実際何があったのか。これは読んでいただくこともなくて、私が御説明させていただきますと、新潟県三条市です。先ほど申し上げたような直轄ではない五十嵐川の
左岸堤防が決壊いたしました。約2キロメートル離れた
佐藤石太郎さんと妻の2人暮らし、78歳と77歳の2人暮らし。それで、
ポイントは
避難勧告は出たんですが
避難勧告の持つ意味がわからない。そして、どうやって行動すればよいかわからないといったことが一つ。それから、実は石太郎さんは
寝たきりです。
寝たきりの
おじいちゃんを放っておいて
おばあさんだけ逃げられませんから、逃げる判断としては、やはり玄関に水がつかってきたからこれは危ないと思ったわけですね。生まれてこのかたの災害なんだけれども、危機を感じてお
ばあちゃんの非力で
おじいちゃんをベッドから引きずりおろして2階に担ごうとした。ところが、お
ばあちゃんの非力では2階に上がって行けない。
おじいちゃんをお
ばあちゃんは1階のテーブルに乗せて、そして自分は2階に上がって窓を開けて「助けて」と叫んだ。ところが、100ミリメートルの雨というのは人の声もかき消します。何が何やらとにかくわからない。視界が遮られます。あるいは人影は見えるんですがそれぞれ自分のことで精いっぱい、こっちを向いてくれない。あるいはふだん見なれた町がどんどん湖のようになっていくその恐怖感、こういうものが何か人を2階から声を出して泣き叫ぶということだけでは無理だと思った
おばあさんは、2階から1階におりてきて靴もはかずに冠水した道路を
ジャバジャバ避難所の方に向かって歩いて行く。避難所のところに消防団がいましたのでぎゅっと手をつかまえて「
おじいちゃんが大変なの」ということで連れてきます。ところがこの間、悪戦苦闘は2時間ぐらいかかっております。ベッドから引きずりおろして避難所にたどり着くまで2時間ぐらいかかっている。そして消防団と一緒に戻って来たころにはもうどんどん浸水が深くなっていて
おじいさんは水の底でした。死者1の話です。
どうしてこの石太郎さんは亡くならなければならなかったのでしょうか。この課題を考えたときに、どこにでも起こり得る災害だということを考えた場合に、この事例は、やはり何か手を打たないといけないということをほうふつさせるような
できごとでございます。あるいは、ここの
町内会長さんが後で非常に悔しがるんですよ、悔しがる。すごく悔しがる。何でかというと、石太郎さんが
寝たきりだということは近所みんな知っていた。あるいはその石太郎さん以外にも、ここが
ひとり暮らしですよ、ここが車いすの人ですよとみんな知っていた。だけども、助けに行くことはできなかった。何でかというと、災害がすごく速かったから、水が一気に来たからと言われます。
ところが、災害はいつも一気に来るわけですね。つまり地域同士、コミュニティーが仲がいいということだけでは救い切れないといった現状も一方であるんじゃないかという非常に重い課題をこの事例は突きつけているんじゃないかと思っております。
あるいはこういった避難の問題、あるいはそういった死者を出すといった問題は、結局今の2004年の相次ぐ災害だけがクローズアップされただけではなくて、結局私たちは災害時要援護者の問題を長らく放置してきたんじゃないか。
一つは、例えば阪神・
淡路大震災、私
ども名古屋市で活動していますから仙台市もまさにこの状況にあるんじゃないか、つまり
都市型災害の典型です。簡単に申し上げますと、
神戸市営の12階建ての
アパートの10階に住んでいた
重度障害者、この方が
阪神大震災で被災をします。そして、自分では何ともならないのでまずは1時間ぐらいかけて車いすに戻って自分で必死になって外へ出てエレベーターで下におりようと思った。ところが、電気がとまって下におりられない。どうしようもないから自分が戻って彼は電話をすることにします。助けを求めることにします。ところが119番をしても
神戸市役所、ずっと話し中、3日間ずっと話し中。4日目にやっと電話がつながりました。相手は
神戸市役所です。助けてと言いました。ところが
神戸市役所が、「そんなこと言われても助けに行けません。警察や消防にでもかけ直してください」というふうに電話を切ったらしい。そこでこの方は一たん死を覚悟した。結果論からいきますと、5日目に
福祉施設の職員に助け出されて御無事です。現在でも御無事でいらっしゃいます。54歳ぐらいの男性の
重度障害者の方です。マスコミは一斉に「助けての電話無視」という報道を出しますが、この事実を知ったときに
行政批判が始まるわけです。ところが私、これまでに30ぐらいの
被災現場に行ってまいりました。行政では対応できないっていう修羅場を何回も見てきています。批判は多いんですよ。ところがやりきれないわけですね。
例えば、2000年
東海豪雨水害、私、
ボランティアの関係でそういった
東海豪雨水害のときには
愛知名古屋水害ボランティア本部の本部長も務めましたから、そういった役場との連携で
ボランティアセンターを設置するという最前線におりました。その交渉をするために全国区になりましたが、今合併して清州市になりましたが、西枇杷島町というところの役場へ被災をして3日後ぐらいに出かけました。そのときに、
総務部長が無精ひげを生やしてランニング一丁でふらふらと歩いてる。そこに住民が「てめえのせいだ」と言って名指しで怒っている。こういう現場がもしあるとするならば、私はこれ以上、人を責めちゃいけないと、
行政自身も被災をしている。行政がやはり悪いということばっかりがやり玉に上がりますが、それは今までちゃんと準備してきたかどうかということの現在において問われるべきで、災害が起こってしまった後、そんな言ってもしようがないんじゃないかというふうに思うような、あるいは責め過ぎて、例えば神戸市の助役さんも自殺をしております。こんな悲しい事故が起きないようにしなきゃいけないとは思っておりますが、新聞各社、やっぱりこういった報道が主体となります。新聞は1社もそれを書いていませんが、私が思いますのはもっと大事なことがあるんじゃないかと。この
重度障害者が何でそんな目に遭ったのか、じゃあその
重度障害者が住んでらっしゃる
アパートの10階の隣の方は何してたんでしょうか、上下の方は何してたんでしょうか。そこの
アパートの
管理組合は何してたんでしょうか。そういうことを考えると、やっぱりこれは隣のことも全然わからないような都市型の生活が、本当に被災時にはこういった災害時要援護者が取り残されるといった現状にあるんじゃないかということを考えて、私たちはその対策を考えなきゃいけないと思っておりました。
ところが、地元の
東海豪雨水害、やっぱり同じことがありました。例えば
聴覚障害者の方が雨がジャンジャン降ると。
東海豪雨も時間雨量最高で93ミリメートルでしたからむちゃくちゃな雨でした。そのときに
聴覚障害者は雨が激しいということが聞こえません。ふだんから
余りテレビも見ませんからふだん
どおり生活をしてふだん
どおり寝床にいた。夜中3時ぐらいに背中が冷たいからびっくりして飛び起きる。要するにそこまで浸水したということに気づかなかったわけですね。同じですね。この方にだれが知らせるべきでしょうか、この方に早く逃げなさいとだれが言うべきでしょうか。もちろん行政も頑張らなければいけない。そういう方々を支えているふだんからのつながりも支えなければいけない。この多重構造が、やっぱり名古屋の場合もないといったことが私たちの本当にショックな出来事が後から後から突き刺さってきます。
あるいは2004年の新潟県の
中越地震、これは話をすれば長くなってしまいますのでごくごく簡単にお話をさせていただきますと、実は私たちは
災害救援NPOですから
被災者支援活動を随分
新潟中越でも展開をしてきました。そういう中で、新潟県川口町田麦山っていうところに集中的に愛知から支援をして、
田麦山小学校の
全校児童を昨年、愛知万博に招待をしました。それは詳しくお話しできませんけれども、やはり子供にしわ寄せが起きる。災害時要援護者と言われるのは、何も高齢者ばっかりじゃなくて子供も犠牲になっているわけですけれども、そういった
子供たちを元気づけよう、この地震があったから
家族旅行は中止だというふうに言われた
子供たちに対して、じゃあ私たちが連れて行ってあげましょうと。でもこういうことができるのは、よっぽどその地域と
ボランティアが
信頼関係がなかったら、たまに来た
ボランティアが2泊3日、子供を預かりますと言っても、それは怖くて預けられませんから、これができたということはかなり
信頼関係結んでやったということでお察しいただきたいと思いますが、実はこの
田麦山小学校の
全校児童を2泊3日連れて行って非常に楽しい経験をいたしました。
ところが、それを私は申し上げたいんじゃなくて、実は田麦山というところは170世帯ぐらい、170世帯の中で9割が全壊家屋です。家の再建なんかも今必死になってやられていますけれども、その170世帯が9割ぐらい全壊だったんですが運よく1人も死者が出ませんでした。ところが、この中に小学校1年生の女の子が一番の被害を受けました。重症者を出しました。何があったかというと、震度7でよろけて何かに小さな指の
お母さん指と中指と薬指が挟まっちゃってボリボリボリッと裏返っちゃってこの第一関節からもげちゃったわけです。指切断です。もげちゃったわけです。泣き叫ぶ子供を地域、あるいは家族が取り出して、たまたま次の日、小学校の文化祭があるということで学校の先生も来てらっしゃいました。養護教諭が学校の中が散乱している冷蔵庫の中から氷を取り出して応急措置をして、ところが御案内のとおり、もう道が寸断されている。
阪神大震災は午前5時46分でした。これから明るくなっていく時間帯、
救助活動もしやすかったわけです。ところが
新潟中越は土曜日の午後6時ですからもうほとんど真っ暗な状態。田麦山というところから役場まで行けば救急車があると。ところがそこまで行くのにふだんは20分ぐらいですが1時間ぐらいかけて、小学校の若い先生が「おれが行く」と立候補してその子を乗せてふだん通ったことのないような道を迂回しながら行きました。役場まで行くには橋があってそれが落ちて車では行けないからその子を背負って橋を一生懸命駆けておぶって駆け足で、橋落ちるなと祈ったらしいですが、そういうことで救急車のところにやっとたどり着いてその子を乗せて
長岡赤十字病院に運ばれて
緊急入院、
緊急手術。私たちが
最初支援のためにここを訪れて出会ったころは包帯ぐるぐる巻きでした。痛々しい姿でした。ところが8ヵ月たってましてこの招待したころにはその子も元気に参加をしてもう包帯もとれてました。でもその子の指は戻りませんでした。その指は短くなっていました。その指をその子は隠すように私たちと万博の楽しい期間を過ごした間、3日間、ずっとグーの手をしていました。グーの手をしていました。見せたくないんですね。お土産いっぱい買って袋にいっぱいお土産を持っているんですけれども、そのお土産を手にかけてやっぱりグーの手をしていました。非常に私たちの
ボランティアの限界といいますか、くじけるなとか、これからも頑張れと思いますけれども、これから大事な思春期を迎える小学校2年生になってます女の子ですけれどもこういう悲劇が襲った。これは私たちは、
ボランティアという枠を超えてかなり教訓として考えていかなければいけないんじゃないか。
新潟の方々も神戸は人ごとでしたというふうに後から言っている。やはり子供を守るといったこと、私たちはふだんどう考えているのか。行政からもらうパンフレットには
家族防災会議をしましょうと淡々と書いてありますけれども、そういうことで本当に
家族防災会議をやって、大体小学校1年生とか2年生の女の子が、別に男でもいいんですけれども、宮城もそうですね、「お父さん、お母さん、地震が間もなく来るから家具どめしましょう」と親に言うでしょうか。家で「
おじいさん、
おばあさん、丈夫な家に住みましょう」と言うでしょうか。やはり私たちは、守るべきものはちゃんとあるんだという自覚を持った命を守る対策を、あるいはけがをしないという対策を今こそしていかなければいけないんじゃないかというのが被災者からの私は学びだと思っている。
あるいは学校の
