守谷市議会 2012-09-04 平成24年 9月 4日議会運営委員会−09月04日-01号
○市川 副委員長 高橋委員。 ◆高橋典久 委員 このツイッターの件なのですけれども,これはツイッターのリンク先はトップページか何かに持ってくるというのはできないのでしょうか。守谷市のホームページのトップページに張りつけておくというか。 ○市川 副委員長 川村さん。 ◎川村 議会事務局長補佐 その辺については,議会のホームページと一応分けた状態でやっているものですから。
○市川 副委員長 高橋委員。 ◆高橋典久 委員 このツイッターの件なのですけれども,これはツイッターのリンク先はトップページか何かに持ってくるというのはできないのでしょうか。守谷市のホームページのトップページに張りつけておくというか。 ○市川 副委員長 川村さん。 ◎川村 議会事務局長補佐 その辺については,議会のホームページと一応分けた状態でやっているものですから。
当陳情につきましては,所管部署が教育委員会になりますので,文教福祉常任委員会へ付託するのが妥当かと思いますので,高橋委員長,よろしいでしょうか。 ◆高橋典久 委員 はい。 ○市川 副委員長 お願いいたします。
○高橋 委員長 木澤課長。
○高橋 委員長 高木委員。 ◆高木和志 委員 おふろが500円ですよね。あそこのフィットネス機器を600円で使うとおふろも無料で入れるということですか。 ○高橋 委員長 岡田部長。 ◎岡田 生活経済部長 そのように解釈しております。 ○高橋 委員長 渡辺委員。
高橋委員。 ◆高橋典久 委員 先ほど来から,末村議員の方から,議員の精鋭化,少数精鋭化という言葉が出ておりますが,今その話を聞けば,今の議員は精鋭されていないのかなという言葉のとり方もあると思います。
高橋委員。 ◆高橋典久 委員 今,高木委員の関連になるかもしれませんが,除染の着手予定時期及び完了予定時期というところで,例えばこの公園に至っては,公園も,市内何カ所もあると思いますが,それの取りかかる優先順位というのはどのようにつけていくのかということと,その優先順位が決まって,スケジュール的なところを公表するのかどうかというのを教えていただきたいのが1点ですね。
○高橋 委員長 そのキットを配ってもいいんじゃないかと思うぐらいなんですが,その辺の整合性というのは何かやっているんですか。 ○高橋 委員長 横瀬次長。
○梅木 委員長 高橋委員,どうぞ。 ◆高橋典久 委員 最後なんで,皆さんほとんど言ってもらったことと同じような話になるとは思うんですけれども。まず,この議員の定数等削減の議案書が出てきたときに,私やはり思ったのは,末村議員が提出者になっておりますけれども,市民の民意というのが,やっぱり議員多過ぎるんじゃないかと。
高橋委員。 ◆高橋典久 委員 予算書の174ページ,道路補修事業の中の清掃土砂処分,これは上段の側溝の清掃の土砂処分だと思いますけれども,土砂の処分の最終的な処分というのはどのようになるのかお聞かせいただきたいのと,先日,守谷市の除染実施計画を,案ですけれども,拝見させていただきまして,この除染計画に基づいてこの側溝の清掃というのをやっていくのか。
高橋委員。 ◆高橋典久 委員 1点だけ質問させていただきます。 ホームページの運営管理業務のところで予算説明書24ページ,この内容の中にページ作成用クラウドシステム導入経費と,このクラウドシステムというのはどういうことをするのか。 ○高梨 委員長 須賀総務部次長。 ◎須賀 総務部次長 お答えいたします。
この件に関しては,我が会派の高橋委員長のもと,東日本大震災における復興対策調査特別委員会において,執行部から地震による損傷度調査と耐震診断の結果が示され,委員会においても活発な議論が行われたところであります。 調査の結果としては,被災前に比べて耐震性が低下し,大規模な改修工事を行わなければ使用できないとのことでありました。
それから,もう1点,高橋委員から,この売買契約がもしおくれたら,どのぐらい工事着工に支障があるんだという問い合わせがございました。その答えをお話しいたします。 その答えといたしまして,現在,道路が問題になっております。
先ほどの高橋委員長の答弁では,なぜ地方自治法第129条第1項を削除したのかについて明快な答弁がありませんでした。懲罰そのものの根拠が破綻したことは明らかであります。 地方自治法第134条では,懲罰を科す場合,法律,会議規則に違反した場合のみ懲罰を科すとしております。
それはどういうことかといったらば、高橋委員長によると、要請があったのは1991年6月、現在の日本畜産物協会主催の研究会で、研究者が狂牛病が日本に上陸する可能性に触れることを当時話したというんですね、1991年の6月に。そのときに、横浜市の市長から翌日、今後狂牛病の問題については触れないでほしいという電話があったと。ちょうど考えたらば、1991年の6月といったら10年前ですね。