鹿屋市議会 2019-03-06 03月06日-04号
そして、まして国体に向けて、奨励化もあると思いますので、やっぱり昔の太陽国体のときには、本当に鹿児島県全体、鹿屋全体が花いっぱい運動で、もうお花でいっぱいでした。そういう記憶を呼びかえらせるような、国体の前兆を感じさせられるような花いっぱい運動に、この植樹マスが生かされればなと思いますが、いかがなんでしょうか。
そして、まして国体に向けて、奨励化もあると思いますので、やっぱり昔の太陽国体のときには、本当に鹿児島県全体、鹿屋全体が花いっぱい運動で、もうお花でいっぱいでした。そういう記憶を呼びかえらせるような、国体の前兆を感じさせられるような花いっぱい運動に、この植樹マスが生かされればなと思いますが、いかがなんでしょうか。
その後、太陽国体、ボートの協議が開催され、それを記念し植樹された桜が花を咲かせ、名所となり、多くの方が高隈ダム、大隅湖に来てくださいました。 そんな歴史がある中、昨年の台風16号で2020年開催の国体も会場変更となり、護岸道路もいまだ通行ができず、綺麗だった桜を見ることもできません。本市の基幹産業である農業を守るためにも、国営第1号のダムは整備するべきものと思いますが、そこでお聞きいたします。
一方、昭和47年に開催された太陽国体以来、県内のボート競技の聖地として多くの選手を育んできた大隅湖については、県地域振興推進事業を申請し、高隈艇庫の機能向上を図り、ボート及びカヌーの水上スポーツの拠点として整備を進めてきました。
昭和47年第27回太陽国体以来、48年ぶりとなる本県での国体開催が正式決定し、本市においても去る8月23日に鹿屋市実行委員会を設立し、準備を進めているところです。 本市においては、成年女子バレーボール、ボート、自転車競技の3競技が開催されます。
平成15年2月に合併前の旧鹿屋市において、鹿屋市地域新エネルギービジョンを策定しており、環境への影響の少ない太陽・風力・バイオマス等の新エネルギー導入の指針を定めたものとなっております。
平成26年度には、本市における再生可能エネルギーの現状と今後の方向性を整理するため、再生可能エネルギー事業化促進事業による賦存量調査等を行い、太陽光、太陽熱、木質系バイオマスの導入の可能性が高いとの結果が得られたところでございます。
報道によると、鹿屋市と大崎町にまたがる200ヘクタールの山林は、ゴルフ場建設が計画されていた土地で、太陽電池モジュール約34万枚を設置する計画で350億円の投資です。2017年の稼働を目指しています。計画どおり進めば、国内最大のメガソーラーが完成しますが、現在の状況はどうなっているか質問をいたします。
また、今後は、太陽が冷却期に入ることから、かつて経験したことのないゲリラ豪雨の時代、異常気象の時代に入ると言われております。台風の常襲地帯である南九州、鹿屋は、まさにその真っただ中にあります。
また、再生可能エネルギーの取り組みについては、昨年度実施しました再生可能エネルギー事業化促進事業の調査結果から、本市においては、太陽光、太陽熱、木質系バイオマスの導入可能性が高いと考えられます。
今後は、今回いただいた御意見も踏まえ、太陽熱、水力などエネルギーのベストミックスによる地域や施設への地産地消を主眼といたしまして、モデル地域である吾平町の神野地区と4つの施設について、速やかに事業化へ着手してまいりたいと考えております。
オレンジリボン運動はオレンジのリボンを胸に飾ったり、ツリーに結んだりすることで多くの人が子供たちの太陽のような明るい未来を願い、虐待のない社会の構築のために自分にできることは何かを考えるきっかけとなっています。 本市でも11月は本庁1階のインフォメーションの隣にツリーが設置され、来庁者にオレンジリボンを結んでいただいています。
本市の誘致種目につきましては、昭和47年の太陽国体で開催した競技種目や、本市のスポーツ競技人口、地域活性化につながる競技種目であること、既存施設の活用などを総合的に検証した結果、正式競技としてバレーボールの成年女子と少年女子、漕艇と柔道の3種目、公開競技といたしましては、グラウンドゴルフ、この計4種目の競技を希望しているところでございます。
国体の本市の誘致種目については、昭和47年の太陽国体で開催した競技種目や本市のスポーツ競技人口、地域活性化につながる競技種目であることなどを総合的に検証した結果、県が行った平成24年10月の希望調査において正式競技としてバレーボール、漕艇、柔道の3種目、公開競技としてグラウンドゴルフの1種目を希望したところでございます。
<概要>平成16年4月に、太陽電池用結晶シリコンウェハーを製造するエム・セテック株式会社を誘致(地元雇用約200名)し、その際エム・セテック株式会社の社長と市長との懇談の中から、一般廃棄物処理場「クリーンセンター横浪」の閉鎖部分に太陽光発電パネルを敷き詰めて、大規模な太陽光発電をつくったらどうかという構想が生まれた。
ですから、前、私が太陽温水器とかエコとかいうことで、この議会で申し上げたときに私は上限5万円というふうにお願いしましたら、そのとき3万円になったんですか、当時の財政課長さんがそういうことで落としていただいたこともあります。やはり私は補助とか何とかというのは、それをやってみようという起爆剤であるべきだと、こう思うんです。
次に、再生可能な自然エネルギーの重要性に理解が薄く、太陽、風、水、大地をいかに活用するかの研究が全く弱いと言わざるを得ず、そのための積極予算が組まれていません。ことし7月には電力買い取り制度が法制化されますが、このような政治情勢や社会的動きをもっと敏感にとらえ、市政に取り組むべきではないでしょうか。 次に、防災関係についてであります。
鹿児島県では、1972年、昭和47年に太陽国体、「明るく、たくましく、うるわしく」として、県内21市町で華々しく開催されました。 本市では、漕艇が大隅湖で、バレーボールが新築の鹿屋市体育館で競技されました。約40年前、私ども初め市民は、胸を弾ませ郷土選手に心を込めて精いっぱいの応援をしたものでありました。あの当時の感動・感激は今でも忘れていません。青春の思い出でありました。
約50日間太陽を見ることができなかった。3月4日であった。さほどの大雨であったとは思われないが、降灰が流れ出し、水量は平常の数倍に達し、高隈川は大洪水となった。1軒の家かと思われるような大岩石を押し流し、こんな大岩石が田畑であったところに点々と押し流されているさまは、到底常識では考えることができないばかりか、およそ高台で水が氾濫することは絶対ないと言い切れるところで氾濫した。
鹿屋市花壇コンクールの歴史は古く、太陽国体開催時における市内への路傍花壇、フラワーボックスの設置などに端を発して、昭和51年度から平成17年度まで実施をされまして、本市のはなのまちづくり推進の一助を担ってきたところでございます。
日照率は全国有数の高さを誇り、降水量は全国的に見ても少なく、その気候を生かして、太陽エネルギーを利用した科学研究が盛んである。また、畑作農業が盛んで、タマネギの生産量は全国一である。1 廃校後の跡地利用はどの様な方法で進められたかについて。 ① 閉校(緋牛内小学校 平成17年3月閉校)までの経緯について ア 閉校の5年前(当時、児童数18名、複式3学級)から、地域との協議をはじめた。