防災訓練でも、机に潜って整列して、そしてグランドで校長先生の話を聞く。そういうことで本当にいいんでしょうか。学校のロッカーもドンと倒れて、あるいは
優勝トロフィーの入った棚がドンと倒れてガラスが飛び散っている。阪神も、新潟も学校に人がいない時間帯での、あるいは学校に人がいない曜日の地震でしたから被害は余り報告されていませんが、実は学校の中に入って行きますと、そういったものが散乱をしている。こういうことで本当にいいのか。そういうことをやらずしてそんな机に潜るみたいな訓練だけでいいのか。
ちょっと本題からは外れますけれども、地域の
防災訓練も私たちがやっぱり重要視している対策として、例えば
自主防災組織という、これは愛知県のある
自主防災組織の組織図ですけれども、本当にこんなのが機能すればいいですよ。機能しないのが
災害現場であって、ここに情報班とか消火班とか救助班とか
いろいろ班がありますよ。これが本当に機能すればいいですよ。ところが、機能しないのが
災害現場じゃないでしょうか。あるいは昼間の災害だったら、じいさんとばあさんとかあちゃんしかいない。こういう現場で本当に何ができるんだろうかということをもう少し真剣に考えていく必要があるんじゃないか。
私たちは
防災訓練というと、よくこういうことがあります。これはこれで大事なんですけれども、本当に大事だと思いますが、やっぱりこういう方々が実際いないのが
災害現場、あるいはこういう消火器が、
災害現場に置いてないのが災害ということを考えると、もう少し、趣向を凝らした現場を意識した訓練をしていかなければいけないじゃないかというのが、私たちが現場から学んだ唯一の答えじゃないかと思ってます。
今、私が、愛知県なりいろんなところで呼ばれて
いろいろ話をさせていただくのは、この
自主防災組織の中に、例えば耐震班だとか、家具どめ班だとか、
ブロック塀調査班だとか、あるいは災害時要
援護者班というようなもっと責任を持ったこの方々、役員の方々、1年で交代しても班はちゃんと残っていくような、そういう体制が今は必要じゃないかという提案をさせていただいているわけであります。
話をもとに戻します。こういった私たちが、経験してきた過去の
災害現場、災害の
たびごとに問題が指摘されていますが、決定的な解決策は残念ながら見出されていないというのが現状じゃないでしょうか。
じゃあ、災害時要援護者という方々はだれでしょうかということなんですけれども、この
パワーポイントの後、きょう、資料を持ってきましたので御説明させていただきますが、実は長野県の松本市はこの対策を随分進められておりまして、地域が災害時要援護者を決めていくといったやり方もございます。この方はやっぱり人が必要だな、この方はやっぱり支援が避難というよりは病院に行かなければいけないなというような地域住民の目線でやっていくといったような、そういう先進的な事例もございますが、一応内閣府の方では、介護保険の要介護度が3以上の方、あるいは障害の程度が1級、2級、療育手帳Aの方、そのほか
ひとり暮らしだとか、後期高齢者と言われる、先ほどの
佐藤石太郎さん御夫婦のような、そういうような方々を災害時要援護者というふうに定義づけましょうというようなことを国としては提案をしている。けれども、最終的には、その自治体が決めていけばいいというふうにも言っています。
ちょっと茶番なんですけれども、私がだらだら説明するよりも災害時要援護者のことを一番、皆さん方に御理解いただく方法を、ちょっと庄司さん、副委員長ですので御協力いただきまして。
〔副委員長、目隠しをされる〕
3:
◯栗田暢之参考人 水かさが上がってきました。
「はい庄司さん、逃げてください。水が上がってきました。逃げてください。だめですね。はい庄司さん、逃げてください。こちらです。はい庄司さん、こちらです。こちらが出口です。はいこちらです。どうぞ来てください」
〔副委員長、腕をつかんで誘導される〕
4:
◯栗田暢之参考人 視覚障害者はこういう目に遭うんですね。たったこれだけの話なんですよ。災害時要援護者はどういう方々だと。「逃げてください。逃げてください」だけではできない方々が犠牲になっている。議員さんたちにこんなことをお願いするのは申しわけないんですけれども、足を伸ばして手をぐっと動かない状態に、足も組んでしていただきますと、
寝たきりのお年寄りと同じですね。足も手も伸びません、この方は。「はい、逃げてください。逃げてください。皆さん方、逃げてください」、逃げられませんよね。というような方々が災害時要援護者だというような解釈で私はいます。家族がいらっしゃったり、あるいはずっとそういう方々にケアがついているという方々は、災害時要援護者なんですけれども非常に恵まれた部類の方々じゃないかと。先ほどの後期高齢者、おいじさんが非常にそういった状況、「逃げてください」と言われても逃げられないといった状況の中で
おばあさんでは何ともならないといったときに、じゃあだれが支援するんでしょうかという問題ですね。
これは私の感覚ですけれども、名古屋市においても200万人都市ですから、では65歳以上の方が全部災害時要援護者かというと、これはやっぱり線は引けない。今はマイナス10歳ですから元気な方もたくさんいらっしゃいますから、ぐっぐっぐっと本当に逃げられない方々をぎゅっと絞っていくと、200万人の名古屋市なんですが大体2,000人ぐらいまで凝縮できると。これをレスキュー世帯、R世帯というふうに呼んでいますけれども、そういう方はやはり行政が何とか迎えに行ったりするようなことに仕組みとしてなっていかないといけないんじゃないか。残りの方々は、行政が迎えに行くなんて絶対無理ですから、多過ぎますから。しかもだれがどこにいるかというのは、そのとき初めて住所を見て、住所を持っているのは行政だけですけれども、そういうことでは対応がおくれがちだということですから、こういう方々にはやっぱりふだんから地域の方々で応援しましょうという仕組みをつくっていきましょうというのが今回のプランの柱であります。
もう一方で、じゃあ災害時要援護者の方々が、どういう問題に直面をしたのかということなんですけれども、先ほどから言っているとおり、まずは避難情報の入手そのものができないという段階。いわゆるその危険情報の入手をしたとしても、それが入手が困難だ、もともと
聴覚障害者であるという方、あるいは高齢者の方でも耳が遠いと。雨がじゃんじゃん降る中で広報車が出てもそれは聞こえないということがありますから、そういう問題、あるいはこういうことを理解する、危険だということを理解する、これは何も知的障害児者、あるいは精神障害者ということももちろん含むんですけれども、先ほど申し上げたように乳幼児であったり、あるいはそういった理解ということになると、一般市民においても実はこの2番の避難判断と並行して恐ろしい数字があるんです。先ほどの
東海豪雨西枇杷島町と申し上げました、ここで「
避難勧告が出た段階で逃げましたか」という問いに対して、「逃げていません」という方が8割もいらっしゃるんですよ。8割もいらっしゃる。
避難勧告が出た段階で何をしたかというと1階から2階に上がっているんですね。これはいよいよ来るぞということで。そして、「いつ逃げましたか」ということに関しては、やっぱり「玄関に水が来てから」と。でもこの時間帯が一番危ないんですね。冠水してからでは遅いと。あるいは車で逃げなければいけない方、この3番の移動の問題、の移動の問題は、もっとややこしくて、例えば冠水が始まった段階で車いすの方は逃がせません。あるいは車でしか動けない方は、冠水した段階で動けないといったことになりますから、これはかなり移動が困難になります。
それから、4番、5番の避難所の問題、復興支援ための問題、これはまた非常にややこしい問題があります。先ほど2005年の新潟県の三条市の大雨、先ほど私が石太郎さんの話をさせていただきましたが、まさに2004年に被災をした三条市はこれはもう二度と災害に苦しめられないまちづくりをしなきゃいけないということで、後で申し上げますけれども、国が
避難勧告の前に、避難準備情報というようなものを出す前から三条市は避難準備情報を設置しました。そして、2005年、あの悪夢から1年たった同じような6月くらいにまた大雨が降りました。柏崎のあたりに一部被害が出ましたけれども、2005年に関してはその三条市は幸いにして被害はもともと少なかったわけですけれども、でも、これは早く逃がさなければいけないということで、要するに災害時要援護者と言われる方々に対して、民生委員さんとか
町内会長さんとか消防団とかこういう方々が、避難を早目にしましょうということで市長からの避難準備情報に基づいて早目に避難を促しました。1軒1軒、民生委員さんとか
町内会長さんが訪ね歩いて「逃げましょう、逃げましょう」と言いましたが、車いすの方が拒否されました、「行きません」と。それはわがままを言っているんじゃないんですね、何でかと理由を尋ねますと、「去年、おれはえらい目に遭ったんだ。逃げて避難所で暮らそうと思ったんだけれども、避難しようと思ったんだけれども、行ったはいいが大体避難所の学校は和式トイレしかないじゃないか、私たちは用を足せませんよ。そして段差ばかりの学校で私たちは動けないですよ」とそういうことをおっしゃった。だからあんな苦しい思いをするならば、ちょっとぐらい水につかっても家にいた方がいいですよと、こういう話ですね。
こういうような避難所生活の問題、
阪神大震災でかなり指摘をされたので皆さん方も御存じだと思いますし、皆さん方はもっと前に宮城県沖地震を経験していらっしゃいますから私がごちゃごちゃ申し上げることも釈迦に説法だと思いますが、一応避難所の課題を少し見ていただきますと、大体これが
阪神大震災時の避難所です。こんなところに長い方で7ヵ月も閉じ込められたという状況が、今現在も余り変わっていないということですね。あの寒い中、たった毛布1枚で、毛布1枚あればいい方だという中で、暖房も何もないところで、真っ暗なところでこうした不安な夜を過ごすといったことが常態化してしまっている、シェルターになってしまっていると。ましてや、災害時要援護者といわれる方々がここで生活ができるわけがない。あるいは乳飲み子を抱えたお母さんが、子供が泣くのでいたたまれなくここから去っていくといった場面もある。あるいは大体避難所というのは、弱肉強食になりがちです。名古屋でもそうですが、とんでもないですね、
東海豪雨のときに避難所に駆けつけた方々は、行政に対して弁当まだかとか、たばこ持ってこいとか、そんなことを言う人もいたし、あるいは親子で舞台でサッカーボールで遊んでいた親子もいるし、本当に信じられない世の中になったというのを実感しております。
ここの秩序というのはだれが守るんでしょうか。そこにはやっぱりこれは行政が仕切ってくれるもんだというふうに市民が思っているわけですよ。違いますね。管理者が行政であったとしても、ここの運営は自治会なんだというようなことをもっと徹底して、そして去年の検討会の中ではこういう避難所にちゃんと相談窓口を設けなさいと。例えばここで「毛布が来ました」というふうに大声で叫んでも、先ほどの
聴覚障害者は何が行われているのかよくわからない。もらいに行ったころには、毛布がもうなくなっていたというような事態もあったということでありますので、やっぱりそれはちゃんと書いて教えてあげるとか、あるいはむしろそういう方々から順番に上げるとか、そういうような配慮がどうしても必要じゃないかということがあります。
私どもが幾ら叫ぼうと解決できない問題もあって、やっぱり今の災害救助法は現物支給なので、例えば
阪神大震災のときに出された朝食です。寒い朝ですよ。一家分、メロンパン1個ずつですよ。ジュースとなぜかお汁粉、これ冷たいですよ、そしてサイダーですね。これが1食分ですよ。現物支給ですから、今1食1,010円でしたか、災害救助法で定められた配給があるわけですけれども、例えばこれを材料費だけちゃんと工面してあげて、例えば給食室なんかで頑張れるお母さんたちが温かいものをつくった方がよほどましじゃないかということもあるわけですね。だから、こういう事態だから
ボランティアがつくった1杯の豚汁がむちゃくちゃおいしかったということになるわけですね。
