広島市議会 1989-09-04 平成 元年第 3回 9月定例会-09月04日-03号
次に,もう一つ立体利用の例示で出ました広島駅新幹線口広場の立体利用というようなことでございますが,広島駅新幹線口広場は,昭和50年に山陽新幹線の開業と同時に面積約1万3,300平万メートルを整備いたしておるところでございます。
次に,もう一つ立体利用の例示で出ました広島駅新幹線口広場の立体利用というようなことでございますが,広島駅新幹線口広場は,昭和50年に山陽新幹線の開業と同時に面積約1万3,300平万メートルを整備いたしておるところでございます。
加えまして、近畿大学の工学部の移転の決定とか、あるいは山陽新幹線東広島駅の開業、山陽自動車道の開通、また工業団地への順調な企業立地などを考えました場合、まずまずの成果を得ておるんではないだろうかと、いうように思います。ちなみに、地域の活力のバロメーターでございます人口の動向を見ましても、一昨年三原市を抜きまして、県下で5番目の市となっております。
まず私の去就についてお尋ねでございましたけれど、私は学園都市の建設なりあるいはテクノポリスの建設のため、まず都市基盤の整備の充実に取り組んでまいったわけでございますが、さらに、主要プロジェクトといたしまして山陽新幹線の東広島駅の開業とか、あるいは広島大学の移転の開学の本格化、また上下水道の整備、山陽自動車道の整備等々につきましていろいろと努力をしてまいりましたけれど、西条インターも山陽自動車道も西条
議案第7号 財産の取得についてでございますが、これは山陽新幹線東広島駅前広場のモニュメント広場の整備に伴い、ブロンズ像「和」群像3身体を買い入れようとするものでございます。この予定価格は3,700万円で、相手方は神奈川県川崎市中原区小杉町2丁目291番地圓鍔勝三氏でございます。なお、資料4として図面等を添付しておりますのでご参照いただきたいと思います。次に9ページにまいります。
次に,広島駅の地下街についての御質問でございますが,広島駅南口広場の整備につきましては,当初,昭和50年3月の山陽新幹線の広島開業にあわせまして地下街をつくるという方向で計画を進めておりました。
新幹線口広場は,昭和50年に山陽新幹線の広島開業と同時に,現在の形に整備をされてはおりますが,はや10数年を経て,送迎用の一般車両や観光バスが広場外にあふれ出すなど,機能的な問題が生じております。 この新幹線口広場も,観光客等の来広者が広島駅に着いて最初に目に触れる本市の玄関口でございます。
こうした評価については,文化度が計算に入ってないというような受けとめ方もあろうかと思いますが,しかし,いずれにしても,広島がそのようになったのはなぜかということを申しますと,50年に岡山から博多に山陽新幹線が開通したことにより,第2の名古屋化が進んだということではないでしょうか。
昭和59年に広島市を訪れた観光客は755万人で,昭和50年の山陽新幹線開業時の772万人に次ぐ2番目の数となっております。これは,大型観光キャンペーンSun Sunひろしまの影響であろうというふうに推論をされておるわけでございますが,内容的には宿泊客239万人で,宿泊率は3分の1程度にとどまっておるわけでございます。