八代市議会 2002-06-14 旧八代市 平成14年 6月定例会−06月14日-06号
セメントは、既に創業していた日本セメントから安値で供給してもらい、砂利は隣の球磨川から船で運び、青年団、婦人会など村人総動員の奉仕作業の建設工事でございました。 当時では、なぜあのような西洋建築になったのだろうか。考えられる理由の1つに、植柳出身の坂田道男先生の存在でありました。
セメントは、既に創業していた日本セメントから安値で供給してもらい、砂利は隣の球磨川から船で運び、青年団、婦人会など村人総動員の奉仕作業の建設工事でございました。 当時では、なぜあのような西洋建築になったのだろうか。考えられる理由の1つに、植柳出身の坂田道男先生の存在でありました。
次に、進入路の整備についてでございますが、3ルートを検討しており、第1ルートの日本セメント跡地からのルートについては、県が実施することとなっています南部幹線の計画高さや橋梁の形が決まらなければ計画が立てられない状況にございます。県が橋梁設計を行う際にあわせて検討してまいりたいと考えております。
請願第11号・妊婦健診費無料化の早期実現を求める意見書の提出方について(委員長報告) 第10 平成11年陳情第24号・国民本位の公共事業と建設行政の民主的転換を求める意見書の提出 方について(委員長報告) 第11 請願第9号・仮称まちづくり基本条例の制定方等について(委員長報告) 第12 平成11年陳情第19号・萩原町地内市有地の譲渡方について(委員長報告) 第13 陳情第11号・日本セメント
旧日本セメント跡地整備問題についてでありますが、この地域は、日本セメントが製造から撤退した後、飯田工業ほか数社がその施設の一部分を借り受けて現在まで営業活動を行ってきています。そして、八代市の拠点都市整備計画の一環として、この地域の活性化策、整備計画が、隣接する蛇籠港の整備とともに予定されているところです。
例えば、この十條製紙が昭和24年にでき、そしてまた興人が昭和11年に来て、そしてその昔、大正12年に日本セメントが来て、引き上げていったわけであります。興人も同じ昭和11年でありますけれども、そういう形で日本セメントの跡地に、熊大に農学部だけがないと、農学部だけでも来ぬだろうかと、いろんなことをだれもが考えたと思うわけであります。
さて、私は6月の定例市議会の中で、八代市の人口問題につきまして質問をいたしましたが、八代市につきましては元来イグサを中心といたしました農業が盛んで、そして興人、三楽、日本セメント、十條といった4大工場を中心としまして工業都市として隆盛を帯び、その勢いが商店街の発展につながり、以降企業誘致の成果も実り、何とか現在の10万8000人前後をキープしてここまで来たものと考えております。
1点目、拠点地区整備事業についてでありますが、日本セメント跡地問題であります。日本セメント跡地の整備につきましては、何年も前からその早期決着は市民の願いとなっており、執行部のその早期解決に向けた努力をまずお願いしておきたいと思います。
また、日本セメント跡地についてお聞きいたします。既に日本セメントは合併され、太平洋セメントと会社が変容しています。その中で、今までの土地取得についての話し合いは生かされているとは思いますが、現在どのように進行しているのかお知らせ願います。 3番目、行政改革の考え方について。 ことし9月、経団連より「PFIの推進に向けて」という提言が出され、現在国会においてPFI推進法が審議されています。
この基本計画における蛇籠地区へのアクセス道路整備計画案における地域内の車の動線整備計画では、3つのルートが検討されており、このうちの第1ルートは、日本セメント跡地からのアクセス、第2ルートは区域内の変則五差路からのアクセス、第3ルートは新前川橋からのアクセスとなっております。
この間、大手企業の興人の倒産、日本セメントの撤退など本市を直撃した経済の難問に腐心されましたが、昭和54年3月の大規模農道にかかる八代大橋の開通、昭和55年11月の八の字橋の開通、昭和56年4月の農事研修センター落成、5月の広域農免道路の開通、昭和58年南川橋の開通、昭和60年5月の公共下水道の水処理センター供用開始等、産業・都市基盤整備に対する御尽力につきましてもだれもが周知のことと確信いたしております
また、日本セメントの横でも、一角でもちょっと温熱を利用することができる、そういうのに利用して考える、いろんな構想があると思います。 あくまでも大正12年に来た日本セメントは、今賃借人がおりますけれども、あくまでも日本セメント株式会社の所有物であります。そこに絵をかき、いろんな形ですることは、その会社に対して申しわけないと思います。
また、まあそういうことで、あとこの川の交流広場づくりということにつきましてちょっと市長にお伺いしたいわけですけれども、この工事とそれから日本セメント工場跡地開発というのは市長の大きな公約だったと思いますけれども、西のレインボーとしての蛇籠総合開発計画というのがあったというふうに思います。
さらに、来年の10月ごろには、いよいよこの事業化計画の報告会というのが持たれるわけですから、この1年間というのは、市民の皆さんにとってどうなるかという、その期待をもとにしたところの一つの結果が出るわけでありますから、非常に大事な時期ではないかと思っておりますが、一つだけ私が希望を持っているのは、この計画書を見ますと、港湾流通拠点──港ですね、それから真ん中の流通ストック拠点──日本セメント跡地ですけども
次に、新幹線の新駅周辺など、その他開発計画の現状とそれに伴います財政問題でございますけれども、議員さんも御案内のとおり、現在、八代インター、新幹線の新駅周辺、日本セメント跡地、ニュー加賀島につきまして、県、市、民間活力開発機構とが一体となりまして、流通拠点整備に向けて取り組んでおるところでございます。
次に、場外馬券場の話も落ち着いた日本セメント工場跡地の民間活力開発機構との今後の進め方について、また日本セメントとの協議はどのように進めていらっしゃるのかお尋ねをいたします。
それから、これは民活の平成7年度の報告の中で、日本セメント跡地の利用計画は立派なやつができとるわけでありますが、これは日本セメントの方は知ってますんですかね。また、いろいろこの民活の方は進んでいっているわけですけれども、今、日本セメント跡地の問題が今後大きくクローズアップされてくるわけでありますけども、この問題に対して市長のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
すなわち、向こう10年間に職・住・遊・学がうまく融合した拠点都市づくりのために、1つ目には市街地の中心部、すなわち日本セメント跡地や蛇籠地区を、また2つ目にはニュー加賀島地区、3つ目は八代インター及び新幹線新駅地区といったところに、これから公共投資がなされようといたしているところでありまして、このようにすべてが北に偏っておりますし、また八代インターから港までの八代港線が開通したことにより、その傾向はさらに
平成6年度に八代市地域整備基本構想を策定いたしまして、御質問の新幹線新駅、八代インターチェンジ周辺と日本セメント跡地、そして八代港及びニュー加賀島の3地区を地域整備の核といたしまして位置づけまして、その整備理念について、県内外の企業及び団体に御参加をいただきましてその趣旨の説明会を開催したところでございます。
農家の経済があり、そしてまた十條、昭和12年に来た十條、そして興人、三楽、大正11年から12年に来た日本セメント、引き上げておりますけど。こういういろんな工場があり、4大工場といって、本当に小学生のころ北九州に次いで工業地帯と、こういう町です。 もう市長、格好は要らないんじゃないですか。
さきの市長答弁では、日本セメント跡地の場外馬券場売場は関知せずという答弁がございました。民活で推進しています日本セメント跡地については理解ができます。