小松市議会 2002-12-10 平成14年第4回定例会(第3日目) 本文 開催日: 2002-12-10
田園風景もフィリピンのように世界文化遺産に登録される時代になりましたが、幼いころ親しみ、駆け回ったところや、また山並みが美しく見えていたところなどが開発によってすっかり変わった風景になってしまうことがあったりすると、一つのふるさとを失ったかのような痛みを覚えるのは私一人ではないと思います。ふるさとがあってよかった。
田園風景もフィリピンのように世界文化遺産に登録される時代になりましたが、幼いころ親しみ、駆け回ったところや、また山並みが美しく見えていたところなどが開発によってすっかり変わった風景になってしまうことがあったりすると、一つのふるさとを失ったかのような痛みを覚えるのは私一人ではないと思います。ふるさとがあってよかった。
ミゾゴイは我が国で繁殖し、主にフィリピンなどで越冬する分布範囲の狭い鳥で、環境省のレッドデータブックで準絶滅危惧種とされています。また、アジア版レッドデータブックでは、絶滅危惧ⅠB類とされています。このレッドデータブックでは、日本で繁殖するミゾゴイ、タンチョウ、ヤンバルクイナ、シマフクロウの4種と、それに日本では繁殖していない他の4種の計8種が、近い将来に絶滅する危険性が高いとされているものです。
栃木県内の業者から、フィリピンに医療廃棄物を含む大量のごみが不法輸出された事件が起きたことは、国際的にも残念なことです。特に血液や体液が付着した注射針やゴム手袋、紙おむつなどの感染性医療廃棄物の処理は危険性の度合いごとに、滅菌消毒、粉砕、焼却する中間処理が必要です。医療現場では、排出者の責任において、細部にわたり分別しているにもかかわらず、どうして起きたのか疑問です。
戦争が始まり、八田技師はフィリピンのかんがい施設の実施調査へ向かう船の中で、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没、戦死いたしました。奥様は御主人亡き後も子供たちと台湾で静かに暮らしていましたが、終戦の2週間後の9月1日、夫が多くの困難に打ちかって完成させた烏山頭ダムの放水口にみずから身を投げ入れ、その生涯を閉じられました。
京都会議では、フィリピンの環境大臣が「雨や風に恐怖を抱くのはもうたくさんだ」というふうに言っておりました。地球温暖化による異常気象も原因でしょうが、しかしながら、フィリピンの森を伐採し尽くした日本人の一人として胸の痛む言葉でした。この南洋材輸入の大きな要素としてコンパネの使用があります。
同時に、世界の米、食糧事情もますます深刻化し、中国、インドネシア、フィリピン、北朝鮮等アジアの国々では、工業化や災害で農業生産が低下し、日本に食糧援助を求める国も相次いでおります。しかし、政府は米の減反面積を史上最高にすることを決め、農家に強引に押しつけており、この減反強化に農業関係者の怒りの声だけにとどまらず、43の知事からもこれ以上の減反は無理とするアンケート結果が出ているほどであります。
一方、世界のコメ・食糧事情はますます深刻化し、中国・インドネシア・フィリピン・北朝鮮など、アジアの国々では、工業化や災害で、コメをはじめとする農業生産が低下し、日本に食糧援助を求める国もあいついでいます。
今インドとかマレーシアとかインドネシアとかフィリピンとか、そんなところは行きたがらないし、親が大体出さない、そういうところは。そういう実情にありますので、今や中国はもちろん、あるいはロシア、こういったところも盛んに交流をしなければいけないと思うんです。環日本海ということからいえば、もうシベリアは目の前なんです。そういうことで、やはりそういう交流をやっていく。
フィリピン、北朝鮮も米の援助を日本に求めてきました。全世界で見て、米の消費量に対する期末在庫量は、1991年度末には16.2%だったものが、95年度末では11.6%となっています。わずか42日分しか在庫がないのです。国連食糧農業機関の安全水準は14から15%ですから、これを大きく割り込んでいます。
本市中央卸売市場の青果物で見ても、昨年の野菜の輸入割合は全体取扱量の3%、果実は32%であったものが、ことしに入って既に野菜 4.3%、果実は41.7%となっており、その輸入先もアメリカが最も多く、次いでフィリピンや南米、中国などです。そして、昨年から見て、ニンジンでは 2.9倍、タマネギは 3.4倍の輸入量となっております。ますますこれはふえていくだろうと思います。
ニュージーランドでは非核法、フィリピンでは非核憲法が制定され、アメリカの首都・ワシントンでは、核兵器廃絶に賛成する住民投票が過半数を占め、これがアメリカ議会に憲法修正案として提案されております。今日、被爆国日本がなすべきことは、被爆50周年を前に、人類がつくった殺りく兵器を人類の手でなくすために、核兵器全面禁止・廃絶国際条約の締結を求めることは、未来への人々への責務であると考えます。
かつてフィリピンでは日米激突の舞台となり、日本人約50万人、フィリピン市民、フィリピン、アメリカ両国兵士約 200万人の命が奪われております。だからこそ「また日本軍が」との声は新しい今日の危険に対する本質をついた警告であると思います。
しかし、自然の猛威ははかり知れないことは、あの普賢岳の噴火による火砕流の発生やフィリピン領レイテ島を襲撃した台風の甚大な被害等を思い浮かべますと、身に戦慄を感ずるのであります。天災は忘れたころにやって来ると言われる格言のように、いつ私どもの足もとにやって来るかわからないのが自然の驚異であります。
フィリピンのレイテの台風被害の原因は、無謀な樹木の伐採のための人災とも言われています。建築用ラワン材の買い手は、日本だというのも心が痛みます。スーパーでは、野菜も魚も発泡スチロールのお皿にラップがかけられて売られています。イワシやサバを古新聞でくるんでくれた魚屋さん、お鍋を持って買いに行ったお豆腐も、今は皆パック入りです。
しかも、丸果側が特別に扱っている外果の売り上げは、昨年で市場外で37億 6,200万円の販売を行い、市場の分は16億 6,600万円という状態でありますが、他都市の公設市場へも幅広く発送しているようで、バナナの販売価格で見るならば、いずれもフィリピン産で見ますと、1キロで、4月21日から27日の間を拾ってみても、21日は金沢 196円、福井 163円、富山 172円、新潟 189円と、27日で見ても
市場の丸果側が一手に扱い、競りにかけず、相対売りで行っている外国果実と野菜は、全果実中21.5%、全野菜の 1.2%で、昭和59年から63年にかけてのバナナの卸の平均価格で見ますに、フィリピン産では59年の 171円が63年に 142円と、ほとんど円高差益が価格に還元されていないのではないかと思うのであります。