避難所の問題というのは、法律が変わらないと何ともならない部分もあるんですけれども、人々が工夫することによってちょっとはましになるんじゃないかと。これはコミュニティーの差ですね。ちゃんとここに通路ができています。もう1回見ていただきます。
阪神大震災もここにけもの道があるわけです。ここに寝ているお年寄りがトイレに行くために夜通し歩くわけですね、2回も3回も。最初のうちは助かったなあ、よかったなあというわけですが、それがだれのせいでもない、天災だということのやり場のない怒りが被災者の気持ちをやっぱり高揚させて、「このくそじじい」と足を踏まれた人はそういう態度に豹変していくわけですね。そういうことを言われちゃうと
おじいさんは、もう次の日から水分を取らない、御飯も取らないという行動に出ちゃうわけですよ。こういうときだからこそ、弱い方々はやっぱり十分な栄養補給と水分補給がいるのに、そういうどころじゃない。そういうどころじゃないというのが、行政の対応もそれどころじゃありませんから、こんな細かい話のことは耳をかさないわけですよ。食べれるだけでもありがたいと思え、こういう話になるわけですね。そういう問題じゃないんじゃないかということを、10年間ずっと課題としてあるというのが避難所の課題です。こんなところに逃げられませんよ、本当に弱い方々は。ということが今もあるんじゃないかと思うわけですね。
新潟中越の場合は、余震が
阪神大震災に比べて、震度5以上の地震は人間に非常に恐怖をもたらすと言われていまして、それが3日間の間に11回もありましたから、最初から体育館でみんな寄り添ってというわけにいかなかったわけですね。その都度、電灯がぶらんぶらんして、こんなところにおられないなあということでしたから皆さん外で生活されたわけです。しばらく落ち着いてから戻った。戻るときには地震から避難されるまでの間、屋外生活者がいらっしゃってその方々を順次体育館の中に入れていきましたから区画整理ができたわけです、最初から。だから、ここの地域はここのブロックに来てくださいという区画整理が割とたやすくできたということが言われております。やっぱり、プライバシーも何にも保障されていませんから、せめて自分が寝転んで寝返り打っても隣の人とは目が合わないようなここだけ囲いができていくということですね。本当はもっといろんな対応が必要で、体育館の中に入り切れなかった方々は、廊下や教室でやられましたけれども、いろいろこの課題を言い出すとまた時間がありませんけれども、実際に例えばこういった間仕切りのようなものを、全部の家庭間仕切りできれば本当はいいんですけど、それは当初問題があるということならば、例えば授乳室だとか、あるいはポータブルトイレをちゃんとピロティーかなんかに設置をしてこういう広いところで用が足せるようなスペースを設けてあげるとか、こういうものは事前から準備しておきましょうよという対策ぐらいは、できるんじゃないかということを私は思っているわけであります。避難所の課題です。
ちょっとまた道がそれましたけれども、そういう課題の中で、繰り返しになりますが、危険情報の入手の問題、幾ら行政が
避難勧告ですというふうにずっと言ったとします。それを聞こえない方、もともと聞けない方、あるいはその危険情報を理解できない方、あるいは避難しなきゃいけないんだという、そこまで判断をするという材料、これが一つのきっかけが、その
避難勧告だけであるということが非常に怖いということですね。
それから、移動の問題、この移動を早目にすればいいんですけれども、取り残された方々は移動できない。補装具などの福祉用具を使用している方は、やっぱり車でないと移動できませんといった問題。
復興のための問題というのは、災害が終わって一段落していろんなサービスが再開されようとするときの手続の問題、あるいは仮設住宅の中で新たな人間関係づくり、
阪神大震災孤独死がたくさん出ました。こういった課題も含めて災害時要援護者という問題は、災害発生直後から復興していくまでの過程が、非常に課題だらけだということが言えると思います。
ちょっと、災害直後の支援ということに限定しますと、私どもがいろんな方々に出会った言葉を聞くと、やっぱりそれは災害直後の
避難支援に当たるのは、だれでもいいってわけじゃなくって、例えば近隣住民だと、「あんたたちを助け出さんと逃げられへん」というふうに言った、例えば長田区の集合住宅の近隣住民。結局長田区では倒壊家屋がいっぱい発生しちゃって、そこまで顔が見えるんだけれども重機がなくって人が助け出せないというような状況のときにこういう会話が繰り返されたわけですね。「あんたを助けんと逃げられん」と。「あんたたちはもう逃げて。私はもうあきらめるから逃げて」、「あんたを助け出さんと逃げられへんで」と、こんな会話をやったのが近隣住民だと。これはきちっとデータでもはっきりしていまして、これは京都大学防災研究所の河田先生のデータですが、
阪神大震災のとき、約3万5000人が生き埋めになりました。そのときだれが助け出しましたかというデータにおいて、2万7000人、地域住民の救出率が77%であったと。そのうちの8割が生きていたと。一方、7,900人が自衛隊、消防隊。そのうち半数が遺体だった。自衛隊、消防隊怠けとるなという話じゃ全然なくって、もう不眠不休で必死に作業されてこれが限界でしたと。大規模災害では何ともなりませんでした。こういう話なわけですね。
名古屋市の事例で申しわけございませんが、大体名古屋市の消防署は、2,000人いらっしゃいます。仙台市は何人いらっしゃるかわかりませんが、2,000人。でも、相手は200万人です。1人、1,000人見なきゃいけない。絶対無理ですよね、これは。そういう無理だとわかっているようなことを、いかにも私たちが助けてあげますといったことは、やっぱり市民に誤解を与えてしまっているじゃないか。むしろ、中心はこっち側ですよというようなことを考えたときに、消防署が1から10まできちっとおぜん立てしてしまった訓練しかやってない住民は、耐えられないというふうに私は思うわけです。
自分たちだけで何ができるのかということを考える訓練に転換していかないといけないんじゃないか。ましてや、災害時要援護者の問題は、自衛隊が来ても、消防車が来ても、これはだれがどこに待っているかわかるのは地域住民だということを考えると、この役割がますます大きいと。
一方で、東京大学の目黒先生は、
阪神大震災で亡くなった方の5,520名が直接死、この直接死の約8割が15分以内で死んでるというふうに出されています。8割が15分以内、ほとんど即死ですね。でもその逆から考えると、その15分以内でだれが助け出せるかといったら、もう近隣住民しかいないという選択肢しか私はないというふうに思ったわけであります。
そういうことが、やっぱり被災者の生の言葉として出てまいっていて、これは先ほど申し上げたように、「あんたたちを助け出さんと逃げられへん」というような会話につながる。あるいは「私たちが助けるしかない」と被災した他の施設利用者をボートで救出。これは
NPO法人の「コンビニの会」、障害者のレスパイト施設としてこの
NPO法人があるわけですけれども、そこが被災をかろうじて免れた。お隣のまちのふだん親しくしている
重度障害者の通所施設の友の家というところが床上浸水になった。仲間たちが困っているということを何とか電話で聞きつけて、そしてこの
NPO法人の方がボートをわざわざ買ってきてそれで救出しに行った。あるいは、ケアマネージャーが独自の判断で民生委員を通じて利用者の安否確認を実施して避難誘導に成功した。これは三条市の事例としてあります。
つまり、災害時要援護者と言われる方々のふだんの生活を知っている、何らかのかかわりがある方がこの対応をしているということが言えると思います。何にも知らない赤の他人が、そのときだけ頑張りましょうというわけになかなかいかないということですね。やっぱりその方をよく知っている、あるいはその方のことを大変だとアンテナをピンと張れる方が、何人いらっしゃるかということだと思うわけですね。先ほどの
重度障害者が10階のエレベーターでおりられなくって閉じ込められたという話、この話も、もしその
アパートに「あの人大丈夫かなあ」ということをピンとアンテナを張って考えられるような地域の連携がもしあれば、その方が随分怖い思いをするといったことはなかったんじゃないかなということがあります。
先ほど申し上げたように、こういう事例に対して制度にしましょうといったことが随分進んでまいりました。2004年に設置された
情報伝達及び避難誘導検討会、このときは東大の廣井先生が座長です。避難準備情報というのを新設をしたということです。ところが、私もこの会議で申し上げましたけれども、避難準備情報を幾らいい制度として新設したとしても、肝心な市民がそれを知らないということの啓発事業をきちっとしていかないと意味がないということが言えます。それから、福祉課、防災課が連携して災害時要
援護者支援班をちゃんと庁内に設置しなさいと。そこが中心になって話し合いの場をちゃんと設けなさいと。さまざまな手法で
避難支援プランを策定しましょうということでこの検討会ができました。次の年は、
情報伝達すると、避難誘導したとしても、先ほどの話、移動の問題あるいは行き先の避難所の問題まできちっとクリアしないと、これは
情報伝達しただけでは不十分ですよということですから、2年目には避難所ということまでターゲットにおいた検討会を開催しました。そのときに、この支援班は、各機関と調整できる
避難支援関係者連絡会議というものをちゃんと設けなさい。災害が発生しましたら、庁舎内に
避難支援関係者連絡会議というのを支援班が中心にちゃんと設置しなさい。ここに、例えばケアマネージャーさんの意見だとか、あるいは福祉避難所からの意見だとか、あるいは災害
ボランティアセンターからの意見だとか、現場が持っている細かい情報をその庁舎内で収集をしてここで対応策をちゃんと検討していきましょう。こんなのをちゃんとつくりなさいよということを提案をしております。先ほど申し上げたように、福祉避難所というものもちゃんと設定しなさいと。
ところが、この福祉避難所なんですが、仙台市さんはどこまで設定されたかわかりませんが、実は98年、郡山で大きな水害がございました。そのときに私どもの仲間のハートネットふくしまという団体が、そこの理事長はふだんから小規模作業所の副理事長をやっていますから、車いすの方が、水害時にどんな困難に陥るかということは、安易に予測できた。ですから、その方々の支援を目指して雨がじゃんじゃん降る中、彼が福祉専門学校に乗り込んでここの福祉専門学校を車いすの方々専用の避難所にしてくださいと直談判をした。校長先生も即答で「よし、わかりました」と返事してくれた。福祉専門学校ですからいろんな機材だとか、緊急電源の問題、車いすの方々が対応しやすいような環境に既になっていますから、非常にありがたいお申し出だということで、それを利用されることを期待していたわけですけれども、結論から言いますと、余り利用されませんでした。簡単ですね、答えは。何でかというと、そこが福祉避難所だということを周りの方は全然知らないわけですよ。そのときに、緊急時に決めても伝えられないわけですね。やっぱりふだんから、災害が起きたらあそこに行けばいいということを車いすの方自身が知っていないと、それはやっぱり問題だよということが明らかになっています。ですから、ふだんから福祉避難所、こういうところがそうですよということを制定をして、そしてそれをちゃんと受益者にお知らせをしておくといったことが大事じゃないかなと思うわけです。
では、それを例えば福祉避難所までだれが連れてくるんですかという問題に関しては、やっぱり当事者、行政、地域、支援団体、いろんな方々と協同しないと、これはやりきれませんという課題があるわけであります。
ちょっとまとめといたしまして、これから自治体が克服すべき九つの
ポイント。申しおくれましたが、この
