◯市長(隈元 新君) 登 壇
おはようございます。
伊佐市
医師会立の
准看護学校についての御質問でございますが、平成20年に生徒数の減少で
募集停止が検討されようとした経緯というのは、私よりも当時、
総務課長であられた
山下議員のほうがもっとお詳しいというふうに思います。ですので、ちょうど11年前になるんでしょうか、私自身もよく覚えております。そして、就任して最初の
庁内会議を行ってこれを議会に諮るということを検討した、これが最初の事業だったというふうに記憶しております。
そのことで平成21年度に200万円の10年分として2,000万円の積み立てをするということで
准看護学校を支援するということで参っておりまして、確かにこれは一定の効果がありまして、平成21年は47人、平成22年が63人となりまして、その後も60人台、50人台というのを維持することができまして、平成26年、つい5年前のことですが、66人という一番多い生徒数がありました。この平成26年度までの推移を見ますとこの施策というのは確かに効果が120%あったのじゃないかなと感じるわけでありますけども、その後、10人ぐらいずつ減少していきまして、現在30人というような状態になっていて、大変な危機感というのを持っているわけであります。
これは何も
准看護学校の内容、中身が変わったわけではなくて、やはり
社会現象が大きく影響しているというふうに思います。それは、少子化というのが100人単位で生徒数が減っていくなんていう、そういう急激な変化じゃないわけでありますが、やはり全体の生徒数が少なくなっていくということで
鹿児島県内の各
高等学校あるいは
専門学校、そういうところが
生徒確保に必死になりますので、どうしても弱いところはこのようになってしまうというのがあります。それともう一つ、雇用の関係ではやはり景気がいいということのためにどうしてもほかの職種へ行ってしまうという、この大きな二つの社会的な要因というのがこの背景にはあると思っております。
私どもも、先ほどの
運営補助以外にも
外壁タイルの亀裂や落下等を改修するための支援とかをしてきておりますので、私たちの
努力不足が大きな原因ではないというふうに思いますが、それでもやはりこのような現実がありますから、何とかしなければならないというふうに危機感を持っているわけであります。
生徒確保に向けましては、
医師会事務局と今年の7月以降、何回となく協議を重ねてまいっておりますので、市としましても、どのような支援ができるかということで検討しております。それで、特にこれが
医師会立だからということは全く考えずに、やはり市の非常に重要な学校だというふうに位置づけて、
学生募集の案内を市の
広報紙等に掲載してきております。
今年度は
准看護学校の入学者の掘り起こしを目指すべく、
生徒募集や
学校案内を掲載したチラシの印刷を行いまして、市の広報紙、発送12月1日号によりまして全戸配布しております。ごらんにもなっていらっしゃるかと思います。このようなピンクのチラシというのでしておりますので、この効果もあればなと思いますし、また、今後も協議を重ねながら、最適な効果のあるPRあるいは推進というのを図るようにしてまいりたいと思っております。
◯7番(山下
和義議員)
広報紙等にも載せてもらって、私もそれを見たときに、私が言おうとしていることは市は取り組んでおられるということで非常に感謝しております。そういうことで、伊佐市としても、市直営でないにしてもこの学校が伊佐市に大事な学校であるということを市長みずからが肝に銘じておられることがよくわかりました。また今後もそうしていただければ。市民の安心安全のためにはどうしても必要な学校であるんじゃないかなと。
私の知っている
子どもたちも、大学に行って、やめて帰ってきてこの学校を出て看護師になったり、また、ほかのところで30代まで仕事をしていた女性の方が一念発起してこの学校を出られて看護師になられたとか、結構いらっしゃいますので、そういう方々の受け皿として非常にいいんじゃないかと思っています。今はどちらかというと新卒の方は高校を出て高看のほうに行かれます。そういうことでなく、なるべくこういう学校があるんですよと、
入学そのものはある程度のあれがあれば、ほとんどの方が学校に入って勉強さえすれば資格が取れるよと先生方もおっしゃっていますので、ぜひ続けていっていただきたいと思います。
そのためには、10年前はたしか、先ほど市長がおっしゃいましたように、議員の方々も理解されて可決をしていただいて、200万の10年分ということで2,000万の
運営補助をした経緯もあります。また、学校の外壁等の補修とか、伊佐市も
相当協力はしておりますけれども、今後を考えたときにもやっぱり何らかの補助というか、助成が必要になるんじゃないかなと思っていますので、そこら辺について、市長の考えがあればお聞かせいただきたいと思います。
◯市長(隈元 新君)
今回のチラシの中で非常にわかりやすいように市民の皆様方に広報させていただいておりますが、表裏といいますか、
両面刷りになっておりますけども、
募集要項等が一番わかりやすく表にございますが、裏面のほうを見ていただきますと、
