尾道市議会 2021-03-22 03月22日-05号
選挙管理委員に、尾道市因島鏡浦町にお住まいの岸田一男さん、昭和20年生まれ、栗原町にお住まいの丸谷征嗣さん、昭和21年生まれ、西久保町にお住まいの川崎誠さん、昭和29年生まれ、瀬戸田町にお住まいの河内英介さん、昭和34年生まれ、補充員に、御調町にお住まいの貞重裕樹さん、昭和45年生まれ、因島土生町にお住まいの峰松千恵里さん、昭和38年生まれ、原田町にお住まいの清水麻紀さん、昭和51年生まれ、向島町にお
選挙管理委員に、尾道市因島鏡浦町にお住まいの岸田一男さん、昭和20年生まれ、栗原町にお住まいの丸谷征嗣さん、昭和21年生まれ、西久保町にお住まいの川崎誠さん、昭和29年生まれ、瀬戸田町にお住まいの河内英介さん、昭和34年生まれ、補充員に、御調町にお住まいの貞重裕樹さん、昭和45年生まれ、因島土生町にお住まいの峰松千恵里さん、昭和38年生まれ、原田町にお住まいの清水麻紀さん、昭和51年生まれ、向島町にお
小川政彦さんは,市内駅家町に居住し,1988年昭和63年福山市役所に入り,今日まで30有余年の長きにわたって地方自治行政に携わり,その間土木部長などを歴任し,2018年平成30年4月からは建設局長として今日に至っております。行財政に明るく,本市の副市長として適任であると考えるものであります。 何とぞ御同意をいただきますようお願いを申し上げます。 ○議長(小川眞和) これより質疑に入ります。
昭和57年、消防吏員を拝命し、これまですばらしい仲間に恵まれたこと、大変ありがたく感じております。そして何より、消防を信頼し、また頼りにしていただいた市民の皆様をはじめ、いろいろな方々に、お気持ちに支えていただいたなと今改めて感じております。これまで支えていただいた全ての方々に心より感謝を申し上げます。 これから大好きなこの呉市の市民の一人として、また第二の人生をしっかり、元気に歩んでまいります。
前延氏の主な経歴について申し上げますと、同氏は昭和55年に東広島市役所に入庁され、生活環境部長、企画振興部長、総務部長などを歴任され、平成30年に退職されるまで、地方行政に携わられた方でございます。また、同氏は同年から広島中央環境衛生組合副管理者として御活躍でございます。 なお、副市長の任期は4年でございます。 次に、同意案第73号「教育委員会教育長の任命の同意について」でございます。
昭和57年、消防吏員を拝命し、これまですばらしい仲間に恵まれたこと、大変ありがたく感じております。そして何より、消防を信頼し、また頼りにしていただいた市民の皆様をはじめ、いろいろな方々に、お気持ちに支えていただいたなと今改めて感じております。これまで支えていただいた全ての方々に心より感謝を申し上げます。 これから大好きなこの呉市の市民の一人として、また第二の人生をしっかり、元気に歩んでまいります。
地方自治法(昭和22年法律第67号)第115条の3及び廿日市市議会会議規則(昭和63年廿日市市議会規則第1号)第17条の規定により、次のとおり修正案を提出する。 令和3年3月15日、廿日市市議会議長佐々木雄三様。 発議者、廿日市市議会議員林忠正、同じく角田俊司、同じく藤田俊雄。 議案第13号廿日市市宮島訪問税条例の修正案。 議案第13号廿日市市宮島訪問税条例の一部を次のように修正する。
建築も明治、大正、昭和にかけて建てられたという共通点もございます。また、課題としての回遊性の向上、滞在時間の延長、誘客のターゲットなど類似する課題が多くありますので、これを連携させた活用策でありますとか、そういったことであわせた事業と考えているところでございます。 ○主査(加藤吉秀君) ほかにありませんか。 山口分科員。
さて、尾道市は、昭和60年10月9日に、国際社会の連帯と平和主義の原点に立ち、非核三原則の完全実施を願うとともに、核兵器の全面撤廃を全世界に喚起し、恒久平和を求めるとして、非核平和都市を宣言しています。 まず、平谷市長は、世界で唯一の戦争被爆国である日本が条約制定の段階から参加もしておらず、批准はもとより署名をしていないということをどのように受け止めておられますか。
令和3年度は府中市遺族会で清掃等の日常的な管理を行っております府中公園内に建立されている忠霊塔は昭和29年に設立されたものなんですが、老朽化により雨漏りや塗装のはがれが発生したため、府中市遺族会から忠霊塔補修の要望があり、遺族会と協議の結果、令和3年度に限り、活動費の補助を増額するということで補修に係る工事費用の2分の1程度を補助するもので100万円の増額をしております。
