63件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

鹿児島市議会 2008-12-01 12月09日-03号

このようなことから、私はこれまで、安心安全なまちづくり施策の重要な柱の一つに掲げ、安心安全まちづくり条例を制定し、地域安全まちづくり活動への支援、子供たち安全確保防災都市づくりへの取り組みなど、ハード・ソフト両面にわたり諸施策を積極的に展開するとともに、さまざまな危機事象に対する危機管理体制充実・強化を図ってまいりました。 

鹿児島市議会 2005-07-01 06月20日-04号

本市ではこのことを教訓に、災害に強いまちづくり市政の最優先課題に掲げ、橋梁のかけかえや内水排除対策等に取り組み、総合的な防災都市づくりを今日まで推進をしてきております。市民生命財産を守り、市民が安心して安全に暮らせるまちづくりは、本市に課せられた最大使命であり、また、永遠の課題であると考えております。 

鹿児島市議会 2004-12-01 12月08日-03号

一方、心痛むことは、何といっても平成五年の八・六豪雨災害でありましたが、私はこのことを市政の大きな反省と貴重な教訓として生かし、議会協力して二十一世紀に向けた防災都市づくりをすることができました。 また、この間私は全国市長会会長などの重責を担うとともに、地方分権改革推進会議の委員として地方行政発展と真の地方分権確立に尽力することができましたことを生涯の光栄に存じております。 

鹿児島市議会 2004-06-01 06月22日-04号

一方、心痛む出来事は、何といっても平成五年の八・六豪雨災害でございまして、私はこのことを市政の大きな反省と貴重な教訓として生かし、議会の御協力も得て、二十一世紀に向けた防災都市づくりを達成できました。 また、この間、本市が二十一世紀においても南九州をリードし続ける交流拠点都市としてさらに飛躍をするための礎を築くために、高次都市機能充実には特に積極的に取り組んでまいりました。

鹿児島市議会 2004-03-01 03月05日-07号

一方、心痛む出来事として、平成五年の八・六豪雨災害がございましたが、私は、これを教訓として議会とともに防災都市づくりに励み、そのことについて一定の成果を上げることができたことをうれしく思っております。また、市政の二十世紀から二十一世紀への世紀の橋渡しという大役を担い、二十一世紀初頭の市政を担当することができ、大変光栄に思っております。

鹿児島市議会 2001-03-01 03月08日-06号

私は、この災害をかけがえのない教訓として、災害に強いまちづくり市政の最優先課題としてとらえ、市議会の御協力をいただく中で、その実現に向けて市民皆様方一体となって総合的な防災都市づくり、防災対策確立に努めてまいりました。市民生命財産を守り、安全で快適な市民生活を確保するということは、私どもの一番の使命でございます。 

鹿児島市議会 2000-09-01 09月12日-02号

私は、この四期十六年間、市民各面からの要請にこたえながら、本市が「潤いと活気に満ちた 南の拠点都市」として魅力あるまちづくりにつながる都市施設都市基盤整備、八・六災害教訓とした防災都市づくりまた、少子・高齢化の進展に伴う各種福祉施策など各面にわたる施策を積極的に推進し、市勢の発展市民福祉向上に努めてまいりました。 

鹿児島市議会 2000-06-01 06月09日-02号

鹿児島市は平成五年の八・六災害後、災害に強いまちづくりを目指し、危険ながけ地防災工事内水排除対策事業などで防災都市づくりが進んできているようです。また先日は、甲突川改修工事が完了した式典が県の主催で行われたと伺っております。そのように、災害に強いまちづくりが進んでいる中で、市内のあちこちでは降雨のたび、住宅の周辺が水浸しになると心配している地域が残っていると思われます。

鹿児島市議会 2000-03-01 03月08日-07号

こうした方々の無念さを思うにつけ、災害に強い防災都市づくりこそが市政中心に据えられるべきものと、心にかたく誓うものであります。 私は、平成九年第一回定例会において、甲突川激特事業完成を記念するとともに八・六災害の厳粛な事実を広く後世に伝えていくことを目的として、犠牲者慰霊碑、またはモニュメントを設置するよう御提案申し上げました。

鹿児島市議会 1999-10-01 09月22日-08号

こうした方々の無念さを思うにつけ、災害に強い防災都市づくりこそが、市政中心に据えられるべきものと心に固く誓うものであります。 そこでお伺いいたします。 第一点、八・六災害から導き出す教訓とは何か、明確にお答えください。 第二点、城西地区まちづくりに、それがどのように生かされているのか、具体的にお示しいただきたい。 

鹿児島市議会 1999-10-01 09月20日-06号

私はこの災害教訓に、ぜひできれば二十世紀中に鹿児島市の防災都市づくりを完結していきたいという強い決意を持ったところでございます。そしてまた、その後、議会皆さんあるいは市民皆さんの御協力をいただきながら、一体的になって防災都市づくりを進めてまいりました。また、国や県もこれを支援してくれたことも大変ありがたいことでございました。 

鹿児島市議会 1999-10-01 09月10日-02号

また、防災都市づくりの一環として進めてまいりました内水排除対策については、早期完成に向けて積極的に推進いたしました。 このほか、玉江橋、高麗橋の移設復元整備事業を引き続き実施するとともに、花棚川及び野呂迫川における雨水貯留施設を設置いたしました。 また、平成五年度から年次的に進めてまいりました地図混乱地域内における地図整備事業は、平成十年度をもって完了いたしました。