金沢市議会 2024-06-21 06月21日-04号
本市は世界的仏教哲学者の鈴木大拙を輩出し、その思想の根幹に位置づけられる禅のエッセンスとも言える中国の老荘思想においても、道は特別な意味合いで捉えられています。歴史都市金沢にとっても、道が人々の交流と生活を支えてきたと言っても過言ではありません。
本市は世界的仏教哲学者の鈴木大拙を輩出し、その思想の根幹に位置づけられる禅のエッセンスとも言える中国の老荘思想においても、道は特別な意味合いで捉えられています。歴史都市金沢にとっても、道が人々の交流と生活を支えてきたと言っても過言ではありません。
総合芸術としてのオペラを本市が誇る世界的仏教哲学者である鈴木大拙と、旧制一中の学友で、こちらもまた世界的な哲学者の西田幾多郎の2人を主人公に、激動の時代を悩みながらも精いっぱい生き抜き、果たすべき自分の役割について切磋琢磨する様子を中心に描かれた作品は、御覧になられた多くの観客から高い評価をいただきました。
申し上げるまでもなく、鈴木大拙館は、仏教哲学者である鈴木大拙を顕彰し、思想等を知ることのできる人物博物館でありますが、谷口吉生氏の設計になる建物は、水鏡の庭と思索空間棟をはじめとして、内外から高い評価を得ているものであり、5年前にはトリップアドバイザーの日本の博物館ランキングの3位にも選ばれております。そんなことからも、そのありようというのは大変関心が持たれるところであります。
これは、かつてこの地に太祖瑩山禅師が大本山總持寺を開かれて、それを3年後に受け継いだ二祖峨山禅師によって大いに発展をしていった曹洞宗の大本山がここにあったこと、そして、そのおかげで周辺の村々が大いに栄えたことを改めて想起する貴重な機会でありまして、仏教的な言葉、とりわけ總持寺で使われております相承という言葉がありますが、その想い、教え、そして歴史といったことを未来に伝えるとともに、行政といたしましては
このことは、元興寺文化財研究所副市長の狭川真一副所長の御意見ですと、当時から金箔は貴重ながらも需要があり、この地にいた有力者は約束事を守れるほどの資金力があったのではないかや、中央集権と何らかのパイプを持ち、先進的な仏教文化を把握した可能性が考えられるなどの意見からも裏づけられるかもしれません。市内南部の遺跡群とは違って、運河で栄えたまちとして捉えますと、おもしろい地域だと思います。
この曹洞宗は、仏教界の中でも最も檀信徒が多いと言われております。その大本山總持寺祖院が門前町にあり、輪島市にとって何物にもかえがたい大きな財産であります。開創700年というこの大きな節目の年を、一過性の記念行事だけで終わることなく、總持寺周辺の皆さんの意識を高めるとともに、前向きに取り組む地元との橋渡し役を行政として積極的に取り組んでいただきたい、担っていただきたい、そんな思いであります。
西暦509年、仏教伝来とともに、これは509年ですから、もう日本に仏教が入る250年ぐらい前の話になるんですが、北石窟寺というものがありまして、大きな岩にたくさんの仏像が彫られているというそのお寺ですが、そういう寺や、それからシルクロードを旅する人の関宿、そういったもの、さらに、景勝地「子午嶺山」など名所がたくさんありまして、現在、経済的グロスポールとして、いわゆる資源として、石油、石炭、天然ガス、
その立国から約90年後、和倉温泉が胎動し、さらにそれから35年後には、能登国分寺が建立しており、かつては能登国に存在した仏教の寺院として、1974年に能登国分寺跡附建物群跡に国史跡指定されております。現在は南門と塀が復元されておりますが、他の遺構跡もその位置が示されておりまして、まさに当時の政治のかなめであった国分寺の全容がうかがえるようになっています。
世界文化遺産とは、1972年、昭和47年の第17回ユネスコ総会において採択された世界遺産条約に基づくもので、人類共通の宝物として深刻な損傷や破壊などから保護し、次の世代に引き継ぐもので、我が国では2003年、平成5年に法隆寺地域の仏教建造物と姫路城が登録されたのを皮切りに、昨年は富士山、信仰の対象と芸術の源、本年6月には富岡製糸場と絹産業遺産群が登録され、合わせて14件となりました。
