合志市議会 2021-02-26 02月26日-03号
初めに、慰霊碑に刻まれている碑文を読みます。「1945年(昭和20年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して太平洋戦争は終結した。このとき、ソ連(現ロシア)は不法に軍人、軍属、民間人をシベリア各地に強制抑留し、その数は60万有余に上がった。折からの食料不足、忍び寄る零下44度の寒気、過酷なノルマによる強制労働等によって犠牲者は全抑留者の1割を超す6万有余に達し、今なお異郷の凍土に埋もれている。
初めに、慰霊碑に刻まれている碑文を読みます。「1945年(昭和20年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して太平洋戦争は終結した。このとき、ソ連(現ロシア)は不法に軍人、軍属、民間人をシベリア各地に強制抑留し、その数は60万有余に上がった。折からの食料不足、忍び寄る零下44度の寒気、過酷なノルマによる強制労働等によって犠牲者は全抑留者の1割を超す6万有余に達し、今なお異郷の凍土に埋もれている。
資料提供としましては、西合志第一小、西合志中央小への「合志義塾学習」の際の展示パネル貸与、合志中2年総合学習での「地域学習」への資料提供、合志小6年歴史授業「日露戦役紀念碑文」の資料提供などをしております。 ○議長(坂本武人君) 後藤議員。 ◆4番(後藤祐二君) やはり若い世代に興味を持ってもらうことが一番だと思います。今後も継続して実施をしてもらいたいと思います。
この記念碑の建立者につきましては、昭和54年に発生した旧小川町役場の全焼火災により、当時の決算書等が焼失し特定はできませんが、記念碑の建立場所や碑文の内容、広報紙などから当時の小川町が建てたものと推測されます。 このことから、この災害復旧記念碑につきましては、今後、市が管理する災害復旧記念碑として修復も含めて検討してまいります。
池辺寺の伝承した池辺寺縁起絵巻や金子塔に刻まれた碑文によると、奈良時代初頭の創建と伝えられております。中でも百塚地区では、発掘調査によって平安時代初頭の寺院跡や全国に類を見ない斜面に並ぶ100基の石積みなどが見つかり、国史跡に指定されました。
池辺寺の伝承した池辺寺縁起絵巻や金子塔に刻まれた碑文によると、奈良時代初頭の創建と伝えられております。中でも百塚地区では、発掘調査によって平安時代初頭の寺院跡や全国に類を見ない斜面に並ぶ100基の石積みなどが見つかり、国史跡に指定されました。
もう一つのパブリックコメント、くまもと歴史まちづくり計画について、説明文について、説明板の記載内容が事実と異なっているため、碑文の全文を削除してほしいということで、削除するということなんですが、この説明文の碑文が事実と異なっているということが確認されたんでしょうか。
もう一つのパブリックコメント、くまもと歴史まちづくり計画について、説明文について、説明板の記載内容が事実と異なっているため、碑文の全文を削除してほしいということで、削除するということなんですが、この説明文の碑文が事実と異なっているということが確認されたんでしょうか。
また、台座には肥後出身の首相清浦奎吾の撰と書による碑文があります。これも小川町北海東の平原公園となっています。それから、お隣の豊野町には浄水寺、これまた貴重な文化財で観光資源として価値あるものです。このように本市には、西の海と東の山に世界的遺産級の宝があります。
これらの多くは、学校や公園など本市所有の土地に建立されており、また、旧熊本県知事や旧市町村長の碑文が刻まれているものもあるなど、建立当時、行政も何らかの関与があったものと思われます。 そこで、建立の経緯やその後の管理状況について、現在の本市資産台帳や旧市町村史、当時の行政文書等を調べ、また、遺族会に聞き取りを行いました。
これらの多くは、学校や公園など本市所有の土地に建立されており、また、旧熊本県知事や旧市町村長の碑文が刻まれているものもあるなど、建立当時、行政も何らかの関与があったものと思われます。 そこで、建立の経緯やその後の管理状況について、現在の本市資産台帳や旧市町村史、当時の行政文書等を調べ、また、遺族会に聞き取りを行いました。
そこには、東郷平八郎元帥の碑文も存在しているように、古くからの公園であり、進入路も狭あいで、維持整備も全体としてはなされていないところであります。この路線を地元の生活道路として捉えるならば、優先順位というものが本市にはあります。当然下がってきます。しかし、ここは世界遺産となりました三角西港と何ら変わりがない宇城市の誇るべき宝、地元の文化遺産で在ります。
夏目漱石が明治30年に五高の開校式のときに祝辞を述べたその一節が熊本大学の碑文としてありますけど、そこには「夫レ教育ハ 建国ノ基礎ニシテ 師弟ノ和塾ハ 育英ノ 大本タリ」という一節が述べられております。また漱石は俳句を詠んでおります。「秋はふみ吾に天下の志」という句でございますけども、これはどちらもやはり我が国の教育が国の発展の原点であり、しかもそれは普遍でなければならないということであります。
一、1階ロビーにおける平和都市宣言の碑文の設置や、屋外での啓発看板の設置等、市民の目に触れやすい場所での啓発活動を充実してもらいたい。 一、いわゆる被爆者援護法については、全国各地で提起された訴訟において、いずれも被爆者原告を支持する司法判断が出されている。
一、1階ロビーにおける平和都市宣言の碑文の設置や、屋外での啓発看板の設置等、市民の目に触れやすい場所での啓発活動を充実してもらいたい。 一、いわゆる被爆者援護法については、全国各地で提起された訴訟において、いずれも被爆者原告を支持する司法判断が出されている。
その後、農業情勢の変化によって、平成8年度から担い手育成型に移行して、農地の集積を図るとともに、点在する園芸ハウスの集団化を促進するため、町及び土地所有者の深いご理解とご支援により仮設ハウスを建設して、各地にあった生産基盤の整備を進め、一部の地域を除き86haのほ場整備事業が、平成15年に完成したと碑文にあります。
これにつきましては、西合志庁舎の改修や公共施設サイン等合志町の方でも出てまいりましたけれども、また西合志町の文政碑文製作費等でございまして、西合志町での決算は不用額となっておりますけれども、これにつきましては、合志市に引き続きまわしまして処理をしたものでございまして、合志市の決算となっておりまして、旧合志町とあわせまして、先ほど申しましたように、1,795万7,052円ということになっております。
その中でも、4基の石碑に刻まれた碑文が、特に貴重ということで、国指定に向けて努力しているところでございますが、先ほど申し上げましたとおり、検討委員会の委員さん方の意見を聞きながら、また県文化課と協議しながら、浄水寺の今後の保存に努めていきたいと思っております。
両者、碑文の撰にそれぞれその趣意が述べられ、我ら大いに是とするところでありますが、後者の熊本短大八代教室は、昭和26年より63年までの期間中、同36年から46年までの10年間、この地で過ごしたゆえをもっての選定であろうかと思われます。