丸亀市議会 1996-02-26 03月04日-01号
城下町という歴史的風土は先人から引き継いだ貴重な本市の財産であり、これを保存し、さらにはこの特性を生かした美しい都市環境づくりを進めていきますことは、極めて重要な課題であります。 このため、昨年制定いたしました都市景観条例に基づき、引き続き市民の皆様の御理解と御協力のもと、長期的展望に立ち丸亀独自の魅力ある景観形成に取り組んでまいりたいのであります。
城下町という歴史的風土は先人から引き継いだ貴重な本市の財産であり、これを保存し、さらにはこの特性を生かした美しい都市環境づくりを進めていきますことは、極めて重要な課題であります。 このため、昨年制定いたしました都市景観条例に基づき、引き続き市民の皆様の御理解と御協力のもと、長期的展望に立ち丸亀独自の魅力ある景観形成に取り組んでまいりたいのであります。
4、城下町にふさわしいシンボル的名所をつくる。 以上の実現のため、関係者代表による審議会を設置して、住民意思が十分反映された計画づくりを早く実施できないか、市長の見解を求めます。 次に、地域産業の発展のために関連して2点お尋ねします。
本市では、新たなる観光資源として、女木・男木両島の観光開発に取り組んでおられますが、鬼ケ島と伝統的に深く関連のある城下町 香西周辺での新観光名所の開発についてお伺いをいたします。
私どもの住む丸亀市は、もともと丸亀城を中心にしたこじんまりとした城下町でありました。この50年の間に、周辺の村々を次々と吸収合併して今日の丸亀市として発展してまいりましたことは、既に市民の周知のことであります。今、民間におきまして、丸亀市を含む複数の市町合併を前提とした20万都市構想が語られております。この構想は、市の経済界の代表であります商工会議所会頭が率先して提唱されているものであります。
丸亀市都市景観条例の目指すところは、城下町としてのたたずまいを大事にし、個性のある落ちついたまちをつくっていくことにある。 1. 小規模公園の整備に当たっては、土地の有効利用という観点から地元と相談しながら、公園の存続、廃止を含めて見直し作業を進めている。 以上となっております。
しかしながら、先人の残されました豊かな田園風景を保全し、城下町の歴史と伝統を現代に再生し、個性的な丸亀の創出を図るための都市景観条例を初め、議員御指摘がございましたように、南部地域を含めた市街地の整備計画とか、地球環境の保全を念頭に置いた広く環境問題全体を包括する基本条例とか、緑化推進の基本条例などが現在未整備となっておりますので、これらのことにつきましても順次整備をしてまいる所存であります。
豊かな田園風景や城下町の歴史と伝統は、本市の貴重な財産であり、今後は、都市景観条例を制定し、市民の皆様の御理解と御協力をいただきながら、さらに丸亀らしい個性豊かな都市景観の創出に努めてまいりたいのであります。 本市のシンボルであります丸亀城につきましては、平成9年の築城四百年に向け、石垣の修復や二の丸の整備などに取り組んでまいります。
今後とも、城下町としての特性を踏まえ、地元商業者とか商工会議所などとともに、商店街の将来の方向を見定めた中で、ゆとりや潤いがあり、快適さ、明るさ、センスのよさを満喫できるようなものを目指し、商業地域の活性化に取り組んでまいりたいと考えておりますので、よろしく御理解をいただきたいと思います。
3.富屋町は、セットバックして車も通れるモール街にし、かつ、城下町らしい雰囲気を持たせること。そのために、地価が安くなっている今のうちに、商店街の裏などの大変広い空き地がだんだんありますので、それを市が買い取り、セットバックの種地として活用し、あわせて商店街が計画をしております金毘羅小路などの計画に活用すること。
丸亀は城下町のイメージを生かしながら活力あるまちをつくろうと、こういっておるようであります。 私は、何遍も申し上げてもなかなか善通寺では実現しません、これが。市民が夢の持てるまちづくりについて何遍も提案しました。空海生誕の地として「真魚の里」づくりに知恵を出し合ってはどうかと、善通寺という名称が、空海のお父さんの名前であることさえ知らない市民がふえつつあるのであります。
ところで、本市の歴史を振り返ってみますと、今から406年前の1588年──天正16年に生駒親正が、この地に水城を築造し、武家屋敷・商人町・職人町など町割りをして城下町をつくったことに始まるのであります。
このため、市民の皆様の御理解と御協力をいただきながら、丸亀城などの環境美化事業や地域清掃活動などを推進いたしますとともに、引き続き都市景観条例の制定に向けた取り組みを行い、城下町という歴史と豊かな自然、そして、市民の笑顔を大切にした丸亀らしい魅力あるまちづくりを推進してまいりたいのであります。
そして、官公庁や企業の支店が位置し、支店の経済圏として城下町を形成しておりました。 こうした中で、産業として、卸売業が本市の基幹産業として年間販売額2兆6,000億円を記録し、四国の販売額シェアの34%を占めております。お断りしますが、この統計は昭和63年度のものであり、次の統計年度が本年──平成3年になっておりますので御理解をいただきたいと思います。
今日の高松は、城下町として発展してきたところであります。高松藩12万石は、中規模な藩でありながら、親藩として高い格式を誇っていました。その象徴が高松城の天守閣であります。今回、天守閣の再建問題等を皮切りに、玉藻公園の管理等についてお聞かせ願うとともに、幾つかの提案をしたいと思います。
城下町であって、歴史的な町であって、非常に市街地がうまくできておる。そういうところへ美術館を建てれば、やはり自前ででも維持管理ができるわけなんで、その美術館ができたらやはりおっしゃるとおり周りが随分整備もされるし、またそこの活性化が出てくるし、行政が拠点をつくって活性化をさす、これは基本ですからね。うちはうちなりに80億円は80億円なりのやはり事業を考えていくべきではないかと、そのように思います。