大山崎町議会 2016-09-06 平成28年第3回定例会(第3号 9月 6日)
議員御承知のとおり、本町は古来より京の都の玄関口として栄え、中世には自治都市として繁栄するなど、全国的に見ても有数の豊かな歴史を有しております。また、アサヒビール大山崎山荘美術館や国宝待庵のある妙喜庵など観光施設も充実しているところでありますが、町内の観光消費額は年間約1億2,000万円にとどまっており、その資源を観光振興に十分に生かし切れているとは言えない状況にあります。
議員御承知のとおり、本町は古来より京の都の玄関口として栄え、中世には自治都市として繁栄するなど、全国的に見ても有数の豊かな歴史を有しております。また、アサヒビール大山崎山荘美術館や国宝待庵のある妙喜庵など観光施設も充実しているところでありますが、町内の観光消費額は年間約1億2,000万円にとどまっており、その資源を観光振興に十分に生かし切れているとは言えない状況にあります。
最後に、木津城跡につきましては、天守閣のある近世の城郭と異なり中世の城郭であり、城址公園として整備しておりますことから、新たな事業展開の考えはございません。 以上でございます。 ◯議長(倉 克伊) 森本茂さん。
地域の方々が綿々と受け継ぎ、守ってこられた伝統行事、季節の行事、歴史的・文化的価値のある個人所有の住居など、中世や近世の無形・有形文化財の保存、活用について、今後の計画と見通しについてお聞きしたいと思います。 4番目の質問です。男女共同参画と性の多様性を認め合うことについてでございます。
堺市と大山崎町は、中世に自治都市として栄えた歴史を持つことや、千利休に由緒ある土地であるという共通点があります。そういったゆかりがあることから、昨年9月に堺市の竹山市長が待庵を訪問された際に御挨拶をさせていただき、また10月には堺市の「さかい利晶の杜」を私と清水教育長が訪ね、竹山市長に御歓待いただいたところであります。
この地域は、古代国府跡の候補地と考えられ、とりわけ安国寺遺跡はその地名から雪舟の「天橋立図」に描かれる十刹安国寺との関連が注目され、古代の役所や中世の寺院の存在が推定される重要な遺跡であります。そのため周辺部も含め、4年計画で範囲や内容を確認・調査するものでございます。
スポーツ施設について伺ってまいりましたが、実はこの三段池公園、中世の時代から歴史的、文化的価値を有するところでもありまして、猪崎城、猪崎城跡があるこの城山地区、こちらは桜の名所として近年整備もされてきておって、春先にはかなりの人でにぎわいます。が、この城山地区はすぐそばに、真下に住家、家屋がすぐそばに迫る、土砂災害の心配のある急傾斜地でもありまして、災害の影響を受けやすいところです。
ヨーロッパにおいては、中世まで子供という概念が存在をしなかったというふうに聞いております。また、日本においては親の所有物という形で、1人の人格として見られてこなかったという歴史があると。そうした世界的な歴史を踏まえた上で、国連総会において子どもの権利条約、つまり子供の権利を約束するということが全世界的にも広がりつつあるという状況だというように考えております。
堺市と大山崎町は、中世に自治都市として栄えた歴史を持つことや、千利休に由緒ある土地であるという共通点があります。そういったゆかりがあることから、9月24日に堺市の竹山市長が待庵を訪問された際に御挨拶をさせていただき、また10月9日には堺市の「さかい利晶の杜」を私と清水教育長が訪ね、竹山市長に御歓待をいただいたところであります。
堺市と大山崎町は、中世に自治都市として栄えた歴史を持つことや千利休に由緒ある土地であるという共通点があります。そういったゆかりがあることから、9月24日に堺市の竹山市長が待庵を訪問された際に御挨拶をさせていただき、また10月9日には堺市の「さかい利晶の杜」を私と清水教育長が訪ね、竹山市長に御歓待をいただいたところであります。
与謝野町は、日本海と内陸にある地帯とを結ぶ結節点として、古代には鉄生産、中世には絹織物が繁栄をし、丹後ちりめんの主要産地として、農業とともに基幹産業となり、今日まで続く繁栄の礎をかいま見ることができます。 こうした歴史に支えられ発展してきた本町には、パイオニアの精神のもと、確固たるものづくりの風土が息づいており、それらは、次の世代に引き継ぐべく宝であり誇りでございます。
今、宮津でこの宮津の歴史が始まって中世に府中からこっちの南部のほうに宮津の中心が移りました。その中世に移る間に府中の町並みを随分潰しております。さらに、明治維新の後、宮津の町並みっていうのは昔の面影がほとんどなくなるぐらい消えています。これが宮津の土壌なんでしょうか。この最も悲惨な日、これ以上の死者が出た日はないんですよ、宮津の歴史の中で。
中世の繁栄は「自治都市・堺」と「自治の街・大山崎」として共通しているのではないでしょうか。 そこでお尋ねします。現在に至るまでに大山崎町では、姉妹都市・友好都市を探す活動はあったのでしょうか。また、今後具体的に探されることは考えられないのでしょうか。 観光振興についての2番目でございます。
今回は府中地区のうちの国分地区の字の区域及び名称の変更ということですけども、もう皆さん御案内のとおりだとは思うんですけども、この府中地区はさかのぼりますと古くは奈良時代には国府が置かれておったり、また国分寺が建立されたりと、古代から中世までは丹後の中心都市でありまして歴史ある地域であります。
また、京都府が近年実施しました分布調査の結果が京都府中世城館跡調査報告書にまとめられておりまして、これら2つの山城もその中で紹介をされています。いずれの調査につきましても踏査を行いまして、主としては地表面から確認できる範囲で遺跡の所在とか範囲等を確認したので、発掘までは行っておりません。
むしろ京都府神社庁との無償譲渡の交渉を迅速に成立させ、桜山を宮津市の公園として整備し、津波発生時には車椅子や救急の自動車が登れる避難場所として、また金屋谷の寺町とともに中世から近世の宮津を伝承し、69年前の戦争を伝える憩いの場としての桜山児童公園とすることを御検討願います。
ただ、どの時点で、江戸時代なのか中世の時点なのかまでは今のところは断言できませんが、やはりそんなに古い時代ではなくて、ある時期に同じような共通の言葉として使っていたのだろう。それが残っているのだろうというようなことを言われておりました。
○本城隆志委員 じゃあ、楽しみには一応しときますけど、あの竹は古代からあったんじゃなしに、結構近年に竹が生えたかどうかのことをちょっとお知らせしとかないと、竹が昔からあってあの雰囲気やったというふうにとるのか、雑木林的な木が生えてたんが中世以降あるいは室町、あのあたりから生えたのか、そのあたりはどうわかりますか。
1が古代、2が中世、3が現代、そしてゼロが未来という、市政のこれまでの継続とこれからの発展を象徴します、まさに歴史的な年であろうと、このように考えております。
そもそも、この世界遺産に登録しようということの背景では、宇治茶というのは、今お話もございましたように、中世以来、日本茶のトップブランドとして評価を受けてまいりました。特に、京都の歴史や文化とともに発展をし、人々の生活の中に溶け込んでいるということが大きな意味があるというふうに思います。
そこで、やはりこれからのやっぱり落ちついた、住み続けたい長岡京市を実現していくためには、やっぱりこの文化という面、私が申し上げております文化といいますのは、スポーツ活動や文化活動、芸術活動を総称して申し上げておりますけれども、しっかりと対応させていただき、そして長岡京市の大きな特徴であります、やはり都があった、そして中世までいろんな名所旧跡に恵まれてる、その文化を、過去の文化、文化財ということです、