262件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

姫路市議会 2017-03-03 平成29年第1回定例会−03月03日-02号

戦後の高度経済成長により日本農業は大きく変貌し、機械化が進み、畜産・酪農や野菜・果樹部門が発展しましたが、稲作は零細なままであり、1970年代以降米の生産調整に至りました。  その後の円高の進行や貿易自由化の中で国際化に対応した農政改革が推進され、戸別所得補償政策が導入など国を挙げて農政改革が行われてきました。  

丹波市議会 2017-01-16 平成29年第89回定例会(第5日 1月16日)

学費が比較的安いと言われる国立大学でも初年度の納付金1970年、昭和45年ですが、このときに1万6,000円であったものが2010年には80万円を超え、これは大学への公的支援が減らされたことが、そういったことが要因と言われております。また、大学生の学生生活を支える家計からの給付についても、2000年度には156万円であったものが2012年度には121万円にまで落ち込んでおります。

西宮市議会 2016-12-06 平成28年12月(第 7回)定例会-12月06日-02号

データを見ても、1970年代から2000年までで一億総中流社会は終わっています。つまり、僕の世代が歩んだキャリアは、既に格差社会に入った時期であり、日本は一億総中流社会であると教えられて育った僕の世代に、かつて日本が誇った安定した社会はありませんでした。これは何を意味しているのでしょうか。社会の流れに身を任せていても、時代も社会も何もしてくれないということです。

尼崎市議会 2016-09-14 09月14日-03号

これに対し我が国は、1970年に7%を超えると、その24年後の1994年には14%に達しております。このように、我が国高齢化は世界に例を見ない速度で進行し、今後、高齢化率は2035年には33.4%、2042年以降、高齢者人口減少に転じますが、高齢化率は上昇を続け、2060年には39.9%に達して、国民の約2.5人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来することが見込まれています。 

西宮市議会 2016-06-29 平成28年 6月(第 5回)定例会-06月29日-05号

日本において、1970年以前は、海外と同様に、自転車は車道を通行することと法律で規定されていました。ところが、1960年代から1970年代にかけ、増加する自動車に社会が対応できず、交通事故が急増し、自転車事故も急増したために、緊急避難的な政策として、1970年に道路交通法を改正し、場所を限った上で、自転車が歩道を通行できるようにしました。

加東市議会 2016-06-21 06月21日-02号

2点目の老朽施設更新計画の効果と今後の展望についてでございますが、高度経済成長期1970年代から整備を進め現在に至っておりますが、災害時においても安全な水を安定して供給することが求められており、重要なライフラインとしての使命を果たすため、平成21年度に水道ビジョンを策定し、それ以降、基幹管路耐震化に取り組んでいます。

尼崎市議会 2016-06-10 06月10日-04号

この言葉を私が初めて聞いたのは、1970年代の終わり、大学の授業で、誰か読む人いませんかということで使われていたのがボランティアという語でした。みずから手を挙げるという自発的な行為を指すものと理解していました。その後、阪神淡路大震災を機に、無償で社会的意義のある奉仕活動をするという意味の外来語として広まったと理解しています。

西宮市議会 2016-03-16 平成28年 3月16日予算特別委員会民生分科会−03月16日-01号

1950年代から1970年代初頭ぐらいだったと思いますが、ここら辺で建てられた、アスベストが使われてるかどうかはわからないと思うんですが、多く使われてると思うんで、全部が全部把握は難しいでしょうけども、大規模な建物というのは、そこら辺は市としてのチェックといいますか、要注意だなというようなところ辺のチェックというのはされてるんでしょうか。

西宮市議会 2016-03-15 平成28年 3月15日予算特別委員会教育こども分科会−03月15日-01号

これ、1970年の人口が7,000人、2010年、つまり30年たったら4,000人に減っておるんですよ。つまり3,000人減ってるんですよね。それからまた5年ほどで500人ほど減ってるんですよ。どこの地域日本、国を挙げて、少子化というか人口が減ってる人口減少社会の中で、特にこの辺のところというのは、西宮市の人口が減るんじゃなくて、ここはもう過疎化なんですよ。

尼崎市議会 2016-03-07 03月07日-04号

2016年1月29日付の朝日新聞の記事で、建設現場アスベストを吸い込み、肺がんなどを発症したとして、建設労働者によって建材メーカーと国の賠償責任が問われた裁判の判決は、国は1970年代初めに石綿危険性に気づけたのに、作業現場での防じんマスクの着用などの石綿規制がおくれたと指摘、全国地裁・高裁で係争中の訴訟では、2012年の東京地裁、2014年の福岡地裁、2016年1月22日に出された大阪地裁

姫路市議会 2016-03-03 平成28年第1回定例会−03月03日-02号

道路については、構想されたのは1970年で46年間もの長きにわたるものであります。その間、地元企業地域関係者らが早期実現を目指し要望活動を行ってまいりました。  現在、石見市長播磨臨海地域道路網協議会の会長として、関係市町とともにリーダーシップを発揮され、国への要望活動などさまざまな取り組みを行ってこられました。

三田市議会 2015-12-10 12月10日-02号

市内沢野本にある雇用促進住宅は、1970年3月から入居が始まっており、現在でも100戸の住宅のうち、常に8割以上の入居となっていますが、開始当初または間もなくして入居、現在に至っても住み続けておられる方が数世帯以上おられます。この人たちは既に年金生活をなさっておられ、先日お会いした方の中には、ご夫婦のうち一方が病気で、生活そのものが厳しくなっておられ、十分な蓄えもありません。

西宮市議会 2015-12-07 平成27年12月(第 3回)定例会−12月07日-04号

市が視察をした大規模保育所は、1960年代から1970年代建設されています。当時は、女性の社会進出が進みました。しかし、働こうにも保育所がなく、全国でポストの数ほど保育所をという大運動が起こり、公立保育所建設が進みました。この年代建設された保育所は、大規模保育所が多いです。その後、保育の実践と研究者の検証が進み、現在では、保育所規模は多くても100人という提言が出されています。