医療機関などで働きながら資格が取れる、あるいは学業と家庭、子育ての両立ができる、夢に向けて第二の人生にチャレンジというこの学校の大きな特徴をお知らせしてございまして、そして、現実的には、経費が幾らかかるのか、時間割はどうなっているのか、
奨学金制度がどうなっているのかということと、給付金あるいは
貸付制度というのはこういうのがございますよというのを掲載してございますので、このことをお読みになりながら、特に自分が受けられる
奨学金制度、あるいは
給付金貸付制度、こういうところをそれぞれの機関に御相談いただければというふうに思っております。伊佐市の奨学金も該当しますし、それから、
給付金貸付制度の中では、
母子家庭、あるいは
父子家庭、あるいは
寡婦家庭、そういう方々への制度というのも御相談に応じてそれぞれできるようになっておりますので、まずそういうところを御覧いただくというのと、もう一つは、いわゆる
准看護学校の特徴としては、やはり病院に働きながら学業なさっているという方々などは病院との御関係の中で御支援というのが受けられるところもあるやに聞いておりますので、そういうところも並行して総合的にお考えいただければなというふうに思っております。
市が独自にする、まだそういうのはないわけでありますけども、今後ともこれは医師会のほうの事務局としっかりと協議していかなければ、先ほど申し上げましたように、支援の受け方にさまざまな違いがございますので、そういうところが重複しないように、どこまでできるのか、していいのか、そういうことは少し時間をかけながら協議させていただきたいと思います。そういうのの協議がまとまりましたら、また皆様方のほうに御相談申し上げるときがあろうかと思いますが、今私がお答えできる範囲ではそういうところでございます。
こういう
支援制度とは別に、やはり周りの応援していただく方々とか団体というのがありまして、例えばソロプティミストという団体がございますが、この団体が5、6年前から
九州本部の活動の一つとして、一生懸命頑張っている女性を応援しようという、そういう中から、伊佐の場合は、
母子家庭や、あるいは働きながら学んでいらっしゃる方や、そういう方々で成績の優秀な方を事務局のほうに御相談申し上げて推薦していただいて、そして
九州本部にそれを上げて、金額的にはそんなに大きな金額じゃないと思います、5万円から30万円ぐらいなのかとも思いますが、これは1回だけの適用になりますけども、そういう団体が5、6年これをお続けになっているということ、やはりこの伊佐のまちではそういうふうに周囲からの支援があるんだということなども生徒さんを募集するときの心強いものになるんじゃないかなと思っております。
私も教育長も入学式から載帽式、そして卒業式まで毎回出させてもらっております。特に教育長は自分の昔の教え子、あるいはそのお父さん、お母さんを知っているとか、そういう頑張っている子どもさん、だけど非常に家庭的にも厳しかったり、あるいは人生に少し紆余曲折があったりとしながら、そして再スタートをこの
准看護学校からするという方々もいらっしゃるようでございます。そういう教育長との会話の風景を見ながらとても頑張っているなというのを感じますので、やはり私
たち行政としましても、今後とも
学校自体を支援していかなくてはならないなと思っております。具体的には、またいろんなのが固まります時期がありますときに御相談させていただきたいと思います。
◯7番(山下
和義議員)
学校自体の支援については今後検討していただくということで、前向きな検討をしていただいて、医師会の先生方だけでなく、みんなでこの学校を支援できたらということを思っておりますので、市長のほうにそのことをお願いして、この質問は終わりたいと思います。
次に、
県立北薩病院の
医療体制の充実・
確保対策の取り組みについてお伺いいたします。
言うまでもなく、医療において近年言われているのは、患者は
かかりつけの病院等で診療を受ける1次医療、そして、その結果として2次医療の必要な患者は大きな病院を紹介していただき、そこで治療し、そしてある程度の期間を過ぎればまた
かかりつけの病院に帰ってきて全快するまで治療する、そういう
治療方針をここ数年、
厚生労働省は指導してきております。その中で、
伊佐市内の病院の先生方もそのようなところで自分のところで診察した患者さんを
北薩病院や、ここは姶良・伊佐が医療圏ですのでそちらのほうの病院、または水俣の病院、人吉の病院に急性期の患者さんを紹介されているみたいでございます。
ただ、今の
県立北薩病院の位置づけは、伊佐市、湧水町の一部、さつま町の2次
医療病院でもあります。
伊佐市民にとっては1次医療の病院でもあります。伊佐市の2次医療圏は、先ほども申しましたとおり、姶良・伊佐となっているため、
北薩病院の
スタッフが充実していない現状があります。伊佐市における
北薩病院は、市民の安心安全のためには欠かすことのできない病院であると私は思っています。市内の開業医の先生方も、
北薩病院があるから僕たちもちょっと安心して診療ができるんだよということをおっしゃる先生もたくさんいらっしゃいます。そういうことで、
