金沢市議会 2017-12-14 12月14日-04号
これは小阪議員におっしゃっていただきましたように、世界的な天文学者であり、Z項の発見者である木村栄博士を初め、高峰譲吉博士や櫻井錠二博士など天文学を含めた近代科学の基礎を築いた偉人を金沢は多く排出している土地であります。本市周辺には航空、宇宙にかかわる高等教育機関、ものづくり企業が立地しているところでもあり、科学を学ぶ環境が整っているところであります。
これは小阪議員におっしゃっていただきましたように、世界的な天文学者であり、Z項の発見者である木村栄博士を初め、高峰譲吉博士や櫻井錠二博士など天文学を含めた近代科学の基礎を築いた偉人を金沢は多く排出している土地であります。本市周辺には航空、宇宙にかかわる高等教育機関、ものづくり企業が立地しているところでもあり、科学を学ぶ環境が整っているところであります。
鈴木大拙はもとより、世界へ広く目を向けた高峰譲吉や八田與一など、郷土の偉人や逸材を生み出してきた本市の風土に関心を持ち、ふるさとの歴史や文化など、先人が残した財産をさらに磨き上げ、次の世代に引き継いでいかなければなりません。今の時代に求められている人材、そして地域を活性化できる人材を育てるためにも、偉人教育を教育の場で日常的に取り組むことが必要です。
その間、振り返っても、これまで私が金沢にゆかりのある偉人として、例えば八田與一技師、高峰譲吉博士、谷口吉郎、吉生先生、柳宗悦、宗理先生、そして、古くは戦国大名の高山右近、そして、アメリカの雑誌「TIME」で世界で最も影響力のある100人の中で第9位に選ばれた金沢美大出身の宮本茂さん等々、金沢にゆかりのある方を挙げさせていただきまして、いろんな提案をさせていただきました。
本市は、高峰譲吉や鈴木大拙など、世界で活躍した多くの偉人を生んできました。その一人に八田與一氏がいます。氏は、不毛の台湾の大地にダムや水路を完成させ、豊かな緑の平野に変えた偉人であります。私も、その偉大な功績と日台友好について本議場で取り上げましたが、市長は提案理由説明で八田與一氏の墓前祭への参列と台湾でのトップセールスを希望されました。
高峰譲吉博士をモデルにした「さくら、さくら」、ベストセラー「武士の家計簿」が原作の同名の作品。金沢をゆかりとした映画が、来年には2本立て続けに上映されるということです。石川県を舞台にした映画としては、「ゼロの焦点」「釣りバカ日誌」「能登の花ヨメ」等は記憶に新しいところでもありますし、アニメ映画「パッテンライ!!」
先般は、顕彰者の一人である高峰譲吉の御子孫からというゆかりの資料が、作家であり高峰の研究家でもある米国在住の飯沼信子氏を介して寄贈されたように、収蔵品も開館当初よりかなりふえているものと推察されます。開館当初は5人であった顕彰者は、現在8人となり、その数もふえております。
この中には、その後の日本科学界のリーダーとなり、現在の理化学研究所設置にも尽力した高峰譲吉や桜井錠二といった世界的な化学者も生まれてきています。また、1862年、金沢大学医学部の前身である種痘所の設立に合わせて、この壮猶館において蘭医書--オランダ医学書の会読が開始されています。
金沢の歴史や文化等を取り入れたもの、例えば、兼六園はもとより近江町や高峰譲吉博士など、郷土の偉人を中学生が英語で説明できるよう、中学校の英語副読本を現在作成中でございます。これらは、金沢市立中学生全員に配付し、英語の授業で使う予定でございます。
音楽の殿堂とも言われているところでもございますけれども、高峰譲吉さんが結成をされました、ニューヨークで上場企業をされております。日本人社長の会 日本クラブと申しますが、そちらから100周年記念で名舟の御陣乗太鼓の皆さんが招待をされたそうであります。 春に向かって大変喜ばしいニュースが多々ございます。 ところが、この町の中の大人たち、怪文書や誹謗中傷文書も多々最近まで出回りました。
