津市議会 2012-09-04 09月04日-02号
さらに、本年度は文部科学省の実践的防災教育総合支援事業を活用いたしまして、8月7日から10日まで、市内の中学生31名が宮城県石巻市を訪問いたしまして、ボランティア活動や現地の中学生との交流を行いました。今後、参加した中学生が現地の方から学んだ災害後の様子や現地の人々の思いをまとめて、防災学習に生かしていきたいと考えております。
さらに、本年度は文部科学省の実践的防災教育総合支援事業を活用いたしまして、8月7日から10日まで、市内の中学生31名が宮城県石巻市を訪問いたしまして、ボランティア活動や現地の中学生との交流を行いました。今後、参加した中学生が現地の方から学んだ災害後の様子や現地の人々の思いをまとめて、防災学習に生かしていきたいと考えております。
なぜならば、先日私は、石巻市へ行ってきましたけれども、これは明確に復旧費と復興費とでは異なりますので、復旧費は実は平成23年度カウントして25年度までの3カ年で切れちゃうんですよね。復興費に関しては平成23年度からたしか10年間あると思います。ですので、どちらかというと、今優先すべきは、復興費よりも復旧費と思われるぐらい、もちろん復興費も現に始まっていますので、両方あることがいいと思うんです。
そのときに見ました石巻市の市立病院です。何もかもが流され、瓦れきも片づけられた広い何もない海沿いの土地に、この大きな被災した病院が残っておりました。私は、くしくも短時間の間にこの掛川市と石巻の病院を見たということを心にとどめておかなくてはならないなと思いました。
◆2番(中瀬古初美君) ここに東日本大震災時の学校対応の記録ということで、実は宮城県石巻市の雄勝の大須中学校の先生からいただいてきた記録がございます。ここの中には本当に事細かに学校対応が入っておりまして、地域の方々と本当に一体となって、ここは大須小学校が避難所になりまして、そこでのその地域、それから学校、全てが一体となってそれを乗り越えていくというような記録が大きくあります。
なぜ私は石巻市へ行ったか。御存じの方は御存じのように、宮城県石巻市は東日本大震災で最大の犠牲者を出したところです。死者不明者が4000人とも5000人とも、統計によってやや違うんですけれども、ございます。そして、今問題となっている瓦れきという問題におきましても、宮城県、岩手県で突出して多い瓦れきの量をもたらしております。
それからあと2月5日にこれを出して,私なんかは興味があるんですが,これが出た時点では余り実感がなくてやっぱりこれは今後,外国人に対する周知というか,何らかの時点でもう一度こういう形にするか,ホームページだと練馬区だとかきのう見た石巻市だとかというのは,日本語ですけど変わりましたけどどうしますかというのが出てて,鈴鹿市のホームページは法務省のホームページを見てくださいみたいな一文が,ちょっと小さく書いてあるぐらいだったんで
なぜならば、私自身、この問題をどう判断するかにつきまして、去る6月6日から9日まで宮城県石巻市に行ってまいりました。そういった中で、私がなぜ行く必要性を感じたかというと、広域処理が必要かどうかを判断する、これは現場を見ないとわからないと最終的に私自身思いまして、そして石巻。なぜ石巻かというと、犠牲者、不明者の数も東日本最大であり、また瓦れきの発生量も最大である。
今後ですが、この6月30日には、市内各種団体の皆さんに大変お世話になりまして、実行委員会を立ち上げていただき、被災前の宮城県の石巻市などを舞台に、撮影、制作がされました映画「エクレール・お菓子放浪記」、この上映会が開催をされる運びとなってまいりました。
私どもの支援いたしておりますのは宮城県の石巻市と多賀城市でございますが、直 接的な人的支援は両市でございますが、今回の瓦れきについては岩手と宮城というこ とでございまして、直接原子炉の被害のあった福島の瓦れきではございません。
