東海村議会 2017-06-13 06月13日-04号
また、私の知り合いがいるんですけれども、その方が小田原市にある二宮博物館の近くにおったんですけれども、その方によると、バブル崩壊によって縮小して9人の職員が1人にして細々と現在運営していると。二宮尊徳ですよ。日本を代表するような立派な方々の博物館ですらがそういうのが現実なんだということですね。
また、私の知り合いがいるんですけれども、その方が小田原市にある二宮博物館の近くにおったんですけれども、その方によると、バブル崩壊によって縮小して9人の職員が1人にして細々と現在運営していると。二宮尊徳ですよ。日本を代表するような立派な方々の博物館ですらがそういうのが現実なんだということですね。
バブル崩壊後,家庭の財政も大変厳しく,家から大学に通学を希望しても近距離に大学が少なく,難しい地域であり,卒業しても地元雇用先は限られています。 ここで,この課題解決のための1つとして,雇用の場を確保するため,工業団地の拡大と企業誘致の取り組みはどのようにされているのか。
バブル崩壊後,保留地が全く売れないといった時期がございました。この時期は,保留地価格が,民間の取引価格より高かったために全く売れなかった状況でございました。 この状況を打開するため,平成14年以降,一般保留地の処分価格については,必要に応じて見直しを行い,民間と同等な価格の設定を行ってきました。直近では,24年度に処分価格の変更を行っております。
この二橋計画については昭和50年ごろ、私が若いころでしたが、浮上した課題でありますけれども、バブル崩壊とともに消えてしまったようです。しかし、時々思い出したように浮上する。昨今、時々それらの話題が出ているようであります。
この二橋計画については昭和50年ごろ、私が若いころでしたが、浮上した課題でありますけれども、バブル崩壊とともに消えてしまったようです。しかし、時々思い出したように浮上する。昨今、時々それらの話題が出ているようであります。
日本の現状は、ご承知のとおり、バブル崩壊から30年、人口減少、そして少子高齢化と言われてから10年が経過しております。このことは、本市においても、当然のようにその現象があらわれております。 その間、経済は低迷し、未婚の男女が多くなり、高等学校を卒業すると、首都圏に職を求めて本市から転出しなければならない現状です。せっかく教育投資をしたにもかかわらず、他町村で納税しなければならない状況です。
当時はいわゆるバブル崩壊時期を迎えておりましたが、世界最大の食品メーカーであるネスレジャパンの隣接地であるとともに、圏央道のインターチェンジ設置も決定していたため、工業系の企業集積を目指し、土地区画整備事業であったり、県の開発公社での工業団地造成など、実現化に向けた具体的な手法を模索していたところであります。
演劇界では,バブル崩壊後,黒字で動かしていけるのは,自前の劇場でやっている歌舞伎と宝塚歌劇だけだとずっと言われてきました。歌舞伎座でも,お客さんは飲食もお土産物も中で済ませてしまいますから,周辺のお店はにぎわいません。また,公演がなければ人が集まらない施設ですから,1年中公演のある宝塚大劇場でも,月に何度かある休演日の日には周辺まで閑散としてしまっております。
また,バブル崩壊後ずっと進行し続けている興行不況の中で,公演に有利な都内でも苦戦をしている2,000席規模の大ホールを今さらつくって,水戸市が呼び込みに勝ち抜いていける理由がありません。 さらに,水戸市は,東京から簡単に日帰りのできる距離です。
今までの公務員人生の中では、高度成長期、バブル期、バブル崩壊期、いろいろなことがあったと思います。最近ではマイナス金利ということもあって、財政を担当する人たちとか新しい事業を考える人、大変なご苦労があったと思います。本当にお世話になりました。皆様には、これからそういう今までのご苦労の経験を生かして、地域活動や自分のボランティア活動、そして趣味の活動などに生かしていただけたらと思います。
