鹿児島市議会 2014-09-01 09月09日-03号
市長からは、市民の生命と財産を守るため、防災都市づくりにかける思いと決意が述べられ、また、日ごろから職員に対して危機意識を持って業務に当たり、いざ危機事象が発生したときには、組織が連携して迅速な初動対応等がとれるよう指示されていることがわかりました。 災害はいつどこで起こるかわかりません。
市長からは、市民の生命と財産を守るため、防災都市づくりにかける思いと決意が述べられ、また、日ごろから職員に対して危機意識を持って業務に当たり、いざ危機事象が発生したときには、組織が連携して迅速な初動対応等がとれるよう指示されていることがわかりました。 災害はいつどこで起こるかわかりません。
このようなことから、私はこれまで、安心安全なまちづくりを施策の重要な柱の一つに掲げ、安心安全まちづくり条例を制定し、地域安全まちづくり活動への支援、子供たちの安全確保、防災都市づくりへの取り組みなど、ハード・ソフト両面にわたり諸施策を積極的に展開するとともに、さまざまな危機事象に対する危機管理体制の充実・強化を図ってまいりました。
また、赤崎前市長は、豊富な行財政経験に基づき指導性を発揮され、健全財政を維持しながらふれあいと真心の市政を基本理念に、各種福祉・保健施設や水族館、鹿児島アリーナ等の建設など都市機能の整備や、八・六豪雨災害を踏まえた防災都市づくりに取り組んでこられました。
本市ではこのことを教訓に、災害に強いまちづくりを市政の最優先課題に掲げ、橋梁のかけかえや内水排除対策等に取り組み、総合的な防災都市づくりを今日まで推進をしてきております。市民の生命と財産を守り、市民が安心して安全に暮らせるまちづくりは、本市に課せられた最大の使命であり、また、永遠の課題であると考えております。
一方、心痛むことは、何といっても平成五年の八・六豪雨災害でありましたが、私はこのことを市政の大きな反省と貴重な教訓として生かし、議会と協力して二十一世紀に向けた防災都市づくりをすることができました。 また、この間私は全国市長会会長などの重責を担うとともに、地方分権改革推進会議の委員として地方行政の発展と真の地方分権の確立に尽力することができましたことを生涯の光栄に存じております。
この間、赤崎市長の卓越した行政手腕により、八・六災害後の防災都市づくりや都市基盤整備、福祉施策の充実、中核市への移行、そして、五町との合併など枚挙にいとまがないほど多くの施策を実現してこられ、鹿児島市は大きく変貌し、発展を遂げてきました。
一方、平成五年の八・六豪雨災害は、私の二十年間の中で最も心の痛む出来事でございましたが、私はこのことを私の市政における最大の反省点として受けとめるとともに、これを貴重な教訓として二十一世紀に向けた防災都市づくりに生かすことができました。
一方、心痛む出来事は、何といっても平成五年の八・六豪雨災害でございましたが、私はこのことを市政の大きな反省と貴重な教訓として生かし、議会の皆様と協力して二十一世紀に向けた防災都市づくりを進めることができました。
一方、心痛む出来事は、何といっても平成五年の八・六豪雨災害でございまして、私はこのことを市政の大きな反省と貴重な教訓として生かし、議会の御協力も得て、二十一世紀に向けた防災都市づくりを達成できました。 また、この間、本市が二十一世紀においても南九州をリードし続ける交流拠点都市としてさらに飛躍をするための礎を築くために、高次都市機能の充実には特に積極的に取り組んでまいりました。
一方、心痛む出来事として、平成五年の八・六豪雨災害がございましたが、私は、これを教訓として議会とともに防災都市づくりに励み、そのことについて一定の成果を上げることができたことをうれしく思っております。また、市政の二十世紀から二十一世紀への世紀の橋渡しという大役を担い、二十一世紀初頭の市政を担当することができ、大変光栄に思っております。
本市は、市民の求めに応じて福祉の充実を図りつつ防災都市づくり、道路、河川、橋梁、公共下水道、土地区画整理事業、公園、教育文化施設等の環境整備に最大限取り組み、市民福祉の向上と都市機能の充実を図ってまいりました。これらの事業推進に当たる一方で、事務事業の簡素化、効率化と経費の節減が求められています。
私は、市民の尊い犠牲と多くの被害をもたらした悲惨な災害を教訓にいたしまして、災害に強い防災都市づくりを市政の最優先課題として、市議会並びに市民の皆様方と一体となって甲突川激特事業を初めとする河川改修にあわせまして、内水対策など、総合的な防災都市づくりに全力を傾けてまいりました。
私は、このような過去の災害を貴重な教訓として、市民の方々が安心して暮らせる安全なまちづくりを市政の最優先課題としてとらえまして、その実現に向けて市民の皆様方と一体となって、総合的な防災都市づくり、防災対策の確立に全力を傾けてまいりました。
私は、この災害をかけがえのない教訓として、災害に強いまちづくりを市政の最優先課題としてとらえ、市議会の御協力をいただく中で、その実現に向けて市民の皆様方と一体となって総合的な防災都市づくり、防災対策の確立に努めてまいりました。市民の生命と財産を守り、安全で快適な市民生活を確保するということは、私どもの一番の使命でございます。
私は、この四期十六年間、市民の各面からの要請にこたえながら、本市が「潤いと活気に満ちた 南の拠点都市」として魅力あるまちづくりにつながる都市施設や都市基盤の整備、八・六災害を教訓とした防災都市づくり、また、少子・高齢化の進展に伴う各種福祉施策など各面にわたる施策を積極的に推進し、市勢の発展と市民福祉の向上に努めてまいりました。
鹿児島市は平成五年の八・六災害後、災害に強いまちづくりを目指し、危険ながけ地の防災工事や内水排除対策事業などで防災都市づくりが進んできているようです。また先日は、甲突川の改修工事が完了した式典が県の主催で行われたと伺っております。そのように、災害に強いまちづくりが進んでいる中で、市内のあちこちでは降雨のたび、住宅の周辺が水浸しになると心配している地域が残っていると思われます。
こうした方々の無念さを思うにつけ、災害に強い防災都市づくりこそが市政の中心に据えられるべきものと、心にかたく誓うものであります。 私は、平成九年第一回定例会において、甲突川激特事業の完成を記念するとともに八・六災害の厳粛な事実を広く後世に伝えていくことを目的として、犠牲者の慰霊碑、またはモニュメントを設置するよう御提案申し上げました。
こうした方々の無念さを思うにつけ、災害に強い防災都市づくりこそが、市政の中心に据えられるべきものと心に固く誓うものであります。 そこでお伺いいたします。 第一点、八・六災害から導き出す教訓とは何か、明確にお答えください。 第二点、城西地区のまちづくりに、それがどのように生かされているのか、具体的にお示しいただきたい。
私はこの災害を教訓に、ぜひできれば二十世紀中に鹿児島市の防災都市づくりを完結していきたいという強い決意を持ったところでございます。そしてまた、その後、議会の皆さんあるいは市民の皆さんの御協力をいただきながら、一体的になって防災都市づくりを進めてまいりました。また、国や県もこれを支援してくれたことも大変ありがたいことでございました。
また、防災都市づくりの一環として進めてまいりました内水排除対策については、早期完成に向けて積極的に推進いたしました。 このほか、玉江橋、高麗橋の移設復元整備事業を引き続き実施するとともに、花棚川及び野呂迫川における雨水貯留施設を設置いたしました。 また、平成五年度から年次的に進めてまいりました地図混乱地域内における地図整備事業は、平成十年度をもって完了いたしました。