鹿児島市議会 1998-12-01 12月11日-04号
本市には、昔から各地域に伝わっている太鼓踊りや棒踊り、田植え踊りやそばきり唄などがあり、これらの郷土芸能を保護するため、教育委員会は文化財の保存団体が行う郷土芸能の保存及び振興活動に対し、これまで補助金を交付し、保護育成に努めているところであります。 この郷土芸能団体は二、三十人程度の構成人数で、毎年数回から十回ぐらいの割合で活動を続けておられます。
本市には、昔から各地域に伝わっている太鼓踊りや棒踊り、田植え踊りやそばきり唄などがあり、これらの郷土芸能を保護するため、教育委員会は文化財の保存団体が行う郷土芸能の保存及び振興活動に対し、これまで補助金を交付し、保護育成に努めているところであります。 この郷土芸能団体は二、三十人程度の構成人数で、毎年数回から十回ぐらいの割合で活動を続けておられます。
また、豊かな自然環境、文化財を初め、地域の特色を生かしたまちづくり、村づくりの中でさまざまな体験活動の場を子供たちに提供するなどの試みや、さらに都市と農山漁村の子供たちとの交流によってともに学びともに生きる心をはぐくむ機会を提供するなどの試みをふやすべきであるとの提言であります。 以上のような考え方を教育長はどのように受けとめられるのか、お聞かせください。 以上で、第二回目の質問といたします。
次に、自然遊歩道についてでありますが、美しい自然と豊かな歴史、文化財に接し、自然との触れ合いを深め、自然を愛護する意識を高めるため設置されている自然遊歩道は、現在六カ所、七コースが設置をされ、四季を通じて散策やハイキング等に市民に気軽に利用されているようであります。このような中で、谷山地区における自然遊歩道について順次お尋ねをいたします。 一点目、谷山地区のコースの名称、概要、距離について。
次に、玉江橋・高麗橋の移設復元整備事業の内容について伺ったところ、八年度は解体した石材を谷山港二丁目で保管・管理する石橋石材管理業務委託、復元地の現地測量、修景基本設計、復元設計業務委託、石橋移設復元に支障となる祇園之洲公園内の樹木の移植を行ったほか、熊本・諫早の石橋復元の先進地調査や奈良国立文化財研究所との工法協議等を行ったということであります。
鹿児島市教育委員会が編集した鹿児島市文化財調査報告書、鹿児島県土木課の編集による鹿児島県維新前土木史等に、河頭太鼓橋の由来等が記載されており、一八四〇年ごろまで甲突川は西方を迂回していたので、山を切り開き直線に変更し、山の下端石盤を橋台としてかけられた。石材は小野石で、嘉永元年、一八四八年、岩永三五郎の設計であり、藩主が郡山の花尾神社への参道としてかけさせたものと言われている。
次に、高麗橋、玉江橋の移設復元につきましては、文化財に関する学識経験者等で構成された石橋復元技術委員会の助言を受けながら、玉江橋は創建時の姿を再現し、高麗橋は明治四十二年の大改修後から昭和初期にかけての姿を再現することとしております。 今後のスケジュールにつきましては、石橋本体の復元工事に本年度から着手し、平成十年度に完成させる予定にしております。
文化財についてお伺いします。 本市の文化財の状況につきましては、本市教育委員会として平成三年二月、ちょっと古うございますが、に刊行されました「鹿児島市の文化財」の冊子で紹介がなされております。冊子によりますと、指定文化財は、国指定十五件、県指定三十四件、市指定四十三件の計九十二件を数えております。
さらに、有形民俗文化財である田の神、耕地整理の記念碑などの保存については、どのような対応をされるのかお示しください。 また、仮換地案の縦覧に伴い関係者から意見書等が出されているようでありますが、その対応はどのようになっているのか、お伺いいたします。 以上で二回目の質問といたします。
まず、文化指導員につきましては、地域にはそれぞれの地域の歴史があり、先人たちの残した貴重な文化財や伝承されてきた郷土芸能などの文化がございます。また、それぞれの地域にはこれらの歴史や文化に対して造詣の深い方々がおられるようでございますが、御提言の文化指導員を配置することにつきましては、難しい面があるのではないかと考えているところでございます。