北薩病院の大切さは私が言うまでもなく、市長も十分認識されていると思います。
そこでまず、最初に現在の
北薩病院の
スタッフの状況を教えていただきたいと思います。
◯市民課長(田之上 和美君)
県立北薩病院は、昭和29年に
県立北薩診療所を開設以来、伊佐市、湧水町及びさつま町を主な
診療圏域とし、長きにわたり急性期の疾患に対する医療を初め、高度な
専門医療を担う
中核的医療機関としての役割を担っていただいております。また、地域住民にとっては、身近な
医療機関として安心と安全の確保のためになくてはならない病院でございます。
現在の
北薩病院の
スタッフの状況についてでございますけれども、平成30年4月末日におきまして、常勤の先生でございますけれども、医師12人、
看護職員70人となっております。そのほか技術職、
事務職等を合わせて120人程度ということでございます。
以上でございます。
◯7番(山下
和義議員)
今、医師の先生が12人、看護師の方が70人、それで患者さんを診ておられるということです。この間、市長が鹿大の病院の先生に頼まれたり、県の医療課に行かれたり、そういうことはよくお聞きしていますけれども、なかなか
北薩病院の
スタッフが充実していかない現状があります。
今、鹿児島県も
医療関係については医師に対する
奨学金制度等を活用しながら、とにかく県内の病院で働いてくださいというようなことで一生懸命やっていることはわかるんですけれども、なかなか医師が県内の病院で働かない、何でなのかなと私ども素人にはよくわからないところがあります。その中で、無理なことを市長に言うようですけれども、脳外科や
耳鼻科等、たくさんの診療科がなくなってから
大分たちました。その間、市長を初め執行部が
鹿児島大学初め鹿児島県の
関係機関等に働きかけてこられております。結果は、伊佐市の
北薩病院は、小児科だけということではないんですけれど、
小児科医師が少ない中でも小児科の医師は確保されており、ありがたいことであると思っております。
子どもたちの安心安全のためには、この小児科の存在というのは本当に大きなものがあると思います。
ただ、このままでいいとは市長も思っておられないと思います。
発言通告書では今不足している診療科の先生等の状況をお伺いしております。しかし、これはとり方によって答えが違ってきます。市長として、まあ全部なんでしょうけど、ここだけは今後充足していきたい、市民のためには絶対、この科をもう一回復活するんだという、そういう
診療科等があればお伺いしてみたいと思います。
◯市長(隈元 新君)
現在、
伊佐市内の
医療機関から
県立北薩病院への患者の移送につきましては常に受け入れていただいておりまして、連携は非常にスムーズにとれているというふうに思っております。仮に
北薩病院で対応できないケースは水俣や人吉の
医療機関へ搬送されているとのことですが、そのコンタクトも
北薩病院で対応してくださっていますので、本当にありがたいと開業医の先生からはよくお聞きする話です。
以前はその開業医の先生が直接、人吉ないしは水俣の
医療機関へ御連絡、あるいはお願いなさるというようなことで非常に大変さがあったというふうにおっしゃいますが、今は一旦、
北薩病院のほうへ救急車搬送されて、そして事前に両方のどちらかの病院に連絡してそちらのほうに搬送する、そうしたら向こうで
ドクターが用意をして待っていらっしゃるということで非常にスムーズに、
医師不足のところはそういうふうに対応されているようであります。
平成20年の新
医師臨床研修制度の改編等によりまして
鹿児島大学などからの
医師派遣が困難になっているという、それが一つ背景にあるわけですが、
北薩病院におきましては
脳神経外科、
消化器科等の常勤医が不在でございますので、かわりに
非常勤医師で対応するというようなことになっておりますし、その他の診療科においても、例えば
循環器内科などはもちろん医師はいらっしゃるんですが、もう一人、二人いらっしゃったら患者さんはもっと増えるんじゃないかなというふうに内部では分析されております。
ですので、どうしてもこの科のお医者さんだけはというのを絞り込んでお話しするというのはなかなか難しいところがありますので、もちろん今、常勤医が不在になっているところは本当に欲しいなというのもありますけども、ここのまちの特徴からして
循環器系の患者さんがやはり多いということから鑑みますと、どこを優先するかというのは病院側のお考えになると思います。
しかし、私どもとしましては、今、
鹿児島大学のほうに働きかけていますのは、科目ごとに、そこの教室といいますか、そこのトップになられる方がいらっしゃいますので、その方々にやはり私どもの考えを訴え続けるということにしてきております。
そういう中でも、
小児科医師の確保につきましては、河野教授の御配慮をいただきまして、今のところは複数人の先生に在籍していただいておりますが、全国的に
小児科医師の確保が困難な状況にあると言われておりますので将来における保証はないわけでありまして、いつ