パワーポイントは私がつくったものですので全然問題ありませんから、後でデータとしてお渡ししておきますのでまた印刷をしてお配りいただきたいと思いますけれども、まずは先ほど申し上げたように、庁舎内に防災課と福祉課と連携をして災害時要支援班の設置をまずしていただきたい。そして、ここにいろんな対策の柱となるような、そういう対策をしていくアクションプランみたいなものをぜひ設置をしていただくことが大事だと。そのアクションプランに基づいてやっていくんですけれども、そのキーワードとしては、やっぱり平常時から福祉関係者との連携が必要だと。これは不可欠ですね。先ほど申し上げたように、ふだんからそういう方々がどんな目に陥るのか、ふだんからここにこういう方がいらっしゃるということがわかった方がいないと、もうとにかく絵にかいたもちになっちゃうということですね。ですから、こういう方々をうまく巻き込みながら連携をしていくということが一つ。
それから、先ほど申し上げた避難準備情報の判断基準、これをちゃんと設定をして、発令をするための基準を設けておくべきだと。今、国交省のもう一方の河川の検討会で、今まで河川情報が大雨洪水警報だとか、そういう気象庁からの情報といろいろ混同しやすいだとか、あるいは河川の情報が、水防団待機水位といっても余り一般市民には理解されないということもあって用語の変更を今されようとします。その一つの判断として、はんらん注意情報、避難判断水位、そしてはんらん危険情報、この3段階に分けながら、川の水位が4レベルまであるとするならば、1レベルが水防団待機、2レベルが災害時要援護者の避難、3レベルまでいきますとこれは
避難勧告、破堤すると避難指示というふうに変わっていくような、市民にもわかりやすいような4段階のレベル、それもしかも全国の橋脚に赤とか黄色でマーカーしていこうじゃないかという議論が今進められつつあります。国交省もやっぱりそういった市民にわかりやすい対応をこれからはしていかないといけないんだという立場に立っておりまして、そういうようなことを私たちは期待をして今後もやっていくわけですけれども、そのレベル2のところ、災害時要援護者の事実上の
避難勧告、このレベルのときに迷わず市長さんが
避難勧告を出していただいて、避難準備情報を出していただいて、そしてその段階において今までそういった平常時からつながりのある福祉関係者、あるいは地域の方々との連携を持ってその方々が早目に避難できるように、そういう対策が行われるべきだということをあらかじめ設定しておくべき。
それから、要援護者情報の範囲と収集方式の決定。これは3通りありますが、関係機関共有方式という福祉課の持っている情報を防災課にちゃんと渡しなさいよ。これはもう必要最低限としてやりなさいということが一つ。
それから、その情報をもとにしながら、行政がちゃんとその方々に案内文書を出して、あるいは訪問活動をして災害時要援護者としてきちんと登録をしておいて、
避難支援プランをつくりましょうということに同意する方はやりましょうという手挙げ方式と、もう一方で同意方式、きちっとそういったことを理解、趣旨を説明して情報を公開しますよというところまで本人に同意をしていく同意方式。できれば、この関係機関共有方式ということを基本にしながら、手挙げと同意方式を織りまぜながら、やっぱり避難しなきゃいけない方々の名簿、要援護者の名簿づくりをきちっとやっていきましょうというのがもう一つ。
それは、行政が、例えば福祉課の方が持っている情報を防災課と協力して、もともと市役所という限られた人間の中で、防災課と福祉課の職員が災害時要援護者というたくさんいらっしゃるところへ出向いて同意方式をとるということは非常に困難なので、それは民生委員さんとか、あるいは
自主防災組織の方とか、こういう方々にちゃんと情報をおろして、この方々が中心となって
避難支援プランをつくってあげる。こういうことやりなさいよというのが
避難支援プランに書いてあります。
では、これは、個人情報保護法との関係はどうなんだということがいつも指摘されますが、ひどい自治体に行きますと、個人情報保護法があるからこれはできませんと簡単に言われますけれども、そんなことはありません。内閣府が言っている以上は、これはできるんです。できるんですが、これは個人情報保護法の趣旨をきちんと理解していかなければいけないんですけれども、命に別状があるときには目的外使用してもいいと。しかもそれを第三者に漏らしてもいいと書いてあるわけですよ。だけども、命に別状のある緊急時が平常時にこの条例が使えるのかということが問題なので、これをやれというふうに一方で内閣府が言っていますけれども、ふだんはこういう特例があることを見越して、民生委員さんとか、民生委員さんはもともと守秘義務がありますけれども、
自主防災組織だとか、消防団とかそういう方々にきちっと情報を得るために、行政がきっちりその方々から同意をとって、同意をとればあとはオーケーですから、情報公開しますよ、こういうときに情報を公開しますよという同意をとって、しかも
自主防災組織の方々はちゃんとそれを漏らしませんという念書をとって、そしてこの
避難支援プランをつくっていこうと、こういうようなことをちゃんと個人情報保護条例の審議会にちゃんと図って、こういうことをしますよということをやっていくことがこれからは大事だ。非常に面倒くさくて、危なっかしいところもあるんですけれども、じゃあ、これ以外に有効な手段はありますでしょうかというふうに考えたときに、個人情報保護法の問題、物すごく大きい問題なんですけれども、それを有効に利用しつつ、できれば地域住民自身が
自分たちの要援護者の対策をするといった構図にこれからは変えていかないと、何か行政が全部救ってくれる、これはもう絶対無理だとわかっていますから、やっぱり地域に確実におろしていく方法を生み出していかなければいけませんよというのが今回の提言の柱となっております。
避難支援プラン策定を一人一人、
避難支援プランというのは、この方は、住所、お名前はもちろん、年齢、あるいはかかりつけの医者、そしてもう一方で、だれが助けてくれると思うかとこの方が思う3人ぐらいの名簿、それからその方の住所の地図、こんなものをセットにした
避難支援プラン。この方なら助けてくれるだろうという、その方々に対しても、このお
ばあちゃんはあなたに助けてほしいと言っていますよという合意をとりながら、その一人一人の
避難支援プランをつくっていくというようなことが必要だと。そういった
避難支援プランをもとにした実際の
防災訓練を実際にやってみるということによって、地域防災力が強化されるんじゃないかということがあります。
もう一方で、福祉避難所の設置だとか、そのあり方の問題、福祉避難室と書いてありますけれども、これは普通の避難所なんかでもちょっと工夫すれば福祉避難室として、例えば知的障害児者を抱える親たちに言わせると、自分が行けなくてもほかの知的障害児者の親ならば私の子を面倒を見てくれます。大体様子はわかりますからね。だからその方だけの部屋をちょっと設けてくれれば、私たちで何とかしますということを言っているんですね。だからその方々を何か隔離するんではなくて、特別なところを連れていくんじゃなくて、ふだんの福祉避難所、ただ一緒に生活はできませんから体育館ではなくて一つ教室を与えるわけです。これでだいぶ違うんですよということがあります。ですから、福祉避難室といったような工夫をしていくこともプランのあり方の一つじゃないかと私は思います。
あとは災害時における福祉サービスの継続、これはケアプランの変更を当然しなければいけない方も生まれてきますし、その財源の問題とかいろいろややこしい問題が出てきますから、そこをきちっと担保できるような福祉サービスをどう継続していくか。BCPですか、この辺の問題をクリアしていくべきだというふうなものが今回の九つの
ポイントと私が考えている問題であります。
ちょっと時間をオーバーしていますが、お配りしました資料の下諏訪町とかいろんな事例がございますが、ごくごく簡単に
ポイントだけ。
2ページ、大阪府の堺市ですが個人情報保護条例の第7条第5項、ここを利用して小学校区単位で地域組織に対する、地域組織というのは、校区の委員長だとか、校区の自治会長とか、自治防災会長に対して名簿の提供を行いますというようなことを今個人情報保護審議会に諮問しているということです。
一方で3ページ、堺市の
NPO法人ぴーすという知的障害児の親がつくる方々が、4ページのような、「私たちはどうすればいいのか、何を行うべきなのか」ということを書いた1冊をまとめて、2ページの災害時要
援護者支援マニュアル、要するに当事者がちゃんと発言をして、堺市がこのマニュアルに意見を反映させると。大体、災害時要援護者の問題というのは、当事者不在のまま進んでいくのが多いんですよ。人の意見をちっとも聞かずにどんどんどんどん制度だけつくられていくといったような、
阪神大震災以降の障害者の苦しみ、ちゃんと私たちの話を聞いてくれということが当事者からの熱い思いがあります。
それを6ページに、ここは障害者市民という言葉、一応障害者だけでもいい、障害者の防災提言集なんですが、これは当事者自身が「私たちはこんな目に遭った」とか、「私たちはこんなふうにしてほしい」とかということを生の声でまとめた本です。これかなりいい本なので、できれば御購入いただいて読んでいただきたいと思っております。こういう声はやっぱり反映させていくということが、非常に大事じゃないかなと思うわけであります。
ページめくっていただいて下諏訪町、7ページ、ここはこの間の7月の豪雨で災害がありましたが、ほとんど何もできなかったという事例です。非常に反省をしているといった事例です。岡谷市もほとんどできませんでした。
ただ、11ページの松本市、ここは豪雨で被災をしませんでしたが、ここはちゃんとやっていました。宮城県沖地震と同じように活断層の地震としてここは日本で一番危険な活断層があるよと言われている地域です。ですから
自主防災組織なんかも73%という高い
自主防災組織率で構成されておりますが、ここが
自分たちの地域をみずから災害時要援護者という方々がだれかということを選定をして、そして災害時要援護者情報の共有をしていこうという動きを今しています。結局、田舎でもありますからここは手挙げ方式でやっても9割を超えるような方々が、ちゃんと登録をしてくれるといった地域でもあります。ですから、非常に地域が個別訪問して、もちろん行政が柱としてこういったプランを練るんですけれども、主人公は地域住民。地域自身がそういった災害時要援護者の名簿をつくくろうということで今、非常に頑張っているといった地域であります。
駒ヶ根市、ここはもっとすごくてもう既に
避難支援マップをつくっています。ここは社会福祉協議会が、かなり頑張っております。登録は65歳以上は9割以上、老老世帯92%、介護認定者89%。ただ知的・身体・精神障害者は5割ぐらいという低い数字になってしまっていますけれども、でもこういう方々に手挙げ方式でちゃんとやらなければいかんよということを社会福祉協議会通じてお話があって、そしてこういった14ページのマップをもう1枚1枚つくっております。
私どもは、いろんな
災害現場から厳しい現場を見てまいってきましたので、大変言葉として不適切なところもあったかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。
大体以上で御報告させていただきました。ありがとうございました。
5:
◯委員長 それでは栗田さんありがとうございました。
ただいまは、いろいろほかの実際に運用されている事例を紹介していただきながら、成功したところ、あるいはうまく機能しなかったところ、そういったものを取り上げていただきながら御意見というよりも御提言をいただいたということでございますけれども、私どもも先日、愛知県の豊田市の登録制度なども視察をさせていただきましたので、いろいろと委員の皆さんも参考になったものというふうに考えております。
せっかく、御多用のところ、御出席をいただいておりましたけれども、栗田さんから皆さんの質問に答えていただきたいというふうに思っておりますので、若干時間をとっていただいて忌憚のない御質問などもお願いしたいと思うんですけれども。委員の皆さん、よろしくお願いします。どなたかございませんか。
6: ◯池田友信委員 大変貴重な御提言を聞かせていただきまして、本当に参考になります。