なお、この移設復元方針は、文化財建造物の復元に関する専門家の一般的な考え方にも基本的に沿うものであり、「復元」という用語の使用についてもこれらの専門家の考え方を踏襲したものとなっている。
これらを踏まえて、教育委員会といたしましては、個性豊かな市民文化を創造するために、文化環境の整備、文化活動の促進、文化財の保護・活用を図ることとし、各種の事業を行ってきたところでございます。 具体的には、ふるさと考古歴史館の建設、児童文学賞、芸術鑑賞機会の充実、伝統文化の保護・継承、文化財の保存・整備などの事業を実施してきております。
三五郎の五大石橋とは別に、薩摩人がつくった文化財として価値のあるもので、径間十六・四メートルのアーチは、市内の石橋の中でも最大級を誇るものであります。
史跡、文化財等の保存・保護のあり方についてお伺いいたします。 私どもの鹿児島市は、藩政時代までは長年、島津七十七万石の城下町として栄えた町であり、多くの重要な史跡が市内各所に点在しております。それらは大方はよく保存されておりますが、場所によっては、戦災復興事業や区画整理等のためにまちの様相が変わり、その場所が道路脇や住宅の裏など狭いところになったり、管理等について問題があるところも出ています。
施設内には、陶器を焼き上げる電気やガスの窯が設置され活用されておられましたが、登り窯は、まきをたき煙が立ち上る関係で、もう十数年間使用されておらず、担当者の方は、この登り窯は、もう文化財的存在なんですと話しておられました。鹿児島市内の陶芸家も、登り窯で焼き上げる人はいないようであります。
鹿児島市は、市内各地で昔からその地域に伝わっている棒踊りや太鼓踊りなど郷土芸能の振興、伝承の保護を目的として活動している文化財の保護団体に対し、補助金を交付しております。これらの保護団体の中には、用具等がそろっており、活動も順調で余り経費もかけないで活動ができるものもあります。また、中には、それ相当の用具の準備、補修等に多額の経費を要する芸能もあるやに聞いております。
次に、今議会から大乗院橋に関して復元という表現を使わなくなった理由について伺ったところ、大乗院橋の復元という表現については深い認識に立たず今日まできていたが、具体的に事業を進める中で、文化財の専門家からミニチュア化するのは復元とは言わない旨の指摘を受け、認識が違っていたことに気づいたところである。
当局は昭和四十九年に八田知紀先生の筆による日本画「竹」を、市の指定文化財に指定しておりますが、その八田先生の誕生地碑のそばに史跡表示板を設置しております。 第一点として、鹿児島市にある史跡表示板の設置状況について史跡が幾つあるのか、史跡表示板が幾つ設置されているのか、お尋ねいたします。 次に、この有名な吉野山の歌は史跡表示板には説明文の文中に記載していますが、小さくて余り目立ちません。
第二に、高麗橋の復元地に予定している祇園之洲公園は、市の指定文化財である砲台跡史跡であり、現状変更の申請が必要だと仄聞しています。これらの文化財との関係について、どのような経過で推移しているのか。 第三に、この三つの石橋復元のスケジュールと事業費をそれぞれ明らかにしていただきたい。 次に、大乗院橋復元についてお尋ねいたします。
玉里邸茶室付庭園の活用につきましては、鹿児島女子高等学校と協議を重ねてまいりましたが、庭園が学校の管理する敷地の一部でございますので、学校に申し出ていただき散策していただくことになることから、見学を希望される方々への案内板を設置するなどしてPRに努め、文化財の保護と活用を図ってまいりたいと考えているところでございます。
まして財政サイドでは、文化は投資効果の薄い地味なものとされ、文化財保護などやむを得ない支出として認められてきたようなところがあります。そして、文化は文化プロパーの価値として保護され、それが経済的価値を有するとか、地域振興としての貴重な戦力であるとみなすことには、いまひとつでありました。