洲本市議会 2018-06-20 平成30年第4回定例会(第2日 6月20日)
その希少さ、あるいはまた、登り石垣のつくられたのは、朝鮮への秀吉の出兵、この際に朝鮮で築いた倭城、この関連が非常に深く、朝鮮出兵から戻った武将がみずからの城を築くときに登り石垣を築いたとされています。そういった歴史的ないきさつについては全く触れられておりません。 もちろん、洲本城の登り石垣、東西ともに崩れかけており、近づくと危険であることは認識しています。
その希少さ、あるいはまた、登り石垣のつくられたのは、朝鮮への秀吉の出兵、この際に朝鮮で築いた倭城、この関連が非常に深く、朝鮮出兵から戻った武将がみずからの城を築くときに登り石垣を築いたとされています。そういった歴史的ないきさつについては全く触れられておりません。 もちろん、洲本城の登り石垣、東西ともに崩れかけており、近づくと危険であることは認識しています。
この会談後に、両首脳は共同声明に署名し、朝鮮半島の完全非核化への第一歩が記された、歴史的な会談となりました。 ただ、非核化の実効性については、まだまだこれからで、一つずつ積み重ねていくものと考えられます。 北朝鮮のミサイル発射によって、Jアラートが反応して、サイレンが鳴り響き、危険回避をするような事態がなくなるということであれば、我々にとっても大いに喜ぶことであると感じております。
また、朝鮮出兵の折には、水軍を率い活躍し、それらの功が認められて、洲本藩主に任ぜられました。そして、上の城の整備に力を入れ、現存する洲本城の基礎を築いたと言えるでしょう。 淡路洲本藩を立藩した脇坂安治を洲本の歴史の中でもっと大きく取り上げていくべきではないかと、このように考えますけれども、いかがお考えでしょうか。 ○(山本和彦議長) 河上教育長。
秀吉の朝鮮出兵の折に、朝鮮で築いた城にこの登り石垣、あるいは竪石垣と竪堀とも言うそうですけれども、これがつくられ、そしてその時代に我が国で築かれた城郭にもこういうものが整備されたと。現存しているのは、彦根城と洲本城と松山城である。こういう看板がありました。 洲本城を見ても、そういった文化的な歴史的な価値については、どこにも記されていません。