については、本当に聞くほうも答えるほうもつらいものがあるなというふうに思っております。それで、私も亡くなった方の声を聞かせていただきたいということで線香を上げさせていただきながら何件かお邪魔をして話を聞かせていただきました。その中で遺族が立ち直っていくためには、どうしても地震発生から津波が来るまでのおよそ50分間の検証をきちんとやっていただきたいと、立ち直るためにもやっていただきたいということを多くの方々に言われました。この点を踏まえて教育長が就任前に一度調査はやられたはずですが、そのときの1回目の調査のときには具体的に何人ぐらいの方々から聞き取り調査をやられたのか。そして、教育長が被害に遭った方々を回られて、再調査を約束しながら8月下旬から再調査をやっておられるようですが、現時点で何人ぐらいの方々から聞き取り調査を終えられたのか、具体的に数字をお知らせいただきたいと思います。
◎
境直彦教育長 最初の質問の第1回目のところの震災、3月下旬から4月にかけての調査のところ、ここには資料がございませんので、後でお答えしたいというふうに思います。 8月からの調査に関しましては、迎えに来た方々で15名の御家族が対象ということで、現在11名を終了しているところでございます。それ以外の関係機関としまして、1件既に終了しております。この部分が終わり次第、教育委員会としてそこまで知り得たものと、それから私が訪問させていただいた内容と、そういうものをいろいろとお話し合いを進めながら議員御指摘のとおり2時46分から津波が来るまでの時間の間に一体何があったかということの検証は、先ほどもお答えしたとおり、きちんと教育委員会でやらなくてはいけないというふうに考えております。
◆20番(髙橋栄一議員) できるだけ精度の高い検証結果が出せるように聞き取り調査、今後ともよろしくお願いしたいと思います。 それで、先ほど森山議員からも少し触れられましたが、1回目の調査をやったメモが廃棄処分されたということが新聞で取り上げられました。このことについては、今議会の総務企画委員会でもちょっと取り上げられましたが、1回目の調査のメモが公文書に値するかどうかということの議論になるわけですが、メモの重要性といいますか、市の行政としてメモというものの取り扱いをどのように考えているのか、この辺について改めて伺いたいと思います。
◎
境直彦教育長 先ほど前の御質問のところの第1回目の聞き取り調査でございますが、24名の子供たちと、それから教員1名、それから総合支所の職員1名の聞き取り調査を行っていたということがわかっております。
◎
植松博史総務部長 情報公開の取り扱いにおきましては、今回の教育委員会からのお話を受けた段階では、報告書を書く際の備忘録的なメモということでしたので、それにつきましては報告書をきちんと書き上げた段階で一般的にはそういったメモについては廃棄処分するというお話を受けておりましたので、私のほうといたしましては新聞報道があった際に確認させていただいたときの確認事項としては、教育委員会のお話と今までのこちらの取り扱いということは一致していたということで、きちんと報告書の内容に備忘録的なものが盛り込まれているといった判断でおりますので、その時点では廃棄処分をしても構わないのかなというお話をさせていただきました。 ただ、総務企画委員会の議論の中で事の重要性とか、物事の完結に至った度合いとか、そういったものがいろいろ条件があるとすれば、今後の議論に生かしていきたいという回答をさせていただいたところでございます。
◆20番(髙橋栄一議員) 今回の事故が学校管理下における悲惨な事故ということで、やはり調査だけではなくて、遺族の方々の受けとめ方、この辺がきちんと整理がつくまでは残しておくべきだなというふうに私は思います。それで、現在2回目の調査をやっているということでございますので、この辺の取り扱いについては十二分に配慮した中で対応をやっていただきたいというふうに思いますが、いかがでしょうか。
◎
境直彦教育長 現在当日迎えに来た保護者の方からお話を聞いているところでございますが、今回はどういう観点で聞くかという項目を作成しておりますので、その手順に沿った形でお話をお聞きしておりますので、実際にはきちんと保管しているという状況下でございます。今後ともそのような形で進めていきたいというふうに思います。