ほかにも,鈴鹿市は,石巻市へ職員を派遣するなど,延べで多くの人が支援の手を差し伸べました。 その成果として,膨大な瓦れきも,ある程度,集積場所にまとめられ,全国自治体のさらなる協力を得る状況となっております。 瓦れき処理に対する国民の多く,約8割ですが,これは,もう何とか協力していかなきゃならないという意識を持っておりますが,1年たっての処理は,わずかな量となっております。
具体的には市内の中学生30名を募集いたしまして、8月の夏期休業中でございますが、8月上旬、宮城県石巻市でボランティア活動、あるいは、現地の中学生との交流を行いたいと考えております。 このボランティア活動だけではなくて、まず、参加する生徒につきましては、事前学習でボランティア活動の意義を学ばせたいと。
本年度も4月より1年間の長期支援といたしまして、宮城県石巻市と多賀城市へ1名ずつ職員を派遣しているところでございます。 また、国の方針として出されました災害廃棄物の処理方針に基づきまして、三重県では4月20日に三重県と市長会並びに町村会、立会人を環境省として合意書及び覚書の締結がなされました。
ところで、東日本大震災被災前の宮城県石巻市などを舞台として制作された映画「エクレール・お菓子放浪記」を通じ、映画に刻まれた美しい風景と心をよみがえらせるための支援活動が行われ、県内各市町におきましても上映実行委員会が組織され、入場料収入の一部を震災復興支援の義援金とする取り組みが広がっております。
○8番(鈴木順子君) それでは、被災者支援システムにつきましては、住民基本台帳と照合しながらという大変難しいとは思いますけども、東日本大震災のときにも大震災が発生した場合の石巻市役所で起きたように、大量の罹災証明の発行に職員総勢40人で発行業務に当たり、市民の方には3時間も並んでいただいたというようなことになりかねませんように、早急にやはりシステムの構築をお願いしたいと思います。
○8番(鈴木順子君) それでは、被災者支援システムにつきましては、住民基本台帳と照合しながらという大変難しいとは思いますけども、東日本大震災のときにも大震災が発生した場合の石巻市役所で起きたように、大量の罹災証明の発行に職員総勢40人で発行業務に当たり、市民の方には3時間も並んでいただいたというようなことになりかねませんように、早急にやはりシステムの構築をお願いしたいと思います。
石巻市と陸前高田市にそれぞれ派遣されたが,どちらも津波により甚大な被害を被っており,他自治体からの応援がなければ,業務遂行が困難な状態であった。また,市役所庁舎が被災したことにより,重要な書類を多数紛失したとのことであった。
石巻はかなり震災瓦れきが多いというふうには聞きますが,石巻市だけではなくて,本来は宮城県ですよね。宮城県としても,もしその受け入れに対して,国のことが出るんであれば,できる限り自分のところで燃やせるものは処理はしたいとふうに考えるのが普通ですよね。
2012年2月14日、石巻市がまだこういうような状況なんですよ。これ、朝日新聞の全国版の一面記事ですよ、大きな。これを伸ばしてもうたんです。政府が全国版の新聞にこれを出したんですよ。政府も大変なんですよ。政府が大変なんやけれども、亀山市には立派な溶融炉というのがあります。それを活用して何とか、ここに復興を進めるためには乗り越えなければならない壁があると、これが壁なんですよ。
この映画は、あの大津波に破壊された宮城県石巻市をメインロケ地に企画をされています。この作品は、日本があの悲惨な戦争に向かおうとしていた時代に、たくさんの人の優しさに支えられながら、みずからの未来に向けて、精いっぱい生き抜いた1人の孤児の少年の物語です。3月11日の大津波によって、孤児となった少年たちもたくさんいます。
鈴鹿景子さんは,宮城県石巻市出身,本名は鈴木克枝さん,56歳。文学座演劇研究所時代にてNHK,朝のテレビ小説「火の国に」のヒロインに抜てきされ,同所卒業の翌年,1976年にデビュー,以後14年間,文学座映画放送部に在籍して,テレビ,舞台,映画に多数出演されております。 1989年,文学座を退団,1994年に,鈴鹿景子事務所を設立して,主に舞台を中心に活動しておられます。