66件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

金沢市議会 2004-09-15 09月15日-04号

戦争展平和映画祭音楽祭、体験証言会、シンポジウムなど、本市においても宣言節目具現化事業として、市当局庁内連携のもと、多様な市民団体等に呼びかけ、外国人市民も含めて市民参加実行委員会方式で展開する記念イベント、例えば仮称「戦後60周年・非核平和都市宣言20周年記念ピースマンスリー」といったものを開催してはどうでしょうか。既に来年度に向けての企画が構想されているのかも含めお尋ねします。 

七尾市議会 2004-09-09 09月09日-02号

2つ目に、不審者目撃証人などから、そして、その証言を得まして特定ができているのかどうか。特定については絶対に努めるべきであります。この人ですよということをわからないと、これから大変なことになる可能性先行き心配でございます。 3つ目特定ができていない、それから、特定ができている、それがいずれであっても、対応策が異なってくるはずであります。いずれにしても、対応策をきちっとしていただきたい。

加賀市議会 2003-09-08 09月08日-02号

そこで、当時マッカーサー自身による昭和26年5月3日の米上院軍事外交合同委員会においての証言内容を披瀝させていただきます。少し長くなりますが、御容赦をいただきたいと思います。 「日本は 8,000万に近い膨大な人口を抱え、それが4つの島の中にひしめいていたことを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事をしていました。

金沢市議会 2001-09-20 09月20日-03号

しかし陳情人への15人にも及ぶ大量の警察官の妨害、検挙当時から検察官の取り調べ、金沢簡易裁判所の長期間にわたる裁判で、違法行為を証拠、証言をもって弁明したが、証人の各公判供述を精査することなく偽証を採用したことは、職権濫用の犯罪であり陳情人の提出した当日のビデオ記録答弁書上申書証人尋問書を再審査すれば判決の違法、不当が明確になる。事実認定の誤りであり、法令適用誤りである。

小松市議会 2000-06-09 平成12年第2回定例会(第2日目)  本文 開催日: 2000-06-09

厚生省食品化学課が、市販弁当から環境ホルモン作用が疑われる物質が高濃度で検出されたとの報告を受けながら公表を見送り、一方で関連業界団体には内々にデータを示して対策を促していたことが5日、関係者証言で明らかになった。環境ホルモンの一種とされるフタル酸ジエチルヘキシルDEHP)などの物質濃度調査したところ、調べた弁当約15サンプルのすべてからDEHPが検出された。

金沢市議会 1998-03-26 03月26日-07号

ある日銀関係者証言によると、金を出すのは銀行で、その接待にザブンドブンという隠語が使われていたとのことであります。ザブンというのは、1万円から3万円でお酒に少しつかった程度で、月に2、3回、ドブンというのは、溺れるくらいに飲むという意味で、1人5万円以上の高級料亭で行われ、お土産つきだというものであります。大蔵省の腐敗ぶりは許しがたいものとなっており、国民の怒りと批判は一層広がっています。 

加賀市議会 1997-03-10 03月10日-02号

公聴会で同氏は、米政府対策費だけでも23億ドルが必要で、政府関係では軍事分野への影響が心配証言しているのであります。 一方、自治体最大コンピューター使用者である東京都は、この2000年問題対策に本年から本格的に取り組むようであります。全システムの約半分は何らかの対策が必要になる見込みで、プログラムの点検、修正費用だけで最大20億円を想定しているようであります。

野々市市議会 1996-09-17 09月17日-02号

昭和60年、県の教育委員会指導による県内各市町村での教育懇話会、教師と行政と父母による、いわゆる学校正常化対策機関設置指導でありますが、県内でもまれに見るとの証言を当時の担当者からもお聞きしましたが、我が教育長は精力的に懇話会開催、継続にご尽力され、その成果を昭和62年2月、「野々市町教育懇話会報告書-提言-」と題する小冊子にまとめられました。

金沢市議会 1995-12-20 12月20日-03号

証言した 。日本政府代表は「国際法違反」とする言明はせず、両市長の発言は「政府の 見解ではない」とまで述べた。核兵器をなくしたいという被爆国民の願いに全 く背を向けるものである。  以上の理由から、核実験を初めとする許しがたい諸状況に対し、世論と運動 は「国連第1号決議……〔原子兵器の禁止〕」の実現を求めている。  

金沢市議会 1995-09-20 09月20日-02号

さらに、石切り場調査が本市で行われまして、その報告書の中にも、当時の方々証言もあわせて、現況が軍需工場としてあったというのが記載をされております。それだけに、これだけの規模のものが本市にも存在をしたということを、改めて私もびっくりをしました。そういう点では、周辺の安全対策をとりながらも、きちっとした保存が、今後後世に伝えていく上でも重要じゃないかなというふうに思っています。

加賀市議会 1993-06-21 06月21日-02号

被告側証言内容を聞いて驚くことばかりでした。証言したのは航空自衛隊の将校と、大阪防衛施設局幹部職員でしたが、中島飛行コースなどはほとんど遵守されていないばかりか、自衛隊管制官の目測だけに任されている。飛行コースは小松の安宅沖方面と、加賀市の伊切沖と設定されているようですが、天候や風向きを理由に離着陸は橋立方面を利用する側面が安易に行われているように思われたのであります。