△発言の訂正
◎
境直彦教育長 先ほど第1回の聞き取り調査で大川小学校の業務員1名からも聞き取りをしているということですので、全部で27名から第1回目は聞き取り調査を行っているということでございます。訂正いたします。
◆20番(髙橋栄一議員) 2回目の調査、現在も継続中ということでございますが、大体時期としてはいつごろを目標に聞き取り調査を終了し報告書をまとめられるのか、おおよその目安としていつごろを考えておられるか、この辺について伺いたいと思います。
◎
境直彦教育長 時期的なことは現在進行している状況下ですので、その後も遺族会の方々とお話し合いを進めながら、時期を見てきちんと進めていきたいというふうに考えているところでございます。
◆20番(髙橋栄一議員) ただいま教育長から遺族の方々との話し合いといいますか、そういうことも含めて今後対応していきたいというお話がございました。私からもその辺の話し合いの継続という点では、ぜひ実現していただくように強く要望しておきたいというふうに思います。 それから、遺族の方々に対する心のケアですが、1回目の答弁の中でいただきましたけれども、長い期間かけてというお話でございました。私も回ってみて話を聞かせていただいて、そう簡単には心の傷は消えないなというふうに感じております。現在取り組んでいる体制で十分なのかどうか、私にはちょっと判断はできませんけれども、もし遺族等の要望などがありました場合には、そこら辺にもさらに体制を強化していただくとか、そういう配慮をぜひやっていただきたいなというふうに思いますが、その辺についてどうでしょうか。
◎
境直彦教育長 現在進めている医療専門家チームによる巡回相談という形は、一応今月で切れることになったわけですが、そこのところの今後の交渉で来月以降も継続して行うということが現在わかっておりまして、今後そのような形で長期的にできるというものができましたので、先ほどのような答弁をさせていただきました。今後は御遺族の方々の要望にこたえるためにも、きちっとした対応を進めていきたいですし、さらには管内のさまざまな医師会との連携等もできるものかと考えておりますので、そのような形でもさまざまな手段を講じていきたいというふうに考えておるところでございます。
◆20番(髙橋栄一議員) 今回のような本当に痛ましい事故を二度と繰り返さないためにも、教育委員会のきちんとした検証と、それを防災教育に生かしていただくということが課せられた役目なのかなというふうに思います。教育委員会が今後とも遺族と話し合いを継続していくというお話を伺いましたので、この件についてはこの程度にとどめたいと思います。 次に、3件目について質問を行います。3件目は、河北、北上地区における北上川本川への強制排水のための機場設置についてであります。この件については、8月8日に北上川沿岸土地改良区理事長ほか役職員6名が市役所を訪れ、震災対策について6項目から成る要望書を市長及び市議会に対して提出しておりますが、そのうちの一つであります。要望書の内容を読ませていただきます。「今回の大地震により地盤が沈下し、自然排水が困難となっている。また、排水機場の吐出量制限により内水排除に支障を来すおそれがあります。本件は地域の懸案事項であり、皿貝川、大沢川、追波沢川並びに富士川から北上川への強制排水のための機場設置を国・県事業として実施くださるようお願いしたい」というものであります。これらの地域は、近年だけで今回を含めて3回ほど大雨のときに住宅への浸水被害や水稲、転作大豆等への壊滅的な被害を及ぼしており、以前にも同様の要望書が出されるなど、地域にとっては悲願とも言うべき、まさに長年の懸案事項でありました。それに加えて今回の地震による地盤沈下により、水害に対する条件は以前に比べて大幅に悪化しております。そして、住民の方々は今回の機会を逃すと永久に実現できないのではないかという強い危機感を抱いております。この切実な地域要望に対する市長の考えを伺います。