小児科医が不在状況に陥るかわからない状況であります。本当に最優先でまずここを複数人確保し続けるということは第一命題だというふうに思います。それは、障がいを持った
お子様方の医療的なケアについて、やはりなくてはならない
小児科医の存在でありますので、そのこととも関連がありますので、ここは本当に死守していかなければならないと思います。
それに加えまして、あとは、患者さんが増える科目なのか、今、全く不在の科目なのか、今、
ドクターヘリが非常に充実してきましたので、
ドクターヘリのないころに比べますと患者さんの命を守るという点からは対応というのはかなり改善されていると思いますが、ただ、夜間は
ドクターヘリが飛びませんので、そういうような悩みもあるわけですので、それとやはり、県のほうに要望していかなくてはいけないこととしましては、CTにしましても、MRIにしましても、その機種というのをやはり新しいのに更新していっていただくという、そのことも働きかける必要があるんじゃないかなと思います。
今、私どものほうの市民課、
こども課、
長寿介護課、そういう医療に関するところの職員で
北薩病院とほかの
県立病院と何が違うのかというのの内容分析を行っております。例えば、職員1人当たりの患者数、あるいは職員1人当たりどの程度の医療費になっているのかとか、そういう
さまざまデータ、今は
ビッグデータの時代ですので、そういうのをあわせながら、薩南病院は小児科がないために今、必死に運動をしております。向こうが必死に運動するということは、限られた
小児科医をどう配分するかになりますから、今私どもにところに複数人いるというところはやはり目をつけられるわけですね。そこのところでこちらはより必要性が高いんだということを示すためには、今の障がいをお持ちの方々への
医療的ケア、あるいは
産婦人科医との連携による子育て、そういうリンクしたものを戦略的につくり上げていかなければやはり相手にとられてしまうというところもありますし、
県立鹿屋病院の場合は、私たちが思っている以上に
器具器材が整っているなというのを担当課の課長から報告を受けております。
なぜ
北薩病院のCTの
器具器材がこのレベルなのか、なぜ鹿屋のほうに先に予算配分されているのか、これを分析しますと、結局、今これは想像の範囲ですけども、
人吉医療センターあるいは水俣の
医療センター、この圏域を超えた
医療連携が非常にとれているということで、鹿屋の場合、そこが都城とどの程度とれているのかとか、そういうあたりがまだちょっと私も分析できていないところですけども、想像としてイメージするには、何かそういうのの影響があるのかなとも思ったりしますし、いろいろ分析していかなければなりませんので、分析して、そしてどこをプッシュしていけばいいかということ、いわゆる戦略を立てなくちゃいけないかなと思います。
大学病院のほうに強く申し入れをしていくことは当然でありますけど、しかし、人事あるいは予算を持っている方々にやはり私たちが理論的にしっかり御説明できるようにならなければいけないかなというふうに思っております。職員も一生懸命そういうデータを今集めて、そして、先ほど申し上げましたような産婦人科、あるいは障がいを持った方々、そして一般の保育園での園児の状況、そういうもろもろ等のことを総合的に協議しているところでございます。
どこをと言われてどこをと言えないものですから明確な答えにはなりませんけども、なかなかこういうのというのは込み入ったものがありますので。ただ、7、8年前までは
県立病院に対して市が支援するというのは二重の支援じゃないかというような理論というのもありましたけど、今はそれはなくなっておりますので。それと、
大学病院に対するアプローチの仕方も、過去、私たちが考えていたアプローチの仕方よりももっと具体的にアプローチできるなということ等も今、
北薩病院の院長や、あるいは事務長の御意見や御指導をいただきながら担当課は協議を重ねておりますので、またそういうことが調いましたときには御相談することもあるかと思います。
◯7番(山下
和義議員)
市長がおっしゃるように、どこの科をとか、そういうことはなかなか難しいところでありますし、本当は医師が50~60人いて全部のことができるような、そして、器具機材も今、最新式のやつがありますので、そこに行って診察を受けるときに、ここの機械はまだこの程度かと思われないような、本当、そういう病院になっていただきたいと思っております。
何せ1次医療、2次医療のときに、姶良とかそういうところじゃなくて、今、本当に助かっているのは水俣市立病院と人吉総合病院じゃないかなと思っています。そういう意味では、県を超えて協力していただいている両市には本当に感謝申し上げなきゃいけないのかなと思っています。ただ、今後、伊佐市としても独自にやっぱりそういうことについては充実していかなきゃいけないと思っておりますので、今、市長がおっしゃいましたいろんなことを分析しながらそういう働きかけを強めていっていただきたいと思っております。
