長岡京市議会 2019-06-17 令和元年第2回定例会(第3号 6月17日)
先日、市民企画講座の新しい試みとして、市内の外国人に向けての日本語講座が開かれ、見学に伺いましたが、ベトナム人やフィリピン人など、多くの外国人と、市民ボランティアの皆さんとが参加され、和気あいあいとした雰囲気の中で、日本語学習や日本文化の紹介、コミュニケーションが行われて、感銘を受けました。
先日、市民企画講座の新しい試みとして、市内の外国人に向けての日本語講座が開かれ、見学に伺いましたが、ベトナム人やフィリピン人など、多くの外国人と、市民ボランティアの皆さんとが参加され、和気あいあいとした雰囲気の中で、日本語学習や日本文化の紹介、コミュニケーションが行われて、感銘を受けました。
昨年3月、千葉県でベトナム国籍の小学校3年生の少女が登校途中に連れ去られ、殺害されるという痛ましい事件が発生いたしました。 そして、今年ゴールデンウィークが明けた5月7日、小学2年生の女児が下校時、友人と別れ1人になり、自宅までわずか300メートルの場所で連れ去られ、殺害される事件が発生しました。 この地域では、事件発生以前より不審者情報がたびたび発信されていました。
約3カ月前の3月24日、終業式に出席するため家を出た直後に行方不明になった千葉県松戸市のベトナム国籍の小学3年生の女の子、レエ・テイ・ニャット・リンさんは、無事に戻ってという、両親や周囲の願いかなわず、2日後に水路脇で遺体となって発見されました。そして4月14日、子供を見守る立場にある人物が容疑者として逮捕されるという衝撃的な展開を見せました。
○滝川環境経済部長 作製いたしました絵本でございますが、市内の保育所、それから小学校に配布をしたのを初め、国際ソロプチミスト京都-西山様の御協力によりまして、ベトナムの小学校などへも絵本をお送りし、活用いただいているところであります。 以上です。
2006年5月に、チリ、シンガポール、ニュージーランド、ブルネイの4カ国で始まったTPPですが、その後、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナム、マレーシアが参加の意思を表明し、現在9カ国による自由貿易圏ができようとしております。 そして、このTPPに対して、10月に菅総理大臣は、TPPへの参加の検討を表明しました。
御承知のように、世界の主要なコメの生産国であるベトナム、インドが国内の供給を確保するため、相次いで禁輸に踏み切ったのがきっかけでありますが、また、ロシアやウクライナなども、穀物の輸出規制の動きを強めているのも事実であります。そのほかにも、オーストラリアなどの主要な小麦、トウモロコシの生産国が異常気象による干ばつに見舞われ、甚大な被害に遭っているのもその一端であります。
最後に、過日、元APタイム誌の特派員で、中東紛争をはじめベトナム戦争等、13の戦争に従軍カメラマンとして活躍し、97年の湾岸戦争を最後に現役を引退した後、ニューヨークに住んで後進の指導に当たっておられるエディ・アダムズ氏が、ベトナム戦争を回顧しながら、合衆国の現状を分析されている記者会見記事があり、当時の悪夢の日々の連続を思い出しながら読みました。
朝鮮動乱に始まり、ベトナム戦争、89年のパナマ侵攻しかり、合衆国は常に民主主義国家の樹立の名をかりて、その解決策を武力に訴えてきました。この行動は国連憲章の無視、内政干渉、一国覇権主義にほかありません。そして、その都度、国連は合衆国の行動に追従する形で、大義名分の国連の旗を与えてきました。これらの要因から、さきの国連安全保障理事会の全会一致にならなかったことがございます。
以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、この傾向は強くなり、ベトナム戦争での民間人の死傷者割合は95%にもなっております。これはコソボでも見られたことで、NATO軍は陸上部隊を出さず、輸送路を絶つための空爆で橋や道路を破壊し、病院や学校を爆撃して多くの市民の死傷者を出し、NATO軍自体は1人の戦死者のみで、セルビアの降伏を引き出しております。
私自身、これに似た、似通った光景を目の当たりにしたのは、ベトナム戦争当時における沖縄駐留の米軍基地の実態に限られております。したがいまして、幸福なのか不幸なのかわかりませんが、戦時体制あるいは有事の周辺事態が発生したとき、どのような事態に陥って、国民の義務として何をしなきゃならないかという点について、明快な回答を持ち合わせておりません。
ベトナム戦争以後、昭和50年代から日本のNGO団体が世界各国で活動し、国際的にはその歴史を培っておりましたが、日本の国内においては余り評価されず、さきの阪神・淡路大震災のときに、やっと日本のNPOの存在が脚光を浴びました。この程度の日本における認識です。
市長も御承知のように、核抑止などという間違った考え方から、今日、不幸にして地球を数回破壊してもなお余りあるほどの核兵器の量を持つに至っており、しかも、それがゆえにベトナム戦争や中東戦争でも明らかなように、世界のどこかで紛争が起こるたびに、この核兵器の使用が持ち上がってくるという危険な状況のもとで、核兵器廃絶の世論と運動が、今日もなお繰り返して呼びかけられ世界に広がっているのであります。