それほどに道理のない96条改正方針に、従来の保守と言われる方々や作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんを初め、京都仏教会の有馬理事長、カトリック東京の岡田大司教など、宗教界や各界さまざまな方々が異口同音に96条改正反対を表明されておられます。
そして、平成5年には、東大寺領横江荘荘家跡の国指定史跡の追加指定を目指すことを前提として、環境整備範囲を示し、平成8年には、石川県松任市教育委員会の編集、発行として、倉庫群や運河、そして仏教施設等を示す想像図や東大寺領横江荘遺跡の全体像ができ上がったものであります。
仏教が入ってきたんです。ですから、お寺になったわけです。それまでは古墳に、あの当時は大切な方を亡きがらを埋めて見守りましょうと。大きく言うと、今はそういう意味で、あの当時、その新しい思想とともに開拓技術が導入されて、何度かお話しさせていただきましたけれども、恐らく道君の一族だとは思うんですが、この加賀扇状地を開発された。これは、日本で大きなかんがい土木事業の行使であります。
昨年11月、仏教国ブータン国王夫妻がハネムーンに我が国を選び、来日し、さわやかな印象を投げかけ、注目されました。国王が日本を訪れたのは、ブータンに住み貢献する1人の日本人がいたことと、東北の被災地などに足を運びたいとの思いがあったからでしょう。ブータンは人口約70万人で、国土は九州と同じくらいの山岳小国であります。35年前から国づくりに国民総幸福量の向上を政策目標に掲げてきました。
本多町3丁目にこの秋、郷土の偉人である世界的仏教哲学者、鈴木大拙を顕彰する鈴木大拙館が開館いたします。建物の設計を手がけたのは、名誉市民である谷口吉郎氏を父に持ち、芸術院会員でもある国際的な建築家、谷口吉生氏であります。閑静な本多町歴史文化ゾーンに、多彩な人材を輩出してきた金沢の豊かな文化土壌を感じさせる新たな施設が誕生することを期待してやみません。
泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星の三文豪、仏教学者の鈴木大拙のほか、加賀友禅、金沢箔等をまず挙げてみますが、市長ならいかがなものでありましょうか。 本市は、高峰譲吉や鈴木大拙など、世界で活躍した多くの偉人を生んできました。その一人に八田與一氏がいます。氏は、不毛の台湾の大地にダムや水路を完成させ、豊かな緑の平野に変えた偉人であります。
また、県庁跡地に連続する本多の森周辺では、平成23年秋の開館を目指して、世界的に有名な仏教学者にちなむ鈴木大拙館の整備が進められます。これら施設に加えて金沢21世紀美術館、能楽美術館、石川四高記念文化交流館などの施設があり、市中心部一帯には本市固有の歴史と伝統を生かした数多くの施設がそろうことになります。
もちろん、鈴木大拙氏は本多町で138年前に生誕し、明治から昭和にかけての仏教哲学者で、親鸞の「教行信証」の英訳を行うなどして、禅を世界に広めた人として名を挙げておられることで、ふるさと偉人館にその業績をたたえられております。しかし、市民にはまだまだ名前の浸透度も少なく、今日の市民生活、財政事情からも建物整備をするまでに市民的合意を得られるのか、率直な思いをします。
なぜそうなんだろうかなと思うことがありまして、基本的にはやはり禅とか仏教とか、そういうものが早くからフランスに広められておる、そういうことの影響ではなかろうかと思っておる次第でございます。 玉川こども図書館のことについてもお触れでございましたが、新しい試みでもございますので努力したいというふうに思っています。
これに関連する本多町周辺の歴史文化ゾーンの整備についてでありますが、多くの歴史文化施設等が集積し、豊かな自然環境に恵まれた地域でありますことから、今後、道路の修景や無電柱化等の整備を行い、回遊性を高めるとともに、この地にゆかりの世界的仏教学者である鈴木大拙の記念館を整備してまいりたいと考えております。
とりわけ下新庄アラチ遺跡では、南側に大きな門のような建物を備え、鉄鉢や稜碗という仏器や文字を使用していたことを示す円面硯といわれるすずりが出土していることから、仏教を取り入れ、記録を残す必要のある仕事をしていた人物の存在が想定されております。また、先立つ古墳時代末には周辺の開発に挑んだ領主層の墓である上林古墳が1基確認されております。