加古川市議会 2005-06-07 平成17年第2回定例会(第1号 6月 7日)
この戦争観、歴史観は靖国神社のものであり、靖国史観というべきものであります。こういう靖国神社の戦争観、歴史観について、小泉首相は我が党の志位委員長に対し、指摘のとおりという趣旨の答弁をしています。「つくる会」の歴史教科書には、60年前の戦争に関し、侵略という用語を全く使用していないとの指摘は、これを裏づける事実の一つであります。
この戦争観、歴史観は靖国神社のものであり、靖国史観というべきものであります。こういう靖国神社の戦争観、歴史観について、小泉首相は我が党の志位委員長に対し、指摘のとおりという趣旨の答弁をしています。「つくる会」の歴史教科書には、60年前の戦争に関し、侵略という用語を全く使用していないとの指摘は、これを裏づける事実の一つであります。
そのあらわれが靖国神社に永久戦犯を祀って、そこに総理大臣が参っているということですね。ドイツではもう絶対にそれは許せないと、今までも法律までつくって企業と国が金を出し合って、・・・のおくれた部分には強制労働にお金出せなかったと、今ずっと全部名乗ってきたら数十万円から100万円の金を補償として出しているんですよ、そこまで反省をするという立場があるわけです。
そのあらわれが靖国神社に永久戦犯を祀って、そこに総理大臣が参っているということですね。ドイツではもう絶対にそれは許せないと、今までも法律までつくって企業と国が金を出し合って、・・・のおくれた部分には強制労働にお金出せなかったと、今ずっと全部名乗ってきたら数十万円から100万円の金を補償として出しているんですよ、そこまで反省をするという立場があるわけです。
しかもその英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえないということを、今日の遺族は非常に嘆いておられます。遺族援護法の改正された中に、当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのが当然だと思いますということを訴えておられます。これはすなわち戦犯も一般の戦没者と同じく扱われるべきであるとの趣旨でございます。 戦犯として処刑された人々を公務死と認定することには深い意味がございます。
いろいろ問題があります、あの靖国神社であります。そこへ行かれた方の話でありますが、しーんと静まりかえった中でただ一人の男性が50年ぶりに「やっと親父来たで」と、こんな思いで大きな声を発せられたようであります。これは恐らくそこに行かれた多くの人たちの思いと一致するところであります。だれもがそれをたしなめようとせず、みんな同じ思いだったと私に話をしていただきました。
一部の政治家による日本の侵略の歴史を覆い隠すどころか歪曲し、開き直ったり、靖国神社に参拝を強行するなどが行われています。こうした発言や行為が生まれる根本にはアジア諸民族を侮蔑する独善的で排外主義的な思想があり、これらのことは、相手を尊重したり思いやるなどの態度ではありません。また、企業は、先ほども述べたように、モラルハザードを来しています。
現在の人権意識や法規を当時に当てはめ歴史を語り、勤労奉仕や国民の義務であった徴用を強制労働、売春婦を従軍慰安婦、日韓の合法的な条約を植民地支配と呼び、置きかえや刷り込みをする、憲法改正反対、有事法制反対、靖国神社参拝反対等々、資料館を舞台に政治問題化するグループが後を絶ちません。それが不審船を初め一連の領土主権の問題、瀋陽領事館事件等の政府対応につながっております。
中国との関係では、1995年、当時の村山首相が政府として初めて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを認め、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明しましたが、中国では、これで過去の戦争の認識にかかわる見方の違いがなくなったと安心していた、ところが、最近、歴史教科書問題や首相の靖国神社参拝など、前の戦争は正しかったというような声がしきりに日本
しかも、最近、従軍慰安婦記述削除要求や本請願など教科書への攻撃、小泉首相の靖国神社参拝、有事法制化、防衛的な核兵器保有可能とする非核三原則見直しの官房長官発言など、日韓関係にひびを入れる事態が続きました。それでも日本は決勝トーナメントに出場、韓国は準決勝にまで進出し、そんなことは問題にならなかったように思えます。しかし、実際はそうではないようです。
