舞鶴市議会 2020-09-15 09月15日-03号
明治以降の日本の近代化を支え、その歴史を今に伝える空間で、大人としての節目となる記念すべき式を行い、未来へつながる新たな歴史の一歩をスタートできるのは舞鶴市でしか体験できないことであることから、若い皆様には、この貴重な体験を胸に刻み、ふるさとに誇りを持っていただくことを目的に実施しているところであります。
明治以降の日本の近代化を支え、その歴史を今に伝える空間で、大人としての節目となる記念すべき式を行い、未来へつながる新たな歴史の一歩をスタートできるのは舞鶴市でしか体験できないことであることから、若い皆様には、この貴重な体験を胸に刻み、ふるさとに誇りを持っていただくことを目的に実施しているところであります。
「舞鶴港西浜ハ明治四十一年六月、京都府知事大森鐘一氏、伊佐津高野両川間ノ修築ヲ行ヒ、越エテ昭和三年八月町長・衆議院議員水島彦一郎氏、挙町ノ熱力ヲ結集シテ大築港ニ邁進シ、遂ニ内務大臣鈴木喜三郎氏ニ依リ、第二種重要港湾ニ編入セラレ翌四年高野川以西大野辺一帯ノ埋立浚渫及岸壁突堤ノ築造ニ着手シ、同十三年三月其完成ヲ見タリ。
大志の会は、本年の1月17日に、明治大学名誉教授、中邨章氏の講義「防災と危機管理、地方議会の役割と課題」を受講してまいりました。
一般行政世帯、世帯主についてですが、先ほど、るる述べられたとおりの考え方ですが、先ほど述べられた定義の源泉となっているのは明治まで遡ります。当時の民法と戸籍法で決められた家制度、戸主によるものです。戸主は戸主権として居所指定、家族の婚姻、養子縁組の同意権など強い権限を持っていました。戦後民主的な憲法が制定され、家制度は廃止され、戸主も戸主権も廃止されました。
1867年には、ええじゃないか踊りという、現在でいったらデモンストレーションみたいなもんですが、政治的なスローガンはしないでええじゃないか、ええじゃないかということで民衆が踊りまくるという、ここも社会不安の表れでありますが、こういうコレラが流行し、社会不安が渦巻く中で、江戸幕府による大政奉還、そして明治維新へとつながっていくわけでありまして、まさに精華町を含むこの地域が大激動を起こすのがこの感染症の
次に、寄附金、目、衛生費指定寄附金、540万9,000円の補正につきましては、保健衛生費指定寄附金で、寄附者でありますタツタ電線株式会社様、明治安田生命保険相互会社京都支社様のご意向に沿って、寄附金をインフルエンザ予防接種事業に財源として充当するための補正をお願いするものでございます。
このような治水事業は、16世紀の明智光秀公の時代から、江戸時代の囲い堤、霞堤へと、水害防備林を組み合わせた治水、明治時代の福知山大堤防、大正時代の北丹後地震後の震災復旧としての岩沢堤の完成、そして、昭和・平成時代の水系の一環の思想に基づいた改修といったように、約400年もの間、永遠と続けられてきたとあります。
明治維新もそうであったように、危機感の共有がなされるとき、改革が必ず行われてまいりました。それは国の話ではなく、本市の中でもそうでございます。この庁舎の中でも同じだと信じております。 私の立場からは提案ではございますが、先ほど申しましたように、部長級の皆さん方には一つ一つの施策について判断が伴ってまいります。
あの当時の学校って、明治の時代に造った学校は、地域がお金を出して、行政がお金出すんじゃなしに、地域の人たちが学校を造っていった。その学校も廃校になってるわけです。
下の段落で風水害のことがされてますけれども、これから梅雨に入る、あるいは台風シーズンを迎えるそういう中で、過去に木津川が明治時代で3回、長谷川、青谷川の決壊、そしてこの昭和に入ってからも木津川春日森のところが決壊ということも、そして長谷川の堤防の決壊も上げていただいています。
全国各地から多くの人が訪れる広場には国の重要文化財に指定されました日本で2番目に古い2号機関車や与謝野町指定の文化財となっている車両、明治、大正、昭和にかけて全国各地で活躍した日本の鉄道の歴史を今に伝える27車両を展示し、保存し、地域の歴史と文化も物語る広場となっていました。
VR制作予定の閑雲軒は、石清水八幡宮に明治初期まであった宿坊である瀧本坊の空中茶室です。明治の神仏分離までは、石清水八幡宮は八幡大菩薩を祭る神仏習合の宮寺でした。別当と言われた長官や住職は僧侶が占めていたそうです。それらの僧侶の住んだところが坊で、坊ごとに本尊を祭り、貴族や大名の祈祷を行っていました。
でも、実はこの民法というのは非常に古い法律でございまして、明治29年にできて、120年間、この法定利率というのが改正されていなかったわけです。今、市場金利等々考えても5%というのは非常に高過ぎるという批判がたくさんございまして、今回、法定利率が見直されることになったわけです。それで、先ほど総務課長からもありましたけども、5分が3%、要は3%になったわけです、5%から3%。
しかし,幕末明治の激動期に京都の危機を自分たちの知恵と勇気で乗り越えた町衆の心意気を発揮するときが今であると思います。市民ぐるみの団結を結集する事業となるよう,市長が先頭に立って一人一人の琴線に触れる力強い呼び掛けをお願いします。 さて,新型コロナウイルスは治療法が確立せず,第2波への懸念が払拭されない現実から目を背けることはできません。感染拡大への不安が渦巻く中,市民の安心安全は喫緊の課題です。
明治13年,日本初の画学校として発足し,今年で創立140周年を迎えます。この3月に京都市立芸術大学及び京都市立銅駝美術工芸高校の移転整備事業の実施設計がまとまり,年内に工事を着工する予定です。京都駅東部の崇仁地域に文化芸術都市・京都の新たなシンボルゾーンとなることが期待され,3年後の令和5年度中の供用開始を目指しています。
◎松浦悠爾 防災安全課長補佐 備蓄品の液体ミルクについてでございますが、消費期限等を考慮いたしまして、明治のほほえみらくらくミルク24缶入り6ケース計144本を購入予定としております。予算につきましては、3万5,000円を計上しております。
昭和48年に建設でございますから、対象者は当時60歳以上、つまり明治生まれと大正生まれの方ばかりなんですね。その時代の方、考えていただいたらわかりますように、満州事変から日支事変、そして太平洋戦争に従軍された男性の方、あるいは銃後の守りとしてね、家庭や家族を支えられた女性の方が、ちょうど対象になられる世代でございます。
これは今の明治になってからの自治じゃなしに、ここの山城の国一揆のときかて、地方の自治やとかなんとか言ってましたもんね。だからそういう何百年という歴史がまちの中の自治がある。
それは明治、大正、昭和、平成、令和へと、汽笛の聞こえる町を次の世代につなぎたいと、日に日に思いが強くなっているところでございます。期待を込めまして、この点につきまして、町長の見解をお尋ねいたします。 2点目は、行政改革についてであります。役場の機構改革だけではなく、多様な主体、地域が協働したまちづくりが基本方針、重要課題に位置づけられているのは評価できるところであります。
私はまだ20年ほどしかたっておりませんので、この中で、数ある中で特筆すべき大きな事件といいますか、これを何かと改めて見て三つほど上げていきますと、1868年、明治元年ですけれども、木津川の決壊といいますか、そういうことで河川の流れがよくなるようにつけかえをしたということが大きな事件だと思います。まさしく、このときは1802年以来の十数年ぶりの大洪水であったということがここに書かれておりました。