28件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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横浜市議会 1993-06-15 06月15日-07号

当時の横浜市会において,飛鳥田市長は,海を埋めますについてノリの業者にもあるいは漁師の方々にも賠償をいたしました,しかし一番大きな被害者子供たちではないでしょうか,とにかく海というものは楽しいものです,これを奪ってしまうのです,この子供たち賠償をしてやるということは何かそれにかわるものを与えてやるということが必要ではないか,と言っています。

横浜市議会 1992-05-13 05月13日-05号

この間,飛鳥田市長細郷市長,そして現高秀市長と3代の市長さんともどもに横浜市政の進展に参画できましたことを大変幸せに思っております。 私は,市政の主人公はあくまでも市民であること,私の政治信念市民に奉仕する姿勢を心がけ,モットーとしてまいったつもりでございます。今,高秀市長のもとに,2010年を目指しました新たな横浜都市づくりが施行されようといたしております。

横浜市議会 1992-03-03 03月03日-03号

(「承知してるよ」と呼ぶ者あり)そして,このときには,飛鳥田市長の最後の決断で,この天災地変等の,等の中に経済的変動を加える。そういうふうに解釈をする。それを三菱重工の重役が確かですねと確認をしてようやくこの予約契約に至り,それから4年後,1980年3月31日に正式な移転協定に至った。こういう経過がありました。 

横浜市議会 1991-12-20 12月20日-13号

(「ついでに言うことじゃあないだろう」と呼ぶ者あり) 本市のかつての市長飛鳥田一雄さんが,在任当時に国鉄とのあっせんに乗り出した新貨物線問題についてこう述べております。貨物線が市内を通るのを住民が不安に思っている。それをなくしてやろうと思った。計画を白紙に戻させることは考えなかった。貨物輸送が必要だという前提がある限り,白紙撤回はありません。ところが,これは誤りだった。

横浜市議会 1991-02-21 02月21日-03号

亡くなられた前市長飛鳥田一雄さんは市役所はサービスを提供するデパートですと言っていたことを私は思い出します。 港北区と瀬谷区でモデル地区として取り組まれた報告書を拝見しました。課題として指摘されていますが,第1は,事務局体制は保健所と福祉事務所が相談して設置と言っておりますが,どちらになるのでしょうか,具体的にお示しください。 第2は,在宅患者の介護に携わる人はだれなのか,お答えください。 

川崎市議会 1989-03-16 平成 1年 予算審査特別委員会-03月16日-02号

伊藤市長市民本位市政を目指す市長として市民の気持ちを大切にして,今も答弁ございましたが,さらに勇断をもって功績加給分1億6,918万2,000円を飛鳥田氏のように退職時に返上する考えがないかどうか,伺っておきます。  また,伊藤市長も過去にも議会で市長退職金の減額について検討してみたいとこう述べておられますし,ただいま任期中に何としてもやると,こういうご答弁でございました。

逗子市議会 1987-07-08 07月08日-03号

飛鳥田さんに請われまして、たまたま県知事に当選されて、何期かやっておられるわけでございます。また富野市長も、やはり同じような形で、一住民運動家として、いろんな考えでやられたわけでございますが、しかしながら長洲さんが言ったんですね、県知事というポストに就きますと、やれマルクスだ、レーニンだとは言っておれないわけでございます。どうしても体制の中に組み入れられてしまうのは当然でございます。

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