私も実は町内会の会長をやって、災害時の中の自主防組織、支援体制はどうあるべきかと。うちの場合は全世帯の災害時のための名簿を出していただいて、その中にそういう要援護者がいるかどうかと。これは災害時だけ使うということで一応名簿はとっております。先ほど言った災害直後の中での支援状況を考える場合に、やっぱり行政とか消防だけ当てにできない。我々自身でやっぱり支援体制を組まなきゃだめだということを常に言って、災害訓練も2段階にしまして、役員がやる訓練とそれは消防の人が来ていただいて、実際町内会でやる場合は消防はもうノータッチという形での訓練をやって、2段階でやっているのですが、そこで一番感じるのは、やはり災害が起きた場合に、要援護者ばかりじゃなくて、災害状況どういうふうに把握をしてそれを行政に連絡するかということが私は大事だと思うんですね。
最近、うちの女房も転んで足の腱を切っちゃったんです。もう途端に要援護者ですよね。そのことを考えると、今の話を聞いて健常の人でもいつ要援護になるかわからない状況ですから、それを含めて災害状況をいかに行政側に報告をすると同時に支援要請をするかということがまず一つ大事だと思うんですが、現状、要援護者だけでなく、その全体の状況をまず報告する体制がこれが私は必要だろうと。
したがって、現在の中でその連携とか、連絡方法とか、フォームというのがないんですよ。どこで、どういうフォームでどのルートで何をもって連絡をすればいいのか、支援をしてほしいということをするのか。ライフラインが切れたら電話はまずできない、携帯もパンクするということになると、走って区役所にいくか、自転車で行くかという方法しかないと思うんですよね。私も宮城県沖地震の経験をしまして感じるのは、車は全然だめですから、国道という国道は車の渋滞ですから、ですからそういうことを考えると、私は一にも二にも、やはり町内の組織の体制づくりをいかに強化するかということが、これから一番肝心だと思うんですね。そして市の行政側は、全体の被害がどんなものなのかということをいかなるルートで把握するかという、方法とルートとフォーム。このフォームができていないんですね、仙台市。ほかのところもそうだと思うんですが。結果的に時間おくれて大変なところがあったということとか、こういうことがあったとか、火災が起きれば、これは見てわかります。被害状況は地域から報告が来ないとわからないですね。
ですから、私は、行政の役割としては、一番災害が起きたとき、地域の情報をいかにとるかというルート、そのルートのやり方をできるだけ肝要につかまえていく、報告する。それも刻々変わると思うんですね。2時間おき、3時間おき、あるいは5時間なったらどうなったのか。その辺を我々地域からいかに発信していくかということをしないと、逆に来ないし、その辺が先ほどちょっとお聞かせいただいた中で、
避難支援関係の要支援の連絡所というのを設置して、それをこちらの方で受けるという形になりますけれども、要支援だけじゃなくて災害を含めての全体と。それからその中で要支援がどうなのかということ。自治組織の中でつくっておかなければならないと思うんですよ。いわばもう町内会の中で。ですから、その中にこの別組織をつくるということよりは、やっぱり一本化をした中でいかに複雑なルートでない形で単純に連携するかという、そういう関係づけをいかにとっていくかということとフォームと連絡方法ですね。その辺がまず必要じゃないかなという感じは私は持っているんです。
現在、ほかのところで見ますと、どんなフォームでその被害状況を把握するのか、一町内とか、だれか担当者が見てきてその報告をするだけに今現状はなっていると思うんですね。災害のときには、これとこれとこれをこういう形で報告していくというフォームが、もし何か参考になるものが把握されていられるならば教えていただきたいです。我々町内でつくっているんですけれども、大変難しくなっているんです、やればやるほど。うちの町内で災害が起きた場合に集会所にも一応避難できるようにしていますが、とてもじゃないけれど全員避難できない規模の状況なので、学校とか体育館みたいなところに行く人、いや町内にいる人、自宅にいる人、病院に行った人、それを把握しないといけない。まずそれを連絡しないといけません。そういうフォームで何か報告関係で、連携のあり方でいいのがあればお聞かせいただきたい。
7:
◯委員長 今の2点ですか、それに要援護者のを加えたような形で栗田さんの方からお答えできればお願いしたいと思います。
8:
◯栗田暢之参考人 残念ながら、私もそのフォームに関してはいい事例を存じ上げておりません。
本当に余裕があるんだろうかだとか、池田先生のように市全体のことを考えなければいけないお立場の方が、やはり情報収集にむしろ回らなければいけないんじゃないかと。町内の住民は、それどころではなくて
自分たちの目の前に起こった事例を一つ一つこなしていくだけで多分精いっぱいの状況。ですから、本当はその町内会がいいのか校区がいいのかわかりませんが、その情報収集班みたいなものが行政からちゃんと派遣をされて、その連絡専門員みたいなものが本当はいればいいんでしょうけども、なかなかそういう体制にもないかもしれませんので、そういうことが必要だというふうに御判断されることに対して、御理解のある
自主防災組織の一つの組織をそういうものに位置づけをして、ちゃんと情報を上げなさいということを事前から言っておくことが必要じゃないかと感じました。
ちなみに
阪神大震災では、御案内のとおり、死者が毎日のようにふえていきました。あるいはだれがどこで死んでいるかもうわからないといった状況なんですね。
ところが、北淡町はその地震が起きたその日の夕方までには全員の安否は確認されておりましたから。これはやっぱりコミュニティーがしっかりしていて、縦の関係の中で
町内会長さんを通じて行政にちゃんと上がっていった数字、あるいはそういったことを
町内会長さんに聞けばわかるような体制に自然となっていたんじゃないかというふうに思われます。
仙台市においても、そういう地域とそうでない地域とあるわけですから、何か完全にきちっとフォームを整えてそれが出るといったことはあまり考えにくい都市になってしまっているんじゃないかなというふうに私は素直に思いますけれども。済みません、感想です。
9: ◯池田友信委員 そういう意味では、町内会をその気にさせないとだめなんですよね。我々もみんなで話したら、やっぱり班長というのは係にいるんですけれど、一番最初に情報を持ってきなさい。自分の判断で持ってきなさいというフォームだけはつくってみたんです。ただ、いろいろ隣の町内とかいろんな町内を聞くと、やっぱりそういう訓練とか、あるいは
町内会長、役員の人たちがそういう意識づけなり危機感を持っていくためにも、やっぱり防災センターみたいなものをつくって、そこに順次、各町内会を研修会に招いてそういう映像も見せてやっていく防災センターも必要だなと思っていますけれども、今のところは個別にやっていくということなんですね。
10:
◯栗田暢之参考人 池田先生のおっしゃるとおり、例えば山梨県は災害時要援護者、実際にそういう方々を避難訓練の会場まで引っ張り出すような福祉避難所開設訓練みたいなことまでもやってるわけです。災害時要援護者と言われる方々、そのものの方々にそういう訓練に参加しようというふうに思わせるその動機はどうだったのかというと、やっぱり県の職員が年間を通しても何回も何回も説得に行っているんです、地域に。別に私は行政の方々だけがやればいいと思っているのではなくて、仙台もやっぱりそういった防災に頑張っていこうという市民は多少いるはずで、いろんなNPOなんかの活用も含めましてこれに対して命をかけるような方々が出てこないと、なかなかこういうのはうまくいかないんじゃないか。制度の中でお行儀よくやっていても、これは全然難しいですよ。人の心にすとんと落ちて本当にやっぱり危ない、いけないなという方々が、町内なら町内で何人集まるかどうかの問題と私は思っていますけれども、そういうことをやっていく熱意が伝われば、町内の方々も少しずつ今までは自主防なんかの活動に無関心だった人たちが、ちょっとなびくとか、そういうことにつながっていくのではないかと思っておりますから、何か仙台市がきちっといいことを決めて上から下におろしていけば成り立つといった種類のものでは私はないと思います。だから、池田先生のおっしゃるとおり、熱意の持った方がいないと、これはなかなか難しい問題だなあということは感じます。
11: ◯加藤栄一委員 仙台は訓練なり、あるいは組織、あるいは各自治会、町内会まで避難体制なりは充実してきているわけです。ただ、先生がおっしゃった災害直後の地域コミュニティーが、やっぱり東北人特有なのか、まだまだ住民との交流の場が少な過ぎるんですね。全くの農村地帯なら長い生活の中で築かれているけれども、仙台市の私の住んでいるところは新興地域と農村地帯と半々で8割ぐらいは新興地域なものですから、そうなると、常日ごろ呼びかけているんですが、なかなか隣人の関係がうまくいっていないんですね。災害のときは皆さん、みんなで助け合いましょうと話しかけるんだけど来ない、乗ってこないのです。
また、例えば火災なんかが起きてもやじ馬は昔よりは少なくなってきたんですね。昔は災害が起きたら現場に行って何か
自分たちで協力しようというんだけど、最近は行政側が徹底的に、例えば消防組織ができてあると、もう単なる見物人になっているという事態が、いざ災害直後のまず自分の命を助ける、それから守って生きていたら隣の人を助けるという意識があっても、地域の日常生活の中で隣人関係がうまくいっていないところに問題があると思うんですね。大阪なんかの場合は、関西の場合は案外協調性があるのですが、東北人は心は温かいんですけれども一緒になって行動するという、それはちょっと欠けていると思います。そういう地域コミュニティーの方の日常生活での協調、協力関係というのをいかにするのか。
12:
◯委員長 今の件ですか、加藤委員の方から御質問ございましたけれども、栗田さんは今までも何度か東北というか、仙台にも足を運ばれているということで、その辺も踏まえて何かいい考え方がありましたら。
13:
◯栗田暢之参考人 加藤先生が言われる防災意識の向上だとか、宮城県沖地震に対する警戒だとか、そういうことがまあまあうまく来ているんじゃないかと。それをどのような視点からお話しいただいてるか、私、ちょっとわかりませんけれども、私が今まで仙台、あるいは宮城で出会った本当素朴な方々は、これは愛知県でも同じなんですけれども、意識は高いんだが行動に出ていないと。要するに、関心はあるんですよ。関心はあるんだけども実際に何か対策をしているかというと、余りいい数字は上がってこないというのが私の素直な感覚で、逆にこれは日本全国どうなのかといった場合に、私のところ、ちゃんと耐震補強していますよとか、家具どめをちゃんとしてますよという方の方が圧倒的に割合が少なくて、むしろ宮城だとか、私どもの愛知県も今度、東海地震が来ると言われてますからかなり全国平均よりすごく高い数字だと。でも、全国平均より幾ら高くても、それは全国平均が物すごく低いから上がっているだけであって、本当に私たちが災害に備えるといったことに対して、先ほどの話、私たちがケアをしないとか、私たちが命を守るといったような、あるいは私たちが本当は隣に関心を持たなければいけないということに対して、どこまで
防災訓練で皆さんが納得していただいているかどうかと私は疑問だと思うわけですよ。
そういう日本の社会の今までのあり方を少し方法を変えていかないと。池田先生が言われたような斬新な方法でいろんなことをやられている地域もあれば、そうじゃない地域もあると思うんですけれども、問題は、災害はやっぱり本当に来るんだというような地域において、どこまでそういう深刻さが伝わっているのかということをもう一度考えていただかないといけないと私は思っているんですね。そういう思いで現場に、現場というのは地域地域に入って行きますと、名古屋市も200万都市ですからとにかく隣は何をする人ぞという人の方が多いというふうに一見言われますけれども、だけど丁寧につき合っていくと、「おれはもうここで何十年と生まれ育った」、「地域のことなら一肌脱いでもいい」という方は1人や2人は絶対いるんですよ。そういう方々とちゃんと出会えて、先ほど申し上げたように、その方々が中に入ってやろうかと。やろうかと言っても今までの
防災訓練の延長線上ではなくて、やはり今の時代、とにかく一言言えばプライバシーの侵害だとかという時代ですよ。