ところで、偉人館に顕彰されている5人の先人には、直系の子孫のいない鈴木大拙氏、米国に三世が在住しております高峰譲吉氏を除いて、他の木村栄氏、藤岡東圃氏、三宅雪嶺氏の三偉人につきましては、それぞれ御子孫の方々が東京都などに在住しておられます。世代的には、既にお孫さんの時代となっており、そのお孫さんたちも今日ではだんだんと御高齢の域に入られております。
そうすると、梅ノ橋の近くは、私は、理屈が立つと、こう実は思っていまして、黒門前に高峰譲吉の建物を移しました。高峰譲吉が小さいとき育ったのは旧の梅本町であります。今の場所と大変至近距離にあると。ですから、私は、いろんなことをやはり思っていまして、土佐守家はどこにあったかといえば、旧の松ケ枝町小学校にありました。ですから、今のあそこは近い。佐野家は市役所の裏にありました。広坂です。
鈴木大拙と高峰譲吉は、金沢が生み、また、はぐくんだ世界に通ずる思想家であり科学者であります。このお二方は、外国人をめとりました。鈴木大拙の奥さんのビアトリスは、明治44年、結婚しました。高峰譲吉の奥さんはキャロライン、明治20年です。こういう時代に、外国人を妻に迎えて、そして世界に雄飛した。
三文豪が金沢から出たことは御案内のとおりですが、鈴木大拙であれ、高峰譲吉であれ、木村栄であれ、八田与一であれ、西田幾多郎であれ、生まれた、育ったということの違いはいささかあったとしても、いずれも世界に通用した人を金沢の明治は生んだわけでありますし、例えば鈴木大拙先生とか、高峰譲吉先生にあっては、あの当時、アメリカの女性をめとったわけでありまして、そういう偉大な人を当地がはぐくんだということでございまして
郷土の偉人、高峰譲吉博士の生家の茶室、そして匠心庵、旧園邸の茶室、梅庵などがあります。そしてきわめつきは、美術館の敷地に移築されます松涛庵、直山邸宅山のお茶室であります。そのほか旧中村美術館の茶室など、建物の中にある茶室は数多くあり、これだけの茶室を配置している都市はあるのでしょうか。そこで、具体的にはどのように使われていくのでしょうか。これまでの実績から教えてください。
わかりやすく言えば、橋場、浅野川の方面、兼六園周辺の中央部、犀川方面、こういうところにできるだけ集約ができればなという思いは持っていますが、そうした施設は、それぞれ立地の背景とか事由がなければなりませんで、犀星が生まれたとか、鏡花が生まれたとか、高峰譲吉が育ったところ、それぞれやはりいわれのあるところでなければということもございまして、そこがまた意味があっていいのではなかろうか、こんなことも考えたりしています
これまでも高峰譲吉さんの家あるいはお茶室の移築、そういうようなことをいたしまして、その場合に職人さんの技を生かす、そういう場をつくることに努めてきたところでございます。
また、同じ年には、郷土の誇る科学者高峰譲吉博士がアドレナリンを発見した年でもありました。資源のない我が国の以後100年間の反映は科学技術によって支えられてきた側面が大変大きかったと認識しております。金沢工業大学を有する野々市町としても、大学や企業との連携を通じて早い時期からの理科学教育振興を図るべきと考えますが、町当局の産学連携教育についてのお考えをお聞かせください。 以上です。
この財団は、ことしが高峰譲吉博士顕彰会創立50周年に当たりますことから、学校教育の枠を越え、柔軟かつ独創的な運営のもとで、子供たちの科学に対する探究心をはぐくもうとするものであり、大学及び企業等の協力も得て、ぜひ実を結んでまいりたいと考えております。 次に、21世紀に向けた当面のまちづくりに関し若干の御報告を申し上げます。
建物にも、ゆかりの地にも、高峰譲吉の夢が残り、子供たちに知的好奇心や刺激となるような整備を図られるよう希望するものですが、具体的な計画と整備方針をお伺いいたします。 また、江戸村には本市の誇れる政治家永井柳太郎氏の旧宅もあります。政治の近代化と普通選挙の普及に努められた永井氏の功績もまた後世に残すべきであります。
あたかもことしは高峰譲吉博士顕彰会の創立50周年に当たりますので、この機会に科学の心を育てる金沢子ども財団の年内設立に向けて準備を進めますとともに、小中学生の科学に対する知的好奇心をバックアップする柔軟かつ独創的な指導体制を整備してまいりたいと考えております。