今回新しい過疎法ができるに当たりましては、人口要件、そして財政力要件という過疎地域の指定の要件ですね、このうち人口要件の減少率を算定する基準年が、昭和35年から昭和50年に見直されたこと。あるいは、府中市には直接影響はございませんが、財政力が低い要件の緩和、みなし過疎の継続といった改正と言いますか、措置の内容になっております。
また、本計画の対象区域は廿日市市全域とし、対象とする建築物は、昭和56年6月1日に施行された新耐震基準より前の旧耐震基準に基づいて建築された建築物で、耐震性が確認できないもの及び耐震性が不足しているものとします。想定される地震と被害でございます。
30年先,いや,半世紀先の神石高原町に住む人たちに,大正,昭和,平成,令和を生きた先人たちは本当にいい町をつくってくれたと言われる神石高原町を今を生きる私たちみんなでつくっていこうではありませんか。町民の皆さん,ともに歩んでまいりましょう。ともに進みましょう。 以上が令和3年度施政方針です。 議員各位におかれましては,活発なご議論をいただき,ご可決賜りますようお願いを申し上げます。
出口川におけます水質汚濁事案につきましては、昭和61年6月に出口川の上流部採石場付近からカドミウム等の重金属を含む汚濁水が流出し、下流で飼育されていたコイがへい死する被害がございました。これを受けまして、県と市で協力をしまして、河川水、飲料水の水質調査、発生源の調査、玄米・土壌調査、応急的湧水処理等の対応を行っております。
府中市の公共下水道事業は、確か昭和63年頃から重点的に管路の整備を始められたように思います。令和30年から令和31年頃にはこの昭和63年から始めた管路の更新が必要になるのではなかろうかと思いますが、その完成時期が同じ時期になるのかなと思います。もう少し加速させてはいかがなものかなと思いますが、間違っていますかね。
補助事業のメニューといたしましては,おおむね昭和30年代までに建てられた鞆地区固有の伝統的景観を有する伝統的建造物の修理,復旧を行う際の修理事業,それから伝統的建造物ではないその他の建物が,歴史的町並みと調和した外観に合わせる工事をする修景事業,また倒壊防止といった一時的な構造補強などを行う応急処理事業,そういったものがございます。
しかし、なかなか難しいというのが、人口がどんどん減っていっていまして、倉橋島を調べますと音戸町・倉橋町で一番多いときは3万2,000人の人口がいました、これは昭和22年代です。そして、安芸灘四島、昭和24年ぐらいですかね、3万人いたそうでございます。そして、今から30年前の平成2年、倉橋町と音戸町を合わせて2万6,000人台、そして安芸灘四島を見ますと、本当にもう6割近く減っております。
本市は、昭和49年に4町が合併して発足し、さらに平成17年の1市5町の合併により、市域が拡大したところでございます。 合併前の一部の町においては、その折々の前後で、町史の編さんがなされておりますが、それらの中身は一様ではなく、項目の多いものや少ないもの、内容の詳細なものや簡易なものなど様々でございます。
しかし、なかなか難しいというのが、人口がどんどん減っていっていまして、倉橋島を調べますと音戸町・倉橋町で一番多いときは3万2,000人の人口がいました、これは昭和22年代です。そして、安芸灘四島、昭和24年ぐらいですかね、3万人いたそうでございます。そして、今から30年前の平成2年、倉橋町と音戸町を合わせて2万6,000人台、そして安芸灘四島を見ますと、本当にもう6割近く減っております。
広島県立呉昭和高等学校の存続を求める意見書 令和3年3月1日 提 出 者 文教企業委員長 田 中 みわ子 呉市議会議長 森 本 茂 樹 様 広島県立呉昭和高等学校の存続を求める意見書 広島県では、生徒数の減少に伴い県立高等学校の再編整備を進めているが、このたび、広島県立呉昭和高等学校(以下「呉昭和高校
広島県立呉昭和高等学校の存続を求める意見書 令和3年3月1日 提 出 者 文教企業委員長 田 中 みわ子 呉市議会議長 森 本 茂 樹 様 広島県立呉昭和高等学校の存続を求める意見書 広島県では、生徒数の減少に伴い県立高等学校の再編整備を進めているが、このたび、広島県立呉昭和高等学校(以下「呉昭和高校