私は岐阜出身ですけれども、私は、30年前に長良川の堤防の決壊で被災をした人間なんですよ、小学校6年生でしたけれども。やはりそのときにあった家族の力、父親も73歳になりましたけれども、今、同じ災害があったら動けるかといったら、絶対動けません。そのときは私は号令一下、畳を上げたり1階のものを2階に上げたり、子供ながら一生懸命やりましたよ。あるいは地域住民同士も物すごく助け合いましたね。あるいは行政の方が、
自分たちが胸までつかってボートで物資運んでくれましたよ。こうやって日本社会は地縁と血縁と行政力で何とか乗り越えてきたんです。ところが今、それを地縁の関係でいきますと、どんどん希薄化していくし、もう恐ろしい事件がありますから、名古屋でも仙台でも一部そうだと思いますが、ふだんから雨戸を閉め切って警備会社のシールを張って安心だと言っているところがあるわけです。本当にこれでいいのかということを問うていかないと、僕はいけないというふうに思うんですね。家族も少子高齢化が進んで助けられる方の方が多くなっていく時代ですから、昔のようなわけにはいかないと。30年前の水害とは全然違うなあと思っているのが私の実感としてありますので、本当にそれでいいんでしょうか。私なんかも全然微力ですけれども、本当にそれでいいんでしょうかということを、地域住民と1人でも多くの方とそうやって一緒に考える場を設けていくということが大事だなというふうに自分では思ったわけですね。
14:
◯委員長 ほかにございませんか。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
15:
◯委員長 なければ、以上で大変御示唆に富んだ栗田さんからの意見、提言を伺いました。本当にありがとうございました。これで栗田さんからの
意見聴取を終了させていただきます。本当にありがとうございました。
〔拍手〕
16:
◯委員長 それでは、ここで暫時休憩をいたします。
休憩 午後2時31分
再開 午後2時46分
17:
◯委員長 再開をいたします。
次の他
都市視察についてに入ります前に、前回の委員会における答弁について当局から訂正があるとのことでございますので、お聞き取りを願います。
18: ◯鳴海
健康福祉局次長 前回の委員会におきまして、総務課長からの答弁の中で数字に誤りがございましたので、訂正をさせていただきたいと存じます。
小山委員の質問に対する答弁におきまして、老人保健施設の数を「30数カ所」と申し上げましたが、正しくは「22カ所」の誤りでございましたので訂正をさせていただきたいと存じます。
19:
◯委員長 この件について何か御質問等はございませんか。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
20:
◯委員長 なければ、次に、先日行いました豊田市、浜松市の他
都市視察について、皆様から御意見、御感想などがありましたならば、この場でお伺いをしたいと思いますが。ございませんか。2カ所見させていただきましたけれども大変有意義だったという話もお聞きをしております。ぜひ皆様から御感想などをお聞かせ願いたいと思いますが、いかがでしょうか。
21: ◯池田友信委員 感想としては、特に浜松市の公園に仮設トイレ、これは学校もですね、仮設トイレも事前に設置をするということを見させていただいて、非常に感銘をいたしました。これは今まで仙台市の方と話をすると、公園に仮設トイレ設置するということは、公園法上、できないという部分があって、本当にそういう判断ができていないというところがありますが、仮設トイレと飲料水の貯水タンク、飲料水のやつは仙台市もあると思うんですけれども、あと遊具が大型テントになると。ああいうふうな先を見た形の、災害時を想定した施設利用というのはある意味では学ぶことではないかと。
仮設トイレについては、公園法上の中でのクリアをしたというやり方が、これは自治体間の問題かなと思っておりますが、その辺について御当局の方も御一緒に視察をされたので、後ほどでいいですから感じた点があったら聞かせていただければと思います。
22: ◯笠原哲委員 すごく考えて地元の企業とか、さまざまな関係といろいろなたたきをしながら工夫をしているなという感じがしましたね。特に、既にあるものではなくて、新しいものをつくっていくというか、しかも簡便な、便利で長期的に使えるようなものを非常に考えてつくっているなという感じがしました。ああいったできないものをできるようにするように地元企業を巻き込んでやるというところに、行政主導のさまざまな対策が進むという部分で言えば、災害対策だけでなくて行政の姿勢の問題が非常に大きいなというような感じがしました。できれば見習っていただきたいものだと、このように思っております。
23:
◯委員長 嶋中委員、豊田市の登録制度、せっかくの機会ですから、見させてもらってどんなふうに感じられたのか、御意見なんかもお伺いしたいと思ったんですが。
24: ◯嶋中貴志委員 たしか実際に2,000人近い方が登録されていたんですね。やっぱりそれだけの数の方が登録しているということは、必要性を当然感じていることだろうし、個人情報保護法との絡みで浜松市の方はそこまではやってなかったですね。その辺は先ほどの御意見の中でもあったとおり、ある程度、そういうところはやっていかなくちゃいけないのかなと。この間の視察では全体を通してそういうことを感じさせられました。
25: ◯舩山由美委員 私も視察の中で、要
援護者支援対策登録制度についてどこも苦労しながら取り組んでいる様子がわかったんですが、特に豊田市においては、合併前は8割の登録対象に対して実施していたんですけれども、合併後にその登録率が下がっている課題の問題ですとか、あるいは透析患者さんですとか、医療支援の必要な方々に対する支援施策がネックであるですとか、さまざまなその地域性によっての課題と、仙台でも生かしていける中身について、登録制度が進んでいく上においての課題もあるし、つくっていく経過の中で、どうやって住民の皆さんに意識を高揚させながら一丸となって取り組んでいくかというあたりで、モデルケースがあるからすぐそれですべての都市にそのまま当てはまるというものではなくて、やはり地域の中で醸成しながら、かつ先ほどの
意見聴取の中であったように、本当に災害が起きたときの危機感やイメージをどれだけ多くの市民の皆さんに持っていただいて、共有しながらつくり上げていくかという
取り組みと一緒になってやっていくことが非常に大事なんだなということを感じさせていただきました。
26:
◯委員長 ほかになければ、先ほど池田委員の方からも出されましたけれど、せっかく消防局の防災安全部長と
健康福祉局の方から工藤総務課長にも御同行いただきましたので、感想などをできればお伺いしたいと思うのですが。
27: ◯防災安全部長 このたび視察に同行させていただきまして、豊田市と浜松市、それぞれの都市で防災行政のあり方を勉強させていただく機会をいただきまして、まずもって御礼申し上げます。
今回、主に災害時要援護者関係、あとトイレ関係を中心に御一緒に視察させていただいたわけですが、今も委員の皆様から出たとおり、それぞれの地域に根ざした形で企業なり、あと取り組む中で余りお金をかけないでの工夫、いろいろ勉強させていただくところが多々ありました。
ただ、本市との都市環境、コミュニティーを中心とした都市環境の違いとか、東海地震と宮城県沖地震という中で、被害想定が仙台市の主に大体倍ぐらいの被害想定の地域なものですからその辺の違い、また共通した課題などさまざまあったわけなんですが、その中でも大変参考になる種々の部分的なものもございましたので、今後、それらのものを防災行政の方に生かしていきたいと考えております。
28: ◯
健康福祉局総務課長 先日は他
都市視察に同行させていただきまして、委員の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。
豊田市それから浜松市視察をさせていただきまして、特に豊田市におきましては、災害時要援護者登録制度を行っておりまして、要援護者の台帳の作成、それから地域での情報の共有化を進めているということで、今後、本市においての
取り組みに台帳の様式ですとか、そういったところも十分参考にしていきたいというふうに考えております。
また豊田市では、要援護者の避難施設として民間社会
福祉施設を使用することについて協定をあらかじめ締結して進めているということで、本市における仕組みの検討の際にも参考にしていきたいというふうに思っております。
それから浜松市におきましては、「災害時要援護者防災行動マニュアル」、こちらの方を作成されておりまして、高齢者、障害者など当事者の方々自身の災害への備え、また援助される方あるいは周囲の方々の介助の方法、こういったところが記載をされておりまして大変参考になるものだったというふうに考えております。
今回の他
都市視察の成果を、今後の本市での
取り組みに十分参考にしてまいりたいというふうに考えております。よろしくお願いいたします。
29:
◯委員長 ほかになければ、次に本日の先ほどの
意見聴取を踏まえた形での
意見交換ということで
委員相互の
意見交換に移らせていただきたいと思います。ぜひ皆様の積極的な御発言をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
30: ◯笠原哲委員 災害のときの要支援の救出というか、助け方というのは、今、個人情報保護という問題で壁が立ちふさがってあって、それがなかなか難しく乗り越えられないということで掌握できないというようなことがずっと続いているわけですけれども、何か問題があって、そういった災害があって救出できなかったらだれが非難されるのかということをよく考えた方がいいと思うんですね。最近の児童相談所の話ではないけれども、何回電話しても行けないのか、甘いからなのか、非常に行政側の姿勢だけが問われているケースが非常に多いと僕は思うんですね。そういう意味では、命が大事なのか、個人情報が大事なのかというところまである程度突き詰めながら話をしていかないと、わかってくれない人ももちろんいると思います。そこまでとことん突き詰めていった方がいいのではないかなと、余り遠慮し過ぎてよくない部分があるのではないかと思います。
きのう渡された資料に国民保護計画の中でも、市民の命や財産を守らなければいけないという市の責務というのが載っていますけれども、そういう意味で言えば、余りにも及び腰過ぎて、命を大事にするという、市民を救出するという部分での対策が余りにもおざなりになっている。難しいものを余りにも難しく
自分たちで考え過ぎているのではないかと、こういう思いもあるので、社会福祉協議会あり、町内会あり、老人クラブありといったさまざまな組織がある中から情報を得ることは不可能ではないと僕は思うので、その辺でしっかりした体制をつくって、市民の理解を得て命が大事なのではないですかという部分を訴えながらしっかりつかむことが大事なのではないかなと思います。
それと同時に、そういう作業を通しながら、老人クラブあるいは社会福祉協議会、町内会等含めてその中で組織体をつくっていく方法を考えるべきではないのかと思います。ですからこれは絶対的にもっと積極的にしなければいけないと。そういうふうなことを進めるべきだと思います。
31: ◯熊谷善夫委員 同じ話をさせていただくことになりますけれども、あるいは先ほどの栗田先生のお話も参考にしてですけれども、災害時の要援護者への対策も含めて、
自分たち一人一人も全部含めてですが、結局地域コミュニティーのしっかりした形成というか、余り深入りというのはちょっと別問題ですけれども、隣近所が知り合っておく、また町内会単位ということでもいいのですが、助け合うという意味では民生委員さんとか、プライバシーを掌握している方々に大いに期待しなくてはいけないですけれども、我々もまたもう少し地域に対して家庭の情報を提供してもいいのかなと思ったりもしました。
