八幡市議会 2020-12-11 令和 2年第 4回定例会−12月11日-03号
参考までに、飛耳長目とは、中国の古典の思想書であります漢詩に出てくる言葉ですが、九つの守りの一文から、飛耳、遠くのことを聞くことができる耳、長目、遠くまでよく見通す目を持ち、それを実践、急行せよという教えで、情報の収集、分析の重要性を説いた松下村塾の教えであります。 質問に移ります。
参考までに、飛耳長目とは、中国の古典の思想書であります漢詩に出てくる言葉ですが、九つの守りの一文から、飛耳、遠くのことを聞くことができる耳、長目、遠くまでよく見通す目を持ち、それを実践、急行せよという教えで、情報の収集、分析の重要性を説いた松下村塾の教えであります。 質問に移ります。
私のふるさとの明倫小学校では、毎朝、授業開始前に松下村塾の教えを全児童が唱和して1日が始まります。卒業するまでの6年間、18の言葉を唱歌し教えを学んでいます。その一つを紹介します。六年生の1学期に習う言葉は「体は私なり、心は公なり。私を役にして公に殉う者を大人となし、公を役して私に殉う者を小人となす」、このような言葉があります。自分ファーストにならぬよう、公に務める者、心すべきものです。
それで、下関のほうで一番最初に読書通帳ができて、かなり影響がありまして、それと、山口県の萩市で、松下村塾で有名な萩市にも平成23年の3月に読書通帳ができまして、ほんとに一遍に小学校、中学校の方がふえましたと報道されております。もちろん小学校、中学校においては無料なんですけども、大人の方も要るのであれば200円、300円で通帳がつくることができると書かれております。
「至誠にして動かざるものは、いまだこれあらざるなり」、これは、吉田松陰が最後の江戸行きとなる前に、松下村塾の塾生へ書き残した手紙の中にある言葉であります。自分のすべてをもって、誠を尽くして行動するならば、その力はとても大きく、動かせないものはないという意味であります。いま一度その意味を考えていただきたいと存じます。
近代日本をつくった教育「松下村塾」の師吉田松陰は、人間存在の教育であり、人間的精神的交流の教育でありました。PHP研究所の副社長である江口克彦氏は、全国の教育関係者の前で「教師は常に圧倒的な力で生徒に接しなければならない。その圧倒的な力とは、学力か人間的魅力のいずれかである」と、声高らかに述べています。
近代日本をつくった教育、松下村塾の吉田松陰が、子供に人間的自立を闘い取らせようとしたことと大きな違いがあります。彼は、教育というものを徹頭徹尾自己教育であると考え、子供自身にその考え方、生き方を闘い取らせるしかないと考えました。