このことについて何らかの形で議員さん方もやっていただきたいとか、そういうことがもし私たち議会に対してありましたらぜひ言っていただきたいと思います。この議場にいる議員の方々はみんなそういうことに対しては御理解されていると思いますので、そういうときにはぜひ私たちにも相談していただいて、あの病院があるから開業医の先生方も本当に安心してできるんですよということを私も直接お聞きしましたので、そういう意味からも、伊佐市の中の
北薩病院の今後について、ぜひ頑張っていただきたいと思っています。このことについてこれで終わります。
この間、10周年記念式典がありました。その中で「生まれて10年 この先10年 「君と共に育つまち」」──10年先は私は78歳になっております。生きているか死んでいるか、または認知になっているか、自分自身の10年後はわかりません。ただ、植松議員みたいに元気に78歳を迎えていたらうれしいなというふうに思っております。10年先に生きていて、この10周年記念誌と10年後に出されるであろう20周年記念誌を読み比べることができたら幸せだと思います。
2年後にいろいろな考えの方が市長に立候補することでしょう。ただ、勝つために時として市民受けのためのマニュフェストを並べられる方もいることでしょう。政治家は覚悟を持って政治活動をするべきであると思っております。今、時として市民受けのよい言葉を使い、何事もとにかく勝てばよいという風潮があります。私の政治信条は皆さんと一緒です。うそ偽りのない政治を目指しています。勝つためにどのようなことをしてもよいと言う方もいます。勝たなければ何にもならない、そうかもしれません。ただ、勝ち負けは時の運であります。うそのない真っすぐな、愚直な政治をすることも大事であると私は思っています。汚い手を使い、人をだましてなっても、自分自身の心は貧弱になっていくように思っております。だから、そういう政治活動は自分にはできません。ただ、国の政治もそういう方向が見え隠れしているように私は思います。
伊佐市市制10周年記念誌の市長の挨拶の中で「これからの伊佐市は一つのまちとしての選択を行いながら、将来を見据えたまちづくりを主眼とし、「オール伊佐」で迫り来る変革の波に対応していきたいと考えています。市制施行10周年を迎えました伊佐市が、この記念すべき年を夢、希望あふれる新たな伊佐市づくりの元年として、伊佐市の豊かな人、自然、文化を最大限に活用し、誰もが住みなれた、住み続けたい、住んでよかったと実感できるようなまちづくりへ、さらなる飛躍の第一歩となるように全力で取り組んでいきたいと考えております」と述べられております。
市長の残り2年の取り組みは変革の波に対応していくこの先10年を左右する大事なときになると私は思います。今後2年間にかける市長の決意をお伺いし、私の質問といたします。
◯市長(隈元 新君)
10年後は私は80歳になりますので、私のほうが年上ですのでどっちが先はわからないわけですけども、御答弁申し上げる前に、先に、先ほどの
准看護学校のときに一つ言い忘れておりましたけども、医師会側としても、会員の方々の会費等を上げたりしながら何とか存続維持に努力していらっしゃるという、そのことはつけ加えておきたいと思います。行政だけに頼っていらっしゃるわけではなくて、みずから一生懸命努力なさっているという、そのこともお伝えしておかなければやはり少し誤解を招くと思いますので、これだけは補足させていただきたいと思います。
それと、
北薩病院に関しまして、議員の皆様方とも共同歩調をとるということは言うまでもございません。まさに「オール伊佐」なんですけども、それに加えて、さつま町、湧水町の執行部、それから町議会ともに、やはり本当に「オール北薩」というような形で運動を進めなければいけないと思いますので、かつてこの三つのまちで協議会を持っておりましたので、私どもがまずやるべきこと、みんなで一緒にやるべきこと、そのあたりは今後ともしっかりと段取りをしながら進めてまいりたいと思います。一応、この二つをつけ加えさせていただきたいと思います。
今、3番目の御質問をお聞きしながら、議員は私の
総務課長をなさっていたわけですから私の心の中までよく読む方だと思っているんですけど、こういう御質問をお聞きしながら、本当に不器用な方だなというふうにやっぱり思ってしまいますね。私と一緒に仕事をしているときもそういう不器用さで時々、私と衝突するところもあったわけでありまして、私はわりと要領のいい人間ですので、これだけ長くさせてもらったというのはその要領のよさもあるのかしれませんから、そういう意味では、この御質問に対して私がこうだああだとお答えするのはなかなか難しいところがあります。
ただ、今度の10周年の式典がその一つの象徴ですけども、それに至るまでのいろんな準備、それは記念誌を含めて、ほかのいろんなさまざまな市民参加型のイベントから、あるいは市がリードしたイベントまで数多くあるわけですけども、本当に皆さんに褒めていただいています。これほどまでに褒めていただくということは予想していなかったと言ったらこれは申し訳ないんですけど、本当にありがたいことだなというふうに思っております。
そのコンセプトの中心にやはりこれからを背負う青少年、