そして、いざというときに身についている体験で助け合うためには、やはり訓練というものは地域で必要だと思うのですね。ある代表した人たちが特定の訓練を受けるということよりは、みんな一人一人、ある体験をしておくという意味で、私はどうしても市民あるいは児童というか、中学生なんか特に期待したいのですが、体験の場、すなわち公的な防災センターという研修施設の整備を急いで、みんなが町内会単位で利用するとか、クラス単位で利用するとか、多分頻繁に利用されることになると思いますけれども、そうした整備がやはり急がれるなあと思います。施設面ではその防災研修センターと言えるもの、そして地域にあってはお互いのコミュニティーを強めていく町内会の話し合い、心の開きというものが、私自身も地域にあってこれから進めていこうかなという思いをさっきの話を聞き、またさきの視察に行って得た私なりの思いでございます。
32: ◯池田友信委員 さっきからずっと言っている部分の中で、先ほどの先生の話でもありますように、災害で避難をした場合にやはりトイレの問題、これが非常に大きいということで、浜松では仮設トイレをつくっているわけですね、公園に。要するに配管をつけて公園の下にためてくみ取り式の構造にして、いざというときにふたをあけてやるという形、これは世田谷でもやっているわけですけれども、ここで考えなければいけないのは、これはいいと思うのですが、やるとすると、これは1局ではできないですね。消防でやるわけではない。これは災害時の中で消防で必要だと思うでしょうけど、行政側が執行する場合にどうなのかというと、まず財政がその気にならないと予算がつかない。しかし管理者たる施設管理でいくと、建設局の公園の方でそういうことを申請する、あるいは取り組むという形にしなければいけない。第一に管理はどうするかと、こういう形になって、多局にまたがるわけですね。浜松はそれをクリアして設置したということは、私は非常にいろんな意味で行政側が局を超えて一つの災害対策、あるいは
避難対策としてやろうとすることに対する話し合いをして、それで予算をつけてやっていると。ここまでの過程が今、仙台市でやれるかというふうに私は言いたいのですね。やらないといけないと思うのですが、いいことであるけどやれない。どこがたたくのか、どこで予算をとって、どこで管理するのかということを他都市でやっているのにそれが規模が違うだけでは済まされない状況であると思います。ですから、その辺を報告を聞いて消防局長がどういうふうに思って、消防局長の方から建設局長の方に説得に行って
いろいろ話し合いをするのか、あるいは災害対策本部というのを災害時だけではなくて、そういう部分でのセンターという中で総合的に論議をしてそういう施設管理、設備投資、そういうことをどういうふうにするかということの検討を深めないと、いいところを見ても仙台でまだやれていないという状況ではちょっともったいないなと思います。我々、どんどんどんどん議員も含めて町内会もそういうことを知ってくると、何で仙台市でやれないのという形になってきますので、先ほど先生が言ったように、いかに準備をするか、いかにそういう災害のことに対して想定して準備をしておくか、準備を怠る状況になったらこれは
行政批判になっちゃうんですね。ですから、数ではなくて可能な限りそれに取り組むということの
取り組みの状況をしていかないといけないなということを感じました。
33:
◯委員長 ただいま池田委員の方から、先日の他都市の視察を踏まえた中でのトイレの話であるわけですけれども、これはこの委員会としまして要
援護者支援のための制度の充実とあわせて環境の整備ということでも取り組んでいきましょうということで、同じ考え方でこの委員会として今まで進んできたわけですけれども、この辺の考え方についてはこれまでの議会、ことしの予算議会なり特別委員会の中でも同様な御質問等も出ていたように思うわけですけれども、せっかくの機会ですので、これは当局の消防局長の方から最初に考え方について答えていただきたいと思います。
34: ◯消防局長
危機管理監の方からと思っていたんですけれども御指名ですので。
先般、豊田市、浜松市を視察していただいて災害用仮設トイレという問題、これは阪神・
淡路大震災あるいは
中越地震等でも、我々、この問題に関しては注視しまして内部ではやっておりましたが、ここに来て今お話も出ましたように、関係する局が多局にわたります。防災を担当する消防局、そして廃棄物担当の環境局、公園ですと建設局、あるいは学校ですと教育局とか、まずは何もしないでは進まないということでそういうところの課長レベルの、実務者レベルの会合を持ちましてそこからいろいろと双方それぞれの抱えている問題点を出しながら、どういう方式が仙台の地域によりふさわしいのかというのをやっていって、単なる話し合いをするだけでは全然解決にならないということで、何かそこから具体的な方策を見出したいということで、我々も常日ごろから考えておったことが現実的に動き出したというふうに理解していますので、この件に関していろいろとまた各地の事例等も参考にしながら研究してまいりたいと思います。そして、それを1年でも早く具現化していきたいというふうにも考えておりますので、今後とも御指導よろしくお願いしたいと思います。
35: ◯笠原哲委員 災害時の要援護者の救出あるいは避難について、この人は病院、この人は福祉介護施設、この人は市民センター、この人はコミュニティ・センター、あるいはこの人は軽度だから学校の体育館と。こういったトリアージみたいな部分は、どういうふうになっているのですか。
36:
◯委員長 先ほどの参考人の
意見聴取の中でも関係するようなことが出ておりましたけれども、要援護者の避難の際の窓口といいますか、そういったことになるかと思うんですけれども。
37: ◯
危機管理監 基本的には災害に際した場合の避難場所でございますけれども、指定避難所を決めておりまして、そこに基本的には一応参集していただくこととなっております。参集できない方も当然おるわけでございますけれども、参集していただいた中で避難所の担当の職員がそこにおるわけでございますけれども、その中で本人からの申し出等、もしくは
町内会長さん、もしくは
自主防災組織の隊長さん等からそういうような申し出等があった場合、当然福祉部の方に連絡をさせていただきまして、そうした中で要援護者の状況等によりまして、先ほどお話しありましたけれども、例えば体育館の中に区画を設けて、避難室と言いましたでしょうか、そちらに移すとか、もしくはコミュニティ防災センターの方に移したり、さらには施設の方に移したりというようなことになろうかというふうに考えております。そのような回答でよろしいでしょうか。
38: ◯笠原哲委員 要援護者というのは、それなりに重症あるいは病気の状況、
寝たきりの状況があって、あるいは目が見えないとか、身体的な問題があったり、精神的に問題があったりいろんな人がいると思うんです。例えば、私の地域は安養寺2丁目です。近くにはコミュニティ・センターがある、地域の集会所がある、市民センターがある、精神病院がある、老人ホームがある。そこに雨が降ったときに災害が起きたとする。指定避難所は全部雨だらけ、泥だらけですよ。これでは何のために要援護者を引っ張り出してそこまで連れて行って、そこからトリアージしてあちらこちらと出すということは、ほとんど不可能ですよ。まっすぐその人たちはコミュニティ・センターに行くと思いますよ、私は。新しい立派な畳が敷いてあるコミュニティ・センターに。
そういったことを事前に言っておかないと、定員はもちろんあるわけですから、その辺は非常に難しいところじゃないですか。そこに健常者がどんどん行ったらもう大変なことになりますよ。パニックですよ。その辺の通常の避難は、確かに災害訓練では小学校まで行きますよ、小学校のグランドまで。だが、その手前に老人ホームもあれば、コミュニティ・センターもあるんですよ。集会場は地域にある。この辺も早目に決めてあげないと、ここが、例えば要支援の方々が第1次的に入るところですよ、ここはあけておいてくださいとある程度、町内でも了解事項になっていないと、これはとんでもないことになってしまうと思いますよ。その辺がこの間から疑問に思っていたのだけど、指定避難所に行ったからといって夜もあれば朝もある、雨が降っているときもあれば雪が降っているときもある。お
ばあちゃんがベッドで横になっていて、指定避難所に連れていったって泥だらけで入れない。医者はいない。寒いところでブルブル震えている。これでは話にならないのではないですか。だからその辺のことも考えていかないと、本当にその人の立場になって考えたとは言えないのではないかなと思うから、その辺の判断をどこでどのようにつけていったらいいのかも含めて、今からせっかくこういう委員会があるので検討していただいて、なるべく早目に結論を出すということも大事なのかなと思います。これは実際に
危機管理監もわかるでしょう。
寝たきりのお
ばあちゃんが80何ぼになって横になっていて、指定避難所に連れて行ったと。どうなりますか寒いときに。寿命を縮めるようなものですよ。そういうことですよ。だから、そこを考えてほしいと思います。
39:
◯委員長 危機管理監、代表して答えていただいていたんですけれども、
健康福祉局なり関係するところもあると思いますけれども、
危機管理監の方からもう一度よろしいですか。
40: ◯
危機管理監 今笠原委員の方からお話がございましたけれども、当然の話だというふうに認識をしておりまして、今まさに検討しておるところでございますけれども、委員からの意見も当然その中に考慮しながら早急に検討、関係福祉部門と協議しながら、連携をとりながら、調整をさせていただきながら検討を進めていくべき内容であろうと考えておりますので御理解をいただきたいと思います。
41: ◯舩山由美委員 先ほどのお話で、日ごろから当事者の日常生活と直接かかわりのある人が要援護者を助けるというか、助けに行けるというお話で栗田さんの方からお話があったわけですけれども、要援護者救出プランづくりをどのように進めていくかという中身の問題なんだと思いますね。地域の中で要援護者を把握するというところの課題を今、仙台は抱えていて、さらに把握のために力を出して頑張って把握していこうと。把握してその後、やはり救出できなければ意味がないので、どのようにその方を救出していけるのかというところで、やはり具体的な救出計画づくりという、これも必要になってくるのだと思いますね。いろいろな事例を先ほど御報告いただいている中で、ケアマネージャーであったり、あるいは近隣の住民の方であったり、その方と日ごろからかかわりを持っている方が救出に当たるというところで、例えば作業場の中で地震が起きたということになれば作業所の中の対応をどうするのかという問題になりますし、障害者の方が自宅に帰ってこられて夜間の時間帯であったらどういうふうに救出するのか、その方その方の障害の程度や障害の区分やその災害が起きた状態によっても救出のためのプランづくりというのは変わってくると思うのですが、その辺について、やはり当事者の皆さんの意見をきちんと踏まえた形でプランづくりをしていくということが非常に大事なのだと痛感しています。難しいことではあるのですけれども、例えば地域福祉計画づくりをやりましたよね、社会課の方でやってきましたけれども、そんなふうに防災のための要援護者の皆さんを救出するための防災計画づくりというのは、どういうものが必要なのだろうかということを、やはり地域の中で話し合っていくような場面をどれだけつくり出していけるかと。これは行政主導でもちろんやっていきますけれど、行政だけでは実現できない。そこに先ほど池田委員がおっしゃっているような、町内会の皆さんとやはり気持ちを一つにしながら当事者の皆さんの把握と、当事者の皆さん自身が災害に遭ったときにどういう手だてが必要なのかということをお互いに共有しながら取り組んでいくということが一つと、後はやはり福祉作業、
福祉施設に関する協定書というのはすぐにでも実施すべきだし、その人にとって一番どこに救出するのがベストなのかというところも選択肢をたくさん持っておかないと、必要な方に必要な支援が届かないということになりますので、そういうことが大事なのではないかと思います。
42:
◯委員長 ほかにございませんか。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
43:
