二戸市議会 2020-09-07 09月07日-一般質問-02号
指導教室の場でありますが、猟友会や各支部ごとに情報交換などにより技術の研さんが行われているほか、岩手県猟友会では50歳以下を対象とした射撃訓練会や、わな製作実技講習会を行っておりまして、ベテラン講師による指導や技術継承のほか、狩猟担い手の確保に向けた予備講習会が行われております。
指導教室の場でありますが、猟友会や各支部ごとに情報交換などにより技術の研さんが行われているほか、岩手県猟友会では50歳以下を対象とした射撃訓練会や、わな製作実技講習会を行っておりまして、ベテラン講師による指導や技術継承のほか、狩猟担い手の確保に向けた予備講習会が行われております。
現在の主な活用方法は、農林水産業に多大な被害を与えている有害鳥獣を捕獲するための、鳥獣被害対策実施隊員の射撃技術の向上を目的とした、訓練の実施場所や射撃指導員の指導の下、事故防止のための安全射撃訓練を開催したりしております。しかしこの施設は、昨年の台風19号により、土砂が流入するなどの被害を受け、現在4月のオープンに向けて復旧作業を行っております。
実施隊の射撃訓練等にも参加させていただいて、現場を見させていただいております。一生懸命、皆さん技術の向上、そして安全対策に取り組まれております。そのためにも、この射撃場というのは、非常に重要なものというふうに考えております。 その会場にも、やはり宮古市以外の方もいらっしゃっておりますので、この地区にとっても、そういう鳥獣被害対策について重要な施設。
まず、大川地区に設置されている砲撃音自動測定装置の測定結果についてでありますが、国による砲撃音の測定は、沖縄県の県道104号線越え実弾射撃訓練の本土移転を円滑に実施するための施策として、平成8年の日米特別行動委員会最終報告書に基づき、宮城県の王城寺原演習場等5つの演習場周辺において、平成9年度から住宅防音工事が実施されたことによります。
また、年2回捕獲技術の向上と事故防止のため、射撃訓練を宮古常設射撃場で実施しております。現状の支援策に加え、射撃訓練に対する支援を提言いたします。 加えて、常設射撃場も老朽化が著しく、整備が必要となっているが、会員減少も相まって資金の調達が困難な状況であります。支援策を検討し、整備すべきと考えますが、市長の見解をお伺いいたします。 以上で壇上からの質問を終わります。
また、隊員の高齢化、あるいは担い手不足が深刻化をいたしておるところでもございますので、有害鳥獣捕獲者の担い手育成や新たな狩猟免許資格者の掘り起こしを行うとともに、猟友会が主催して年2回実施いたしておる射撃訓練等による会員相互の技術の向上を図っておるところでございます。 なお、金ケ崎町においても、この活動に対して支援を行ってきておるところでございます。
一方、周辺住民の皆さんには重車両の頻繁な往来や実弾射撃訓練からの演習場の荒廃による出水、訓練騒音など課題があります。 このような防衛施設が存在することにより、周辺住民の皆さんがこうむる不利益や障害を軽減するため、防衛施設周辺の生活環境整備事業として、障害防止工事や民生安定施設助成事業などを実施しております。
我が滝沢村では、雫石との環境組合の設立や将来に向けた市制移行問題、新設小学校建設、交流拠点複合施設建設、スマートインターチェンジの設置、旧警察学校射撃訓練場の取得など、将来に向けた夢を今まさに進めているところであります。滝沢村第5次総合計画後期計画におけるキーワード、夢、絆、生きがい、まさに村全体がこのマインドに向かって突き進んでいるものと考えられます。
11ページの警察学校の射撃訓練場の跡地活用事業の1億1,000万ほどの事業でございますが、先ごろ説明があったわけでございますが、坪3.3平方メートル当たりの金額にしますと5万5,000円、これが妥当な金額であったのか。また、この額についてはどちらからの提示だったのか、村からの入札の金額なのか、あるいは国からの提示の金額だったのかをお伺いしたいなというふうに思います。
現在も県警察学校の射撃訓練に使用されておりますが、周辺環境の変化により、特にも周辺住民の方々から大変心配をいただいているところでございます。 最初に、射撃場があることの現状認識と対応についてでありますが、ご指摘のとおり、当該地周辺は住宅が激増し、学校施設や保育園施設等が建設され、環境が著しく変化をしてきておりますことから、射撃場の移転が必要と認識いたしております。
今後においても、現状は十分認識いたしており、射撃訓練時の安全確保等については十分配慮するとのことから、時期など具体的な内容については示していただけない現状であります。しかしながら、村といたしましては住宅、学校施設、保育園等が建設されるなど、周辺環境は著しく変化しておりますことから、今後とも移転に向け引き続き交渉を重ね、具体的な計画が早期に提示いただけるよう鋭意努力してまいりたいと考えております。
同地は、長年にわたり通称射撃場と呼ばれ、旧陸軍の射撃訓練の場所でありました。新旧2つの射場から成り、古い方はおおむね現在の給食センターから西へ延びて位置し、構築の年代は確かではありませんが、青山町に第3旅団、これは騎兵第23及び第24連隊でありますが、駐屯した明治24年ごろまでさかのぼるものと考えられます。