20件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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稲美町議会 2017-12-22 平成29年第248回定例会(第4号12月22日)

治安維持法は1925年4月に制定され、満州事変から太平洋戦争へと戦争を進めるために、国民批判を封じ込める重要な役割を果たしてきました。当初は、共産運動適用とされましたが、次第にその範囲を拡げ、労働組合知識人文化人宗教団体に及び、さらに全国民まで対象としました。兵庫たつ市出身哲学者三木 清さんは、看守の悪意で疥癬患者の毛布を着せられ、発病し、1945年9月、獄死しました。

播磨町議会 2017-12-14 平成29年12月定例会 (第4日12月14日)

治安維持法は1925年4月に制定され、満州事変から太平洋戦争に至る戦争を進めるために、国民批判を封じる重要な役割を果たしてきました。  当初は、共産主義運動適用とされましたけれど、次第にその範囲を広げ、労働組合知識人文化人宗教団体を初め、全国民に広げ、そして言論や思想の自由を縛り、反戦平和や民主主義を求める人々の取り締まりに拡大され、その数は数十万人に上りました。  

川西市議会 2017-06-01 06月14日-04号

これは、かつて満州事変の直後に、国際連盟の委嘱を受けたリットン調査団から満州国建設背景日本軍がいたことを非難され、他の列強もやったことと答えた当時の態度と通じるものです。 国際機関から的を射た批判をされ、実質的な反論がかなわず、苦し紛れの開き直りの抗議でその場しのぎをする態度は、国際的な孤立につながり、国策を大きく誤らせます。 

西脇市議会 2017-03-08 平成29年総務産業常任委員会( 3月 8日)

私が生まれた明くる年に満州事変が始まり、小学校1年のときに日中戦争に突入、小学校4年で太平洋戦争となり、15歳のときに日本はぼろぼろになりまして敗戦を迎えました。  私が小学生の当時、今でも印象に残っておりますのは、講堂に皆足が痛いのに正座をいたしまして、「海ゆかば水ずく屍 山ゆかば草むす屍 大君のへにこそ死なめかえりみはせじ」という歌を斉唱さられたことであります。

西宮市議会 2015-07-06 平成27年 7月 6日総務常任委員会−07月06日-01号

今までも、満州事変でも上海事変でも、皆、帝国の自存自衛のためとか、ABCD包囲網を打ち破るためとか、こういうことで我が国のそれこそ自存自衛という、この自存自衛我が国の存立が脅かされる明白な危険というのは同じ意味なんですよね。だから、ここを新しく解釈してしまったら歯どめがない。

西宮市議会 2014-09-29 平成26年 9月(第14回)定例会−09月29日-07号

戦争については、満州事変、中国侵略から始まり、第2次世界大戦まで、11ページにわたって記述しています。植民地占領地記述では、多数の朝鮮人中国人が意思に反して日本に連れてこられ、鉱山や工場で劣悪な環境で働かされていたこと、動員は女性にも及び、戦地で働かされた人もいた、日本語教育の押しつけ、各地抵抗運動が起こり、日本軍が厳しく弾圧し、多くの犠牲者が出たこと等の記述があります。

芦屋市議会 2013-03-05 03月05日-03号

美術館は1932年(昭和7年)、満州事変後、国連のリットン調査団の一部の人が訪れて独裁国だと思っていた日本の片田舎に、このようなエル・グレコやピカソ、モネ、その他のすばらしい世界的な美術品が公開されているということは調査団の先入観を改めさせる好材料だと言わしめています。そして、戦時中、アメリカは西洋の文化灰じんに帰すのはしのびがたいということで倉敷を爆撃から救ったともいわれています。 

丹波市議会 2011-02-01 平成23年民生常任委員会( 2月 1日)

満州事変以降の戦争を遂行するために、共産党に対する弾圧を見せしめにしながら、少しでも戦争批判的な国民の口をふさいで、悲惨な戦争に駆り立てることに役立てたのがこの治安維持法だと思います。  学者、文化人で皆様御承知の三木清という方が兵庫県のたつの市の出身の方でございますが、この方は哲学者として人生論ノートなどで有名な方でございます。共産党員ではございません。