◯委員長 なければ、ここで
意見交換を終了させていただきまして、次の報告に入らせていただきたいと思いますが、消防局から報告を願います。
44: ◯危機管理室長 それでは仙台市国民保護計画の原案につきまして御説明させていただきます。資料1-1の概要をごらんください。
まず、1の作成の根拠及び経過でありますが、本計画の作成は一昨年施行されました国民保護法第35条の市長が県知事と協議し作成する、その規定に基づくものであります。
さらに第39条では、広く意見を求めるために設置した国民保護協議会において、重要事項等の審議を経た上、作成する旨明記されております。
次に主な経過でありますが、本年第1回定例会で仙台市国民保護対策本部設置条例など3条例が成立いたしました。これを受け、設置しました仙台市国民保護協議会の第1回会合において承認されました作成のための基本方針に基づき、委員からいただきました御意見を参考に、また国、宮城県との整合を勘案した上で事務局案を作成しました。これを土台に庁内で議論をし、意見を集約した上で素案を作成いたしまして協議会の幹事会等で御議論いただき、さまざまな修正意見や御要望を反映させ、去る10月に開催されました第2回国民保護協議会に諮り、御審議いただき決定されたものがお手元の原案でございます。
それでは、2の原案の要点でございますが、全体は5編構成になっております。
まず、第1編の総則では、国民保護措置を実施する際の本市の基本方針として、基本的人権の尊重など8項目を定めております。また本計画が対象とする武力攻撃事態及び緊急対処事態の類型を概説しております。
第2編は、平素からの備えや予防といたしまして、措置の内容の実施につきまして、本市の防災、危機管理体制の組織や手続との共通化及び初動対応体制などにおいて、既存の仕組みを最大限活用していくことを基本事項として記述いたしました。また、避難措置に関しましては、あらかじめ幾つかの避難実施要領のパターンを作成しておくことについて明記しております。
第3編の武力攻撃事態等への対処については、警報の伝達や避難誘導に関することに加えまして、大都市特例により県と同様に行う救援措置に関する基本事項を明記しております。また、安否情報の収集・提供でありますが、家族がその近親者の情報を知る権利を保障いたしましたジュネーブ諸条約に基づく記述でありまして、ここでは基本的事項を記載しております。
第4編は、主に市の施設や設備等について一時的な修繕や補修等に関する事項を定めてありまして、
自然災害の応急復旧措置と内容的には同じ考え方となっております。また、国民保護措置の実施に要した費用の支弁などの手続を記述しております。
最後の第5編は、緊急対処事態について定めてあります。緊急対処事態とは、いわゆる非国家集団による大規模なテロなどのことでありまして、武力攻撃事態の記載内容を準用する形となっております。
以上が本計画の原案に係る概要であります。
3に移ります。今後の主な予定でございますが、現在実施中でありますパブリックコメントの御意見や、前回の国民保護協議会などの修正意見なども踏まえまして、1月に開催を予定しております今年度最後の国民保護協議会で御審議をいただいた上で本市案を定めました後、宮城県知事との正式協議を行うことになります。今後の進捗状況とも関連してまいりますが、この協議が整い次第、市長が速やかに議会に報告することといたしております。
以上、本市の国民保護計画作成の状況について、原案段階でございますが内容に関して概略を報告させていただきました。よろしくお願いいたします。
45:
◯委員長 ただいま当局より報告がありました、仙台市国民保護計画原案の概要説明について何か御質問等が皆様からございましたらお願いします。
46: ◯笠原哲委員 ちょっとわからないので教えていただきたいのですけれども、直接攻撃で重要な施設が攻撃されたというときに、一番心配なのは原子力、女川原発が一番近いのでしょうけれども、そのあたりが攻撃を受けて破壊されたという場合に、仙台市として46ページのところでいう医療関係者からなる救護班による緊急被曝医療活動の実施等含めて、こういうことをやる可能性はかなり高いというふうに見ているのかどうなのか。その辺の仙台市への影響はどの程度あるのか、どのように掌握しているのかお願いします。
47: ◯危機管理室長 女川原子力発電所からは、仙台市は約40キロメートル、福島の原子力発電所からは90キロメートルに位置しております。国民保護法では、武力攻撃原子力災害という章が設けられておりますが、原子力関係施設から10キロメートル以内に限定された範囲が対象となっております。
そのことを踏まえまして、仙台市の国民保護計画におきましては具体的な計画を立てる必要がないということで整理がついております。また、実際発災した後におきまして、災害時医療という観点からの項目は計画の中で記載しておる次第であります。
48: ◯笠原哲委員 今の御説明によれば10キロメートル以内ですから、ここの仙台は40キロメートルだから直接的なものは何もないと。あちらから送られてきた患者等の医療活動をするという部分に備えるだけだと、こういう発言でいいんですね。
49: ◯危機管理室長 そのとおりでございます。
50: ◯消防局長 消防部隊としては当然県内の広域応援という事態ですので、今年度予算化していますNBC対応車両を中心に消防局として応援に行くようにはなると思います。また、自衛隊、海上保安庁等々、関係機関は活動するようになると思います。
51: ◯笠原哲委員 これは当然室長さんは相当勉強されてそういうふうに答弁されているのでしょうけれども、私の今までの認識では、風向き等を含めて全くないわけではない、市民に影響があることは考えられるというふうに私は知識として、またどこからか聞いたのか忘れましたけれどもそういうふうに記憶しているのだけれども、それは何もないのですね。
52: ◯危機管理室長 国民保護計画に先立ちまして地域防災計画におきまして宮城県は、女川町、石巻市におきまして計画を定めるということになっておりまして、仙台市はその場合も除外されております。それに準用する形で国民保護計画におきましても具体的な計画を定める地域には指定されておりません。
53: ◯笠原哲委員 済みません、こだわるわけではないのですけれども、県が言っているから、国が言っているからではなくて、仙台市としていろいろな学者から意見を聞いたりなんかはしたのかという部分も含めてちょっと教えていただきたいのですよ。それは県が決めたから仙台市は心配はありませんなどというばかな話はないですよ。私たちは私たちで守るんだから。そこなんですよ。
54: ◯
危機管理監 今室長の方から説明させていただいたところでございますけれども、委員の方から御指摘がありました件につきまして、この先に向けてそういうような考え方もあると思いますので、他都市の意見等も聞きながら、自分のところでも考慮、検討しながら、そうした部分についてさらに先に向けて検討を進めてみたいというふうに考えておりますので御理解いただきたいと思います。
55: ◯嶋中貴志委員 基本的に避難の指示をするわけですけれども、その避難の指示は広報車によると書いてあるわけですね。広報車がどれくらいあるのか、先ほどの要援護者と一緒で、広報車で言ってわからない人も中にはいるという気がしますね。具体的にそういう計画というのはどうなっているのかなと。そこが一番大事なことではないかなと、その辺についてどのように考えていますか。
56: ◯危機管理室長 避難措置の指示は総理大臣であります対策本部長が、要避難地域を指定し、その避難地域に指定されました県知事におきまして避難の指示が行われます。それを受けまして、市町村長が具体的に退避、避難誘導等に当たるわけでございますが、当初におきましては警報等の伝達、仙台市におきましては現時点においては広報車等を活用するという手段で臨んでまいりますが、今後、避難実施要領等の作成におきまして具体の内容を詰めていく予定でございます。
57: ◯嶋中貴志委員 これから具体的にやっていくということですね。まだ決まっていないということですね。先ほども言いましたけれども、聞こえない人もいるだろうからそういうのはどうするのかと。
あと、そこにちょうどサイレンを最大音量でとなっていますけれども、広報車のあれでどこまで聞こえているかわからないですよね。
58: ◯
危機管理監 今、室長の方から御説明させていただきましたけれども、今から避難の実施要領、来年になると思いますけれども、計画に基づいた実施要領をつくっていくことになるわけでございますけれども、その住民への警報の伝達も含めましてその中で検討していくようなことになるかというふうに考えております。ただ、広報車というような部分もありますけれども、一つだけではなくて重層的に、例えばマスコミを活用したり、それからヘリコプターで広報したり、消防車で回ったりというような部分で重層的に活用しながら対応していかなければならないものというふうに考えております。具体的には今から計画する中で今の御意見を踏まえまして検討してまいりたいというふうに考えていますので、御理解をいただきたいと思います。
59: ◯舩山由美委員 これは意見ですけれども、国民保護計画の原案が報告されていますが、今回の調査特別委員会のテーマである要援護者対策、そういった災害と武力攻撃事態が同列で報告されているということに非常に違和感を感じるわけなのですが、私自身の考え方としては、国の武力攻撃事態法ですとか国民保護法自体が現行の憲法からいっても大変問題な中身ではないかと考えています。憲法をしっかりと遵守して守っていくことこそ、やはり武力攻撃事態に遭うようなことがないようなことではないかというふうに感じているということだけ意見を述べさせていただきたいと思います。
60:
◯委員長 ほかにございませんか。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
61:
◯委員長 なければ以上で報告事項を終了いたします。
それでは6番の次回の委員会についてでありますが、来年の第1回定例会に委員会としての報告をするに当たりまして、定例会等の日程も入っておりますことから、あらかじめ皆様にお諮りをしたいと思います。
まず、次回の4回目の委員会についてですが、これまで有識者のお話や他都市の事例などを調査してまいりましたが、マニュアルが策定された場合、それを活用する立場の方々からの御意見も必要と考えるわけであります。つきましては、次回は町内会や地区社会福祉協議会、民生委員、障害者団体などの方々をお招きをしまして、災害時における要
援護者支援について懇談を行いたいと考えているわけでございます。
その次の5回目の委員会はまとめの委員会ということで、委員会報告書の取りまとめを行いたいと考えております。
日程としましては、次回4回目の委員会は来年1月16日の火曜日の午後1時から、引き続き5回目の委員会は2月6日火曜日の午後1時からということで考えておりましたが、皆様の御都合もあると思いますがいかがでしょうか。既に都合が悪いということで、予定が入っていらっしゃる方は申し出ていただきたいと思いますが、よろしいですか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
62:
◯委員長 それでは4回目、5回目ということで予定を立てさせていただきましたので、御協力をよろしくお願いいたします。
再度確認しますけれども、4回目は1月16日火曜日の午後1時、5回目については2月6日火曜日の午後1時というようにさせていただきます。なお、次回の委員会にお招きする方々の人選につきましては、正副委員長に御一任いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
63:
◯委員長 それではそのようにさせていただきます。人選が決まり次第、皆様にお知らせしたいと思いますので、よろしくお願いをいたします。
次に、その他でありますが皆様から次回の委員会に向けて資料請求、そのほか何か御発言等がございましたらお願いいたします。
〔「なし」と呼ぶ者あり〕
64:
◯委員長 なければ、以上で防災・
危機対策調査特別委員会を閉会いたします。...