八代市議会 2015-09-10 平成27年 9月定例会−09月10日-05号
昭和41年には、内港整備により100トンから1000トン級の船舶が常時出入りし、市内4大工場、十条、興人、三楽、日本セメント初め、県内外の製品や原料を輸出入して活況を見せており、また付近には出光、日石、三菱、興人の石油基地も完成。近年では、平成11年、釜山港との間に県内初のコンテナ国際定期航路が開設。
昭和41年には、内港整備により100トンから1000トン級の船舶が常時出入りし、市内4大工場、十条、興人、三楽、日本セメント初め、県内外の製品や原料を輸出入して活況を見せており、また付近には出光、日石、三菱、興人の石油基地も完成。近年では、平成11年、釜山港との間に県内初のコンテナ国際定期航路が開設。
また、その翌年、平成17年6月には、日本セメント跡地に今度はゆめタウン八代が進出、駐車スペースが2400台を有する、県南地域では最大級の店舗が相次いでオープンしたことになります。 この大型店舗の進出に伴い、中心市街地を取り巻く環境は非常に厳しいものがありまして、売り上げが2割から3割下がったというふうに聞いております。
セメントは、既に操業していた日本セメントから安い値段で供給し、砂利は隣の球磨川から船で運び、青年団、婦人会など村人総動員の奉仕作業による建設工事であったそうです。 当時では、なぜあのような西洋建築になったのだろうか、考える理由の一つに、植柳出身の坂田道男先生の存在でありました。
セメントは既に創業していた日本セメントから安値で供給してもらい、砂利は隣の球磨川から船で運び、青年団、婦人会など村人総動員の奉仕作業による建設工事であったということです。 当時は、鉄筋コンクリートそのものが珍しく、なぜあのような西洋建築になったのか考えられる理由の一つに、地元植柳出身の坂田道男氏の存在がありました。
一部移築活用されたことになったとはいえ、熊本駅前の月星化成熊本工場や八代市の旧日本セメント八代工場も姿を消してしまいました。改めて熊本市における産業遺産とはどんなものがあるかといいますと、意外に多く存在するのです。熊本市のホームページで歴史コースや文化コースでも紹介されているものもありますし、その存在はみんなが知っていると思います。
一部移築活用されたことになったとはいえ、熊本駅前の月星化成熊本工場や八代市の旧日本セメント八代工場も姿を消してしまいました。改めて熊本市における産業遺産とはどんなものがあるかといいますと、意外に多く存在するのです。熊本市のホームページで歴史コースや文化コースでも紹介されているものもありますし、その存在はみんなが知っていると思います。
しかしながら、本年6月末には隣接する蛇籠地区の旧日本セメント跡地に大型ショッピングセンターゆめタウン八代が開店の予定でございまして、開店後の周辺道路の交通への影響も大きいものが予想されております。 また、南川を挟む市の事業分については、平成23年度ごろには完成の見込みで、県事業に対する受け皿も整いつつあるところでございます。
日本セメントの解体が始まりまして、あっという間にイズミ・ゆめタウン八代がオープンすることになりました。たまにあすこの道を通りますと、前のイメージが全くなくなり、余りの変わりように本当に驚いております。昨年のイオン八代の開店に始まり、いよいよ2大ガリバー店がわずかの距離の間にうごめくこととなります。
松高へのイオン進出に続いて、日本セメント跡地のゆめタウン建設が始まり、私ら議会関係者もその起工式に参列いたしました。日本セメント工場跡地の廃墟が更地となり、現実にショッピングセンターの建設が始まっているのを見ると、夢のようであります。 この問題につきましては、竹田議員や堀口議員、同じ校区の前田議員、木田議員が同様な質問をされておられますので、多くは質問いたしません。
スーパーイズミ・ゆめタウン八代着工・県内5店舗目、イズミ・ゆめタウン八代着工・投資額53億円、ゆめタウン八代起工式・旧日本セメント工場跡地・来年夏の開業目指すなどの見出しで、各新聞社から、ゆめタウン八代の内容が紹介されております。 来年の夏にオープンとなりますと、市町村合併と時を同じくすることになり、八代市民にとりましては歴史的なイベントになります。
市としましては、旧日本セメント八代工場に設置されておりました施設及び操業の状態、並びにこれまで周辺の地下水から有害物質が検出されていないこと等を考え合わせますと、当該工場跡地は法に基づいて対策を講じなければならない土地には該当しないものと考えております。
しかし、太平洋セメント、旧日本セメント工場跡地へのイズミ出店のニュースが流れて間もなく、撤退を含む計画変更をするという報告が市長に対してなされました。その後、地元関係者の意向を考慮して、撤退はせずに業態の変更で出店を検討するということになりまして、12月中には取りまとめたいとの報告を受けております。そのまま今日に至っております。
それから日本セメント跡地にはまた商業施設が来る。しかも自分たちで、一丁目、二丁目、三丁目の皆さん方は真剣に、真剣に悩んで苦しんで、そしてアーケードをつくろうと、こうおっしゃったわけですから、その座長である助役がだれよりも詳しくなって、まず三丁目から一丁目まで1軒ずつ歩くべきですよ。
それから、太平洋セメントの旧跡地の、日本セメントの跡地の利用の問題でございますが、御承知のとおり、現在太平洋セメントの跡地につきましては、2社が候補が上がってるという情報でございます。ジャスコ、イズミの2社でございます。ジャスコの計画は、ホームセンターを中心とした計画、イズミにつきましては、ゆめタウンを中心にするものというふうにお聞きをいたしております。
御承知のとおり、中心市街地は7月からアーケードの改築も入りますし、川の交流広場等もありますし、将来的には日本セメント跡地の活用、中心市街地の活性化をつなげながら、この商業分野の活性化に向けて取り組んでまいりたいと思っております。
本市におきましては、昭和の時代には農業が基幹産業としまして、さらに四大工場により工業面におきましても隆盛を誇ってまいりましたが、日本セメントが撤退、興人は事業内容を大きく縮小転換、またメルシャン、日本製紙も大幅に人員削減が実施され、四工場のトータル従業員は、ピーク時の3分の1を大幅に下回ることとなりました。
続きまして、旧日本セメント跡地内で操業されていた各企業の移転も済みまして、正門も閉ざされました。この地の活用方についてさまざまな情報が錯綜をいたしております。本年4月23日、ゆめタウン・イズミの山西会長が八代市を、市役所を訪問され、イズミ出店の可能性を強くアピールされていかれたとのお話を聞いております。
さらには、中心市街地活性化事業、この日本セメント跡地を活用して、どのように振興するのか、これも大きな課題でございます。これらの課題を遅延なく万全な体制をしていくためには、市議会の御支援と御協力はもちろんでございますが、市職員一丸となってこの市政を推進する必要があると考えております。
セメント跡地の問題はですね、随分以前から、飯田工業所と日本セメントの間の契約の中で期限が来ることはわかってたんですね。非常に残念な御答弁なんですが、市の中心街に位置し、7ヘクタール以上の広大な面積を持つここの活用の方法は、これは八代の発展、そして八代のためには当然必要欠くべからざる重要な位置として位置づけられてきたはずでございます。
最後に、日本セメント跡地問題について質問をさせていただきます。 この問題は長年にわたり懸案となっておりますが、一向に進展する気配が見えてきません。八代市におきましては、これから5万トン岸壁の整備が予定される八代港、そして中心市街地の活性化という大きな課題を抱えています。その中間に位置します日本セメントの跡地の有効活用は、この2つの課題を考える上でも大変重要な位置づけとなってまいります。