県南の商都と呼ばれた土浦市の事例となりますが、バブル崩壊を前後にして、市街地中心部にあった大型商業施設は次々と閉店し、さらに、2013年には駅前再開発ビルの顔であったイトーヨーカドーも撤退するという状況に陥りました。日立市においても心配をしているところであります。 これらの経緯の中で、土浦市は、土浦駅前の商業ビルであったウララビルに新庁舎を移転し、平成27年9月にスタートしたところです。
答 バブル崩壊等により経済が低迷していた中での答申と捉えています。 問 合併以降、特別職報酬等審議会が開催されなかった理由を伺いたい。 答 合併特例により議員数が多かったこと、その後、東日本大震災の発生という中で、市から審議会への諮問をしなかったためです。 〔議案第2号〕 問 特別職の職員の給与の現行と改定された場合の県内順位を伺いたい。
バブル崩壊後はまさに7,000円から8,000円、ダウで7,000円から8,000円。高値が2万2,000円のまさにその間におけるジャンピング相場でございます。この間を脱していないんです。先ほど委員長から報告ありましたように、この2年間の収益でかなりの収益を上げている。ごらんになってください。2014年と13年、15年、12年まで見ていただいても結構です。
1990年代のバブル崩壊後,旧市街地の衰退ぶりはさらに顕著となり,商店街はシャッターをおろした店が目立ち,営業休止後の店舗は次々と駐車場に姿を変え,最近は休日でも人通りの少ない空洞化減少がずっと続いております。 そこで市長にお伺いいたします。二十数年前,市は中央地区の再開発を計画し,調査研究を進めましたが実現できなかった経緯がありました。市長は再開発事業についてはどのようにお考えでしょうか。
当組合加盟の全ての旅館はバブル崩壊以降、構造的不況に陥っており、長期に亘り宿泊客の減少に苦しんでおります。また常磐道やつくばTX開通以降であっても日帰り客の一時的増加はあったもの、旅館利用のお客様は一向に増えず、しかも追い打ちを掛けるように福島原発事故に拠る風評被害が筑波山地区を襲い、未だに立ち直りの兆しは見えない状況です。
当組合加盟の全ての旅館は、バブル崩壊以降構造的不況に陥っており、長期にわたり宿泊客の減少に苦しんでおります。また、常磐道やつくばTX開通以降であっても、日帰りの一時的な増加はあったものの、旅館利用のお客様は一向にふえず、しかも追い打ちをかけるように福島の原発事故による風評被害が筑波山地域を襲い、いまだに立ち直りの兆しは見えない状況です。
また、バブル崩壊後も家庭菜園つきの田舎暮らしをセールスポイントとし、東京方面から定年後の転居者が多く見受けられました。これらの別荘や住宅は、建築されてから30年近く経過しているものも多く、使用されていない建物は老朽化が進んでいることが推測されます。
92年といえばまさにバブル崩壊直後のバブル景気の余波が残っていた時期でもあると。当初は、ここは養蚕、蚕を基幹産業として成り立つ村であったというふうにあるんですね。実は、このときなぜ村長に立候補されたかというと、これは書いてあるとおり読むんですからね。職員の方は誤解しないでください。常総市にいたってはないと思いますけど。
我が国の経済は1990年代当初のバブル崩壊後から長く停滞し、失われた20年といわれてまいりました。 現在、安倍政権のアベノミクスによる金融緩和と財政政策、そして成長戦略、いわゆる3本の矢が次々と打ち出されてきました。株価の上昇や円高の是正、雇用・所得環境の改善傾向など、景気の展望に明るさは見えてるものの、昨年4月の消費税引き上げなどにより、景気への影響が懸念されているところでございます。
重複しますけれども、バブル崩壊後の土地価格、低下する一方でありまして、これから先上昇するという保証もありません。これから上がるだろうということが常に頭にあったからこの処分が遅れたということもあるかなと思います。機動性を持たせて、あるいは思い切った策、こういったものを導入することによってこれからどんどん処分をしていただくように要望いたしまして、私の質問を終わります。ありがとうございました。