鹿児島市議会 2021-06-16 06月16日-04号
憲法は独立国なら自主的に制定するのが当たり前だからです。 市長は、第六次総合計画策定の趣旨の中で、「社会経済情勢の変化など時代の潮流を見据えた、将来における本市のあるべき姿と進むべき方向について」という表現もされていることから、国においての憲法改正の議論に対してのお考えをお聞かせください。
憲法は独立国なら自主的に制定するのが当たり前だからです。 市長は、第六次総合計画策定の趣旨の中で、「社会経済情勢の変化など時代の潮流を見据えた、将来における本市のあるべき姿と進むべき方向について」という表現もされていることから、国においての憲法改正の議論に対してのお考えをお聞かせください。
日本は独立国と言えるでしょうか。恥ずかしい限りであります。
大日本帝国憲法より現憲法に移行するに当たり,京都府芦田均大日本国憲法改正委員長はマッカーサーに対し,日本国を独立国として認めるなら,国際法上自衛権は存在すると強く求め,マッカーサーノートにあるように,認められたのであります。 日本国憲法は,米国の軍事占領下のもとでつくられたものでございます。敗戦国としての負い目を持ちながら,戦後処理の一つの方便であったことは紛れもない事実でございます。
まず,農業基盤をしっかり磐石なものにし,そしてまた食料の自給率を向上をさせておかないと,いろいろな面で日本は独立国でありながら属国になってしまうんじゃなかろうかなというような懸念も持っております。最近では,レアアースひとつとりましても,これを抑えられたらもう右往左往しておる状態です。
島津氏の琉球出兵四百年を特集した地元紙の記事は、「出兵後、琉球は、表向きは独立国ながら、薩摩と明とに二重支配をされた。このため、琉球の住民は過大な年貢や労役を課せられ、琉球に属していた奄美群島の戦いで多大な犠牲者が出た上、薩摩藩の直轄地となったものの、税は重く課せられた。複雑な利害が入り組んだしわ寄せは、それぞれの住民に苦難の歴史を歩ませる結果となった」と結んでいます。
試みに一九四一年の開戦当時、アジア・アフリカで独立国は一体何カ国あったか。これは私の方でお答えしましょう。アフリカではエチオピア、南ア連邦、リベリアの三カ国です。それからアジアではタイ国と日本だけ、この二カ国です。アジアとアフリカで全部で五カ国しか独立国はなかった。その他はすべて列強の植民地です。当時の世界的な覇権主義がよくわかります。
私ども公明党は、首相の靖国参拝問題については、五十年前、日本が独立国として国際社会に復帰するに際し国際社会に何を誓ったのか。また、中国と国交を回復するとき何を誓ったのか。日本は講和条約で東京裁判の結果を受け入れ、戦争指導者の責任を認め、中国は、さきの大戦で責任を負うべきは日本の戦争指導者であり国民ではないと明確に位置づけて、日本に対する賠償の請求を放棄してくれた歴史的経緯があります。