姶良市議会 2021-06-17 06月17日-03号
全国の事例を調査してみますと、冒頭の東郷町のような企業、シニア世代や妊娠中で生理用品が不要となった市民、篤志家、そしてまた子育て支援サークルや子ども食堂、商工会やチャリティー団体等からの寄附が多くありました。
全国の事例を調査してみますと、冒頭の東郷町のような企業、シニア世代や妊娠中で生理用品が不要となった市民、篤志家、そしてまた子育て支援サークルや子ども食堂、商工会やチャリティー団体等からの寄附が多くありました。
◎建設局長(水元修一君) お尋ねの五代友厚像は、大阪の篤志家、坂岡勇次氏から本市が寄贈を受け、出生地の城ヶ谷に近く、正面に桜島を望める場所という理由から、昭和三十六年、長田陸橋に建立いたしました。その後、国道十号の交通量の増加により環境が変わったことから、五十六年に県産業会館前に位置する泉公園へ移設し、現在に至っているところでございます。 以上でございます。
低所得世帯の進学支援を目的とした給付型奨学金とし、ふるさと納税や篤志家の寄附で28年度に基金を創設し、29年度の進学者から給付をいたします。基金は6,000万円を目標額に、複数年度で造成します。
児童生徒が学校に納めるいわゆる校納金のほかにもPTA会費や例えば、創立百周年記念事業等を行うときの経費や地域の篤志家や卒業生からの寄附などもあり、その取り扱いや管理並びに使途には公平性と透明性が必要であり、不祥事が起きない環境づくりは学校の設置者として、また教職員の服務監督責任者として大切なことですので、以下伺ってまいります。
本当に教育関係に関するさまざまな予算とか、なかなか豊かになっていかない、そんな中で、このように篤志家の真心で財源を支えていただくということは、大変にありがたいことであるなというふうに実感いたしております。
加治木図書館は、かつて郷土館として使われておりましたが、昭和47年10月に現在の加治木郷土館が篤志家により寄贈されたことから、郷土館跡を図書館として活用しているものです。 現在の図書館は、歴史的な風情のある雰囲気の中で、地域に密着した教育施設として、学習や調査研究及び文化の向上に役立っております。また、建物自体は、平成14年に登録有形文化財になっております。
それはなぜあったのかといいますと、やはり伊佐市の篤志家たちが寄附を集めまして、何とか農業技術を高めていく伊佐市といいますか、そのときは伊佐郡だったかもしれません、伊佐郡をつくっていかなきゃいけないといったようなものがあって、この土地が国本会としての所有物となっていたということを考えますと、非常に市のほうに使っていただくのが一番国本会の趣旨に沿うといったようなこともあったように聞いております。
ただ、今、職員に調査させていますのは、やはりこれは銀行といいますか、金融系が中心になってファンドを組んで、そこに出資者を募るというような形でやっていくのか、あるいは、特別な方、篤志家がおつくりになるとなるのか、幾つかの方法があると思いますが、最近ではこのファンドを組むというのが行われているというところも聞きますので、そういう形で行うということはできると思います。
本年度に入りましてから、かつて旧加治木町に居住されていた篤志家の方から、本年度内に加治木地区の学校に太陽光発電パネルの寄贈をしたいとの申し出がございました。
しかし、18年災害のときに、ある篤志家の方から、それをすべて防災に使うということで1,000万という御寄附をいただきました。それをすべて防災無線の半額補助に回したわけです。そのときに、川内川流域を中心にして、今で言う幾つかの自治会がそういう計画をお上げになって、半額補助をさせていただきました。この防災無線に関しては、それがこの村づくりの事業と同じ意味合いを持っております。
そこで第二に、ベンチの整備状況と課題について、また富山LRTのベンチはメモリアルベンチとして篤志を募り、ベンチに篤志家のネームプレートを取りつけたベンチが設置してありますが、サービスの向上とささやかな増収対策としてベンチの設置可能性と募集についてあわせて示してください。 以上、答弁願います。 ◎交通局長(大西義幸君) お答えいたします。
◎健康福祉局長(邦村昇蔵君) 社会事業協会は、昭和三年に設立され、会員の会費や篤志家の寄附金で福祉事業を始め、戦前は診療所や養老院、愛児院を経営し、戦後は戦災者、引揚者、失業者の援護を行う恩賜財団同胞援護会鹿児島市支部となるなど、さまざまな社会福祉事業を行い、昭和二十七年には社会福祉法人となったものでございます。
同基金では、一般篤志家からの寄附金を基金として積み立て、その運用益で母子・父子家庭等の児童の中学校入学時に図書券を贈呈しております。また、現物での寄附といたしましては、一昨年、消防局に自動体外式除細動器四台の寄附などがございました。 なお、寄附を募るための周知広報につきましては特には行っていないところでございます。
合計金額だけで基金の内訳は出ていませんが、実は岐阜県を初めとする行政関係、あるいは本県では県の土木部各課の職員の方々が出し合った寄金、多額なところでは県建設業協会等を含め、各種団体や篤志家有志が、薩摩義士の顕彰館をぜひ建てようという目的に向けて寄附されたとうとい浄財が、現在、目的に向けて活用されることなく眠っている状況であります。
学校では地域の篤志家や卒業生から、また卒業記念等で学校への図書の寄贈は結構あるものです。今の答弁では、それらを含め当分の間はそれを一々学習情報センターで入力するとのこと。それはかなり大変で現場の実態に合わないのではないでしょうか。また中核市では十市が既に学校図書管理システムを導入していることが明らかになりました。
次に、五代友厚像の上町への移設についてでありますが、五代友厚の銅像は大阪の篤志家、坂岡勇治氏から銅像の寄贈を本市が受け、また建設費は鹿児島市の保直次氏の寄附により、出生地の城ケ谷を後方に見、正面には桜島を望める場所という理由から、国道十号、長田陸橋ののり面部分に昭和三十六年十一月十二日に建立されたものであります。
愛の福祉基金については、一般の篤志家からの寄附金を基金に積み立て、その果実を母子・父子家庭等の中学校新入学の生徒に対し、図書券を贈呈しておりますが、先ほどの答弁の中で平成三年度から同五年度までは一人一万二千円の図書券額面であったものが、同六年度は七千円となっております。