◎櫻田公二建設部長 河北、北上地区における北上川本川への強制排水のための機場設置についてお答えします。 河北、北上地区を流れる北上川は、地盤沈下によって河川への海水遡上が頻発し、河川水位の上昇が発生するため、北上川本川が排水先となっている支川の富士川や皿貝川、大沢川も排水が困難となっており、洪水や高潮などで水門が閉じたときは内水はんらんのおそれが高まっております。北上川と各支川を管理する国と県では、現在大震災による津波や地盤沈下被害を踏まえた河川の整備方針を検討中でありますが、本市といたしましても国・県に対して
河川はんらんに対する地域の安全性確保の観点から、堤防のかさ上げや排水施設の整備計画の早期策定並びに地元意見を踏まえた河川整備の実施を強く要望してまいりますので、御理解を賜りたいと存じます。
◆20番(髙橋栄一議員) 今回の台風に伴う大雨によりまして、震災の被害にさらに追い打ちをかける結果となってしまいました。そういった中で22日、被害のあった翌日、市長を初め正副議長、河北管内へわざわざ被害状況の視察に来ていただきまして本当にありがとうございました。住民の方々も状況を見ていただいて、ぜひ対策をとってほしいというような声が非常に多く寄せられております。 その中で幾つか今回の大雨被害についても伺いたいのですが、まず大川地域の中で津波で住宅が全壊して、空き家を借りてようやく住み始めたと。ところが、そこにまた今回の大雨で沢があふれ出して住宅床上浸水、家電製品全部だめ、車もだめ、その上さらに橋も流されてしまったと。津波と大雨の被害をダブルで受けてしまったというような例もございます。それからまた、津波で床上浸水、大規模半壊の判定を受けてようやく住宅を修復したと、そこに今回の大雨でまた床上浸水だと。本当に痛々しくて、何度も近くを通りかかるのですが、何と言って声をかけたらいいか言葉が見つからなくて、声をかけることができませんでした。通常であれば、今回の大雨に対しては行政が支援するということはなかなかできないのだろうというふうに思うわけですが、被害を受けた方々は津波に対する対応を見ておりまして、津波の被害と今回の大雨の被害、どう違うのかというところに私も答えを窮するところがあります。ぜひ行政側としても可能な限りとれる対策があれば考えていただければなというふうに思っております。 それで、この件についてはこれまでの例もございますので、余り大きな支援というのは不可能だと思いますので、まず要望をぜひ検討していただきたいということでとどめておきたいというふうに思います。 それで、質問の本旨に入っていくわけですが、今回の大雨の中で通勤あるいは仕事に使っている橋が大川の中で3カ所ほど流されました。この橋が流されたために仕事にも行けないと、車も出せないという状況に陥っております。この点について何とか早く橋をかけてほしいという要望が強く出されているわけですが、私としても早く住民の方々の要望にこたえていただきたいというふうに思うのですが、この点についてまずお答えをいただきたいというふうに思います。
◎櫻田公二建設部長 橋を今3カ所と言われていますけれども、私まだちょっと現地を把握しておらないのですけれども、市道であれば河北総合支所と連携をとりまして、すぐ災害復旧に取りかかりたいと思っています。
◆20番(髙橋栄一議員) 福地の場合は加茂川ということで1級河川、県管理になっております関係上、県との協議も必要なのかなというふうに思います。そういう点では、多少時間はかかるのかと思いますけれども、仕事にも行けないという状況が長く続いたのでは大変な状況になりますので、その点を踏まえながら仮設の橋でも何とかならないかなというふうな思いもあります。至急何とかしてほしいというところでございますが、河北総合支所長か建設部長、改めてもう一度伺いたいと思います。
◎櫻田公二建設部長 河北総合支所と連携をとりまして、早速にも現地確認して対応したいと思います。
◆20番(髙橋栄一議員) ぜひ早急に対応していただくようにお願いしたいと思います。 それから、今回の大雨で感じましたことは、地盤沈下の影響で各所で排水ポンプが必要になりました。ある意味市内全域でポンプの奪い合いみたいな感じの部分も多少あったのかなというふうに思いますが、今後の大雨に備えてその辺のところをきちんと検証しながら配備計画、業者の持っている排水ポンプも含めて即座に対応できるような体制をやはり検討していただく必要があるなというふうにつくづく感じました。この件について考え方を伺いたいと思います。
