ひたちなか市議会 2019-06-19 令和 元年第 2回 6月定例会-06月19日-02号
その意味では,中世の武士の館を再現した資料である武田氏館なども変わらないわけであります。むしろここはそのような教育分野でも活用できるレベルといいますか,そういったものを観光資源としてプロデュースするという観点の復元でありますので,その点についてどのように考えるか,再度,お伺いしたいと思います。 ○清水立雄 議長 井坂健一経済環境部長。
その意味では,中世の武士の館を再現した資料である武田氏館なども変わらないわけであります。むしろここはそのような教育分野でも活用できるレベルといいますか,そういったものを観光資源としてプロデュースするという観点の復元でありますので,その点についてどのように考えるか,再度,お伺いしたいと思います。 ○清水立雄 議長 井坂健一経済環境部長。
河和田町にある河和田城跡につきましては,中世の水戸城主であった江戸氏の本拠地の一つであり,本市の歴史を語る上で欠かすことのできない文化財でございます。特に,湿地や河川などの水環境を巧みに取り入れつつ,壮大な堀と土塁を巡らせた縄張りと呼ばれる城郭設計は,県内でも珍しい貴重な遺構であり,第1号認定にふさわしい地域文化財であると認識しております。
その意味では,中世の武士の館を再現した資料である武田氏館なども変わらないわけであります。むしろここはそのような教育分野でも活用できるレベルといいますか,そういったものを観光資源としてプロデュースするという観点の復元でありますので,その点についてどのように考えるか,再度,お伺いしたいと思います。 ○清水立雄 議長 井坂健一経済環境部長。
大きな3点目,平成31年度予算の概要に示されました2つの事業,重要資料公開推進事業として,博物館で開催される第40回特別展「町の記憶―空都土浦とその時代」,また美術品公開推進事業,新図書館管理運営事業の「アートとブックが出会う場所」展,そして上高津貝塚ふるさと歴史の広場で開催される「古代のむらと中世寺院」についてお伺いをいたします。
県内の中世の城館跡を網羅的に把握しようと、県教育委員会が5カ年計画で33年ぶりの調査を進めているということで、昨年末までに市町村教育委員会から調査対象の候補地として報告されたのは、未登録の遺跡約200カ所を含む計1,000カ所、今後遺跡の所在や現況、城館跡の構造や灰などを現地調査し、古文書、絵図や地名、伝書などの史資料を裏づけて調査報告書を刊行するとしているが、本市としてはどのような遺跡などを報告したのかお
「県内の中世の館跡を全県調査」,茨城新聞に,1月16日号に載っていました。31年から5カ年計画で,県内の中世館跡が地域住民や郷土資料館によって自発的に守られてきた背景を挙げ,「行政が遺跡としてしっかりと把握しないと,人知れず消失してしまう」,今回の調査の重要性を調査委員会の委員長 高橋茨城大学教授が語っておりました。 40市町村から館跡としての1,038件が調査委員に報告されたと載っていました。
古代、中世、近世、生活の営みをやはり知る必要がある。そういう面において土器づくり、塩づくり、そういったものをしていく。子どもの体験なんだと。自然体験とも言っていましたね。自然体験も必要なんだ。 それと、久しぶりに聞いたのが、理科の実験なんですね。自然科学に興味のある子どもたちの理科の実験、これは私も死語になっていたのかなと思いまして、久しぶりに思い起こさせていただきました。
40年間の編さん事業の成果として,原始時代から中世を扱った水戸市史上巻が1巻,江戸時代を扱った中巻が5巻,近現代を扱った下巻が3巻の全9巻のほか,概説編として1巻が刊行されました。ページで換算しますと全部で9,912ページにもなる,本市の膨大な歴史情報が記録されているものでございます。
さて、本村には古代から中世、近世など今日までの人々の生活の営みを知る多くの資料がございます。これらの文化財は、地域の歴史や文化を正しく理解していく上で欠くことができない貴重な資料だと考えております。これらの文化財を適切な環境で保存・公開して活用を図り、後世に伝え残すことは、これは文化財保護法の趣旨からも行政にしかなし得ない、行政に課せられた責務であると強く認識しております。