川西市議会 2006-03-24 03月24日-06号

寺田がこの論文を書いた1934年は既に満州事変が軍部の手で引き起こされ、日中戦争勃発もあと数年後という時期でした。非常時という意味不明瞭な言葉軍備強化をもくろむ政府や陸軍によって多用され、中国大陸侵攻への世論操作も盛んに行われるという時代背景にありました。 ましてや今日、冷戦終結から10数年たち政府ですら我が国に対する侵略事態生起可能性は低下していると認めています。 

西宮市議会 2005-06-24 平成17年 6月(第 9回)定例会−06月24日-05号

そして、いよいよ満州事変支那事変、いわゆる日中戦争、大東亜戦争──太平洋戦争に入っていくわけでありますが、まず、日中間戦争史記述は、バランスがとれているかどうか、このことが一番大切です。特に南京事件については、大阪書籍は、この事件を一点の疑いもなく歴史的事実と記述しています。死者の数については、現在も学会で論争中であります。

宝塚市議会 2005-06-14 平成17年第 3回定例会-06月14日-04号

まず、対外的問題として、第1は、満州事変以来、日本の表裏、言行不一致侵略的行動については全世界の人心を極度に不安ならしめ、かつ全世界信頼を失っていることは大東亜戦争日本が全く孤立したことで明瞭である。したがって、将来国際関係の仲間入りをするためには、日本は真に平和を愛し、絶対に侵略を行わないという表裏一致した、精神のこもった言動をして、もって世界信頼を回復せねばならない。

三木市議会 2002-06-12 06月12日-03号

たちの年齢は、ちょうど今の父親の時期になるわけですが、満州事変とともに生まれ、太平洋戦争終結で13歳、中学3年生を終えました。その後貧困と困難の中で青年期を過ごしました。だから、結婚して子どもが生まれたときは、この子だけはあの苦しみ、悲しみを味わわせたくないと思って育ててしまったわけです。そこに甘えの構造が芽生えまして、子育ての厳しい伝統、文化を継承することができませんでした。

明石市議会 2001-06-19 平成13年 6月定例会(第3日 6月19日)

③満州国のかいらいの事実に触れず、満州事変中国反日運動のせいにしているのはどうか。  ④杉原千畝など美談を意図的に紹介しながら、朝鮮人に対する強制連行従軍慰安婦などの問題は、ほとんど触れていないのに問題はないのか。  ⑤南京虐殺について、事実と認定した東京裁判証言に異論を差し挟み、事実でないかのような印象を与えているが、問題ないのか。  

宝塚市議会 2001-06-15 平成13年第 3回定例会−06月15日-04号

こっから戦争の道に入り、満州事変それから国際連盟を脱退して2・26事件日中戦争と、最後原子爆弾が投下されて終戦を迎えるという、こういうことで、ちょうど日本の第2次世界大戦の道へ入り込むときにできた法律です。  この法律に対して、この法律です、国会でこれを審議するのに当時の労働党の山本宣治という人がこの法律に反対をしまして、この人はそのとき宿舎でテロに遇って亡くなっておるわけです。

西宮市議会 1999-12-07 平成11年12月(第 3回)定例会−12月07日-03号

1927年、28年には山東省に出兵を行い、また、1931年の満州事変から15年戦争へという状態に入っています。中国東北部における日本軍が何をしてきたかは、既にこの本会議でも触れてきました。1937年からは中国への全面戦争が始まっており、上海から国民党政府の首都であった南京を占領しており、この際起こったのが南京虐殺事件です。私は、南京にも過去2度訪れております。

篠山市議会 1999-09-27 平成11年第 7回定例会(第6号 9月27日)

記録によりますと、銀行の取り付け騒ぎが多発し、大学は出たけれど働くに職はなく、都市にはルンペンという言葉に代表される浮浪者があふれ、農村恐慌により、東北農村では娘の身売りが横行するなど社会不安が増大する中で、政府は人身の荒廃を食いとめ、国論を統一するために国際的緊張状態をつくり出し、やがてそれが昭和6年の満州事変、昭和8年には国際連盟脱退昭和12年には日中事変からやがて太平洋戦争に突入していった

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