宮古市議会 2021-03-04 03月04日-03号
江戸時代には、この陸中海岸で取れた海産物の輸出、江戸登船や蝦夷松前渡海船の絶好の停泊地となり、廻船問屋や海産物の仲買商人たちが軒を並べました。また、幕末の戊辰戦争における海戦の舞台にもなり、歴史にその名も残しております。明治維新後も三陸沿岸随一と言われた宮古港は、船舶の大型化や物資の増加に対応するため、埋立工事や港の改築、防波堤建設などが行われ、現在の姿を形づくってきました。
江戸時代には、この陸中海岸で取れた海産物の輸出、江戸登船や蝦夷松前渡海船の絶好の停泊地となり、廻船問屋や海産物の仲買商人たちが軒を並べました。また、幕末の戊辰戦争における海戦の舞台にもなり、歴史にその名も残しております。明治維新後も三陸沿岸随一と言われた宮古港は、船舶の大型化や物資の増加に対応するため、埋立工事や港の改築、防波堤建設などが行われ、現在の姿を形づくってきました。
現行の地域通貨リアスは、東日本大震災の被災事業者が結成したいわて宮古街なか商人グループの共同事業の一つとして発行いたしております。 地域通貨リアスは、震災からの復興と地域内経済循環を目的としたもので、1枚500円の券を550円で販売し、差額の50円を寄附金として支援していただく仕組みでありました。
商業振興対策補助金の中で、皆さんもご承知かと思いますけれども、街なか商人グループというグループ、震災からの立ち直りを目指してつくったグループでございますけれども、その中で復興市、俗に言う100円店ということで、かなり多くの方々が市内に来て、市内各店舗がいろいろ100円での企画を出していただいて、それで商店街の皆さんと市民の皆さんが交流できるような仕掛けもしております。
◆12番(須賀原チエ子君) 本当に宮古市はあらゆるものが森・川・海、すなわち農業、林業、水産業、本当に学べるものが全部、商業も近江商人からの歴史のあるまちでもありますので、本当にある意味、理想の実業高校をつくれる地だなと考えています。
今から約340年前の1671年に、江戸の商人、河村瑞賢により東回り航路が開かれると、鍬ヶ崎は干しアワビや干しナマコといった長崎俵物を江戸に送るための拠点となり、南部藩随一の繁華街として発展いたしました。 明治に入り、船の大型化や物資の増加に対応するため、埋め立て工事などにより宮古港の機能強化が図られ、明治41年には北海道、宮古、塩釜を結ぶ三陸汽船の定期寄港が始まりました。
私も商人の端くれとして、ひとつ私の考え方を申し上げて、質問を終わりますけれども、このタラソ施設、仮に宮古市を一つの株式会社としてみなした場合、百歩譲ってタラソテラピーが5,000 万円の赤字が出たとします。しかし、その赤字は、これはいわゆる商売的にいえば投資であります。言いかえれば仕入れであります。仕入れに 5,000万要したと、こういうことであります。