◎櫻田公二建設部長 お答えします。 現在
国土交通省のほうから7台のポンプ車がありまして、それをお借りして今回も対応してきたわけなのですけれども、やはり今議員おっしゃったように必ず浸水すると排水しなくてはいけないというところについては、まず前もって業者とか何かに依頼いたしまして、仮設の設置をしていかなくてはいけないのかなと考えておりますので、御理解願いたいと思います。
◆20番(髙橋栄一議員) ポンプの場合、
国土交通省のポンプも大川の富士川には仮設水門をつくって、そこに配備されていました。万一の場合に備えて、すぐ対応できるようにということでございましたけれども、残念ながら今回はそれが旧市内のほうに行ったかどうかわかりませんけれども、住宅被害優先ということで機能しなかったという状況にもございます。考え方は理解できないわけではありませんが、ぜひそういう津波の被害を受けている地域も含めて何とか対応できるような配備計画、この辺をきちっとつくっていただきたいというふうに要望したいと思います。 それから、北上地区、大川地区の北上川本川への排水機場の設置ですが、最初の質問でも申し上げましたように、さかのぼって言えば石巻市の合併以前に鴇波、それから脇谷の洗堰、あそこで新北上川の水量を調整するための閘門がつくられました。あのときに大雨のときはすべて岩手県上流からの雨は新北上川に流すということになりました。そのときに旧河北町あるいは旧北上町では、それによって内水排除の条件が悪くなるので、ぜひとも内水排除の条件整備をやっていただきたいということを
国土交通省北上川下流河川事務所のほうに強く要望してきた経緯があります。しかし、残念ながらこれまでそこの工事には手をつけられていませんでした。それに今回の地盤沈下、約1メートル前後はしていると思いますが、だれもが一目見ていかに地盤沈下の影響が大きいかということがすぐわかる状況になっております。今回石巻市の復興計画案に北上地区は既に盛り込みになっておりますけれども、大川地区の強制排水については残念ながら盛り込まれておりませんでした。この辺のところをきちんと復興計画の中に位置づけをしていただいて、今後の強い取り組みにしていただきたいと思うのですが、この点について考えを伺いたいと思います。
◎櫻田公二建設部長 議員おっしゃるとおりに両方、北上地区と大川地区も同じような内容でございますので、大川地区についても復興計画の中に入れて対応してまいりたいと思っています。
◆20番(髙橋栄一議員) 時間がなくなってきましたけれども、部長の強いきちんとした意思表示をいただきまして大変心強く思っております。事業主体は市ではなくて県あるいは国というふうになると思いますけれども、市の強い働きかけが絶対に不可欠だというふうに思っております。地域の方々は長年の懸案でもありますし、今回の大雨の被害を受けて、先ほども申し上げましたようにせっかく津波の被害からうちを直して入ったら、また床上浸水という状況がこれからも続きます。これらの被害を早く克服するために、何としてもこの事業はやっていただかなければなりません。ぜひ市長を初め関係各位連携をとりながら、その実現のために頑張っていただくようお願いして、私の質問を終わります。
○議長(
阿部政昭議員) 以上で20番髙橋栄一議員の質問を終わります。
△延会
○議長(
阿部政昭議員) この際、お諮りいたします。本日の会議はこの程度にとどめ、延会いたしたいと思います。これに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(
阿部政昭議員) 御異議なしと認め、さよう決しました。明日本会議を再開いたします。なお、明日の会議は議事の都合により、特に午前10時から繰り上げて開くことといたしたいと思います。これに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(
阿部政昭議員) 御異議なしと認めます。よって、明日の会議は午前10時に繰り上げて開くことといたします。本日はこれにて延会いたします。 午後5時02分延会...