この歴史の中でも、中世や近世の歴史などはまだまだ発掘しなければならない部分があると思いますけれども、これらを探し求めるのもいいかもしれません。まだ、文化財の研究は一時不景気ということで予算が削られているようでありますので、市の歴史を全体的に掘り起こすのも大事ではないかなと、こういうふうに思っています。
この歴史の中でも、中世や近世の歴史などはまだまだ発掘しなければならない部分があると思いますけれども、これらを探し求めるのもいいかもしれません。まだ、文化財の研究は一時不景気ということで予算が削られているようでありますので、市の歴史を全体的に掘り起こすのも大事ではないかなと、こういうふうに思っています。
専門家によれば,薬医門の特色は,蟇股と呼ばれる棟木を支える板材の雄大さと,鏡柱を初めとする主要木材の肉厚さにあり,これほど堂々たる風格を有する中世の門は全国的にも珍しいとのことでございます。こうした薬医門の文化財的価値について,県は後世に残すべきものであるという見解を一貫して表明いたしております。 一方,薬医門は,明治以降数奇な運命をたどった文化財でもあります。
文化財の保護活動に定評のある常陸大宮市では、昨年、泉坂下の遺跡と発掘された人面付土器が国の重要文化財に指定され、また今年は中世に活躍した雪村の評価を再認識するため、市民による雪村顕彰会が発足するなど、ふだんから行政と市民による文化活動が根づいております。 東海村も常陸大宮市のような文化的土壌が育まれていれば、住民の歴史と未来の交流館への理解は広がったかもしれません。
◎市長公室長(塩畑正志君) 今回の訪問で、ラール市の古い城郭の跡を残した街並みの整備、中世をイメージさせる町の景観の美しさ、我々を迎えるための気配りの細やかさなど、学ぶべき多くのものがあったと訪問した職員から報告を受けているところでございます。こういったものを笠間市のまちづくりに生かすことも交流の一つの成果ではないかと思っているところでございます。
さらに、中世には、高友古塁と言われるとりでが築かれまして、古墳は物見やぐらとして使われたと言われております。いわゆる見晴らしのいいという場所であります。これは、市のホームページにも紹介されております。 今、この高友山を上がってまいりますと、佐志能さんという修理工さんもあるんですけど、それと同じ、佐志能神社という鳥居がございます。
最後に,教育行政,中世武家屋敷跡地周辺整備地区についてであります。 結城駅南周辺は小字で湿辺という名称で,以前は蓮田や湿田のある低い土地,低地でありました。その周辺から絞り水は南にずっと流れていって,現在のJA,そしてアクロスのあたりに川が流れていて,そこからさらに南に田畑を進んだあたりに中世武家屋敷跡と言われている城の内館跡がありました。
竜子山城は中世に構築され、約450年間にわたって城館が置かれた場所であります。かつて区域には倉や番所などが点在しておりましたが、現存しておりません。 竜子山城跡のほぼ半分の面積は民地であり、山城の中心となる本丸も民地内に位置しておりますことから、その活用に際しては、地権者との交渉が必要となります。
中世の水戸は南北朝や戦国の動乱のただ中にありましたことから,河和田城跡も,鍛冶氏,江戸氏,春秋氏と目まぐるしく城主が移り変わりました。その一方,戦略拠点としての重要性は一貫して高く,常に歴史の表舞台に立ち続けました。本市の数ある城郭の中でもこのような特色ある歴史性を有する城郭は,水戸城跡と河和田城跡以外になく,本市の歴史を語る上で欠かすことのできない貴重な歴史的資源であると考えております。
美野里地区には、中世の遺跡竹原城等がたくさんあります。また、江戸時代、水戸街道が通り、竹原と堅倉に宿場がありました。玉里地区には常陸風土記に見られる桑原の丘のヤマトタケルノミコト伝説や、「六井六畑八館八艘」と唱えられたように井戸、大型古墳、館跡、古墳等の遺跡がたくさんあります。郷土を愛する心を育てるために、小美玉市が持つ自然環境、地域の力や文化などの地域資源を活用した教育を推進してまいります。
美野里地区には、中世の遺跡竹原城等がたくさんあります。また、江戸時代、水戸街道が通り、竹原と堅倉に宿場がありました。玉里地区には常陸風土記に見られる桑原の丘のヤマトタケルノミコト伝説や、「六井六畑八館八艘」と唱えられたように井戸、大型古墳、館跡、古墳等の遺跡がたくさんあります。郷土を愛する心を育てるために、小美玉市が持つ自然環境、地域の力や文化などの地域資源を活用した教育を推進してまいります。