水俣市議会 2022-03-16 令和 4年3月第2回臨時会(第3号 3月16日)
環境問題の解決に寄与する企業が水俣に興味を示すのも、吉井市長時代に、エコタウン事業に取り組み、全国初の環境首都としての認知度が高い影響が大きいと考えます。 吉井元市長の著書には、家電リサイクル事業者のリプラテック株式会社は、ほかの自治体から、水俣よりずっといい条件で誘われていたのをわざわざ断って、環境意識の高い水俣市に立地を決めた経緯が紹介されています。
環境問題の解決に寄与する企業が水俣に興味を示すのも、吉井市長時代に、エコタウン事業に取り組み、全国初の環境首都としての認知度が高い影響が大きいと考えます。 吉井元市長の著書には、家電リサイクル事業者のリプラテック株式会社は、ほかの自治体から、水俣よりずっといい条件で誘われていたのをわざわざ断って、環境意識の高い水俣市に立地を決めた経緯が紹介されています。
49歳で議員となり、チッソに11年間勤務しながら、ある時は三交代をしながら、岡田市長、吉井市長、江口市長、宮本市長、西田市長に、働く市民の代表としての意見をぶつけ、議論をさせていただきました。 思い出に残ることとして、1回目当選時の平成3年、環境創造水俣実行委員会のメンバーに議会から2人出すことになり、その内の1人に選ばれました。30名を超える各層、各界から選出された委員会でした。
水俣病という世界に類例のない公害病から大反省をし、環境と命を大事にする市政に大転換をして市政運営をしてこられた歴代の岡田市長、吉井市長、宮本市長の環境にこだわる市政を継承した中で、経済振興にも取り組まれ、引き継いだ田中商店補助金問題の解決を終え、今、水俣に明るい話題が多くなってきています。
当時の市長は、吉井市長でした。 その後、人口減少が進む中、平成12年3月、議員定数特別委員会を設置し、平成12年11月に24人を22人に賛成多数で可決、平成18年3月24日、22人を18人に賛成多数で可決、平成22年12月15日、18人を16人を全会一致で可決し、現在に至っています。 私たち2名の議員は、15年間それぞれの立場で積極的に活動し、成果を上げることができたと思っております。
次が吉井市長2期目の平成10年、6,000票以上の大差で当選されております。いずれも実績と抜群の知名度の現職に若手の新人あるいは元市会議員が挑むという、現職が圧倒的に有利な状況の選挙でした。
私はここに歴代の吉井市長からの施政方針とか、あるいは江口前市長のあれ、そして今の宮本市長、ずらっと、これ非常に大事にとっております。これをたまに見ながら、今回も取り上げておるわけでございます。それぞれの歴代の市長さんが水俣のことを思って一生懸命やってこられたというのは評価をしたいなと思っております。 ただ、なかなか経済というのが今厳しゅうございます、先ほど市長がおっしゃったように。
そういった内容のことを元吉井市長が述べられております。
それからもう一つは,今,経済効果の問題等についても,例えば民間のレベルでは到底考えられないようなことではないのかと指摘をされておりますけれども,上村議員も水俣をご視察になったというお話でございますが,熊日新聞にも連載をされておりましたけれども,水俣市の前の,前吉井市長さんがおっしゃっておられてこと,本当に私は感銘深く読ませていただきましたけれども,水俣市は財政力や経済成長率では他の自治体に比べてビリ
水俣の吉井市長とこの前会ってきました。吉井市長は昭和6年生まれですから、昭和6年の2月の10日か20日だったと思いますが、吉井市長は70歳になられました。私に言われました。「小薗、これが坂田の教えだ、みずからの時間を、みずからを律するということの難しさ、しかしそれは常に後進に道を譲る道をつくり上げていくという先達の偉さが必要だ」と、私は市長に言っておきたいと思います。
◆園川利一君 突然ですが、きょうの新聞紙上で、水俣の吉井市長、大変すばらしい苦労と、それから実績を残された市長が2期をもって勇退というような記事が載っております。 これまで市長は公約実現のために大変努力をされてこられたわけですが、その中に、いや、あるいは現実としてはかなり公約が不履行じゃないかなというような感じがしてならないわけです。