城陽市議会 2024-03-08 令和 6年第1回定例会(第4号 3月 8日)
市民体育館を造るときに国体の関係でできたわけですけども、そのときにトレーニングジムへ行っていましたので、トレーニング機器を置くからどんなん置いたらいいかという相談を市長から受けましたので、トレーニングの事務所と相談しながら、こんな機械があるということを市に申し上げてあの機械が入ったんですけども、それも30年使うと傷んできて、今、新しい機材に替えてまだ間もないんですけども、それ以外にもバーベルとかいろいろ
市民体育館を造るときに国体の関係でできたわけですけども、そのときにトレーニングジムへ行っていましたので、トレーニング機器を置くからどんなん置いたらいいかという相談を市長から受けましたので、トレーニングの事務所と相談しながら、こんな機械があるということを市に申し上げてあの機械が入ったんですけども、それも30年使うと傷んできて、今、新しい機材に替えてまだ間もないんですけども、それ以外にもバーベルとかいろいろ
ただ、我々っていいますのは、一番最初に造ったものは、いわゆる国体を前として、宿泊施設を城陽市内にということで設置した経過があって、そうなると、お泊まり保育でありますとかというような形で子供たちが泊まれるということでプラムインをオープンして、この後、利用客が減ってきた中で、今回ロゴスランドに替えて、非日常的な宿泊ができる場所として、今、ここを運営しているわけでございます。
また運動施設、いわゆる城陽市総合運動公園、ここについては京都国体が行われる際に、まず国体利用ということで、これを受けての市民の施設でございますけれども、当然全国の選手が集まって大会を開いた、ここは開かれたところになります。
○小松原一哉議員 今、冒頭のご答弁の中でもう36年ですか、たしか市民体育館ができて1年か2年後がちょうど京都国体、西暦で言うところの88年、それに先駆けて体育館を整備されたということで、私も今、記憶にあるのが、城陽は柔道会場で、そのとき初めて国体の競技というのを見学に行ったんですけど、柔道をやっていました。
○薮内孝次教育部長 この施設は昭和59年に国体を準備するためにこの場所に運動施設を持ってきた、ここに設置したというところでございます。その後、駐車場の料金についてご負担をお願いをするということで決めたわけでございます。
○本城隆志委員 皆さんが自治会の話をされてるんですけども、私は平成元年、2年、3年と自治会長兼連合会の会長をさせてもらって、そのときから自治会に関わってるんですけども、そのときは京都国体の関係で、西の口自治会は茨城の県団を迎えるのに2つの自治会で一緒になってやったことがあるんですけど、やっぱり自治会の集会所があるのとないのでは全然違うなと思ったんですけども、お隣のいずみ自治会が集会所を貸してくれましてやったんですけども
特に印象に残ってますんは、陸上部は、全国の国体に出られるような方が、幅跳びで、青年部の幅跳びの選手がおられまして、その方が練習を始めると、野球部もソフトボール部も陸上部も、その方の練習を見て、陸上部もかなりよく走ったり、飛んだりできるようになったような気がする。
三郷山は、その後、三郷山財産区管理会が管理、運営を行い、保安林として適切な山林保育に、昭和63年には京都国体の馬術競技会場となり、現在では、緑ヶ丘(府民スポーツ広場)やグリーンヒル三郷山(一般廃棄物最終処分場)として利用されています。
○本城隆志議員 京都国体の後、いろんな競技を各市町村分担してやりましたけれども、お隣の京田辺はハンドボールで全国的に彼らが活躍しておりますし、そういう選手も出てきている。うちの柔道がどこまで伸びたかというたら、皆さんご存じのとおりやと思うんですけど。
教育委員会から都市公園を所管する都市政策課、また商工観光課に所管を移すべきではありませんかということについてなんですけれども、アイリスイン城陽は国体の宿泊施設、プラムイン城陽は高校総体の宿泊施設として教育部門が所掌してきた経過があります。現在も文化スポーツ部門でロゴスランドを所掌していますが、実際には都市公園としての位置づけがあります。
あの当時の、京都国体がある年に向かいまして、岩滝の場合はウエートリフティングだったと思うんですけれども、それに合わせてつくられた建物だったんで、かなり老朽化をしております。 4か所の樋を交換するのは非常に高いということでございますけれども、一応、予算見積りにつきましては、業者のほうに出しまして、いただいたものでございます。
国体のときに、あのバブルはじける前ですので、かなり補助金を入れながら大きな競技を我々としては受け持って、いわゆる柔道競技として、あそこに2面取るような形で、観客席もきれいな形での体育館を設置しているわけです。 残念ながらかなり大きな施設でありますので、これを大規模改造しようとすると相当な金額かかります。
まず、この駅前広場は昭和63年の京都国体に併せて整備がなされ、三十数年が経過しております。その間、名称が神足駅から長岡京駅に名称が変わり、駅の乗降客数も当時の約3万人だったものが約4万人になりかなり増えた状況であります。これら駅前広場の利用者の増加と経年劣化もあり、施設の老朽化が目立つようになってきております。
って、昨日やね、聞いてますし、すごくいっぱいだったよといったこともお聞きしているところなんですけれども、これにつきましては、これまで、現在、教育委員会の部門であると思うんですけれども、もともと教育であったりとか、そういう文化教育施設という、文化、スポーツであったりとか、教育施設というのは、教育委員会の所掌やと思うんですけれども、今現在、そして、これからですよね、もともとアイリスとか、プラムとか、京都国体
京都国体のメイン会場となり、京都府公園公社が指定管理をしております。近年では、京都大作戦をはじめ、時代の移り変わりとともに当初計画を上回る利用をいただいているところでございます。
築39年の長田野体育館、この体育館は、国体の際、柔剣道大会の会場として建設されたものであるというふうに聞いております。この長田野体育館は、照明は白熱灯と水銀灯であり、その一部は点灯しておりません。LEDなどの利用はなされておらず、屋根からは雨漏りがし、床が濡れるような状況です。体育館のほうでは、雨漏りがしたときにバッテンをつけておられます。床に。いろんなテープでいろんな色で。
私の記憶の中では京都国体が開かれたときにも、その中で催事に演奏してもらったりというような経過がありまして、そのときにユニホームを作ったりというような記憶は私にはあります。多分、その辺ぐらいからは、それ以前からやってたと思います。 それで、継続をしていく中で、我々としても努力をしています。先ほど教育長からもありましたように、かなり小学校でクラブ活動、こんなにやってるのは富野だけだと思います。
エアコンがなかったら一切受けてくれませんし、1回だけは昔、国体の後に柔道のインターハイがありましたけども、あのときには1億かなんかのエアコンをレンタルしてやったというふうな記憶がございますので、レンタルで1億ぐらいやったらほんまもんつけといたらどうかなと思いますので、そういうことを含めて、財政も考えながら計画を進めていただきたいというふうに、ちょっと竹やぶの伐採から飛躍しましたけども、以上、お願いして
○大伴雅章委員長 今の木村部長の説明と、私の認識は少し違いまして、当時、私も生きておりまして、スポーツ大好き人間でして、今でもそうですけれど、競技力向上のスポーツ団体も一生懸命やっておりますけれど、やっぱり一つは、これは至上命題やったんですが、これ昭和63年やったかな、京都国体というのがもう決定してたんですよね。
昭和63年、京都国体当時は8,000万円、最高時にはたしか9,000万円の交付金を受けていたと思います。以来どんどん減らされ、山田前知事の就任直後に今の4,000万円になったと思います。京都府は経営改善に取り組み、平成28年度から包括民間委託を導入されております。