川西市議会 2019-02-18 09月05日-03号
私は1970年、万博の年にこの川西市に就職しました。それから市議会議員に出るまで32年間、この川西市役所で仕事をさせていただきました。 1970年いうのは昭和45年なんですけれども、そのときに私はもう市役所へ入る前に、面接の時からどこの部署へ行きたいのかというところで、税に行きたいというふうなところで、希望どおり入ったのが固定資産税に配属になります。
私は1970年、万博の年にこの川西市に就職しました。それから市議会議員に出るまで32年間、この川西市役所で仕事をさせていただきました。 1970年いうのは昭和45年なんですけれども、そのときに私はもう市役所へ入る前に、面接の時からどこの部署へ行きたいのかというところで、税に行きたいというふうなところで、希望どおり入ったのが固定資産税に配属になります。
公害問題なんかは1970年代に非常に注目を受けますが,実際は1900年代からずっと問題になっている話であります。 こういった都市問題に対する基本的な解決方法としてとられてきたのは,都市の拡大だろうと。鉄道や道路を整備することによって交通を拡張して,その周辺部に新しい住宅地域を整備していくというのはどの大都市もやってきたところです。
大規模な万博としては2005年の愛知以来、大阪では1970年以来、55年ぶりの開催となります。25年大阪万博のテーマは、いのち輝く未来社会で、人工知能や仮想現実など体験できる最先端技術の実験場にするコンセプトを掲げています。150カ国の参加を見込み、5月3日から11月3日の185日間で、国内外から約2,800万人の来場を想定しています。
私は、ちょうど前回の1970年大阪万博の開催期間中に生まれましたので、55歳で迎える大阪万博を2020年の東京オリンピック同様にとても楽しみにしています。 来年2019年の関西でのラグビーワールドカップ、2020年の東京オリンピック、2021年の関西でのワールドマスターズゲームズ、そして2025年の大阪万博と私たちの身近なところで次々と具体的なイベントが開催されます。
これ以外でも主なところで言うと、芦屋のルナホールが700席ということで、1970年築のものがございます。 次をめくっていただいて、2ページをごらんください。 引き続きまして、市内のホールの状況でございます。 アミティホールの1,180席に続きますのは、なるお文化ホールが640席、勤労会館ホールが400席、フレンテホール、プレラホールと続きまして、300席以下のホールがございます。
1970年代というぐあいに年代を強調したい場合はあえて統一しなくてもよいと思いますが、お考えを聞かせてください。御答弁ください。 ◎美化企画課長 こちらのコラムにつきましては、1970年代、元号で言いますと昭和45年以降の経年変化を掲載したものであります。
そういうことで、核兵器をなくさないかんというふうなことで世界のそういう世論もありながら、NPT――核不拡散条約というのが1970年に発効しまして、ただ、これは五つの大国だけは核兵器を持ってもいいというふうなことで、その加盟国は核軍縮に対する交渉の努力をしないかんという義務がありながら、なかなかこの間ずっと進んでこなかったという現状があります。
鳴尾公民館は、昭和22年――1947年当時の鳴尾村に誕生した、西宮市内でも最も古い歴史を持つ公民館で、昭和45年――1970年に現在の建物になり、約48年の年月が経過しています。
提案理由ですが、2025日本万国博覧会誘致委員会では国などとともに1970年の大阪万博以来、55年ぶりに大阪に国際博覧会を誘致しようとしています。国際博覧会は人類が抱える地球的規模の課題に対し、世界からの知恵を一堂に集めることで解決方策を提言する場であり、新しい時代を生きる知恵を広く発信することにより世界と日本の平和的発展に大きく寄与することが期待されています。
規制緩和に代表される産業の成長阻害要因を排除するということは、伝統的なアダム・スミスに始まる自由主義経済、ないし1970年代以降に存在感を示した新自由主義経済論者のスタンスに近いのかなと推察をされます。経済政策にどのスタンスを当てはめるかはそれぞれの思想であり、それはまさに政策決定であります。そして、私は、新自由主義的スタンスを持ってこの西宮市政をかじ取りしようとは思っておりません。
1970年代以降は高度成長期とともにモータリゼーションの進む中、車依存社会の進展が見られるようになってからは、公共交通の利用者が年々減少していくことになりました。このような状況のもと、地域公共交通を担う事業者の経営も厳しい状況であることが伺えます。 しかしながら、地域経済社会の基盤であり、その地域における公共財的存在の役割は大きいものであります。
1970年、私たちがなれ親しんだ竹山中学校と山東中学校は統合し、市島中学校となりました。今では、校門のところにあった老木の桜がわずかに往時を偲ばせております。以来、約50年たった今、また小学校の統廃合を実施しようとされております。
それと先ほど浅田委員から出てましたNPT、核拡散防止条約の関係、これは1970年に発効しておるんですよ、今からいえば48年前に発効して。その核拡散防止条約の柱というのは3つあるんです。1つには、今核を持ってる国は核軍縮を進める、直ちに廃止じゃないわけですね。アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国の核保有国5つですけども、そこは核をなくすために努力しましょうということです。
コミュニティの概念は、日本での外来語としてのコミュニティは、経済成長が都市の生活環境や人間関係の荒廃を招いたとする認識の広まった1970年ごろ、その克服策として官民の指導的部門が一斉にコミュニティの創設を提唱してから一躍脚光を浴びることとなりました。
確かにこれは、NPT体制、つまり、1970年にスタートした核拡散防止条約の原点であり、そのNPT体制の創設に努力した日本とすれば、譲れない点なのだと思います。
これは未婚率でございますが、1970年で50歳のときの未婚率は、全国で女性が3.3%、男性が1.7%。2015年の国勢調査で50歳時の未婚率が、全国で女性が14.1%、男性が23.4%になっておるようです。香美町ではもっと未婚率は高いというふうに思われます。
(「桃観トンネルの説明がない」の声あり) 桃観トンネルの築造年度ですけども、1970年に供用開始されております。幅員が7.5メートルということになっております。今、議員のおっしゃられました漏水といいますか、水のほうの関係につきましても、先ほど言いました点検はされておると思いますけども、再度、県のほうにその辺の漏水等についてはどうだということは確認をしていきたいというふうに思います。
だから、教えていただけなかった、結果、自然循環が壊れたらどうなるかということが、はっきり言って、1970年代の公害問題に沿ったところだと思います。
○村井農林振興課長 まず生産調整についてですけれども、これにつきましては1970年から始まったという制度でございまして国・県のほうから市に対して米の生産数量を配分すると、要はこれだけつくってもいいですよというような仕組みがございました。これは一般的には転作とも言われるような仕組みでございます。 平成30年度から国・県からの配分がなくなります。
市島町でも1970年代より辛抱強く無農薬・無化学肥料の農産物をつくり健康を守っていこうと、有機農業に頑張ってこられたグループの功績で全国的な知名度になったと思います。丹波市の有機農業生産者が協力し合い、共同生産・共同販売・共同加工までを、丹波市全体で体制をつくれませんか。体制ができ上がるまでの支援を強力に行政が指導されないでしょうか。