「君が代」の歌詞は、靖国神社ホームページを見ますと、千年万年も永久に大君の未来が栄えますようにと、天皇の未来の弥栄を寿くものです。戦前の天皇主権の明治憲法を引きずるものであり、現憲法の主権在民の立場から見れば相入れるものではありません。日の丸・君が代を踏台にして、戦前の教育に逆戻りさせるようなことは認められません。
内外の反対と批判を押し切って、小泉首相は靖国神社参拝を強行しました。首相は、靖国参拝を自分の信条だとし、だから時期を変えないで8月15日に堂々と参拝をする、こう繰り返してきました。その参拝時期を8月13日に変更しましたが、靖国参拝という本質は全く変わっておりません。
このことは、靖国神社参拝問題などとあわせて、韓国、中国を初めアジア諸国の大きな怒りとなり、文化・スポーツ交流にも支障が出る事態になりました。 こうした中で、当市と姉妹都市である韓国・馬山市との中学生の交流が中止されたことは本当に残念なことです。こうした事態を招いた国の責任は重大です。姫路市としてどのような対応をされたのか明らかにしてください。
かつて小泉首相の公約であった終戦記念日──8月15日靖国神社の公式参拝に対する抵抗勢力に屈し、8月13日に日程を変更したように、大いに疑問を抱くものであり、仮に行ったとしても国民に、特に弱者切り捨ての行財政改革とともに、地方自治体に対しては一方的に地方交付税の大幅削減が予想され、現状でも最悪の経済不況が今後ますます厳しくなり、企業の倒産に伴う失業者の増加等により大不況到来の危機にさらされ、まさに破局
しかしながら、憲法で明確に禁じられている集団的自衛権の行使を口にして、憲法改悪をもにらんだ戦争する国への道を突き進もうとしている小泉内閣は、まともな対応をとらないばかりか、A級戦犯を祭る靖国神社への参拝を強行し、挑発的姿勢を示しています。
本年は小泉首相の靖国神社参拝問題で、内外とも賛否両論が激しく交差する中で、熟慮に熟慮の上、参拝を8月13日、2日前倒しで参拝されました。私もあの戦争で肉親を亡くし、あの悲劇を二度と起こしてはならないと、私も誓い、断腸の思いでございます。また、今日の平和の感謝の気持ちでいっぱいであります。 一方、宝塚市の状況を見ますと、トップの欠席者がたくさんおられました。
そして、姿勢として際立っておりますのは、靖国神社への公式参拝であるとか、集団的自衛権の行使、そして憲法第9条の改悪などをねらっておられるのではないかというタカ派姿勢であります。 日本共産党は、自民党政治を大もとから変える、国民が主人公となる日本改革の提案を行っておりますけれども、その大きな柱は次のとおりであります。第1は、暮らし・経済の改革であります。
最近の世情として、国際人、国の閣僚が靖国神社に参拝についても、公人であるとか、私的なことであるとか、論議をされておりますが、終戦記念日の黙祷につきましても、強制はできないと思います。しかし、平和の今日、21世紀を迎える今、私の言葉、表現ではできませんが、再軍備とか、戦争批判ではなく、一般市民として、自主的に任せなければならないと思います。
皆さん方は靖国神社に行かれたことがあるでしょうか。私は,靖国神社が大好きであります。上京して,時間があれば九段の坂を上がり,参拝をします。靖国神社は,反戦神社であります。拝殿の左に,故郷の親や弟や妹たちにあてた,兵隊さんの手紙が展示されています。 今でも拝殿の前で重箱のふたを開けて,おはぎを取り出して,息子の名を呼んで,泣いておられる腰の曲がったおばあさんがおられます。
法成立後、靖国神社を公式に復活させる動きも表面化した中で、ことしの政府主催の戦没者追悼式では、第1回式典以来初めて君が代斉唱が行われ、農水省や郵政省の記者会見場には世論ならしともとらえるような日の丸が突然掲げられるなど、新たな動きが出ております。 市長並びに教育長におかれましては、日の丸、君が代の法制化につきまして、どのような見解を持っておられるのか。
以後、昭和39年8月15日には、靖国神社境内地において、昭和40年以降毎年8月15日、戦没者を平和を追悼し、平和を祈念する日には、日本武道館においてそれぞれ全国戦没者追悼式を主催し、さらに昭和40年以降、毎年千鳥ケ淵戦没者墓苑において納骨並びに拝礼式を主催して、これらの各式典には内閣総理大臣、その他国務大臣等が公的資格で参列している。