播磨町議会 2009-09-22 平成21年度決算特別委員会(第3日 9月22日)
もうどこへ行っても100%いうのはもう永遠の課題でして、昔から言われてるんですけども、もう昭和35年当時の名古屋市の市長さんがなかなかできないというお話も出してますし、それから万博当時の堺屋太一さん、出してる本、こういうのが出してるんですけども、それの当時でも大阪はだめですというような話も出てます。今100%いっとるのは多分、兵庫県下では芦屋だけです。そこ以外は全部じゃありません。
もうどこへ行っても100%いうのはもう永遠の課題でして、昔から言われてるんですけども、もう昭和35年当時の名古屋市の市長さんがなかなかできないというお話も出してますし、それから万博当時の堺屋太一さん、出してる本、こういうのが出してるんですけども、それの当時でも大阪はだめですというような話も出てます。今100%いっとるのは多分、兵庫県下では芦屋だけです。そこ以外は全部じゃありません。
この方々がまだ社会参加をいろんな形でしているということと、堺屋太一が講演会で言ってたんですけど、昔は地縁社会だった、古宮なら古宮の方々で集まるその集団があったんですけど、今は好縁社会、好きいう字書くんですけど、これは趣味に興じる社会になってきて、いわば老人大学だとかことぶき大学だとか、あるいはいろんなサークル、健康管理のためにいきいきセンターに行くだとか、こういう活動が地縁社会より上回ってきた、そういうことが
堺屋太一氏が言われた、団塊の世代の方々が間もなく60歳を迎えます、1947年の出生数は267.9万人と前年1946年の190.6万人のおよそ1.4倍を記録。 さらに、1948年には268.2万人、49年には269.7万人の出生があり、団塊世代として定義した1947年から49年の3年間の出生数は実に805.7万人にものぼり、就業者数にして539万人。