子どもたちのことがあったのかなと。その一番の象徴は両中学校の吹奏楽の演奏、そしてそれを指導した方がこのまちの出身で東京で御活躍の音楽家という、出身でなくてもファンを含めて、やっぱりそういうのを内外ともに全て含めてふるさと伊佐をコーディネートできたうちの事務局を本当は褒めてやりたいなというふうに思いますし、その事務局のもとに動いたひとりひとりの職員や市民、あるいは関連団体の方々のお力だったのかなと思います。ですので、やはりこれからの10年というのは、この記憶を常に忘れずに行っていったら大きな間違いはないのかなというふうに思います。
私自身としては、残りの2年が長いのか短いのか、それはよくわかりません。1日1日を一生懸命やっているというだけですので自分の実感としてはありませんが、ただやはり最近思いますのは、今まではほとんど思わなかったことですけど、走り続けてきていて自分が健康で元気であるというのを当たり前というふうに思っていましたけど、しかし2年というのを自分で意識すると、この2年間、絶対元気にしておかないかんな、恐らくそこで燃え尽きるのかな、この2年間をどういうふうにして燃え尽きるかなという。だから、後のことは余り考えていないんですね。そして次に担う人がやりにくいことを私のこの2年間で前さばきしておくことかなというのが今、私が一番思っていることです。
実を言いますと、議員は御存じのとおり、私は10数年前から職員メールというのを職員に配信しております。これは市外の方にも何十人かには配信していることになるんですけども、きょうの職員メールのタイトルというのは、これは別にきょうこの御質問があるから自分がこういうタイトルにしたわけじゃないんですけども、「楽しい答弁」というので送信しておりますので、職員には全員配信しておりますから皆様方も御覧いただければこんなことを考えているのかというふうにおわかりいただくかなと思うんですけども、前向きに質問していただく方に対してお答えする答弁というのは非常に楽しいんですね、私個人としては。しかし、職員としてはやはり課題を与えられますので、どういうふうに市長のほうに資料を持っていこうかな、どういう協議をしなくちゃいけないかな、市長からどういうような指示が来るかなという、そういうような気持ちで皆様方の御質問というのは聞いていると思うんですね。ですけど、私としては、議会でこういうことが出たからこれをしなくちゃいけないよねという一つの弾みがつきますね。ですのでやっぱり非常に楽しい答弁というようなことになるんですけども。たまたまきょうの場合はそういうのを書きましたし、あすはまだ原稿は全部書いていないんですけども、「西郷どん」の今度の日曜日の放映が西南戦争ですので、「楽しい答弁」とはまた違って、ちょっと切り込んだような形の内容を今考えているんですけども。そのように、あとの2年間というのは全身全霊をぶつけて、先ほど申し上げたように、燃え尽きるまで、最後の日に健康診断でひっかかったとなればちょうどいいのかなと。まあひっかからないほうが本当はいいんですけども、決してこの2年の間にそういうことが起きてくれるなよなと祈りながらの全身全霊になると思います。
これも別に答弁に備えたわけじゃないんですけど、これを最後の答弁にしたいと思いますが、御紹介したいと思うんですけど、たまたま僕が──これからの2年間というのはこういう心境です。それは、山一証券破綻というのをこの前のNHKスペシャルで御覧になっていたらその中での言葉ですからおわかりだと思うんですけど、前日銀副総裁の中曽宏氏という方がおっしゃっていたことです。これはまさに私
たち行政にも本当に当てはまるなと思いましたので。きょうはせっかくのいい機会ですので、私の答弁として使わせていただきたいと思います。
それはこういう言葉でした。「見えない現実でも直視する目を持って、悪いニュースほどまず関係者が共有しなければならない。それがいざというときに正しい初動ですとかスピーディーな対応を可能にします。常に最悪を想定して可能な限り策をあらかじめ考えておいて、その上で最善を祈るしかない。最悪の現実になった場合には考えておいた策を果断に勇気を持って実行すればよい。ですから、最悪が起きないことを祈るだけというのは、文字どおり、最悪だと思う」。これは私にとっては非常に教訓めいているんです。
皆さんも御存じかもしれませんが、私は神様を拝むのが大好きなんです。特に信仰宗教があるわけじゃないので、それはやおよろずの神、何でもいいんです。目についたのはとにかく僕は拝むんですね。しかし、本当に自分が最善の策を講じた上で拝んでいるのかと言われるとやはり疑問があります。神頼みだけをやっているような。これはそれではいけないんだということへの警鐘だと思います。山一がなぜああいうふうな破綻を迎えたかというのはあの番組でずうっとありましたので私は言いませんが、私たちのこの行政運営についてもいつそういう日が来るやもしれないという危機感は常に持ちながら、やっぱり中長期的に考えてやっていかなければならないだろうなというふうに思います。
以上、取りとめもなくなりましたけども、私の答弁とさせていただきたいと思います。
◯7番(山下
和義議員)
終わります。
◯議長(緒方
重則議員)
