三浦市議会 1995-12-07 平成 7年第4回定例会(第2号12月 7日)
例えば1853年のM7の嘉永小田原地震、これが幕引きになりまして、翌1854年には四日市一帯でM7.2の大地震、同じ年にさらに関東から近畿にかけてM8.4の安政東海地震、その32時間後には紀伊半島沖にM8.4の安政南海地震、さらに翌年の1855年にはM6.9の安政江戸地震という最悪の都市直下型地震が起きました。
例えば1853年のM7の嘉永小田原地震、これが幕引きになりまして、翌1854年には四日市一帯でM7.2の大地震、同じ年にさらに関東から近畿にかけてM8.4の安政東海地震、その32時間後には紀伊半島沖にM8.4の安政南海地震、さらに翌年の1855年にはM6.9の安政江戸地震という最悪の都市直下型地震が起きました。
ここで東海地震の歴史を検証してみますと、安政元年、これは1854年でございますが、12月に、駿河湾から熊野灘までの海底大破壊を起こしました安政大地震が起き、そしてその翌日、潮岬沖から足摺岬沖までの安政南海地震が連動して発生をいたしました。マグニチュードは8.4 と両地震とも想定をされております。