以上で、7番 山下
和義議員の
一般質問を終わります。
ここで、しばらく休憩します。休憩時間を5分程度とします。
△休 憩△(10時54分)
△再 開△(11時00分)
◯議長(緒方
重則議員)
休憩前に引き続き会議を再開します。
次に、12番 沖田 義一議員の
一般質問を許可します。
沖田 義一議員。
◯12番(沖田 義一議員) 登 壇
ただいまから
一般質問をしていきたいと思います。
私も何回も
一般質問しておりますけども、きょうほどなかなかうまく質問ができないのかなと思ったことは初めてでございまして、今の今まで非常に悩んでいるというか、
一般質問の趣旨がどうなってくるのかなと心配をしているところです。私はこの質問書を出す前にはそんなに迷っていなかったんですが、その後、行政のほうで水稲のことについて結論が出てきておりますので、その結論の異議として質問するわけですので市長も答えがしづらいかもしれませんけども、私は質問をしづらい立場ですが、精いっぱい頑張っていきたいと思います。
市長が来年は69歳と言われました。私は来年は72歳になりますけれども、そのような質問をしながら、どうしようかと思って一生懸命考えていることでございます。いろいろと切り口はあると思うんですけども、まず、川内川水系からの米つくりについて、湧水町と伊佐市の行政の判断が、伊佐はいろいろ対策をして米をつくるんですけども、湧水町は阿波井堰にヒ素が堆積しているようだから多分つくらない方向だと思うんですが、そういうことで、同じ川内川の水系でありながら上流の湧水町がつくらない、その下流の伊佐市がつくるということで全く正反対の政策になるわけでございまして、そのことから私もちょっと質問がしづらいわけです。それとあと、えびの市が、宮崎県なんですけども、そこの山の爆発でこういうことになっているんですが、この3市町がことしの米つくりについて今どういうふうな判断をされているのかまず聞きたいと思いまして、1番目の質問としたいと思います。
◯市長(隈元 新君) 登 壇
三つの自治体の対応がそれぞれ少しずつ違うということで、質問なさるとしましても大変やりにくいというのはよくわかるような気がするわけですが、まず前提としまして、地方自治体の場合はそこの自治体がやはり施策において最終的な決定をするということがルールでありますので、私どもが二つのまちにつくるかつくらないかということを相談して決めなければならないということにはなりませんので、そこはまず申し上げてからということになります。
それで、湧水町の場合は代替水源が40%ぐらい短期の事業でできるというのがあります。私どものところは10%しかありませんので、そのことがやはり判断する上での一つの悩ましいところじゃないのかなと思います。
私はその辺の悩ましくなくて、これは水質が安全であるということは確保されたわけであるし、万が一の場合が起きたときにどうするかという、そのことだけを考えればいいわけですので、考え方としてはある程度単純に考えることができたからこのような判断ができたということになります。
えびの市の場合も代替水源がございます。えびの市の場合は、今度は硫黄山に近いというところから、ヒ素とか、カドミウムとか、そういうものの希釈される率が私どものところに比べたら厳しいものがありますので、部分的にはつくれないところはあるのかなとは思いますけども、私どもと同じセンサーつきの自動水門をおつけになるということでございますので、おつけになるということはやはり川内川からの取水を考えていらっしゃるというふうに理解したほうがいいのじゃないかなと思っております。
ですので、えびの市と伊佐市は川内川からの取水を考えている、湧水町の場合は、20日の判断がもしおつくりにならないとするならば、やっぱり取水を考えていないということにおなりになるんじゃないかと思います。しかし、まだ期間が2週間近くありますし、協議を重ねていかれると思いますので、私どもと同じような形になられる可能性もあるんじゃないかなと思っております。
いずれにしても、三つのまちの条件がそれぞれ若干ずつ違うということがやっぱり今回の判断に影響しておりますが、米としてのブランド維持については三つのまちとも何ら問題なく、これからも風評被害等を防ぐべく共同歩調をとったりキャンペーンをしたりして対策を打っていこうというふうに考えております。
◯12番(沖田 義一議員)
ただいま市長のほうから説明がありましたけれども、私としてもそこはわかっていて質問をしたわけでございますけれども、同じ水系の上流から下流に3市町があるんですけども、そこが違った対応をとるということはそれなりの理由はあると思いますし、また、対応の仕方も、水系が違ったり小さな川等があったりして違うところは理解をできているわけでございます。伊佐市としては、伊佐米を守るためにまず米の安心安全を担保した米づくりをやっていくということだと思っておりますので、それがそのとおりできていくということが一番だと思っております。
あと、いろいろとこの対策をとっていらっしゃるんですけども、まず水質の改善が見られたとして水田をつくっていくわけなんですけども、その水田に係る水を供給するときの判断基準というのがあると思います。もちろんヒ素等が見られないということなんですが、新聞等によりますと、その監視センサーをつけて水の判断をしていって、水質がおかしかったら水をとめるというようなことを5,000万ぐらいの予算で来年の作付までにはつくっていくということなんですけども、水素イオン濃度、pHということになっているんですが、どういう水質のものなのか、これをもう少し我々あるいは市民の方も理解できるような説明をお願いしたいと思います。
◯農政課長(永里 浩信君)
その前に、先ほど市長のほうが答弁されたものに対して補足して説明いたします。
えびの市のほうは、11月9日の宮崎の新聞によりますと、3カ所、水門のほうを設置するということで、12月の議会のほうに費用として5,250万円の予算を提出するというふうに載っておりました。
それから、水質判断の方法といたしましては、今、議員のほうで質問がありましたpHとECという電気伝導を調査するシステムでございます。これは水質測定で酸性が強くなり、電気伝導が高くなるとヒ素が検出される可能性が高いということで、専門家の方に聞きながら、今からpHとECの観測をする、そういう機器を開発していく予定でございます。
◯12番(沖田 義一議員)
今ちょっと説明がありましたけれども、私たちとしてはこういうのはほんの素人でございまして、あの広い川内川の中に一つのセンサーだけをつけて、その数値によって安全だ、安心だと言うこと自体がちょっとわからないわけでございまして、センサーを置く場所によってもひょっとしたら違った結果が出るかもしれないわけなんですよね。だから二つとか三つとかにすればいいんですけど、新聞によると一つのセンサーというようなことでございまして、その水のよしあしを本当にこれだけで決めていいものかということも感じているわけです。だから、いや、これとこれはこういうことで絶対安心ですよということをやっぱりこういうところで行政のほうから答弁をしてもらいたいと思っております。
私は71歳なんですけども、そういう年でなかなか判断がつかないといいますか、1カ所だけじゃちょっとな、上流から下流までもっと設置をしてもらわないとどうなのかと。もちろん予算のこともあると思いますが、市民の皆さんが安心されるような答弁があったらお願いします。
◯市長(隈元 新君)
こういうのがつけられるのは少なくともやはり2カ所、3カ所以上になります。上流のえびの市は長江川のところからついているわけでありますので何カ所かつけられると思います。私どものところは湯之尾の鵜泊橋だけになるわけですけども、吉松のほうも、水門のこれでないにしても、水質検査を必ず行うところがあります。私どものところも、県と市と国土交通省の三者がそれぞれに水質検査はことしも続けておりますが、これからもずっと続けていくわけでありますので、センサーだけではなくてあらゆるところで水の検査というのは行われているという、この事実をまず御確認いただければ、1カ所だけではないということになると思います。
今回の場合は感知するのが早い、だから、要するに水の中を伝導する周波というのがあるだと思います。私どももこれから専門家にそのことはよく聞かなくてはいけないんですけども、その棒に触れたからそこですぐ数値が上がるということではないんだと思うんです。やはり何か電磁波のようなのを発信していて、そこに有害物質が触れたときに数値が上がってシグナルが鳴るという、そういう装置じゃないかなと。これは確認はしておりませんけども、そうでないと川全体は見られないわけでありますし。それと、水門に入るぐらいの有害物質であるならば当然、川全体を流れているわけです。固形物が流れるわけではありませんので。ですので、そういう点はこれから私どもがこれを開発しているメーカーともちろん詳しく協議していかなくてはいけないことだというふうに思いますが、全く素人の私たちが理解しようとした場合に、あの広い川内川の真ん中に1本だけ芯棒をつけておってもそれはわからんよなという、確かにこれは正直なお話だと思います。そのことで大丈夫なんですよというのをこれから私たちも理解して伝えていこうというふうに思っております。今私たちが考えられる装置としてはそれが一番適切だろうということであります。
私が何回も繰り返すのは、こういうことはすごくオーバーになっていって、さも汚染されているみたいに伝わっていくんです。私はこの風評公害のほうがもっと怖くて、議論をすれば議論をするほど、川内川の水質が悪いんだというふうにみんな思い込まされているんですね。しかし、この6カ月間やって、少なくとも湯之尾から下流においては水質は保全されているわけなんですね。まずそのことを理解してもらわなければ、どういう施策をやっても払拭されないというふうに思います。
それ以上に、農家はつくらないと大変なんだという別の側面もあるわけですね。だから、そこのところ考えての政策判断としているわけですので、議員さんとされてもなかなか質問がしにくいという、そういう点は確かに私も理解できます。ですけど、農家がつくれるようになる最善の施策というのは今考えるこのことだというふうに思います。